第2話

その年、辺境都市メイルルートは例年通りの猛吹雪に見舞われた。街の住人達は早々に仕事を片付け、暗くなる前に自宅に篭って吹雪が止むのをゆっくり待つ。下手に外出すれば命に関わる。それがこの地方に住む者達にとっての、冬の常識であった。

 すっかり人気の無くなった街中を一人の女性が駆けている。まるで逃げ隠れするように、女性は光が灯る窓を警戒しながら。小走りで雪の中を進んでいく。

 やがて古い教会の門前で立ち止まる。大事に抱えていた荷を解き、清潔なモーフに包まれた”それ”に優しく触れる。そして”それ”にキスすると、比較的暖かそうな門前のランプの下へそっと置いた。女性はそのまま、振り返らず去っていった。

 (……参った。これは本当参ったぞ)

 門前に置かれた”それ”が蠢く。小さな手が布地のカゴから飛び出ると、生後二ヶ月も経たない赤ん坊がひょっこりと顔を出した。一見、無害な赤ん坊。中身は120歳の老人、神木源一郎であった。どういう訳か、彼は吹雪の中に捨て置かれてしまったようだ。

 (さ、寒ッ‼︎ こりゃいかん。外に出たら確実に死ぬな)

 赤ん坊はすぐさま布地を手繰り寄せ、再びカゴの天幕を閉じた。凍りつきそうな外気とは反対に、カゴは炬燵のように温かい。電気ではないこの暖かさの仕組みは分からないが、それが最後の親心なのだろう。そうして暫く、待つべきか、泣き叫ぶべきかを考えていると、外に人の気配を感じた。声色からして男女二人。女の方は泣きじゃくっている。

二人の影が何か重い物を老人のカゴの隣に置き、声は遠のいて行った。

 (おいおい、まさか……)

 天幕を開き外に顔を出すと、同じ大きさのカゴ。中から赤ん坊の手がはみ出ていた。

 「゛あッ~~‼︎」と、怒りのあまり、言葉になっていない叫びが出た。

 その矛先である男女の背中は吹雪の向こう。もう声など届きようもない。

 (どいつもこいつも……子宝を何だと思っておる……‼︎)

 叱り飛ばしたいが、隣の赤子が心配である。親が離れたというのに、泣き声がない。

 カゴから身を乗り出すと、吹雪が全身をつんざいた。思わず泣き出しそうな寒さだが、幸い、カゴはぴたりと寄り添うように置かれたので、移動自体は早かった。しかしカゴに移った瞬間、神木老人は違う意味で凍りつく。

 隣の赤ん坊の唇は紫がかり呼吸がない。うっすら開いた朱色の瞳は、光を失っている。

 (いかん!)

 赤ん坊の胸に手を置くと、異様に鼓動が小さい。何より、彼の絶望したような表情に死の予感を見た。老人の脳裏に、かつて死に別れた幼い娘の姿が浮かぶ。

 (……待て待て! 逝くんじゃない‼︎)

 老人は行動へ移った。左手で首を支え、右手はそのまま胸の上。

 (生きてさえいれば、いい事だって必ず起こる。辛いだろうが諦めるんじゃない‼︎)

 老人はスッと息を吸い込んだ。それは、かつて修めた拳法の秘奥。後に自身の自分流の解釈を加え、体系化した妙技。――神木流拳法、一寸勁。

 「あ‼︎」と、甲高い赤ん坊の気合がカゴを僅かに震わせた。

 手は未発達ながら、相手も赤ん坊。力感としては好都合。老人が放った衝撃が、赤ん坊の心臓を震わせる。途端、右手に赤ん坊の力強い鼓動が伝わってくる。

 「゛あ゛あ゛あ~~‼︎゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ~~~~‼︎」

 濁流のように、命が泣き叫ぶ。頼もしいその声に、老人はホッと胸を撫で下ろした。

 朱の瞳を潤ませながら、赤ん坊はバタバタと手足を動かせ、体にはすっかり熱が戻った。

 だが、今度はカゴが揺れ始める。考えてみれば、赤子二人が入るには不安定だ。

 暴れる朱眼の赤ん坊を宥めつつ、老人はバランスを取るように体を広げた。

 (お、おお落ち着け‼︎ カゴが倒れたら吹雪の中だぞ‼︎ 頼むから落ち着いて……)

 だが無常。最悪のタイミングで突風が吹きつけ、カゴは転倒した。投げ出された未成熟な体へ、大自然の脅威が襲いかかる。

 (おおおおお‼︎ さ、寒い‼︎ いや、それよりあの子は……‼︎)

 全身を貫くような寒さをものともせず、老人は朱眼の子へと這って行く。

 「゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ~~~~‼︎」

 (まだ息はある。しかし……)

 幸い老人が入っていたカゴは無事なようだ。しかし立てない赤ん坊にとってそれは絶壁に等しい。もはや、二人に取れる手段は一つ。天に運命を委ねるのみ。

泣き続ける朱眼の子の手を掴む。小さくも熱い指が、力強く握り返してくる。

 (そうだよな、折角生き返ったんだ。お前さんもまだまだ生きたいよな……)

