五日目 縫合Ⅱ

 彼女の先導なしには歩けないほど暗い廊下を抜けると、リビングと思わしき広い空間に出る。カーテンは閉め切られ、外からの光は僅かにしか入って来ていない。卵状に展開されているウィンドウ群だけが部屋の明かりだ。どうやら天井から映写されており、私にも見えるようになっている。ウィンドウの十数枚には見覚えがあり、殴り書いたような大きな黒バツがつけられていた。そしてその中心にはソファに腰かける、全身黒づくめの青年が一人。こちらに背を向け、手元のウィンドウに何やら描きこんでいる。しばらく眺めていると、青年は不意に首をこちらに向け目を細めた後、ため息をこぼした。

「ヘレン。ボクはキミに配達員を追い返してくれと頼んだはずだよね?なんでそこにいるのかな?」

 ヘレンと思しき彼女は青年の眼光に気圧され、私の背中に隠れつつご主人様の顔色を窺っている。

「すみません、主様。私は主様にただ元気になってほしくて……それで」

 私は遮るように彼女の前に立つ。

「彼女があなたの単なる道具ではないってことですよ。自分の意志で誰かのために動ける立派な人間だ」

 青年は私を睨みつける。「余計なことをしてくれたな」というのが安易に受け取れる。

「先に言っておきますけど、ボクは受け取りませんよ。ボクには必要ないものだ」

 やはりこの青年がミツカゲで間違いないようだ。私はもう一度空中のウィンドウを眺める。服のデザイン案が隙間なく並んでいる。彼のスーツも、あの店の服もあった。その全てにバツが付けられている。これだけで何となくの察しはついた。私は細心の注意を頭に貼り付ける。

「ギコウさんはあなたに謝りたい、そしてできることなら仲直りしたいと言っていました。その気持ちがこの手紙に込められています。彼のひどく落ち込んだ様からは嘘偽りはないかと思います。だからどうか、開いてみてはくれませんか」

 私は鞄から丁寧に手紙を取り出し、両手でもって彼に差し出す。しかし、彼は一蹴する。

「そんなのはあいつがただ気持ち良くなりたくて書いただけなんだろ。あいつのせいでこんなことになってるっていうのに、なんでまたあいつのエゴに付き合わなければいけないのさ。罪だと思っているのなら、背負い続けるのがせめてもの贖罪って言えるんじゃないの?それにボクはもう一人で大丈夫なんだから仲直りする必要も、謝罪を求める理由もありはしないんだ。だからもう帰ってくれ。そして二度と訪ねないでくれ」

 彼はまた手元のウィンドウに視線を戻し、作業を再開する。ここまで来てみすみす帰るわけもないだろう。勿論、この二人のことをどうにかしたいという気持ちはあるが、それ以前にここまでの私の肉体的、精神的投資が浪費になってしまう。私は一歩前に踏み込む。

「私もできればそうしたいですが、完璧主義なものでしてそれではスッキリしないんですよね。なのでここで引き下がる気はありません。二度と訪ねたくない点では一致してますけどね」

 彼は苛立ちとともにこちらに向き直る。また興味が向いたようだ。続けて私は核心に迫る。

「ミツカゲさん、あなたはギコウさんに服のデザインを盗まれた。そうですね?」

 対して彼は額に手を当て深くため息を吐いた。

「あいつが喋ったのか」

 私は暗がりでも見えるよう首を大きく横に振る。

「いいえ、私の憶測です。しかし簡単なことではないですか。彼の店にあったデザインにはバツが付けられ、あなたはここに引きこもっている。彼に敵意を持ちながら。見るからにそのデザインが原因だと思いますよ。……それで、結局のところはどうなんですか」

 彼は尚も恨めしそうに私を見つめる。しかし、しばらくすると諦めたように「合ってるよ」と認めた。内心沸き立つも表には出さず、私は神妙な顔つきを保つ。

「では、教えていただけませんか。事情を聴いて私が納得できれば帰ります」

「なにさ。そんな条件、ボクが喋らない限り帰る気なんかないじゃないか」

「そう言いました」

 すると彼は遂に立ち上がって私に近づいてきた。品定めをするような目をよこし、絶対に退かないという私の決意を汲み取ったのか、首をがっくり落とした後に話し始める。

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