第5話

 翌日、二人にはシスターからの沙汰が下った。

 『5日間外出禁止です!』

 シスター曰く、療養という名目だが、これは騎士団による安全確認の期間でもあった。

 輝きの森にサイクロプスが出た以上、他の魔物が出てもおかしくはない。それ故、5日間は森を封鎖し、街の騎士団員総出で探索をしなければならない。

 おかげでライルは、暇を持て余したアルトからしつこい勧誘を受け続けた。

 やがてやって来た軟禁生活5日目。いよいよ明日から外出が許可される。

 初日は騎士団の聴取やら診療やら色々と大変だったが、いざ謹慎に入ればやる事がない。

 シスターには『元気なので何か手伝いたい』と申し出てみたが、『心の療養も兼ねている』と突っぱねられていた。退屈に息を吐くライルへ、アルトは騎士見習いが使う教材を渡してきた。魔力の鍛錬書や剣術書、守護騎士制度の成り立ちを解説した本数冊だ。

 どう考えてもバリバリの勧誘で、ライルは内心断りたかった。とはいえ暇だ。少年は意思を砕き、一番興味深かった、剣術書から読み始めたのだった。

 暇に任せて次々と読破し、今は最後の本。”救世の花”にまつわる物語を読んでいる。

 「なーーなーー! そろそろ騎士に成りたくなったか⁉︎」「い~~や、全然」

 5日間毎日毎分と聞かされたセリフに、ライルは素っ気なく返し、ページをめくる。そこには、雲の上まで貫く”救世の花”の挿絵と文字が記されている。

 「……こうして救世主様は巨大な花へ姿を変え、世界を覆った黒い煤を浄化した。”最後の魔人”の脅威は去ったのだ。彼女は今も、我ら人族の繁栄を見守っている……」

 読み終え、パシっと本を閉じると、老人だった頃の癖で痛くもない目元を揉んだ。

 「フッフッフ……よく読み終えたな。褒美に守護騎士になる権利を与えよう」

 「要らん」とバッサリ断るが、アルトは幼子のように地団駄を踏む。

 「なんでだよ~~面白かっただろその話ぃ~~!」

 そう言うと、アルトは剣を振るポーズを次々とキメた。

 「救世主様の魔装法術! 最後の魔人が企てた人類滅亡計画! 恐怖に落とされた人々! 人類のため、愛する人のため、救世主様は命を賭けて戦うんだ!」

 話すごとに熱を帯びるも、ライルの反応は対照的だった。

 「確かに面白い。だが、これはどこまでが事実なんだ?」

 「全部事実だ! 最後の魔人も、救世主様も本当に居たさ! その証拠に!」

 そうしてアルトは窓の外を指さした。遥か遠くに”救世の花”が聳えている。

 「あれは80年も咲いている! 人々を見守るようにな! そんで、その意思を引き継ぐ戦士たちが守護騎士だ! 彼らは魔人の脅威から守ってくれる、まさに英雄だ!」

 「知ってるよ。この話は何度かシスターにも聞かせてもらってたしな。でもアルト、考えてみろ。その英雄たちが取り逃した魔物のせいで、僕らは軟禁されているんだぞ?」

 「そ……そういう時もある! 守護騎士だって人なんだからさ!」

 取り繕うアルトへ、ライルは「はあ」とため息を吐いた。

 あの命懸けの戦いを”その程度”と言い切ったアルトのポジティブさに呆れてしまう。

 「アルト、僕はただただ平穏無事に生きたい。そして最後は柔らかいベッドの上で死にたい、それだけさ。英雄なんて大袈裟なものになる気はないよ」

 微笑みながら、ライルはアルトの表情を伺った。だが、その微笑みに枕が飛んで来る。

 「つべこべうるせえ! 強いヤツは黙って騎士に成りやがれ!」

 傍若無人とはまさにこの事だろうか。ライルも彼の態度に痺れを切らした。

 ヴァッ、と飛び立つ枕。それは見事な放物線を描き、アルトの顔面へ突き刺さる。

 枕は彼の足元に落ち、不敵に微笑むアルトの表情を露わにする。

 「……やってくれたな……」「それは、こっちのセリフだ……」

 カーーン‼︎ と、ゴングの音が鳴った気がした。

 飛び交う枕。舞い上がる羽根。男の子二人の叫び声。寝室はあっという間に戦場と化す。果たして、この争いを平定出来る者などいるのだろうか?

