第6章 終わりの始まり

リスタートⅠ

 全一〇八階の七八階、この町で一番高い塔にある、一つの棺桶を配線が絡めとる一室。これまでの彼らが目覚め、今回の彼が目覚め、アイツが眠る部屋だ。今は明かりをつけている。真っ白だ。外はどこもかしこも黒いばかりだけど、ここには及ばない。なぜならここはアイツの専用として与えられた部屋だからだ。居ると、僕はこの黒いありのままの世界こそ人々が今持つべき感情にピッタリだと思うからやっぱりさざ波立つ。

 僕は丸椅子の上に足を組んで座る。彼はソファに寝かせた。そろそろ起きてはくれないだろうか。できることならさっさと次に行ってしまいたい。もう終わりなんだから。

 彼が飛び起きた。首を回し、辺りを観察する。僕を見つけるも全くの安堵の表情を浮かべやしない。僕は溜息をこぼし、明かりを消す。すると彼は顎に手をやり、納得したらしい。

「ここは私が最初に目覚めた場所か」

「そうさ。あの箱も、このぐしゃぐしゃと煩雑な配線も見ただろ?」

「ああ。分かっている」

 明かりを戻し、僕は勿体ぶることもなく話を進める。

「じゃあ、説明をしよう。いいね?」

 彼が首肯する。おそらく、この彼も真実を明かせばその存在を保てなくなるだろう。いや、保てないんじゃなく、拒絶したくなるのか。

「この部屋はあるゲームの上位者に与えられる専用ルームさ。そのゲームの名前は『オリジナル・フィルム』、けれど説明をするならこれ単体ってわけにもいかないんだ。少し、この世界について話す必要がある。

 僕らの世界、こちらが元々の世界なんだ。そしてこの世界には、死の概念がない」

 僕はクレアに語った『オリジナル・フィルム』誕生までの経緯を語る。慣れたものだ。さて、準備は整った。

「このゲームは〝生老病死〟をもし人類に導入した場合どうなるのか、という仮想シミュレーションを行ったものだ。始めはただの実験だったらしいんだけど、観察を続けていると面白い結果に気が付いた。

 〝死〟があってはじめて〝生〟があり、その境界線に挟まれるからこそ波は小さな揺れでも大きくなり、〝ドラマ〟が生まれる。僕たちに長らく消失していた、人間の感情が揺さぶられるものがまだあると。

 そこでできたのが、フィルムクリエーターさ。フィルムクリエーターはそこの箱みたいのに入って眠り、君のもといた仮想世界にダイブする。そこで生まれ、死ぬ。一生を過ごしてくる。

 その内容をフィルムとして売りに出す。買った人はダウンロードして一人称視点で、つまりは自分の視点でその人の人生を追体験できる。だから、まるで自分のことのように笑ったり、泣いたり、怒ったり、幸せに感じられる。僕らから長くも劇的に薄れていった感情だ。

 皆こぞって買ったものだよ。それはもう大繁盛。フィルムクリエーターは五百年以上たった今でも一旗揚げる方法として人気さ。

 人気と言えば人気のジャンルを教えてあげるよ。三つにしとこう。一つは運命もの。〝転生〟して何度も同じで違う人と巡り会って、友情や愛情を育むものだね。これは、あー、なんだったっけ。そう、変わらない友情や愛が感じられて観終わった後に幸福感があるんだそうだよ。ついでに言っておくと〝生まれ変わり〟はこのジャンルで初出だね。

 二つは英雄ものだね。戦争なんかの争いごとで多くの敵や将を討ち取ったり、武勲を上げたり、救命活動に勤しんだりする内容さ。君もわかるだろうけど、勝利の美酒は格別だ。死体にしろ、生体にしろ、多ければ多いほど立ち心地は気持ちがいい。

 三つは克己ものだよ。個人なりの苦難を抱えつつ、周りの人々と一緒に乗り越え懸命に生き抜き、最期は家族や友人に囲まれて死ぬ。満足感が極上らしいよ。アイツの得意とするジャンルだね」

「アイツ、とは誰のことだ」

「君のその体の前の持ち主のことだよ。いや、元来のって言った方がいいのかな」

「そいつがケイジなんだな?」

「その通り。コロシアムでの最後に見たんだね」

「ああ。ユーザーがもうケイジに切り替わってしまって設定も戻せなくなってしまった」

「多分、生体認証は、君らの言うところの魂で判断しているから、君の半分以上がケイジになっているんだろうね。でも、どうかな。君にとっては変わりはあるかい」

 彼は手を何度も握っては解き、首をひねる。

「特に。変わりがあるとは思えん」

 僕はとりあえずの笑みを返す。

「よかったよ。

 じゃ、話をまた進めて、システムについて軽く話そう。

 プレイヤーはゲーム開始時に人格のバックアップ後に削除される。これは作品人格との融合による自己認識と社会における混乱を避けるためと、現実世界から仮想世界の情報を持ち込み、有利に進めることを防ぐため。

