人の道
「君は、君がどうにもしなければならない目的に取り組むべきだ。君だけにしかできないことなんかない。それを言うのは誰だ?誰だったか」
私は一転、彼女に詰めるような物言いをもってする。彼女は目からとめどなく涙を流し、しゃんとしていたいつもの背はあられもなく丸まってしまっている。こんな状態の相手に言うのは憚られてしまうが、私としても言うしかあるまい。今こそ、彼女の出立点だ。
「…………」
嗚咽交じりの沈黙だ。駄目だ。ここで止めさせてはいけない。
私は彼女の肩をつかみ、とにかく背筋を伸ばさせる。
「大丈夫。安心して。ゆっくり。考えていい」
まるで小さな子供に言い聞かせるような幼稚な言い方になってしまった。けれど、この方がきっと届く。それに確かに時間が必要な道程だ。念のため、自身の呼吸速度も深く遅くすることにした。シエラは段々と私の呼吸に合わせ、肩の震えも収まってきたころ、口を開く。
「他の、人。みんな……」
ようやっとであるが、依然として彼女の顔は伏せられたままだ。効果があるかはわからないが、存外表情と声色は連動するようだから私の考えうる最大級の温かな笑みを作って続ける。
「そうだ。他の人間の思う君だ。
残念ながら、はっきり言わせてもらう。今の君のやっているそれは、前のものと大した変わりはない。君のさっきの言葉からして、受取拒否再配達は君にとって君にしかできないことだと思っていたんだろう。だが、それは違うんだ。この仕事も結局のところは、他の人間との相互・比較・対比関係の中生じるものであって、君は他人を介して自分を確かめているに過ぎないのさ。それに言ってしまえば、やろうと思えば誰だって出来てしまう代物だ。だから、いつまで経っても空っぽのままなんだよ。だからそこに、ありったけの価値を偽造する」
右手を放してシエラの中心を指さす。既製品の枡で
「他の人間によって決められたアイデンティティなんてバカげている。なぜならそれは、他の人間の見出したいものだからだ。
何のためか――自分が楽をするためだ。
だけども、人間はそれを認めない。『期待』だの『信頼』だのでキレイに飾って覆い隠す。
そんなものに付き合うな」
「でも、じゃあ、あなたの言う『私がどうにもしなければならない目的』って何なの?」
シエラは手のひらを固く握りしめる。バッジを握る左手に関して言えば、紅潮しているうえにうっ血し血管が浮き出ている。よし、これで軌道に乗らせることができただろう。こんなやり方ばかりになってしまうのが嫌になることもあるが、手段は問わない。
「言葉そのままの意味さ。だからこそ、明確な答えなんかくれてやれない。……さっきの話からもな。だが、一つヒントを立てるとしよう。
苦しみこそ人間を人たらしめる」
「なにそれ。意味わかんない」
シエラはすねたような口調で顔を背ける。さすがにこれには私でも愛らしさを感じてしまって自分でも思ってもみないほどに脱力した笑みをこぼしてしまった。
「かもしれないな。しかし、私はこの道を歩いてきたし、今のところも歩いている最中だ。どこで終わりに行きつくのかは知れないにせよ、いつだって明白にすべきことが分かる。わからなくとも、考える。この歩みが止まることはない。
私は最ッ高に〝いきている〟!!」
力強くこぶしを握り込む。
普段の私とはかけ離れているらしく、シエラは噴き出すとともに破顔しこちらを向いてくれた。口元と腹を抑え、大変におかしそうに笑ってくれる。涙の痕は美しい湾曲を描き始めた。
「てっきりもっとおとなしい人なのかと思ってたけど、すごいぶっ飛んだ人だったんだね。でもさ、水を差すようだけど、もしその『どうにもしなければならない目的』が間違っていたらどうするの?やっぱり力が足りないとか、なかったってなったらどうすればいいの?わたしは……臆病だから」
私は不敵に笑って、彼女の眼前に人差し指を立たせる。
「まず一つ目。
