第9話
とてもじゃないが信じられない光景だった。歳は12、3歳くらいだろうか。その小さな背中を見て、少し驚いたのを覚えている。
私以上に薄い魔力。もう薄いどころじゃなく、生活に支障が出るレベルで無色透明。
”保護しなくちゃ、守らなくちゃ”言葉にすればそんな感情で、私は魔物に立ち向かう彼の元へ走っていた。それがとんだ勘違いだと理解するには、あの光景は十分過ぎた。
敵はゴブリン、サイクロプス、覚醒した魔力を振るう魔人。脅威判定は都市級。区画級騎士だった私でも、勝ち目なんてない。それを彼は、魔力に頼らず全て討ち倒した。
あまりにも非常識。あまりにも異常。そしてあまりにも、誇り高い姿だった。
◇
氷の魔力は消えたが、そのダメージはライルの体に克明に刻まれていた。皮膚は赤く爛れ、風が吹くだけでも痛む。何より、連戦で彼の身体は鉛のように重たくなっていた。
少年は剣を支えに寄りかかり、深く呼吸を整える。まだ、やるべき事が残っている。
親友を弔い、母親を慰める。今はその事だけを考えようと努めた。
そうしなければ、悲しみに押し潰されてしまう。脚を止めてしまう。
「……生きなくてはな」そう、フレンの言葉を反芻し、彼は再び顔を上げた。
その先には、無数の黄色い瞳がある。まるで、彼女の言葉を拒否するように。
燃える建物の間から。物陰から。坂の向こう側から。魔人の魔力に巻き込まれないよう、隠れ潜んでいたのだろう。無数のゴブリンが続々と現れ、あっという間に軍となる。
「休ませてくれ……そうにもないな……」と、ため息を吐き、少年は剣を握り直した。
「ねえ、どうして助けてって言えないの?」
勇む彼の隣に、茶髪の女騎士が並び立った。
「騎士様……あんた、酷い有様だな」
見ると、フレンも肩に氷の魔力による凍傷を負っている。魔力が消えた後も鎧が肌に張り付いたのだろう。それを無理やり引っぺがしたせいで左肩の皮は爛れ、出血もしている。
それでも彼女は、「あなたこそ」と素知らぬ風でゴブリン達へ切先を向けた。
「それよりどうなの? この数相手に戦えそう?」
「……五分五分。だが、あんたが居れば百人力じゃ」
神木老人は100人の兵士と一人で闘った経験もある。だがそれは遮蔽物の多い密林での話。見通しの良い一本道では、五分五分など大見栄もいいところである。
「騎士様の魔力と法術があれば大丈夫。こう、電撃とか炎で蹂躙しておくれ!」
頼るべきはフレンの戦力だった。しかし、彼女の答えはライルの期待を大きく外した。
「……ごめん。ここで有効な法術は持ってないの。あなたと同じで魔力が少ないから」
「……マジかい」
「あ、身体強化系なら得意よ!」(……それって、騎士の基礎法術では……?)
