第3話

 サリヴァンは洗濯物を干し、諸々の諸用を終えると、庭のベンチで一息ついた。

 既に夕刻。遠く救済の花にかかる日が、白い花弁を燃えるような紅色に染めている。

 「さて、そろそろ夕飯の準備をしなくちゃ……」

 教会に入ろうと扉に手をかけると、庭を区切る鉄柵の門から声がかかった。

 「シスター! シスター・サリヴァン!」

 声をかけたのは甲冑を纏った騎士。街の守護騎士団員であり、アルトの兄弟子でもある。

 「……どうかなさいましたか?」と鉄柵を開け、少し焦った騎士と向かい合う。

 「良かった。今、街中の住民に声をかけて回っているところでして……」

 騎士は一拍息を吸って、告げた。

「隣街で魔人災害が起きたようです。騎士団も救援に向かっているのですが」

 それを聞いた途端、シスターの表情が固まる。様子を伺いながらも、騎士は続けた。

 「ご安心を。魔人は既に討伐され、魔物の掃討戦に移行しています。区画級騎士も出張っていますから、すぐに終わりますよ。念のため住民には、外へは出ないよう要請が……」

 不安げなシスターを宥めようと、騎士はトーン落として話したが、彼女の表情はすっかり青ざめてしまっている。流石に騎士も不穏に思い、尋ねた。

 「シスター……? どうしたのですか? 何か問題が?」

 「ああ……」と、彼女はその場に崩れ落ちた。騎士が咄嗟に、憔悴するその肩を支える。

 「シスター⁉︎」

 「息子達が、ライルとアルトが森に、隣街に繋がる輝きの森に出かけているのです……」

  騎士は一瞬息を呑んだが、すぐに冷静な思考へ切り替えた。

 「どうか落ち着いて。魔人は街の北側から侵攻しました。つまり、騎士団は森を背にして戦っています。魔物が寄って来る事はまずないでしょう」

 騎士の言葉に、シスターは「ほんとうですか……?」と顔を上げた。

 「ええ。森は戦場にはなりません。アルト達は安全ですよ。ですが念の為、騎士数名に迎えに行かせます。貴方は教会で待っていて下さい」

 嘘を言った。彼女をこれ以上動揺させまいと。本当は、魔人の侵攻は東側からだ。通常、魔物と魔人は人の密集する街を目指す。だが、中には横道へ逸れる魔物も居る。なので本来、森も要注意区域。その動揺を悟られまいと、騎士は急いで背を向けた。

