第7話

 街の事態は凄惨の一言に尽きた。ほとんどの家屋で火が上がり、倒壊しかかっている。

 治療院も、賑わっていた屋台も、古めかしい本屋も、何もかもが灼熱に呑まれていた。

 少年は、白銀髪を靡かせながら、その光景を駆け抜ける。

 街はまさに緊急事態。慌て怯えながらも、神木老人は冷静になろうと努めていた。

 (……人が居ない。ということは、避難は終わっているんだろう。二人は無事なはずだ)

 彼の脚は教会へ向かっていた。そこに二人が居るのか不明だが、街外れにある教会なら避難先になっている筈。草原を超え、丘を登り、やがて燃え上がる教会の姿が目に映った。

 「シスター‼︎ アルトぉーー‼︎」そう叫びながら、ライルは教会の門を潜った。

 そのまま正面玄関の大扉に手をかけて一気に開け放つ。その先に人の気配はなく、炎が燻っていた。瞬間、背後から強い風が中へ吹き通り、神木老人は戦慄した。

 (しまった……‼︎)とう思った途端、鈍い轟音が街中に鳴り響く。

密閉された空間に不完全燃焼の焔。扉を開けた事で急激に酸素が取り込まれてしまった結果、焔は爆発的に燃焼。老人の生きた世に言う、バックドラフト現象である。

黒煙と木片が降り落ちる中で、ライルは門手前にある芝生まで吹き飛ばされていた。

 辛うじて大扉を盾にしたものの、彼は全身を打ち、金切音しか聞こえない。

それでも体の痛みは気にならない。ライルにとって何より大事なのは、家族の安否だ。

 だが炎は、彼を嘲笑うように教会を犯していた。

 異世界で唯一、家族と過ごした大切な場所。それが今、目の前で燃えている。

 もはや限界だった。ライルにはもう、考え、動き出すだけの気力が湧き起こらない。今はもう、真っ赤な光景を呆然と眺める事しか出来ない。

 「……ル! ……イル! ……ライル‼︎」

 その時、強く肩を掴まれた。振り返えると大切な家族がそこに居た。

 「アルト……‼︎」と呻き、ライルは思わず抱きついた。

 「ライル! よかった、生きてたな!」

「何が起きたんだ⁉︎ 街も、教会も……」

 「それは走りながら話そう。来い、さっさと避難するぞ」

 崩壊した街中を二人の少年が駆ける。アルトはライルに前を行かせ、後を警戒している。

 二人とも快走とはいかない。ライルは爆風で負傷し、アルトも魔物に襲われたらしい。

 「ゴブリンが6体だった。サイクロプスと違って、すばしっこい奴らだったよ!」

 「それでも倒したんだろ? やるじゃないか!」「今回は武器に助けられたぜ!」

 アルトは走りながら、腰の宝剣を叩く。彼と同じ朱の飾り石が、街の炎を反射していた。

 「それより、本当にシスターや街の人たちは無事なんだな⁉︎」

 「みんな訓練場に避難している。お前が大会に出てれば迎えに行かずに済んだけどな!」

 「う……その件は悪かったよ! 許せ!」

  駆けているうちに、騎士団の訓練場、その西門が見えてくる。

 ドーム状に高く、頑強そうな壁。さらに出入り口は東西にしかなく、門は外門と内門の二重構造になっている。守り易い建物である。

 「あれだな……?」「……ああ。ライル、ちょっと止まってくれ」

 言われた通りに立ち止まると、アルトが朱い瞳を向けてくる。

 「なあ、許して欲しいか?」

 物憂げながらどこか重たい視線だった。そこに疑問を挟む余地はなく、ライルは応えた。

 「まあ……うん。アルトには迷惑かけたし」

 「じゃあ、ここからあの門まで、競走だ。お前が勝ったら許してやる」

 それは二人の決まり事。これから先にずっと続けるだろう終わりない兄弟喧嘩。

 彼の突飛な提案に、ライルは頬を緩ませた。

 「……っふ、いいよ。アルトが勝ったら?」

 「騎士になれ! だがもしお前が勝ったら、自由に生きろ!」

 「……ああ、分かったよ。もしアルトが勝ったら、騎士にでも何でもなってやるさ」

 表情を綻ばせながら、ライルは諦めたように肩をすくませた。

二人は燃える街中で並び合い、開いた外門へ続く一本道を見据えた。

 「3……」カウントを始めたアルトの声と、燃え盛る燃焼音。

 「2……」流れ落ちる二人の汗と血の雫。

 「1……」共に高鳴る鼓動は速度を上げる。

 「「スタート‼︎」」同時に、二人の声が合わさった。

 先頭を取ったのはライル。前傾姿勢で石畳を蹴る。背後にはアルトの乱れた息が聞こえ、それは次第に遠くなる。戦闘でバテているのだろうが、ライルに遠慮はない。いつも通り、全霊で勝ちに行く。手を抜かないからこそ、二人は平等でいられるのだ。

