武神転生〜したはいいが、魔力ゼロで生まれてしまった達人が武術で無双!

十条建也

第1章 武神転生

第1話

「ようやく死ねる……」

 独り、電光を浴びながら、老人の鼓動脈動は静寂に伝えていた。終わりが近いと。

 ここは武の聖地、日本武道館。その地下深く、秘密裏に設けられた裏格闘場。

 300人は収容できる観客席には、疎らに人が入っている。

 普段ここに出入りするのは小金持ちのアウトローや血を見たい大富豪だ。いつもは彼らの野次や罵詈雑言で満たされている。だが、この日ばかりは様子が違った。

 下品な喧騒はなりを顰め、今、会場は静寂に沈んでいる。

 それもその筈。観客全員が屈強な男達。闘士だ。それも明らかに常人の域ではない。

 はち切れんばかりの僧帽筋、大胸筋、上腕筋。耳が歪みきった者。斬痕と銃創痕を全身に抱える者。針に似た鋭利な眼光の者。何故彼らは集い、そして何を見ているのか。

 その答えは、観客席から見下ろせる、白くて紅い舞台の上に居た。 

 老人が一人、マットの上にゆるりと立っている。

 藍色の作務衣の所々に血が付着しているものの、老人自身には何一つ負傷はない。

 男達は舞台に固唾を呑んでいた。つい先ほどまで、齢120の老骨と、彼ら一人一人があの場所で向かい合った。誰もが皆、強さにかけては世界一を自称する男達。そんな彼らは、あの場所で戦慄した。老人の、触れただけでも折れそうな程か細い腕にだ。

 狂気の夜は次なる一戦で終わる。

 老人の待つ舞台に70そこそこの男が現れた。静かな佇まいが印象的な袴姿の男。

 彼を見て誰もが思う。“奴もまた、尋常ならざる達人である”と。

 「ほう。酒口君が最後の相手かい」

 舞台で待っていた老人が男を迎え入れると、彼もまた口を開く。

 「神木先生。貴方は武術界の宝です。こんな事は止めて、どうか道場へお戻りを」

 先生、と呼ばれた老人を酒口は敬意を込めた口調で嗜めるが、老人は薄く笑う。

 「ほほ、君程の実力なら、途中から乱入も出来ただろうに」

 「……その必要はないと判断しました。この会場の誰も、貴方を害せる者は居りませんので。何より、主催者側との取引もございます」

 「取引?」

 「はい。私が勝てば、もう先生と関わらないと約束させました」

 その言葉に神木老人の笑みが加速した。狂気の表情に、酒口は息を呑む。

 「カカッ! 流石はMr.ロートン! 世界一のプロモーターだ‼︎」

 「……奴に踊らされているのは分かっています。それでも貴方には指導者として……」 

 その刹那、神木老人が動く。酒口の鳩尾へ貫手を放ったのだ。鋭く伸びる一撃は、拳闘の玄人であっても、避けきるのは困難である。

 120歳の老境の、現実離れしたその挙動に、観戦者達は唸った。

 だが酒口もまた現実離れした動きを魅せる。鳩尾に貫手が触れる一瞬、彼は避けるでもなく、上体を真横へ回す。それだけで、老人の体は横へと崩れ、宙を舞った。

 そんな体勢では二撃目は許されず、老体は空中で一回転しながらマットに着地した。

 両者の間合いは1間も離れず、睨み合ったまま膠着する。

 「…………見事。もう君が指導者でいいじゃないか」

 「何を仰る。貴方が本気であれば私に”浮雲”を使う隙はなかったでしょう……」

 酒口に一滴の汗が滲む。たった一秒もなかった今の攻防。酒口は技を使ったのではない。”使わされた”のだ。神木老人は崩れたように見せかけたが、酒口の目は誤魔化せない。

 酒口は改めて戦慄する。この老人の底知れない強さに。


 かつての伝説。始まりは、1943年、太平洋戦争の真っ只中。米国軍人達に密かに語り継がれたとあるお伽噺。”M4中戦車よりも強い男が居るッ!”

 ある日、巡回行中の戦車の前に一人の日本兵が立ち塞がる。

 男は不思議な挙動で機関銃を躱し、30トンを超すM4戦車4機を蹂躙した。

 戦車3機は半壊。残る一機は深い川の中へ沈められていた。

 この時唯一生き残った乗組員、トーマス・ジョルジュ一等兵によって、克明な報告がなされたが、あまりにも荒唐無稽な内容だ。

軍はジョルジュ一等兵を精神錯乱と認定。この事実は闇へ葬られた。 

 しかし、伝説は再び動き出した。終戦から10年後、1955年のニューヨークで。

 退役したジョルジュ氏は路上生活者となっていた。

 身寄りも無く、重度のアルコール依存症。当時の彼は、まさに人生のドン底にあった。

 いつものようにダストボックスで酔いつぶれていると、若者の怒声が聞こえてくる。

 揉め事か喧嘩か。ストリートではよくある事だ。流れ弾に気をつけていればいい。

 ゴミのベッドから外を覗くと、薄汚れた煉瓦塀の小径に小柄な東洋人が立っている。

 彼に銃口を突きつけているのは、白人の男。東洋人とは2フィートもの差がある。

 子供にも分かる。どう見ても強いのは白人。怯えるべきは東洋人だ。

 だが、両者のあるべき態度は真逆であった。銃口を前に東洋人は小さくため息を吐くだけ。対する白人は怯えきっている。この時、ジョルジュ氏の脳裏には、あの日見た怪物の姿が浮かんでいた。戦車4機を前に立ち塞がった、日本人だ。