 「……息子達を、頼みます!」「ええ! お任せ下さい!」

 背中にかかる声に振り返らず、騎士は教会を後にした。

 彼はすぐさま招集をかけ、数名の馬群と共にライルとアルトが居る輝きの森へ急行した。

 「いやー! 大漁大漁‼︎」

帰路に着く二人の背に夕焼けが当たり、西日に照らされた巨大な花が遠くに見える。

 アルトは膨らんだ網を上機嫌に担いでいる。ライルの網も一杯に川魚が詰まっていた。

 「ライルの仕掛けは本当によく取れるな。また今度教えてくれよな!」

 「いいぞ。次はもっと大物狙いの仕掛けを作ろうか」

 少年達は笑い合いつつ、森の街道を軽い足取りで進んでいる。だが、進めば進むほど、森は異様さを増していた。

 「……いつもより静かじゃないか? 小鳥も虫も鳴いてない……」

 言われてライルも頷いた。もう夜行性の虫達が起き出す時間だ。だが今は、森はもぬけの殻のようだった。まるで、森中の生き物が逃げ出したように。

 「何か変だな……アルト、走って帰ろうか」

 「よし。じゃあ、また教会まで競走だ! 今度は負けねぇぞ!」

 行きの競争はアルトの圧勝だった。今は魚を多めに背負っている分、余計に大変そうだ。

 「せめて森を抜けるまでにしよう。いつも思うんだが、長距離はアルトに有利過ぎだ」

 「うん。俺もそう思う! 3、2、1でスタートな?」

 「話聞いてたか⁉︎ 森を抜けるまでだからな⁉︎」

 「3……」

 ライルの言葉を躱し、黒髪の少年はカウントを始めた。この調子だと、森を抜けても彼は走り続けるだろう。教会に着いた時には強引に勝ち誇って勝負を有効にしてしまう。

 「あーもう、分かったよ!」と、ライルは重い網を抱え直した。

 「2……」互いの視線が交差し、真っ直ぐに向き直る。

 「1……スタート!」

 アルトの声で一斉に駆け出した。駆け出して、そして、その脚を同時に止めた。

 ズシン……! 重厚な地響きが、すぐ前の林を揺らす。

 それは明らかに巨大な何かが歩く音。二人は凍りついて、揺れ動く林を注視した。

 ズシン……ズシン……。足音は木々を払い除けて進む。それも二人へ近づきながら。

 「何だ……?」と、呟きかけたアルトの口が止まる。

林の中からせり出た巨大な足。それが林を抜けきると、目が合った。

 不気味に輝く単眼が、二人の少年を見下ろしていた。

 「……サイクロプスだ‼︎」と叫んだアルトの声に呼応し、4メートルの巨体が唸る。

 「GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼︎」

 地を震わせた雄叫びに、二人は逃げ出した。怪物も、その巨躯を駆動させて少年を追う。

 「まずい……! ついてくるぞ!」

 ライルが叫ぶと、アルトは「ああ」とだけ応じた。その瞳はすっかり動揺している。

 怪物の足音は着実に近づいてくる。追いつかれるのは時間の問題だ。

それを知ってか、アルトは弱々しく嘆いた。

 「……俺たち、死ぬのかな……?」「アルト……」

 弱音を受けて、ライルは彼の背中を叩いて叫ぶ。

 「弱気になるな! アルトらしくもない!」

 ライルの声は力強かった。むしろ普段以上の気に溢れている。

 「……すまん……そうだな! 絶対に俺は生きるぞ! まだ騎士にもなってないんだ! こんなところで死んでたまるかーー‼︎」

 ライルの気合いに引っ張られ、アルトは叫ぶ。背後の恐怖を振り払うような声だった。

 (よし。これなら大丈夫……きっと逃げきってくれるだろう……)

 それでも怪物との距離は縮まる一方。そこで、ライルは一つ提案した。

 「僕だってアルトと同じだ。死にたくはない……」

 額に汗を溜めながら、アルトは大きく頷き「ああ!」と返す。

 「そこでだ、アルト。賭けをしないか?」

 それを聞いて、アルトはさらに緊張した。この状況で”賭け”が意味する事は一つ。

 どちらかを犠牲にして逃げ延びるという事。

 アルトもその方法に気付いていた。それでも、ライルを想うと言い出せるはずがない。

 「ライル! お前って本当にバカなやつだ! だけど乗ったぜその賭け‼︎」

 「よし。1、2、3で左右に別れよう。絶対に振り返らない事。恨みっこも無しだ‼︎」

 「ああ‼︎ 当たり前だ‼︎」

 賭けはここに成立した。ライルはすぐにカウントを始める。

 「いち……」サイクロプスの駆ける一歩はもう真後ろ。

 「に……」アルトの頬に汗が流れ落ち、瞳には覚悟が灯る。

 ライルは、酷く静かな心で、当たり前のように最後のカウントを口にする。

 「さん……!」 

「「……」」別れない。カウントを終えたにも関わらず、二人は目を見合わせる。

 「早く逃げろよ‼︎」

 「それは俺のセリフだ! お前が逃げないでどうすんだ‼︎」

 「GAAAAAAAA‼︎」と、怪物の一撃が、口論する二人の頭上に影を作る。

 途端に爆発にも似た衝撃が粉塵を舞い上げた。サイクロプスは渾身の一撃を放った拳を持ち上げ、目を凝らす。拳には血痕も付いておらず、何かを潰したような感触も無かった。

 幸い、ライルとアルトは無事。打撃が迫る一瞬、左右に飛び退いて難を逃れたのだ。

 ライルとアルトは地面に空いた大穴を隔てて見つめ合う。

 (アルト……お前……)(ライル……)

 最初は困惑に表情が曇った。そして逃げ出さない相手への怒りに眉をひそめた。しかし、お互いが同じような表情をしている事に気が付き、思わず笑い合う。

 (そうか、ワシがお前を救いたいように……)(俺がお前に生きて欲しいように……)

 互いの綻び合う顔を眺め、二人は同時に立ち上がる。

 ((想いは、同じだったか……!))

