第2章 王都ルートエスタ
第11話
荷馬車はライルと私を乗せ、救済の花が聳える西の街道へ進路を取った。彼との会話はかなり弾んだ。王都について色々と教えたし、私も気になる事があった。
一週間前、あの病室でライルが語った事は、真実なのか。今でも半信半疑だったから。
『ワシはこの世界とは異なる場所で120年生きた、老ぼれじゃ』
その後も語られた嘘のような話を、トラット卿はやけにあっさり飲み込んだ。
『よく分かった。その上で、君は特異な戦力だ。騎士団には是非欲しい。だがね、この国の制度や思想では、魔力の無い人間が騎士になるのは難しいよ』
大人な対応に、胸を撫で下ろしかけた。でも、私の想像以上に卿は本気だったらしい。
『時間が欲しい。無理を通す為には、色々と手段を講じなければいけないからね』
そう言い残し、トラット卿はその日のうちに王都へ発った。私も同じ日に帰る予定だったが、新たな任務を仰せつかってしまった。
『君は彼のアテンド役だ。準備が整ったら連絡するから、彼を王都まで案内しなさい』
という訳で、私はこの白銀髪の少年(老人)の案内係に任命されてしまったのだ。
「はぁ」ため息が漏れる。既に日が沈みかけ、荷馬車はランプを灯していた。
「どうした。疲れちまったか?」
「いえ、まあ、貴方が悪い訳ではないんだけど。丸一日修練を怠ったのは久々で……」
「そうか。だがたまには休養も必要だぞ?」
言われて少しだけカチンときた。やはりただの子供だ。何も分かっていない。
魔力の少ない人間が、騎士であり続けるために、どれだけの犠牲が必要なのか。
「……ねぇライル。君、本当に騎士に成れると思ってる?」
後から思えばあまりに失礼な質問だ。だが、ライルは軽く微笑み返した。
「成ってみせるさ」
そんな、あまりにも軽快すぎる答えに、私はついムキになってしまった。
「……無理だよ。魔力の無い君には」と言った途端、すぐに私の中で後悔が渦を巻く。
彼だって12年、魔力の無いまま生きてきた。無茶や無謀は承知の上で、足を踏み出したのだ。騎士になる苦労を知らないとはいえ、どう考えても私の失言だった。
「……その、い、今のは……「フレン、ありがとう」」
私の意図に反して、少年は朗らかな表情を向けた。私には、何の事か分からない。
「知り合ったばかりのワシをそこまで心配してくれるとはな。君の温情には感謝する。だが見ていてくれ。ワシはアルトの……家族のためにも、絶対に騎士に成ってみせる」
彼の笑顔が後ろめたくて、私は顔を逸らしてしまった。
すると、御者席から「お二人さん。王都が見えてきましたぜ」と声が掛かった。
渡りに船だ。勝手な気まずさから逃れるように、私は御者席側の天幕を捲る。
「さあ、ライル! あれが王都ルートエスタよ!」
◇
ライルが天幕から顔を出すと、大量の光が目に飛び込んだ。20メートルはあろう外壁に象2頭は収まりそうな大門が開いている。壁の向こうには、山のように連なる街の姿。
「あ、明るい⁉︎ 夜なのに街が明るいぞ!」
「とーぜんでしょ。ここは王都ルートエスタ。国で唯一、夜を克服した街なんだから」
フレンが自慢げにそう言っている間に、二人を乗せた荷馬車は門を潜って街へ入る。
そこは繁華街。数えきれない程の街灯が光り、多くの商店や飲食店が軒を連ねている。
「ふっふっふ。やっぱり貴方、子供じゃない」
「フレンも最初は驚いただろ⁉︎ お前さんも地方の出だと言ったじゃないか」
「ま、まあ、初めて来た時はねっ! その時だけよ!」
「子供、というより田舎者なんじゃね、ワシら」
「ちょっと! 一緒にしないでよ! 私はここに住んでる期間の方が長いんだから!」
やがて荷馬車は坂道を上り始めた。視線が高くなると、街の風貌も一望できる。
「なあ、あんな大量な街灯、一体どうやって点けているんだ? 物凄い量だろうに」
ライルの問いに、フレンはえっへんと胸を張る。
「そ~~んな事も知らないのね! ええと、確か大気にある魔力を集めているのよ」