 「あらあら、すっかり元気になって。シスターは大変嬉しく思いますよ……?」

 その声に、二人はピタリと動きを止めた。

 「「シ、シスター……」」

 「昨日も謹慎の意味を懇々と説明したのですから、流石にもうお分かりですよね? せっかくなので、その成果を観させてもらいましょうか」

 そう言うと、恐ろしい微笑みのまま、シスターは木製の椅子に座る。

 「早く続きをどうぞ。さあ」と囁くように言った彼女の声は、やけに低く聞こえた。

 それこそサイクロプスの唸りなど目じゃないくらいにドスが効いている。

 「ち、違うんだ、シスター……これはライルが……」

 「待て待て! 最初に仕掛けてきたのはそっちじゃろうが!」

 「お前が聞き分けのない事ばっかり言うからだ!」

 「聞き分けがないのはアルトだろうが!」

 ベッドの上で醜くいがみ合う二人。シスターは淑やかに微笑んで言った

 「お黙りなさい」

 この後、説教が夜まで続く事になるとは、二人は思いもしなかった。

 謹慎が明けて7日後の朝、ライルは教会の門から玄関にかけて掃き掃除をしていた。

 「今日もいい天気になりそうだな」

 朝焼けを拝みながら、ライルは遥か向こうに佇む”救世の花”へ目をやった。

(いつ見てもデカイのう……あれをたった一人の魔力が作り出したとはなぁ……)

 魔力の無い自分には手の届かない世界に思いを馳せ、少年は何気なく箒に跨った。

 「疾風法術!」そう小さく囁くも、箒はバサッと音をたるだけ。あいも変わらず魔力のまの字すら動きやしない。頭の中では物語の魔女のように箒で飛び立っているのだが。

 「何してんだ……?」「フワァッ……⁉︎ アルト……いつからそこに……?」

 家族の痛々しい姿を前に、アルトは憐れんだ目をしていた。

 (やめろ。可哀想な人を優しく見るんじゃあない。せめてバカと言ってくれ……)

 しかし、アルトはシスターのような優しい微笑みを見せた。

 「可哀想に……やっぱり悩んでいたんだな……」

 現実は無常。神木老人の心は砕かれた。

崩れ落ちたい気持ちを寸前で堪え、ライルは残った気力を注ぎ込み話題を変えた。

 「う……それよりも随分と早起きだな! 訓練にはまだ早いんじゃないか⁉︎」

 「おう。お前に話しとこうと思ってな」

 そう言うと、アルトは門の側面にあるレターポストへ手を突っ込んだ。そしてざらりとした見た目の紙の束を取り出す。この世界の新聞紙だ。

 「朝刊に入ってると思うんだが……お、あったあった」

 黒髪の少年は、新聞の束から一枚のチラシをライルへ渡した。

 「……第27期選抜考査……?」と見出しを読むと、ライルは訝しんでアルトを見る。

 アルトはそんな視線も気にせず「読め読め」と急かした。

 

 ●第27期選抜考査 開催の報せ

 この世の不浄を憂う若人達よ。その想い、その願い、守護騎士団に預けてみないか?

 今や国家を揺るがす問題となりつつある魔人災害は、年々増加の一途をたどっている。この危機に歯止めをかけるべく、ルートエスタ国王の要請により騎士団員の増雇を行う。ついては月齢24ー4明朝より、紅翼騎士団メイルルート駐留にて第27期選抜考査を執り行う。試験内容は以下を参照のこと。

 ●試験内容

 ・筆記試験:常識的な教養と知性を試す。筆記具の持ち込みは禁止とする。

 ・騎士見習い錬成大会:トーナメント形式の模擬戦。基礎的な戦闘資質を審査する。


 「……要は明日のこれに出ろと言いたいんだな?」「おう! 話が早くて助かるぜ!」

 自信満々に言ったアルトに、ライルは心の中で歯噛みした。

 謹慎が明けて7日間、アルトはしつこい勧誘を続けていた。今回は特に強引である。

 そこでライルは考えを改める。

(毎回無下に断ってしまうから良くないのだ。時にはこちらも強硬手段に出なくては)

