第6話

 「ライルーー! 今日は待ちに待った本番だぞ~~!」

 早朝からアルトは元気な声を上げる。この日は、守護騎士選抜考査の当日である。

 ベッドに潜り込んだままのライルを起こそうと、アルトはシーツをめくり上げた。

 「……あれ⁇ ライル?」

 だがそこにライルの姿は無い。代わりに一枚の紙片がアルトの頭に落ちてくる。それを手に取ると、紙にはメッセージが残されていた。

 『アルトへ。すまないが僕は騎士にはなれない。この世界には、君のように騎士になるべく努力する若者が沢山居る。魔力の無い僕が割って入れるとは思わないし、入れたとしても彼らの邪魔はしたくない。今はただ、君の健闘を祈る。

 追伸 僕の強さを信じてくれてありがとう。 ライルより』

 読みながら、アルトは手紙を握りしめていた。

すると、部屋の扉が開き、シスターが顔を覗かせる。

 「……ライルはどうしたの?」

 彼女の問いに、アルトは小さく首を振る。その様子から、彼女は大方の事情を察した。

 「あの子に悪気はないわ。許してあげて」そう言いながら、少年の隣に腰を下ろす。

 「……別に、怒ってるわけじゃない。ただ悔しいんだ。自分が情けないんだ」

 シスターが細い指でアルトの頭を撫でると、アルトも寄りかかるように体を預けた。

 「ライルを救いたかった」アルトはぽつりと言った。

 「騎士の訓練を受けているとさ、相手の魔力を見るだけで何となく強さを測れるんだ。強い奴は魔力が溢れ出る程デカい。でも、ライルは違う。アイツは、死体みたいに魔力が感じられない。だから、想像しちゃったんだ。ライルは、これからどうなるんだろうって。アイツは街に出て、人と話をして、家族を持てるのかなって」

 それは、彼女も危惧していた。魔力の無い人間が、魔力ありきの世界でどうやって生きていけるのか。いつも頭にあったのは、差別や侮蔑にうずくまるライルの姿。

 「ライルはあんなにいい奴で、頼りになるのにさ……」

 シスターも、黙って頷き返した。

 「……だからさ、俺、嬉しかったんだ。アイツが本当は強いんだって分かった時。アイツの報われない人生に、光が差すような気がしたんだ」

 「そう……だから、騎士に?」

 「うん。騎士にさえなれば、誰もライルを馬鹿にできなくなる。そう思ってた……」

 少年は手紙を握り締める。無力さを呪うように。すると、彼女の手が柔らかく被さった。

 「……貴方達が私のところへ来てからもう、12年。あの吹雪の中、弱々しい息遣いだった貴方が、今では、街で一番活発な男の子に成長してくれました」

 拳に伝う温もりに、アルトは顔を上げた。

シスターは、彼の潤んだ瞳を見て、そっと微笑む。

 「貴方が騎士になると言い出した時、最初、私は止めましたね?」

 「うん……今でも反対?」

 「勿論。騎士は……とても危険な職務です。子供を危険に晒して喜ぶ親など居ませんよ」

 シスターは立ち上がると、暖炉の傍に寄りかかる。その眼はアルトを寂しげに見つめた。

 「昔、私には夫が居ました。貴方達と出会うより少し前のことです」

 「え⁉︎ そうなの⁉︎」

 シスターは微笑み返し、暖炉の上に奉ってある剣に目を移した。

 「夫は守護騎士でした。勇敢で、誠実で、誰であれ救いの手を差し伸べる。そんな立派な騎士でした。私も、彼の人柄に触れ、手を取った一人です……」

 「旦那さんは今……?」

 「……戦死しました。仲間を逃すため、格上の魔人を前にたった一人で……生き残った騎士達の話では、誰より先に彼が止まったそうです。”お前達には家族が居るだろう”と……私だって、あの人の家族なのに……本当に、勝手な人……」