 息を大きく吸い込むと、白い息を吐き出して、神木老人もまた泣き声をあげる。

 豪雪吹き荒ぶ空に、赤ん坊達の絶叫が轟く。必死に、ガムシャラに、二人は喚き続けた。”死にたくない! まだ生きていたい!” そんな祈りを込めながら。

 今夜は酷い吹雪だ。毎年のことではあるが、この季節には参ってしまう。雪かきは大変な上、氷柱落としも欠かせない。何より、凍えながらの薪割りは一苦労だ。

 さりとて、明日は待ってくれない。忙しい毎日ではあるが、この歴史ある教会を盛り立てなくては。それが私に与えられた役目なのだから。

 修道女サリヴァン・メーザーは今夜も竈門に火を起こす。猛吹雪の夜を越すため、紅茶は必需品。だがこの日の雪は少し違った。吹雪の中に、耳を疑う声が混じっている。

 「赤ん坊の、泣き声……?」とは呟きつつも、彼女の理性がそれを否定する。

 (まさか、こんな吹雪の中に置き去りにするなんて……)

 礼拝堂の扉をほんの少しだけ開くと、吹雪と一緒に赤ん坊の泣き声が流れ込んで来た。

「――ああ、大変‼︎」

 外套も羽織らず、大急ぎで外へと飛び出す。重たく絡みつく雪を押し除け、サリヴァンは鉄柵の門へ手を掛ける。二つの命は懸命に助けを求め、支え合うように手を繋いでいる。

 重い門をこじ開け、二人を拾い上げる。まだ暖かいが急がなくては。

 サリヴァンは赤子を抱いて教会へと駆け戻り、丁度沸かしていたお湯で二人を温めた。

 その温もりに、赤ん坊達は安心してくれたようだ。すっかり泣き止んでくれた。

 朱の瞳をした子はサリヴァンの表情を不思議そうに伺い、青い瞳の子はお湯が余程気持ちよかったのだろう、目元をしわくちゃにしながら大口を開けている。

 「……ふふっ。あなた、少し年寄りくさいわよ」

 可愛い仕草に頬を綻ばせながら、二人をお湯から出し、柔らかい布地で包んだ。

 そのまま暖炉の前に置いて、丹念に体を拭く。 

 「これからはもっと忙しくなりそうだわ。でもその前に、名前が必要ね……あら」

 拭いているうちに、二人は寝息を立て始めた。お互いの手をしっかり握り合ったまま。

 「はぁ、はぁ、はぁ……」

 広大な草原の中、少年は息を弾ませ立ち止まる。よほど長い距離を走っていたのだろう。彼は膝に手をついて腰を屈めると、深呼吸を繰り返す。生きている事を慶ぶように、己の鼓動を尊ぶように。丁寧に、丹念に、慎重に。彼は息を整える。

 ふわり、と少年の白銀の髪が風に踊った。青い瞳は前へと向き直り、先を行くもう一人の少年の背を見つめる。

 「おーい! 急げよライルー!」と、黒髪に朱い瞳の少年は振り返って彼を急かす。

 「待ってくれよ、アルトぉー!」と朱眼の彼を呼んで、白銀髪の少年は丘を駆け上がる。

 体が軽い。その気になれば、大空へ飛び出せる。若い鼓動が、そう思わせてくれる。

あの吹雪の夜からもう13年。

 メーザー教会に捨てられた二人の赤ん坊は修道女サリヴァン・メーザーに引き取られた。そこで神木老人は”ライル”。もう一人の赤ん坊は”アルト”と名付けられ、養母シスター・サリヴァンの愛情の下、大きく成長していた。

 あの日死にかけていた赤ん坊、アルトも今となっては街一番のわんぱく小僧だ。彼が活発に駆け回るほど、神木老人も嬉しくなる。

 丘の頂上目掛け坂を登る。先に登頂したアルトは、「ほら」とライルへ手を伸ばした。

 呼吸を整え、その手を掴む。老人の頃とは比べ物にならない程に体力が増えた筈だが、アルトには敵わない。彼は息も切らせず大人の何倍も早く動き、高く遠く跳躍出来るのだ。

 彼が街の守護騎士に弟子入りしてからは、ますます頑健になっていた。

 アルトの手から感じる力感に頼もしさを覚えつつ、ライルは丘に足をかける。見えるのはどこまでも続く草原と森。遠くには山脈のように巨大な一輪の花が聳えている。

 いつも通りの、ありのままの木々と風が、二人の少年を出迎えていた。

 振り返ると、草原の向こうに古く白い教会がある。その尖った屋根の下、修道服の女性が白いシーツを干していた。

 「シスター、もう洗濯物を干してるな」

 「おう、午後の礼拝までに終わらせたいって言ってたし、急いでるんじゃないか?」

 見ていると、彼女も二人に気付いたようだ。太陽にも負けない笑顔で手を振ってくる。

 シスターはいつもそうだ。幼児のアルトが泣いて癇癪を起こしても、ライルが誤って食器を割っても、3人で質素な食卓を囲んでいても、笑顔は決して絶やさない。

 そんな彼女だからこそ、アルトも心豊かに育ったのだ。神木老人はそう思う。 

 彼女へ手を振り返しつつ、ライルも朗らかに笑う。戦いに明け暮れた生前には考えられない穏やかな日々。老人は心から癒されていた。血よりも濃く繋がった家族との日々に。

 「今日も頑張らなければな!」「ああ、陛花にも祈っとこうぜ、今日の豊漁を」

 そう言って、アルトは手を合わせる。遥か遠くの巨大な花”救済の花”へ向けて。

 ライルも黒髪の少年に従い、手慣れた所作で手を合わせた。

 富士山のように聳える花は、神木老人の世界にもあった花だ(巨大ではなかったが)。

 白い花弁に黄色い蕊。彼の愛娘も好きだった花。救済の花を見るたびに、植物図鑑を指差し微笑む、幼く無邪気だった娘の笑顔を思い起こす。

 『――へえ、この子、ヒナギクっていうんだね!』

 青空の下、巨大な雛菊は今日も豊かに咲き誇っていた。

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