 「……分かったよ。考えておく」と言った言葉を、当然アルトは聞き逃さない。

 「よっっしゃ! エントリーは任せとけ! 今日やっておいてやるよ!」

 喜び勇み、アルトは門へと駆け出した。そのまま騎士団の訓練所に行くのだろう。

教会の門を潜ったアルトへ、ライルは小さく「すまんな」と謝った。

 鬱蒼とした茂みの中、漆黒のローブを纏った男が一人、歩みを進めている。

 雑木林をかき分け、苔むした石畳を踏む。やがて男の目の前に現れたのは風靡な廃教会。

 男は、風化した扉を潜り、中へ足を踏み入れた。外観通り中も荒れ放題だが、確かにここは教会だ。苔と蔦にまみれながら、チャペルには虹色のステンドグラスが輝いている。

 男の足が教会の中央で止まる。足元にあるそれに敬意を示すように、男は静かに跪いた。

 それは、神聖なこの場所にはあまりにも相応しくない物……何者かの遺骨であった。

 「――虚の魔力×蘇生法術……甦れ、我が同胞よ!」

 髑髏に触れた手から、漆黒の泥が滲み出る。次第にそれは、失われた骨肉を満たし、元の形を取り戻す。そうして、遺骨だった者は戸惑いながらもぽつりと声を発した。

 「……ここは?」

 灰がかった視界の中、遺骸は自分の体を自覚した。手足は太く、筋肉にはエッジが効いている。まさに戦士のような体格である。

「目が覚めたかい?」

 漆黒のローブの影の中、男の瞳だけが彼の屈強な肉体を見つめていた。

 「貴様、何者だ……? いや、それよりも、俺は……」

 「死んだ筈。そう言いたいんだろ?」と宥めつつ、ローブの男は続ける。

 「安心してくれ。私は魔人族だ。名前はアーク。現在唯一現存する、最後の魔人さ」

 「……最後の魔人……?」と呟くと、男は眉を顰め、噴出する疑念をそのまま口にする。

 「待て、”最後”とはなんだ⁉︎ 一族は、俺の妻と子供はどうなった⁉︎ あの戦いは⁉︎」

 朧げな頭が目覚め始める。彼が死ぬ直前まで祈っていた記憶が脳髄を駆け回る。

 「……全てを伝えよう。だから覚悟して欲しい。今からとても、酷い物を見せる」

 ゆるりと、アークは彼の頭を鷲掴みにする。

 「――虚の魔力×映写法術……」アークの詠唱によって、男の視界は一変した。

 燃え盛る家屋、血飛沫が舞い、女子供の絶叫が響くと、甲冑を纏った男達が狂ったように笑い声を上げる。男はこの光景を知っている。この悲劇を、恐怖を、怒りを知っている。

 男は、これが家族に及ばないよう、戦った。その果てに、この教会で死んだのだ。最後の最後まで、妻と娘の無事を祈りながら。

 「もうやめてくれ……! こんなもの見たくない!」

 「見るんだ。君が家族や仲間のために戦った果てを。君にはその義務がある」

 映像は切り替わり、異なる場面を写す。暗い倉庫の影にじっと寄り添う二人の母娘。娘の手は恐怖に震え、母親はそんな娘を守るように抱きしめている。この二人に、男は叫ぶ。

 「エレーナ‼︎ ミリア‼︎」

 紛れもなく彼の家族だった。必ず帰ると誓ったあの日以来の、一方通行な再会だった。

 「すまないエレーナ、ミリア……! 俺は、俺は結局……! 本当にすまない……」

 過去の映像に語ろうと無駄。そんな事は百も承知で、男は声を振るわせる。

 その時、映像の中の母娘がびくりと肩を震わせた。薄暗い庫内に数人の男が入って来る。

 「やめろ! やめろおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」

 虚しい絶叫。そして、庫内は鮮血に染まった。

 「……ご家族諸共、魔人族は滅んだ。生き残ったのはこの私、最後の魔人アークだけ」

 男はその場にうずくまっている。後悔は嗚咽に、喪失感は涙として流れ出て止まらない。

 「私も親兄弟を惨殺された。気持ちは痛いほど分かるよ……でも、今は顔を上げるんだ」

 男を覗き込むアークの瞳には、確かな意思が燃えていた。

 「あれから80年。私は家族の後も追わずに生きながらえた……奴らを分析し、計算し、丹念に研究した。全ては、奴ら人類を滅ぼすために」

 世界を塗りつぶすようなドス黒い魔力が、アークの全身から漂っている。

 「魔力も、私の意思を認めてくれたよ。この力は死と滅亡を司り、人の力を否定する……その名も”虚の魔力”……君を生き返らせたのもこの力さ」

 その漆黒の威圧感に男は希望を見た。やり場のない怒りの矛先を見出したのだ。

 「ああ……全て理解したよ。その上で聞こう……俺は何をすればいい? 家族の、一族の無念に報いるためには、どうすればいい?」

 涙は枯れ果て、代わりに赤い濁流がこぼれ落ちた。

 「北西に歩いて半日。メイルルートという街がある。辺境とはいえ、大きな街だ」

 「俺がやるのは街の破壊か?」

 「勿論。そこで少しでも心の傷を癒すといい。だが気を付けてくれ。運悪く、トラットという騎士が滞在している。老ぼれだが王国でも三本の指に数えられる程の使い手だ」

 「……問題無い。奴らは数が多いがいくらでも替えがきく。それだけに戦士の質も低い」

 「そうだね、君の言う通り人間はよく群れる。だが、だからこそ危険でもある」

 するとアークは、懐から漆黒の宝石を取り出した。

 「虚の魔力と召喚法術を組み込んでいる。地に落とせば、200程の魔物が現れる」

 「感謝する。何から何まで……」そう言いかけたその言葉を、アークは手で制した。

 「私にその資格はない……君達の眠りを邪魔し、再び戦えと誘う罪は忘れないでくれ」

 「生真面目な男だ。だがな、お前は間違いなく俺の……いや、魔人全ての希望だ」

 男は立ち上がる。途端、巨大な氷柱が床から伸び、教会の壁に大穴を開けた。

 大きく開いた穴へ向かう男の背に、アークは尋ねた。

 「……名を、聞いておこうか」

 「氷のヒューズだ。貴様の願いを受け、人類滅亡に加担しよう」

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