第10話

 療養三日目。メイルルートは復興に向けて動き始めていた。

 朝から木槌の音が聞こえてくる。ライルは喧騒を聴きながら、訪問者を待っていた。

 やがて、病室の扉が叩かれて「失礼、いいかな?」と老生した声が聞こえた。

 待ち望んでいたその声に、ライルは即座に「どうぞ」返す。

 入って来たのは二人の騎士。都市級騎士トラット卿とライルと共に戦ったフレン卿だ。

 「療養中にすまないね。君にはアルト卿の事で報告があってね」

 沈痛な面持ちで話すトラット卿だが、彼の頬にはクッキリとビンタの跡があった。

 「アルトの事ですか……? まあ、取り敢えず座ってください。フレンも」

 老騎士は礼を言って、傍らの椅子に腰をかけた。一方フレンは扉側に立ったまま。

 (フレンが護衛のような真似を……都市級ってのは相当な上役なのか?) 

 「お悔やみ申し上げる。ひとえに騎士団の不甲斐なさ故だ。本当に申し訳ない」

 トラットはそう言うと、深く首を垂れた。

 「そんな、やめて下さい! アルトの事は……僕のせいでもありますから……」

 「そうはいかない。アルト卿は騎士見習いとはいえ、まだ幼かった。魔人災害という脅威から弱い人々を守るのが私たちの仕事だ。それを全う出来なかったのは事実だ」

 トラット卿は頭を下げたまま、続ける。

 「アルト卿は、君を避難所へ無事に誘導した。自身の傷をも厭わないその姿勢はまさに騎士の鏡。その行動を讃え、アルト卿には特別昇級と栄誉国民賞が授与される事になった」

 飾り立てられた言葉を前に、ライルの心は動かない。

 アルトの人生も、命も、将来も、そんなもので埋められる筈がない。

 (……シスターにも同じ事を言ったのか……そこで彼女の怒りを受け入れたのだな)

 老騎士の赤く腫れた頬を見て、ライルは察した。

 「……ありがとう、ございます。アルトも喜ぶと思います」

 潤んだ瞳で天井を見上げ、やり切れない気持ちと言葉を噛み潰す。

 アルトは懸命に努力し、壁と向き合って、へこたれなかった。神木老人には、そんな彼の堂々たる将来が見えていた。その事を想うと、ライルは吐き出しそうな程苦しくなる。

 トラット卿は顔を上げ、ライルの様子を伺い言った。

 「以上だ。他にも幾つか聞きたい事があったが、日を改めた方が良さそうだね」

 「……待ってください! 僕からも、聞きたい事があります!」

 立ち上がろうとしたトラットの手を掴んだ。もう、アルトは居ない。家族の幸せを願い、死んでしまった。別れはいつだって苦しかった。何人も友や家族を看取ったが、全て等しい。何度だって涙を流すし、心の傷は治らない。

 アルトを想う。あの、若く尊い勇士を想う。その度に心の傷が疼いたが、それでいい。

 己の決意が奮い立つなら、それでいい。

 「騎士に……」ライルは薄く呟き、涙ぐんだ瞳で老騎士を見つめた。

 「騎士になるには、どうしたらいいですか‼︎ 誰も殺させない、悲しませない! そんな騎士になるには、どうしたらいいですか‼︎」

 外から聞こえる復興の喧騒は、まるで鼓動のように高鳴っていた。

 一週間後、メーザー教会の夜明け頃。ライルは、仮の寝床である庭先の小屋を後にする。

アルトに先立たれ、シスターも悲しみの中にあった。それでも彼女は強い女性だ。溢れる涙を力に変えて、街の復興を手伝っていた。今朝も先に炊き出しの準備に出ている。 

 「すまないシスター……会えば別れが辛くなる……」

 ライルは、書き手紙を残し、旅の荷物を抱え込んだ。小屋を出て、朝焼けに紅く照らされる煤まみれの教会を眺める。この家とも今日限りで別れると想うと、寂しさが過ぎる。

 (決して最後ではない。また戻ってくる。アルトのような立派な騎士なってな……)

 そう心に誓い、ライルは踵を返して教会の門前へ足を向けた。

 「どこに行くの……? ライル」

 涼やかな声に振り返ると、煤まみれの壁に寄りかかるシスターの姿があった。

 彼女は、どこか悲壮な表情で微笑んでいる。

「ライル。どこに行くのか言ってごらんなさい」

 「少し、散歩を……」

 シスターは笑いかけながら「嘘」と、少年の言葉を遮った。

 (隠し事は出来ないか…………)

 「シスター、僕は王都へ行く。そこで騎士なってくる」

 「……聞いたわ。あの女性の騎士様から……」

 (フレンめ……シスターには言うなと頼んだのに!)