話している間にも、ゴブリン達が騒ぎ立てる。今か今かと先頭列が石斧を構えている。
「それに、君の背中くらいなら守れるわ」「……ならば、ワシもアンタの背中を守ろう」
甲高い声が、集団の後方から響き渡る。その声が突撃の合図である事に、先頭のゴブリンも、相対する二人も察した。石斧を掲げ、ゴブリンの軍列が走り出す。
「それと、アンタじゃなくてフレンと呼びなさい。今だけは、呼び捨ても許すわ」
「……フレン。ワシはライル。こちらも呼び捨てで構わんよ」
フレンの頭上に石斧が迫った。それを容易に受け止めて、彼女は漲る魔力で押し返す。
「あ~~もう、ホント生意気だなぁ、君は!」
そう吐き捨てながらも、強化した膂力でゴブリンを斬り払う。二人の死闘が始まった。
四方八方から石斧が降り掛かる。ライルはその隙間を縫い、時に受けつつ斬り流す。
フレンも強化した膂力で攻撃を受け止め、弾き返す。
何発も、何振りも、何度も。もう数える気力すら消失して尚、攻防は止めどない。
「ハァァァッーー!」
フレンの振る剣尖が、3体のゴブリンを斬り裂くも、すぐに後列の数体が襲いかかる。
終わりがない。その上彼女の魔力は限界が近く、魔力欠乏で視界が混濁し始めていた。
一瞬でも、揺らいだ視界から生まれる隙は致命傷である。
「kaaaaaaa!」
彼女の頭上にゴブリンの一撃が迫る。対応するには余りにも遅い。だが死を覚悟した瞬間、彼女へ飛び掛かったゴブリンは両断された。背後を守っているライルの斬撃である。
「フレン! しっかりせい!」「ゴメン。ありがとう!」
呼吸を整え直し、フレンは少年の死角のゴブリンを蹴り飛ばした。
「ライルこそ、集中が落ちてるわよ!」「む。ありがとうよ」
二人は背中を寄り合わせ、反転しながら敵を斬る。ライルは正面の数体を薙いだが、手応えが悪い。アルトの剣にも限界が来ている。剣身にはすっかり油が回って切れ味は無いに等しい。既に斬っているというよりもぶっ叩いているという方が正しかった。
(――これ程の死地、生前にも無かった……!)
だが、この逆境禍で尚、神木老人は燃え上がる。武神、神木源一郎。本来、ギリギリの命のやり取りこそが彼の真骨頂である。連戦に次ぐ連戦が、ここに来て猛々しい彼の本能が目覚めさせていた。筋骨が躍動し、重心が震える。次々と来る敵に剣を振るい、蹴りを放ち、意を挫く。視界に映る全てを蹂躙しながら、ライルは狂気的な笑みを讃えていた。
それでも、限界はやって来る。
合わせていた背中が、途端に力を失った。振り返ると、フレンはゆっくり倒れ行く。
「――ッ、フレン!」
囲まれた中で意識を失った彼女へ、ここぞとばかりに大量のゴブリンが群がった。
「やめんか貴様らぁぁぁーー‼︎」
叫ぶも、彼が相手取っているゴブリン達も終わりがない。その上、彼女が凌いでいた背後からも石斧が振われる。全てを捌く事に追われ、フレンを助けに入れない。
その間に彼女の鎧が剥ぎ取られていく。彼女の有様に、少年の心が軋みを上げた。
「があああああ‼︎ やめろ! やめてくれーー‼︎」
また救えないのか、また助けられないのか。彼の脳裏に、取り零してきた命が浮かぶ。
共に戦場を駆けた戦友達。自分を支えてくれた師匠。後悔の涙を流す愛娘。そして、希望の未来へ走っていた、アルトの背中。
「また……またなのか……ワシには誰も救えないのか……⁉︎」
怒りに歪む視界で、ゴブリン達の猛攻を退けながら、ライルは独り、絶叫する。
「――いいや、君は十分に救ったよ」
西門の上から聞こえたしわがれた声。その途端、ライルの視界は一変した。
『――光の魔力×影槍法術』
老成した詠唱。静けさすら感じる音調の後、ライル達とゴブリンの大群を含め、門前は闇に沈んだ。そこから先は、闇の中でしか見えないものであった。
真っ黒に染まった石畳から無数の槍が突出したのだ。ライルとフレンを除き、西門付近に居たゴブリンは一瞬にして串刺しになった。
「これは……」