 共に逃げる気はなく。互いを見捨てる気もない。ならば、共に戦うしかない。

 「アルト……!」「ああ、ライル! そう言う事ならやるしかねぇな!」

 風が吹き、砂煙が晴れると、単眼が少年達を睨みつける。

恐怖を煽る不気味な眼光を、二人は真っ直ぐに睨み返す。

 「絶対に二人でシスターのところに帰るぞ!」「ああ、もちろんだ‼︎」

 ライルの力強い気勢に、アルトは不思議と恐怖が和らいだ気がした。 

 「GAAAAAAAAAAAAAAAAーー‼︎」

 地面そのものがうねるような咆哮。怪物の単眼に激しい憎悪が燃え上がる。

 対して少年達が取った陣形は実に有効だった。二人は怪物の左右側面に分かれ、間合を保ちつつ、避ける体勢を整えた。一つ眼であるサイクロプスにとってこれは厄介。

片方に攻撃を集めれば、もう片方は注意が逸れる。そのためか、怪物は首を左右に動かし、若干の戸惑いを浮かべた。そしてその隙に、アルトが行動に移る。

 「――強化法術!」

 アルトの体から光の粒が拡散し、体に刻んだ法術回路が薄暗い林を僅かに照らす。

 (あれがアルトの言っていた、守護騎士基本法術の一つ……魔力による肉体強化か!)

 すると、怪物の単眼がアルトへ向く。怪物は腕を振り上げ、拳を握るも、アルトは動かない。少年の朱い瞳には、石を振りかぶるライルの姿が映っていた。

 (ワシも、いるぞ‼︎)

 しなやかなフォームで射出した礫。それは弾丸のように加速し、怪物の瞳へ飛来する。

 「GUAAAAAA……!」

 握った拳を解き、怪物は顔を覆った。この隙を、アルトは待ち望んでいた。

 両脚の法術回路が白く輝き、地面を深く踏み縛る。そうしてアルトは、途方もないパワーで大地を蹴った。まるで砲弾のような跳躍。サイクロプスには反応できる速度ではない。

 「……GRUUUU……⁉︎」

 アルトは着地し損ね、地面を転がった。当の怪物は彼の一撃にたじろぎ、自身の青い胸を抑える。指の間からは黒く輝く体液が流れ落ちていた。

 「アルト……! 平気か⁉︎」

 転がったまま動けないでいるアルトに、ライルは駆け寄った。

 「悪い、魔力を使い過ぎたみたいだ……暫く休ませてくれ」

 声色が低い。訓練後は大抵疲れて帰ってくるが、今の彼にはそれ以上の疲れが伺える。

 「無茶やったみたいだな……魔力欠乏ってやつか……?」

 言いつつ、ライルは怪物を見た。流れる体液と痛みに苦しみもがいているようだ。

 「アルト。あれは何をしたんだ?」とライルが問うと、アルトは静かに応える。

 「魔物は、魔力の核を砕けば消滅する。サイクロプスはそれが胸の中心にあって……」

 途端、二人に影がかかる。怪物は、単眼を憎しみで黒く染め、立ち上がっていた。

 「……俺の強化じゃヒビを入れるのが精一杯だったか……ライル、やっぱりお前だけでも逃げてくれ。奴が俺を痛めつけている隙に……!」

 急かすようなアルトの声。だが、彼の頼みを聞けるほど、ライルは大人ではない。

 「……休んでいろ」それだけ言うと、倒れたままのアルトを守るように立ち塞がった。

 黒い鮮血を流しながらも、怪物はゆっくりと歩み寄り、巨腕の射程内に少年達を捉えた。

 「やめろ、ライル……! お前一人じゃ勝てっこない!」

 顔を真っ青にしながらアルトは叫ぶ。自身の無力を呪いながら。

 ライルはアルト以上に無力なのだ。この世界の何にも劣る程、絶望的なハンディキャップを背負っている。その事を知るアルトは声を荒げる。騎士を目指す者として、兄弟として、ライルという人間を守り抜かねばならないのだ。

 「お前……魔力が無いんだぞ⁉︎ 早く逃げろよ‼︎」

 悲痛な声に、ライルの背中はあまりにも穏やかだった。

 襲うのは巨大な魔物。狙うは生まれつき魔力の無い、たった12歳の少年。

 誰がどう見ても死は免れないこの状況で、ライルはそっと振り向き笑顔を見せた。

 「分かっているよ……だがまあ、コレばかりは闘ってみねぇと分からんぞ」

 次の瞬間、怪腕が地面を穿った。

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