 結果、先に外門を潜ったのはライル。息を切らし、外門と内門の間の広場に倒れ込んだ。

 すると、閉ざされた内門から声が降ってくる。

 「誰だ……って、教会のとこの……後ろにいるのはアルトか?」

 内門の上を見上げると、騎士の男が見下ろしていた。ライルは、息を整えつつ応えた。

 「そうです! アルトに連れてきてもらって……」と言い終わる前に背後でドシャ、と音が聞こえた。振り向くと、アルトが倒れている。

崩れ落ちた彼の背中には、大きな切り傷。そこから大量の血が流れ出ていた。

 「アルト‼︎」と声を荒げ、ライルは彼の傍へ駆け込んだ。

 急いで衣服を脱いで、アルトの傷口へ強く押し当てる。

 「なんだよ、これ……‼︎ お前、どうしてこんな……‼︎」

 「はは……余計な心配、かけたくなかったからな……」

 衣服はすぐに鮮血に染まり、布の端から雫が溢れている。来た道をよく見ると、血痕が点々と続いていた。とても、12歳の少年が流血していい量ではない。

 「おい‼︎ アルトが大変だ‼︎ 早く治癒師を呼んで来てくれ‼︎」

 内門の上へ怒鳴り声を放つと、騎士は慌てて壁内へ降りて行った。

 「……なあ、俺、お前を教会で待っていた時、すっごく後悔したんだ」

 アルトの声は弱々しい。囁くように力がない。

 「喋るな! もうすぐ先生が来るから!」

 「……もしライルが居なくなったらって思うと、凄く不安だった。それで気付いたんだ。俺、お前に騎士になって欲しい訳じゃなかったんだって……」

 その口調も、内容も、まるで別れの台詞のようで、ライルは声をさらに荒げる。

 「馬鹿! お前は騎士に成るんだろう⁉︎ 簡単に諦めるんじゃない‼︎」

 「今までゴメンな。本当は俺、お前の強さが眩しくって、つい目が眩んじまって……」

 「頼むアルト‼︎ もう、やめてくれ! 頼むから、ワシの前で死なんでくれ!」

 ライルの頬に涙が伝う。彼の嗚咽とは裏腹に、アルトの鼓動は弱まっていく。

 「こ、これを……シスター、に……」アルトの震える指が、傍の剣に触れた。

 「ごめん、って……伝えて、くれ……約束、守れなかった、から……」

 「嫌だ……アルト……そんな事、言わんでくれ……!」「ライ、ル……」

 アルトの手がライルの頬にそっと触れた。冷たい指先が涙を拭い、朱い瞳が彼を見る。

 「自由に生きろ……これまで通り、思うままに……」

 それを最後に、少年の鼓動は力を失った。


 同じだった。老人が生前味わったあの戦場、あの苦痛、あの悲しみ。

 かの時代、人が死ぬのは当たり前。暴動で、戦火で、貧困で。多くの尊い命が消えた。

 ”街が燃えて子供が死ぬ”。そんな悲劇はこの世界にもありふれている。

 その名を、”魔人災害”

 「……知っていた筈だ。だがワシは平穏にかまけて、見て見ぬふりをし続けた…………どうしてだ。どうしていつも、ワシ以外が死ぬ⁉︎ どうしてワシを殺してくれん……⁉︎」

 涙の粒が、アルトの冷たい頬に弾ける。何故か少年の死相は満足そうに微笑んで見えた。

 「アルト、後悔はないのか? 何か文句の一つでもあるだろう? 頼むよ、返事を……」


 ガンガンガン‼︎ 訓練場内を隔てる内門の上から、鐘の音が鳴り響く。

 「敵襲ーー! 敵襲ーー! 西門を閉めろーー‼︎」

 切羽詰まった声に、ライルは鐘の方へ顔を上げる。そこには、甲冑を纏った茶髪の女騎士と屈強な男。騎士二人が睨むのは開け放たれた外門。その先に黄色い眼光が灯っている。その正体は、石斧を携えたゴブリン数体、聳える巨体のサイクロプスが3体。

 異形らが、アルトの残した血痕を辿るように、真っ直ぐこちらへ向かっていた。

 「…………アルト、剣を借りるぞ」そう囁き、ライルは託された剣を握りしめた。

 「そこの男の子! 魔物が来るから早く内門に入って!」と、女騎士が声をかける。

  しかし、少年は声を無視して走り出した。向かうは閉まりゆく外門である。

 「な……待ちなさい! ちょっと! 閉めるのはやめて! 男の子が!」

 「待てるか馬鹿野郎! こっちには住民がいるんだ!」

 屈強な騎士が滑車を回し続け、外門は鈍い音を立てながら閉じていく。

外門が閉じきった頃にはもう、少年は魔物達と相対して睨み合っていた。

 「覚悟しろ、怪物共……楽に死ねると思うなよ……!」

 剣を抜き放ち、鞘を投げ捨てると、辺りを包む火炎が剣身までをも朱色に変えた。

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