 一方的に交わした約束を破られ、申し訳なさそうな女騎士の顔が浮かんだ。

 「……ごめん、別れが辛くなっちゃうと思って、シスターには言い出せなかった」

 「許しません。行ってはいけません。お願いですからこの街に居てください……私を、私を独りにしないで下さい……」

弱々しい彼女の肩を、ライルは強く抱き締めた。まるで許しを乞うように。

 「ごめんよシスター……僕たちは不良息子だ。兄弟揃って、貴方の元を去ってしまう」

 「そう想うなら! 騎士になるなんて言わないで! どうして、騎士なんかに……‼︎ アルトも、私の夫もそうだった! 犠牲になったのに、満足そうに死んでいった。でもその皺寄せはいつも私! 残される人の気持ちなんて、考えようともしていない……‼︎」

 ライルの腕の中で、シスター・サリヴァンは嘆きに沈む。それは神木老人にも理解できる感情だ。彼もまた、前世で多くの人々を見送ってきた。だからこそ言える。

 「……シスター、それは違うよ」

彼女の波打つ肩を掴み、ライルは真摯に語りかける。

 「死んでいく人間が想っているのは、いつだって大切な人達の将来だ。人間は、愛する人の為なら命だって賭けられる。だから満足して死ねるんだ」

 「そんなものは詭弁です! そう思うなら、1秒でも愛する人と居るべきでしょう⁉︎」

 「生き残ったとしても、別の誰かが死んでいく。それでもかい?」

 彼女は言葉を失い、ライルを見た。彼は落ち着いた口調で続ける。

 「死は貴方を苦しめたかも知れない。でも、それで救われた命があるじゃないか!」

 ライルは抱いた肩を離し、己の胸に拳を乗せる。何かに祈るように、宣誓するように。

 「アルトが将来救うはずだった命は僕が救う。そしてシスター。アルトが叶えられなかった”約束”を今度は僕が叶えるよ。そのために僕は、騎士になる!」

 『騎士になって、魔人災害を無くしてみせる』それが、シスターとアルトが交わした約束だった。そして、ライルに語った夢でもあった。彼女は涙を拭い、ライルの瞳を見つめ直す。アルトの高潔な意思は、確かにそこへ宿っていた。

 「……分かっているつもりでした。成長であれ、死であれ、別れの日がやって来ることを。貴方達兄弟は、それが少し早いだけなんですね……すごく、淋しいけれど……」

 湧き出る感情を堪え、シスターは傍らに置かれた布地を手に取った。その中から現れたのは、彼女の夫が使い、アルトへと譲られた、メーザー家の家宝とも言える剣だった。

 「これから貴方には多くの苦難が訪れます。辛さに沈み、何かに寄りかかりたくなる時もあるでしょう。そんな時、この剣を見て思い出して下さい。貴方を救った高潔な意思を」

 その剣を少年は恭しく受け取った。腕に伝わるその重量に、彼は思わず嗚咽を漏らした。

 ライルは復興が続く街並み通り抜け、大門付近の荷馬車待機場所へ駆け込んだ。

 「遅いよ! 夜更け前には王都に着きたいのに!」

 「すまん、フレン……いや、半分はお前のせいだからな⁉︎」

 そもそもフレンがシスターに何も言わなければ定刻通りに出発していた筈だった。

 「あーー……いやいや! 親御さんに何も言わないのは流石にダメよ‼︎」

 まさに正論。その上、彼女のおかげで憂いなく旅立てるのだ。反論の余地はない。

 「……むむ。分かったよ。ワシが悪かったよ……」 

 そうこうしている内に、荷馬車が動き出した。ライルは、離れゆく故郷を振り向かない。

 騎士になり、必ずシスターの元へ戻ってくるのだから。その代わりに、彼は前を見た。御者席側から見える巨大な”救済の花を”。目的地の王都ルートエスタは、その麓。

巨大な雛菊を見ていると、何故だかふと思い出した。前世で別れた娘との会話を。

 『お父さん、雛菊さんの花言葉、分かった?』

 『ああ、洋書の図鑑に書いてあったよ、雛菊、西洋でいう所のデイジーの花言葉は……』

 「思い出した……!」「え、何を?」

 のどかな風が少年の髪を揺らす。彼はどこか寂しそうに笑微笑みながら、そっと呟いた。

 「……希望、だよ」

 青天の空には、今日も一輪のデイジーが、咲き誇っていた。

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