 そしてゲームが終了すると、作品データは保存され、主人格が上書きされて元通り。

 プレイヤーはそうして作成したデータを売って、購入数や評価によってランク付けされる。上位100人には自分専用の筐体と部屋が与えられ、その他食事、温浴施設なんかのサービスも受けられる。専用の筐体と部屋については言わずもがなこの部屋のことだよ。ちなみに、ランカーには定期的な作品の提出も求められる」

「なるほど。なら、ケイジたらいう奴はランカーというわけか。そしてその元人格再形成の上書き処理に私の人生データを上書きするように改変したんだな」

「理解が速いね。そうさ。僕はケイジ専属のモニターだからね。規定違反にはなるけど、そうしたこともできる。まぁ、もうこのプロジェクトは広く認知されて、違反に問われることもないけどね」

「プロジェクト………どういった内容か聞かせてくれ」

 アイツの顔にアイツ考案のプロジェクトについて説明するのは本当に何度やってもおかしく思う。こればかりは慣れそうにないな。

「君は言ったね。あの奇行に走ってしまう前に僕に会いに来た時に、〝有意識の牢獄〟と。これがいつだって、今回だって、キーとなっている。

 君はこの町にいる人間を調べる時にどうやらここに〝死〟がないことに気づいたんだろ」

「なるべくここら辺の人間じゃない者を捕まえたからな。ここいらの人間はどうしたってはぐらかしてくる」

「このプロジェクトには周辺住民の協力がなければうまくいかないことがもう判明しているからね。でも確認されたことあるだろ、新入りさん?ってさ」

「そういう意味か」

「そういう意味だよ。君は文字通り、元ケイジのその体に入った。そして周辺住民が君をケイジのままに扱えば、ケイジの部分が目覚めてしまう。だから僕はどの君たちも行くところ成すところ先回りしたり同行したりして事情を説明して回った。『オーバーペイン』を観戦する輩はこの町以外からも来てケイジしか知らないから失敗してしまうんだけど、この試み自体はもはやほぼ町全員が知っていると言っても過言ではないね。本当、面倒だよ?変わるたびに走り回って今回の取説を配るのはさ」

「随分な言いようじゃないか」

「そうもなるよ。今回で十一回目だ。嫌気もさす」

「私に非はないからな。他の奴のことで言われてもなんも思わん。いや業腹ではあるか」

「ごめんごめん。悪かったよ。君のことはちゃんと見てるつもりさ。

 さて、おそらくは想像がついてるだろうけど、プロジェクトの説明をしよう。

 プロジェクトの名前は〝禅譲〟だ。自己の支配権を他人に譲渡する試みさ」

「〝死〟がなく無限に〝有〟が続くがためだな。〝有意識の牢獄〟とはつまりは精神的死をただ緩慢に享受することしかできないことを悟った精神死状態のことだ」

「さすがだね。ここまで話の速いことはなかったよ。君は今までの中で最高ケッサクなのかもね。

 そう。僕らはその事実に恐怖した。みんながみんな、揃って後ろ向きになった。そのカウンターとして『オリジナル・フィルム』と『オーバーペイン』ができた。でも、ケイジはそれらも無味乾燥なものと看破した。特に『オリジナル・フィルム』についてはリリース直後の段階でランカーになるほどにやりこんでいたからね。

 そんなことをしたとしても、〝有意識の牢獄〟は解決したとは言えない。自分自身に終わりがなく、エンドロールを眺めるだけで一体何が解決されたというのか。そんなものはただの問題の無視に過ぎない、言えても時間稼ぎかどうかだ、って」

「確かに、痛みで自身を世界から彫刻したり、他人の人生で充足しようとしたりというのはあまり賛同できはしないな」

「僕もそれはまったくの同意見だね。それでケイジは考えた。この世界に〝死〟をもたらすにはどうすればいいか。そして考え付いた。『オリジナル・フィルム』の人格再構成プログラム段階でその作品人生データを貼り付ければ、この自意識を他人に塗り替え、〝死〟を手に入れられるのではないかってね。結果的にはできたはできた」