「大気に? どうやって集めてるんだ? それに、”王国で唯一、夜を克服した街”ってどうしてじゃ? こんな技術があるならメイルルートにも街灯を設置してほしいんだが」
「えっと、えっとね……え~~」
うろ覚えだったのだろうか、フレンはパンクし始めた。すると、御者の男が口を開く。
「坊っちゃん、それは、拡散魔力ってやつですよ。人間ってのは普段から微弱な魔力を垂れ流しにしてて、魔力同士がぶつかると、大気に拡散されんです。ソイツを、街にいくつかある凝集塔で集めて、誘導管に通して街灯の光源法術を起動させるって寸法です。地方に無いのは、単に人の密度の問題らしいですぜ」
(なるほど。人が多ければ、それだけ拡散魔力も多くなるって事か)
「おかげであっしらも商売がし易くなりました。トラット卿に感謝しかありませんよ」
「ん? ちょっと待ってくれ。どうしてそこでトラット卿の名前が?」
「知らないんですかい? 拡散魔力も、凝集塔の設計も、トラット様の手腕ですぜ」
咄嗟にフレンを振り返るが、彼女は御者にお株を奪われ、荷台の隅で拗ねていた。
ライルの視線に気が付くと、フレンはむくれたまま口を開く。
「で、そのトラット卿に呼ばれて行くのが、国内最大の闘技場、シンメル闘技場よ」
黄土色の外壁に膨大な蔦が脈を張るシンメル闘技場は、王都で一番の熱気を纏っていた。
「こ、甲子園球場か、これは……」と、ライルは思わず呟いた。
荷馬車を降りた二人は御者に礼を言い、会場へと足を踏み入れる。石段を登ると、大勢の観客がひしめくアリーナを見下せる。そこに有るのは、見渡す限りの熱狂。そして興奮。
ガキン! ゴン! 重い金が衝突し合い、噛み付くような勢いで騎士同士が睨み合う。
「凄まじい熱量だのう……これが昇級をかけた錬成大会か?」
「ええ。今は視界級の大会ね。優勝か優秀と評価された2名が、区画級に昇級するのよ」
アリーナを見下ろしながら、二人は通路を進む。
「ええと、騎士の階級はいまいちよく分からんな。都市級ってのが一番上だったかの」
「ちゃんと説明してなかったわね。騎士の階級は守護範囲の広さで4つよ。視界級→目に見える範囲への破壊から守れる強さ。区画級→街の区画分の範囲。都市級→一都市分ね」
「視界級、区画級、都市級か。って事は、4つ目は一番下の騎士見習いかい?」
「いえ、見習いは一番下だけど、正式な守護騎士ではないわ。4つ目の階級は都市級の上で最上位よ。その名も、”国土級”。国の有事を左右できる魔力と戦力のある騎士だけが、この階級を与えられるわ。もっとも、今は2人しか居ないけどね」
「ほう、そんな騎士が2人。エリートの中のエリートって訳だ」
「何を隠そう私の所属する”紅翼騎士団”の団長は国土級よ! つまり私もエリート!」
自慢げな顔を見せようと、ライルに腰をかがめるフレン。しかし、歩きながら余所見をするものではない。彼女は石柱に思いきり頭を打った。
「アタマガッッーー‼︎」「おいおい、大丈夫かエリート様」
話しながらもアリーナを進み続け、二人は貴賓室のある廊下に足を踏み入れた。
床は豪華なビロードが敷かれ、会場の声援は石の壁に遮られて静かである。奥へ進むと、落ち着いた色調の木製扉と、それを守る騎士の男の姿がある。
ブロンド髪を後ろに束ね、男にしては華奢な線に、身軽そうな鎧を身に纏っている。
どうやら男もライルとフレンに気づいたようだ。いかにも軽薄な声をかけてくる。
「おやおや、出来損ないのフレン卿じゃないか。辺境に飛ばされたんじゃないのか?」
侮蔑に満ちた視線を向けられ、フレンは苦い顔になった。
「オーレン……任務で少し滞在していただけよ。貴方こそ、ここで何を?」
「任務に決まっている。白斬の要人がお出でなのだ。この俺が護衛しないでどうする?」
「私もその要人に呼ばれて来たのよ。はい、トラット卿の一筆。さっさと通しなさい」
苛立ちを滲ませながら、フレンは一枚の手紙をオーレンへ開いて見せた。
そこにはフレン卿とメイルルートの少年、ライル・メーザーへ、と記されている。