 まさか、という想いがささくれ立つ。だがもし本当に奴ならば。

 途端、ジョルジュ氏の傍にあった酒瓶が銃弾で撃ち抜かれた。勝敗は、それと同時に決していた。白人は倒れ込み、東洋人は立ち去ろうと男はフードを被って歩き始める。

 ジョルジュ氏は飛び起き、男へ叫ぶ。

振り向いた男の顔は、まさに記憶の日本兵であった。合縁奇縁。こうして、一つの出会いが世界の格闘界に轟く伝説を作り上げた。積もる想いはあったものの、ジョルジュ氏は彼を導いた。アメリカ裏格闘の世界へと。

 当時の全米、裏格闘界最強の男、ドレイク・タイタンを絞め落とした。

 ボクシングヘビー級世界王者、ロッキー・オルシアーノを打ち崩し。

 軍隊格闘技、C Q Cの始祖、英国の達人ウィリアム・W・フェアバートンとの死闘。

 その他、200を超えるマッチメイク。非常識な数でありながら、その全てに勝利。

 無敗の男。東洋の魔術師。多様に渾名される彼であるが、最も有名な異名が一つ。

 ”ゴッド・オブ・マーシャルアーツ……武神”


 「神は健在か……いや、爺さんジョルジュから聞いていたよりも進化している」

 男の視界一杯にモニターが光っている。その全てに格闘場の映像が映し出されていた。

 その一つを凝視するのは、自称世界一のプロモーター、ロバート・ジョルジュである。

 「ですが、マスター・カミキも限界では? 相手の攻撃に瀕しているように見えますが」

 モニターを操作するクルーの一人が呟いたが、ロバートは即座に否定した。

 「ノゥ。彼は待っているのさ。サカグチが本気になるのを。今のタッチングもそうだ。あえて技を出させ、躊躇いを消させた。本気の戦いは今から始まる」

 ロバートの青い瞳には、超近距離で構え合う達人二人が写っている。

 ドクン……鼓動が一つ、脈打った。

 静まり返る闘技場。焼けつくような照明が二人を照らしている。

 今にも始まりそうな雰囲気を、観客席は肌で感じていた。だが厳密に言えば少し違う。

 始まりそう。ではなく、既に始まっている。

 (……これは、まるで嵐だ)

 酒口には見えている。老人の静かな佇まいとは裏腹の、暴風の如き攻撃の気配を。

 顎先、眉間、喉、鳩尾……急所という急所へと、老人の殺気が触れていく。この全てがフェイント。殺気の渦に一歩でも動けば、即座に本物の拳が飛んでくる。

だから今は耐えなければならない。耐えなければ。

 神木老人が一歩前へと歩み寄る。酒口は動けない。動く訳にはいかない。

 いかに素早く動こうと、神木老人は読んでくる。まるで数秒先の未来を見たかのように、正確無比に対応してくる。故に酒口は待つ。神木老人の本当の先手を。

 酒口の勝機はそこにしかない。武神の初動を見切り、カウンターを決めるしか。

 達人戦。極めれば極めるほどに、打ち合いも掴み合いも削ぎ落とされていく。

 まるで一杯の水が時間と共に蒸発するように。紙が燃焼し煤煙となるように、百が零へと消失するように。生命が死へ回帰するように……。

 もう一歩。武神の足が前へ出た。既に超近距離。間合いはほぼ無い。

 「酒口君よ、ようここまで我慢し……」

 刹那、拳が武神の顎を穿つ。酒口の打拳に淀みはなく、まさに無の領域に近い一撃。

 (酒口君よ……すまんが、この老体のことは諦めておくれ……)

 酒口の拳は空回る。老人の、乾燥した表皮の手触りはあるにも関わらず、打った感触は何も伝えてこない。まるで真空を叩いたような無常感。

 (ワシはもう疲れた。生きる事に。見送り続けることに……)