「だが、様々な理由でケイジ意識が覚醒してしまう」

「だから十一回もこんなことをやっているのさ。今のままではまだ仮想死としか言えない。どうかな。君さえよければその体、もらってくれないかい。君たちの世界では不老不死は夢だろ」

「断る」

 彼は一瞬の逡巡も見せずに言い放った。僕は全身をわなわなさせ訊く。

「なんでかな。見たところ、これまでの彼らに生じた自己矛盾による自意識の溶壊は起きず、君は自我を保てている。断るにしても永遠の命が手に入るんだ。メリットはないだろ」

「私は確かに一度、いいやずっと棚上げにして、目を逸らしてきた〝有意識の牢獄〟を目の当たりにして、もっとも忌み嫌うところの暴力に抵触してしまった。

 しかし、この世界を見てみるに、元居た世界とそれほどの違いはない。私の目的はこちらでも十分に射程に入っている。つまりは私の目的への道は続いているということだ。目的には届かねばならないが、目的の性質上、到達の基準は非常に曖昧模糊としている。すべては私の目で判断するのみだが、自身の性質故にそれもまた非常に難しい。終わりなど想定していない。死ねないからなんだというんだ。お前たちの恐れる精神死は私には遠く及ばず、関与しない」

「なら、尚のこと、その体はあっていいじゃないか!」

「私のプライドの問題だよ。

 私はな、自助努力を怠るものに差し伸べる手なんて持っていないんだ。最初から他力本願な奴を見ると反吐が出る。自助努力をしてもなお、袋小路に陥ってしまった者でなければ他人に頼る資格はない。

 聞くにケイジとやらは、自分の体を破壊しようとはしていないようじゃないか。さしずめ、そうした場合どうなるかが怖いからこんな搦め手を施行しているんだろう」

「それはッ!!………もうやったさ。けど、意識は残り、付近を浮遊して手ごろな物質に漂着してしまうんだ。色々試して、ケイジの壊れた体を元通りにするとまた戻ってきた。どうやら一番魂にとっても収まりのいいものってのはあるらしいね。彼は言っていたよ。凍えるような寒さをずっと感じたって。あの顔はとてもじゃないけど、見るに堪えないものだった」

「すまなかった。だがやはりこんなやり方は認められない。超個人的感情・感覚ではあるが、他人の代わりにあるという事実を知った以上は私が私であると言うにあたっての歯切れが悪くなる。

 ………一つ聞きたい。これは君たちが、いやここは君に尋ねるとしよう。

 君は、君にとっての最大にして最深の苦しみは〝有意識の牢獄〟だったのか」

 僕は身を引き、棺桶を見る。震えそうな首を強引に押さえつける。

「君が拘泥しているのは〝有意識の牢獄〟ではなく、ケイジの願いに見える。違うか」

 また震えそうな首を押さえつける。

「君の目的は〝精神死〟の克服か。それが君のどうにもしなければならないことなのか。違うんだろう?君は君自身にもっと力と時間を使うべきだ。君の目的を見つけろ。君だけの苦しみを覗き込め。しかと見つめろ。そして見つめ返された時、君が行くべき地は指し示される」

 僕は遂に脱力とともに首を縦に振ってしまった。

「いいよ。わかったよ。君の言うことを聞こう」

「私の新しい体を用意してくれ。それに入って生きる。全身サイボーグが可能なんだ。そのくらい造作もないだろ」

「セレーナに依頼しよう。きっと驚くよ」

「お代は………」

「僕持ちで構わないよ。おカネなんてたいして使い道もないうえに、こちとら長生きしてるんだ。馬鹿みたいにある。これは僕からのご祝儀だとでも思ってくれればいいさ。

 最後に確認させてくれるかな。君の目的が叶ったら、その後はどうするんだい。精神死に捕まるなんて無様、晒されたくないからね」

 彼は不敵に笑う。

「私の人生をモニターしていたのなら知っているだろ。私は非常にめんどくさい。自分のことで両手がいっぱいいっぱいだ。だから、そうそうこの世界に飽きるということもないさ。さっきも言ったが、目的自体も容易く終われるものでもない。

 それに。

 私は根っからの完璧主義だ。屁理屈も詭弁も十八番なんだよ」

 僕は拳を中心で握り込み、初めて彼の名を彼のために告げる。

「ジュン。ありがとう、なんだろうね。安心なのか、これが満足なのかは分からない。けど、とても前向きになれた。君という存在の再誕はきっとこの世界に長らくなかった劇変を起こすことになるだろうね。それもまた楽しみだよ」

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