「ん、確かにトラット卿の字だな。で、ライル少年というのはどこにいる?」
(はあ……背の高い者同士の会話にはさぞ楽だろうな)
内心愚痴りながら、フレンの傍で少年は手を上げて見せた。
「失礼、ここに居ますよ。オーレン卿」
訝しむ目線が降りてきた。それは警戒から驚きに変わり、最後には嘲笑へと変化する。
「ぶっは! ウソだろ⁉︎ まさかコイツ以上に魔力のない奴がこの世にいるなんて‼︎」
下品な笑い声が、廊下中に響き渡る。ライルにとってこの反応は予想がついた。
もう12年も魔力無しでやってきたのだ。多少の驚きや嘲は慣れている。
こんな時は、笑いが収まるのを待つだのみだ。だが、ここに黙ってられない者が約1名。
フレンは剣を抜き、笑い続けるオーレンの首へ切先を当てがった。
「……どういうつもりかな、出来損ない?」
オーレンの表情はニヤけたまま。凍りついたような緊迫感が場を支配する。
「オーレン、私の事であれば何を言われようと構わないわ。でもライルに対する侮辱は許さない。彼がどんな覚悟でここに立っているのか、知りもしないくせにッ‼︎」
「いいぜ。やってやるよフレン。いつもみたいに、な……」
痺れるような殺気に耐えかね、ライルが声を荒げる。
「やめろフレン! いいから、ワシは気にせんから!」
「無駄だ。先に剣を抜いたのはこの女だ。なら、これから俺がやる事全ては正当防衛だ」
実に冷徹な声だった。どこか狂喜的に、オーレンは笑う。
だが次の瞬間、彼の表情も凍りついた。それ以上に冷徹な怒気が背後に現れたのだ。
「あらあら……ダメよ、オーレンくん?」
オーレンの殺気がかき消え、その代わりの禍々しい気迫が廊下に雪崩れ込む。
彼が守っていた扉から、美麗な女性が顔を覗かせた。その淑やかな美貌とは裏腹に、濃密な殺気を纏っている。構える二人は硬直し、ダラダラと大量の冷や汗が流れ出した。
「……ミストレア卿、注意する相手が違います……剣を抜いたのはフレンの方です」
「あら、刃を向けているのは貴方の方に見えたけど、違うのかしら?」
「……流石は紅翼の副団長様。この出来損ないと違って、見えていらっしゃる……」
オーレンの軽口が言い終わらぬうちに、泥のような怒気が注がれた。
「次に、私の団員を侮辱すれば、相応の覚悟はしてもらいましょう……♡」
途端に彼の全身は恐怖で波打った。生死の境にあって最早誇りなど塵へ変わり、急ブレーキをかけるように、彼は態度を急変させた。
「……っ、申し訳、ない……!」
「うんうん。じゃあ、フレンちゃんも、剣を収めて謝りなさい。さ、早く♡」
「は、はいっ! す、すみませんでした!」
「はい、よく素直に謝れたわねっ! 騎士として、子供の前ではキチンとしなくちゃ!」
「「はい……!」」
(……凄いな。相当な数の血を浴びなけりゃ、ここまで濃密な気配にはならんぞ。このご婦人、一体何者だ? 紅翼騎士団の副団長とか呼ばれておったが……ん?)
「それでフレンちゃん、ここに来たのはトラット卿に要件があったからでしょう?」
「はい! トラット卿の依頼で、ライル少年をここまで案内して参りました!」
「よろしい。卿は中でお待ちです。お入りなさい」
フレンの「はいッ!」という威勢の良い返答を見て、ライルは思い当たった。
(ああ、紅翼騎士団。フレンの所属先か。つまり、このご婦人はフレンの上官……)
「うふふ、とても良いお返事です」と言うと、ミストレアは少年の前で膝を折る。
「それじゃあ、ライルくん、またどこかでね! フレンちゃんも、後はよろしく!」
ライルの頭を軽く撫で、ミストレアは軽い足取りで出口へ歩いて行った。
「……どうやら嵐は凌ぎ切ったようだね?」
後から聞こえたしわがれた声。フレンとライルは開いた貴賓室の扉へ顔を向ける。
そこにはひょっこりと顔を出す、都市級騎士トラットの困り顔があった。
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