力が足りないもしくはなかった場合の話だが、それは心配しなくていい。誰だってハナッから完全無欠で完璧な仕事をこなせる訳はない。それにこれはそういうことを求める道じゃない。
それでも気になると言うのなら、断言しよう。やっていりゃあ、必要な力は遅かれ早かれ付いてくるし、いつかはまた十分でなくなる。その繰り返しだ。
あと、そうだな。誰だってもうずいぶん来てしまった道は引き返したくないだろう?何ならその先を見ないと気が済まないとさえ思うだろうさ」
「皮肉だね」
肩をすくめ、何でもないと両手をひらひら舞わせる。なおも続ける。
「それでは二つ目。
『どうにもしなければならない目的』が間違っていた場合の話についてだ。
どうだろうか?君はこれから迎えることになる出立点を忘れられるだろうか。きれいさっぱり跡形もなく。
――できないだろう。
出立点はそのまま君の苦しさが原点となる。そして君の苦しさは君の真部にまで達した。君にとっての原初の地獄と言ってもいい。そこからの跳ね上がりなんだ、先の道は。忘れようはずがない。
これは法則だ。精神の弾性の法則。間違いも、正しいも、ありはしない。そもそもの話としてね。
またまたそれでも、と言うのならまたまた一つヒントを立てよう。射程が大事だ」
次第に前のめりになっていた背をしっかりと伸ばし、腰に手を当て胸を張って見せる。頷きと一呼吸をする。
「さて。長々と話してしまったが得心は行ったかな」
シエラはもうすっかり腕を組み思案の顔だ。
やはり人間を考えさせるには反感を買うのが一番だ。賛成には特段の必要はないが、反対するには論が必要となるからだ。このところの人間は賛成と共感の区別もつかなくなっている者も多い。
「うーん。……正直、まだピンとは来てないね。でも、あなたの言うようにやってみない理由はなくなった……かも。とにかく、私はまずその原初の地獄っていうべきものと闘えってわけ、でしょ?」
「そうだ」
確固たる意志を込めて頷いて見せる。
「その先は君自身にしか分からない。
でもきっと、楽しくて身震いが止まらないだろうさ。
だから、楽しんで!!」
私は立ち上がり、シエラに向かって両手を高く広く掲げてみせる。伏し目がちだった彼女の目は大きく見開かれ、翠に瑠璃や朱、藤黄と夕景の光陰が混ざり合っている。この世界のすべてを取り込まんばかりだ。私でさえ見入りそうだった。
反射してしまう前に彼女は目を閉じた。そこには満面の笑みがあった。
「アハハ!そんな楽しみを目指したものじゃないでしょ!」
「なに、行けば分かるさ」
私もその笑顔に答え、親指を屹立させた。
シエラはひとしきり笑い、落ち着きを取り戻すと私にも自身にも言い聞かせるように言葉を紡ぎだす。
「うん。なるほどね。ワタシは私のためにこれからやっていく。私がどうにもしなければならないと思うからこそやっていく。私のために力と時間を使う。他の人がどうとかは関係ない。喜ぼうが、悲しもうが、何も思わなかろうが、なににしたって副産物でしかない」
シエラは満足げだ。しかし、唇を尖らせる。
「あーあ。やっぱり〝一生〟があると人は成長するんだね。変化と成長は違うものなんだなぁ。ちょっとうらやましい。あなたにはあなたのままでいてほしいよ」
突飛な一言に当惑した。励ませばよいのか、それとも思いついたままに疑問を投げていいものか、必死に頭を回していると、かわいらしく小さく舌を突き出した彼女に先を越されてしまった。
「そうだ!テラに伝えといて。私、ほんとは紅茶なんか好きじゃないんだ」
「伝えておこう。きっと喜ぶ」
シエラは立ち上がり、私の肩口を抜けていく。
「そうかな。そうだと、いいな。――――ありがとう」
風が吹く。彼女の帽子を飛ばし、背中を押して長い影を踏ませる。日はほとんど沈んだが、それだけにまた天高く登ることだろう。
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