 自身の支えと意識を拳へ預けた酒口は、前のめりに体を崩した。

そして、不用意に開かれた彼の腹部へと、武神の拳が滑り込む。

――神木流奥義、零王。

 腹へ突き刺さった老人の握拳。その衝撃は、酒口の内臓まで浸透する。

 「がはっ……」と空気を吐き出して、彼はマットに倒れ込んだ。

内臓からひっくり返るような激痛の中、それでも立ち上がろうと、短い呼吸を繰り返す。

 「酒口君……道場は任せるよ」

 あまりにも微かな声だった。消えかけた蝋燭のように、振り絞るような頼りなさ。

 「……! お待ち下さいッ! 先生‼︎」そう叫び、酒口は血は吐きながらも顔を上げる。

 「十分に待ったさ。これでようやく、娘と会える……」

それは、消え入るような声だった。

 「せ、先生……?」

 熱い照明と視線の中、一人の男の命が散る。

 武神、神木源一郎。愛弟子と多くの闘士に看取られ、120年の人生に幕を降ろした。

 数多くの伝説を遺した武神だが、その最期はあまりにも儚げであった。

 若草と朝霧の匂いが鼻を抜ける。どこか懐かしいその匂いに、神木老人は目を開く。

 「ここはどこじゃ……?」

目に写るのは白く朧げに光る花畑。それ以外はどこまでも広がる暗闇のみだ。

 「涅槃……いや、それとも地獄か? ワシは本当に死ねたのか?」

 「うん、間違いないよ。にしても人生最期に百人組手か。ホント、馬鹿もいいところね」

 ギョッとして振り返ると、白い衣を纏った美女が微笑んでいる。神聖な佇まいと、この世の者とは思えない美貌。何より明らかに不自然な青色の長髪は死神のようにも見えた。

 「……ああ、そうかい」

 納得し、ため息を吐く。神木老人は座ったまま、微笑みを貼り付けた美女を見上げた。

 「もしや、アンタが閻魔大王かい?」

 「閻魔じゃないわ‼︎ 分かってる? 死んだのよ? 他に取るべき反応があるでしょう」

 「おお、それもそうだな。では仕切り直して……」

 すると老人は大の字に寝転がって息を吐くように言った。

 「ハァ~~、やっっっと人生終わった~~~~‼︎」「慌てなさいって言ってんのよ‼︎」

 青髪の美女は頭を抱えて呆れながらも、老人の側へ淑やかに座った。

 「もういいわ……時間もないし、ちゃっちゃと説明しちゃうわね」

 「もう裁判かい。地獄に落ちる覚えはあるがの、その前に娘と妻には会いたいんだが」

 「閻魔じゃないって言ったけど⁇ こんな美人と誰を間違ってるのよ。殺すわよ?」

 引き攣った笑顔には般若のような怖さがあった。なので、咄嗟に出そうになった”もう死んでるよ、お嬢さん”という言葉を、老人は飲み込んだ。

 「分かり申した。ですが、お話を聞く前に一つだけ。その美人さんのお名前は?」

 「……私の名前はグリッド。一先ず女神様、とでも呼びなさい」

 丁寧に頷く神木老人を見て、自称女神は満足げに説明を始めた。

 「ここは、魂と世界を繋ぐ境界よ。縁を使って貴方を呼び出させてもらいました。生前は武神とまで謳われた貴方に、ある世界の滅亡を食い止めて欲しいのです」

 落ち着き払いグリッドは話した。話の突飛さに謎が浮かぶが、老人は一旦呑み込んだ。

 「…………色々と聞きたい事はあるが……ある世界、とは?」

 「そこは貴方が暮らしていた世界と同じく、人が居て、社会があるわ。かつて多くの血が流れたけど、皆、平穏を享受して、繁栄を続けている。でも今、世界に滅亡が迫っている。人どころか、命の全てを滅しかねない呪いが、あの世界で産まれようとしているの」

 「そんな事急に言われてもなぁ……そもそもどうしてワシなんじゃ?」

 「それは、えっと……偶然……いえ、奇跡みたいなものよ!」

 「おい! 説明を投げるんじゃ…………」

 文句の途中で、白い花達が輝いた。その光が老人を包み、暗闇から浮上し始めた。

 「な、なんじゃ!」

 「ごめんね、源一郎。もう説明している時間が無いみたい」

 光の球に閉じ込められながらも、老人は見た。グリッドの寂しさに潤んだ瞳を。

 「いい? 転生したら自分の魔力を身につけなさい。向こうでは魔力が不可欠よ!」

 グリッドの言葉の最中にも、球はゆるゆると上昇する。

 「待ってくれ‼︎ まだ聞きたいことが山ほどある‼︎」

 球の中は身動きも取れない。手足の感覚もすぐに消失してしまった。

 「困ったら”救済の花”に触れて! さあ、いってらっしゃい、私のえい…………」

 グリッドの声は遠くなり、光が老人の意識まで照らす。

 五感は奪われ、もはや思考する事すらままならなくなる。そんな中、ふと思った。

 (死ぬというのはこういう事か)

 フッと全身の力みが抜け落ち、彼は二度目の死を受け入れた。だがそれは見当違いも甚だしい。”終わりを迎えた”という事は、”始まりへ歩き出す”事以外にないのだから。

 ドッドッドッドッドッドッドッドッ! 激しくも落ち着きを覚える音色が耳を叩く。

 もがいた。何も分からず。無垢なままで。その先に、何かがあると知りながら。

 抗い難い本能への信仰。その果てに辿り着く、誕生という始まりへ向けて。

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