 儚げな作り笑いに、アルトは察した。今でも彼女が亡くなった夫を愛していることを。それは自分達に向けられた愛と全く異なる、子供では埋めようもない感情であることも。

「騎士になりたいと言い始めた時、内心慌てました。あの人のように、貴方を愛する人達を置き去りにしてしまうような気がして。あんな別れ方、もうあってはなりません」

 「ごめんよ、シスター……でも、俺は!」

 彼女の辛い過去に、アルトには的確な言葉も、答えも、用意できない。しかし、自分が志した道が間違っていないことだけは言い切れる。だから、“それ”を言おうとした。

 だが、シスターの穏やかな声に少年の誓願は代弁されてしまった。

 「でも、貴方は魔人災害を無くそうとしている。この世の悲劇の全てを、騎士になって消し去ろうとしている。そうでしょう?」

 アルトは開いた口を閉じ、頷いた。真剣な彼女の目を見つめ返しながら。

 「……本当に、貴方は夫そっくりです。あの人も、貴方と同じことを言いました」

 「ごめんね、ワガママな息子で」

 「……ええ、全く貴方ときたら、私の言う事なんて聞きもしないで……勝手に騎士団に行って、勝手に騎士見習いになって、それで勝手に努力して……」

 シスターは瞳を瞑り、先ほど触れたアルトの手の感触を思い浮かべる。しなやかで、硬くもあり、甲に幾重もの傷の入った、研鑽された手の厚みに、想いを馳せる。

 そうして意を固め、彼女は震える手で暖炉の剣を手にとった。

 「……シスター?」

 アルトへ目線の高さを合わせると、彼女はそっと剣を差し出す。

 「これは、夫の遺品でした。貴方達を不吉や困難から守ってもらうために、ここに奉っていましたが、本来の用途ではありません……アルト、この剣を使って貰えますか?」

 差し出された剣。鋼鉄の剣身に短い十字の鍔、柄頭には彼の瞳にも似た朱の宝石があしらわれている。この剣は、彼が物心つく前からこの部屋に鎮座していた、シスター・サリヴァンとその夫の想いが詰まった品。それを手に取る事の意味を、アルトは理解している。

 だからこそ、受け取る手に迷いはない。

 両手にかかる剣の重さが、アルトの決意をさらに奮い立たせた。

 「ありがとう。俺、絶対騎士になる。これで魔人災害の無い平穏な世界にしてみせる!」

 そうして上にかざした剣身に、外に見える救済の花が映り込んだ。

 ライルは輝きの森にある川辺に糸を垂らして時間を潰していた。

獲物は一向にかからない。やがては飽きて、石の上で昼寝を始めた。


 『お父さん、このお花はなんて言うの?』

 娘の声が反響する。それは遠い過去、満州で娘と過ごした幸せな時間。

 娘は生まれつき病気がちで、病院が家のような生活を送っていた。よく駆け回る子供達を見て、娘はいつも目を輝かせていた。当時、神木青年は20代半ば。毎日のように病室へ顔を出しては、娘の体調が良い日だけ、近くの森を一緒に歩いて回ったものだ。

 『……ええと、それは雛菊という名前だ。本土にも咲いてる野草だな』

 神木青年は、分厚い野草図鑑を何枚とめくり、そのページにある挿絵を指差す。

 『へえ、この子、ヒナギクっていうんだね!』

 無邪気な笑みを溢し、娘はさらに聞いた。

 『ねえ! この子の花言葉は?』

 『む、花言葉か……この図鑑にはそこまでは……』

 『え~~! なんでよぉ……こほっ』

 少女は両手を蓋に口を覆うと咳き込んだ。

親に少しでも心配かけまいと向けた娘の背を、神木青年はさすってやる。

 『大丈夫か、美雪……? 寒くなってきたし、今日はもう病室に戻ろう』

 『こほっ……でも、この子の事、もっと知りたいのに……』

 病弱な娘の元気な我儘が、父親には堪らなく嬉しい。彼は娘の頭を撫でると言った。

 『分かったよ。お父さんが明日までに調べておく。約束だ』

 『本当にホント⁉︎ 指切りできるね⁉︎』『ああ、もちろん!』

 差し出した小指に、娘のか細い指がかかる。その途端、背後で轟音が鳴り響いた。

 立ち登る黒煙に、銃声、特攻していく男達の雄叫び。青年は、その場所に立っていた。

 抱いていた筈の娘は銃剣に変わり、穏やかだった緑の景色は炎に呑まれていく。

 『美雪……⁉︎ どこへ行った! 美雪‼︎』

 爆音と、銃声と、怒声。果ない煉獄で、神木青年の声が無常にこだました。

 

「…………夢、か」と呟き起きる。涙で濡れた瞳を擦り、ライルはそっと息を吐いた。

 「はぁ、何やってんだか、ワシ……」

 ずっと昔の事とはいえ、神木老人にとっては、何より大切な過去だ。転生してからはますます遠くなった気がして、堪らなく寂しい。

 「あの後、花言葉を教えたら喜んでたなぁ……えっと、何だったか」

 思い出そうと頭を捻るが、雛菊の花言葉が出てこない。

 「……そうだ、救済の花は雛菊によく似ていたな」

 見れば思い出せると思い、少年は空を見上げた。夕日燃える花弁が今日はやけに黒く見えた。その色味は、まるで煤。そう感じた瞬間、焦げ付いた匂いに彼は気が付いた。

 「……!」

 メイルルートの方へ顔を向ける。故郷の空に、黒煙が伸びている。

 その光景を神木老人は知っている。戦場においてそれは、不条理な破壊と略奪の証。

 メイルルートが燃えている。青い瞳に映る黒煙へ、彼は慌てて駆け出した。

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