影が晴れると槍は魔物の死体と共に消え、それを見てたじろぐ後列のゴブリン達。
「突撃! 一体も逃すな!」「おおッ‼︎」
老生した気勢が轟き、数人の騎士達が外門から飛び降りた。
彼らは次々に着地すると、ゴブリン達へ突っ込んでいく。
「……助かった……おい、助かったぞ、フレン」
フレンは答えない。剥ぎ取られた鎧や破れたインナーもそのままに、寝息を立てていた。
「……嫁入り前の娘がなんちゅう格好で寝とる」
ライルは上着を彼女にかけてやった。尚、嫁入り前かどうかは神木老人の勘である。
少年の服は彼女の体にはあまりに小さいが、無いよりはマシだろう。
「グオオオオ~~」
お礼でもするような、やけにデカい寝息だった。同時に嫁入り前である事は確定した。
ドサ、とまた一人、騎士が門から降りて来る。重い足取りでライル達へ歩いて来る。
(……重心が重い割に、歩調は軽い。只者ではないな……)
そう直感しながら、ライルは振り返る。そこには白髪の老人。どこか理知的な表情ながらも、目元に大きな傷跡がある。歴戦の老騎士といった風貌である。
「君、大丈夫かい……? すまないな、助けに来るのが遅くなってしまった」
「いえ、もしかして東門から救援に? あちら側は大丈夫なんですか?」
老騎士は、ライルの少年らしからぬ返答に一瞬目を丸くした。
「……あ、安心してくれ、東門の魔物は掃討し終わった」
笑顔で言うと、今も抵抗を続けるゴブリン達を睨み、腰の剣を抜き放った。
「色々と聞きたい事があるが、まずは脅威の排除だ。恐らく魔人はこちら側を狙っている。君はそこの寝坊助と中へ。ここからはこの私、都市級騎士トラットに任せてくれ!」
「……魔人なら倒しましたよ?」
「……え?」「グオオオオオオオオオオオオ~~」
トラットと名乗った老騎士は、笑顔を固めてライルを見なおした。
「えっと……ごめん、今なんて言ったんだい?」
「魔人なら倒した、そう言いました」「グオオオオオオオオオオオオオオオオ~~」
トラットはしばし考え、眠り続けるフレンをチラリと見た。
「そういう事か……フレンが倒したんだな……格上相手に、やるじゃないか」
「いえ、ワシ……僕が倒しました」
少年の返答に、老騎士は笑顔のまま、眉だけは顰めた。
「ハハハ、君、そういう冗談は良くないぞっ。魔人の災害等級を知らないようだから教えてあげようか。”都市級”だよ。君のような若さと……魔力で、倒せる筈がないだろう」
(……やはりワシだけの証言では分かってはもらえんか……)
ライルは思案する。自身の現状を鑑みて、新しい生き方を模索する。
「だったらフレンに聞いたらいいですよ。彼女はここであった全てを知っています」
「そ、そうかもしれんが……とにかく君は「グゲラググバアアアグオオオ~~‼︎」」
「「喧しい‼︎」」
それはもう、サイクロプスの唸りなんて目じゃない騒音であった。
◇
その後、ゴブリン掃討戦は都市級騎士トラット卿の参戦で瞬く間に終わってしまった。
門前に詰めた魔物は全て狩り尽くされ、騎士達はそのまま街中の安全確認に走った。
ライルとフレンは、救護班数名に担がれ、紅翼騎士団の詰所で手当を受けた。
煉瓦造りの騎士団詰所の中は、焼け出された住民達がへたり込んでおり、絶望と呼ぶに相応しい光景が広がっていた。それだけの打撃を、辺境都市メイルルートは受けたのだ。
ライルには病室のベッドが充てがわれ、そこで数日間の療養する事になった。ベッドに横になるなり、どっと疲労が襲い、少年は知らぬ間に意識を失っていた。
翌日の夜中、ライルは目を覚ました。ベッドの傍には、シスターが突っ伏して寝息を立てていた。彼女の腫れた瞼を見て、ライルは痛感する。大切な家族が居なくなったのだと。
気付けば心はずっしりと重くなり、瞳から熱いものが込み上げた。
失ったものの大きさに心を痛めながら、疲れて眠るシスターの手を、そっと握った。
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