テラの手紙

 ワタシは手紙を両手でぎゅっと掴む。ワタシの世界は見ているだけで芯が凍え固まりそうな氷景色だけれど、そのせいでは、ない。

 本当はまだ開きたくもないし、受け取りたくもなかった。けれど、今まさに隣に座っている彼の言うことだ。完全に無視も決め込めなかった。これまで何度かあの部屋に新しい人がやって来ては冷たい態度を貫き通して追い出せていたのに、この人には効かなかった。それもそうか。この人は一生を生き切ったのだから。ワタシとは違う。そしてこの世界の人たちとも違う。

 でもやっぱり、開きたくない気持ちは変わらない。ワタシと彼がそもそもとして違うことは関係ない。ワタシがそこで終わってしまう。そんな気がしてならないのだ。あの場所も価値がないかのように思わされる。

 わたしは、他の誰の期待にも捕まらず、他の誰の信頼にも繋ぎ留められず、ワタシによるワタシだけのワタシにしかできないことを求めて、この仕事を再開させた。そのために一人でこの八年やってきた。ワタシの神性がくじけてしまう。

 封を切ろうと放した右手が震えて止まっている。どれくらいの時間が経ったのか。白の封筒は完全に紅く染まっていた。彼はそれでもじっとワタシを見据えて逃してはくれそうにない。……まったく。こうなったらやるしかないか。どうせだったら盛大に華々しく散らしてしまおう。

 ワタシは横一線、手紙を開けた。



シエラ君へ


 まずは手紙を開く気になってくれてありがとうございます。あなたにとってこの手紙は受け取るだけでもとても勇気のいるものだったと思います。しかし、どうか安心してください。この手紙は憐憫や同情から書いたものではありません。警告と思いやり、そして感謝のために書いたつもりですから。

 あの紅茶缶、実は私が届けていました。わかっていただけていたでしょうか。おそらくはなかったかと思います。

 私は八年前のあの心輪フェスティバルの時期この局に居ました。その時は支局長に昇進が決まり、研修のためお邪魔させてもらっていたのです。ただ、あなたはあの忙しさです。他の人を覚えることに割く気力はなかったでしょう。

 私は心の底から驚きました。異常、常軌を逸している光景です。一人の人が他の人の大半の仕事を請け負い、その他の人たちはというとあくびをしてばかりで、だれもあなたを気にかけもしない。私がなろうとしている支局長の役にいる人さえもです。それどころか、叱咤激励の効能にあやかってあなたを追い詰めている。

 こんなのはおかしい。

 私たちは各自のそこそこで働こうと思って仕事をしているはずです。仕事を通して幸福を味わえると思っているから働いているのです。だというのに、他の人の背に乗っかって満足感を得ようとはどうかしている。

 私はそんな思いを抱いて、あなたの心輪フェスティバル実行委員長の引き受けを契機に、紅茶缶を毎日あなたの机に届けるようにしたのです。あなたは紅茶が好きなようでしたし、疲れたときには飛び切り甘いものの方がよいかと思いまして。どうかあなたにほんの少しでも安らぎがあることを祈っていました。

 ですが、あなたは心輪フェスティバルを終えて変わりました。何がきっかけかは知りませんが、それ以降は他の人の仕事を拒否し、抱えていた仕事をすべて終わらせ、あの「受取拒否再配達部」を再開させました。あの心労と辛労が仕事による幸福を慢性的に凌駕し続ける部を再起動させました。

 感嘆しました。人に言われるままのあなたがまさか自分の意志で拒絶し、新たなことに着手するとは思いもしませんでしたから。

 しかし、最初だけです。こちらの局の支局長になった六年前よりずっとあなたの様子を見てきましたが、あなたはつけられた熱傷をあの部室という甲羅で隠しているだけでした。それは見えなくなってしまったがためにあなたの真部にまで達し、あなたにとってそれしかないような認識にさせてしまっている、と私は思います。他の局員とりわけ新しく配属した人を追い出すように冷たく、高圧的な態度を取っていることからも明らかです。

 何より、他の局員たちは受け取りが拒否されても彼女がいるからと怠慢にも似た状況に陥っています。これでは、以前のあなたの置かれていた状況と大差はないでしょう。皆、結局面倒ごとをあなたに仮託している。

 もうやめましょう。

 あなたはもう、ここにいるべき人ではありません。この部からも、この局自体からもです。

 あなたには他にできることがきっとあります。あなたにしかできないことがきっとあります。

 今までお疲れ様でした。

 そして頑張ってください。他の人のためではなく、あなたのために。

 最後に、私からだけでは到底足りるはずはありませんが、言わせてください。

 ありがとう。


テラより



 目からはこの八年間、流れることがなかった涙がついに溢れ出していた。ワタシは両手でくしゃくしゃになるほどに手紙を握りこんだ。全身が震える。背中はもう丸まってしまった。ワタシは嗚咽にまみれながら

「他にできることって、わたしにしかできないことっていったい何なの……。これが……これ以外に何があるっていうの……」

 言って、手紙を持ったまま、胸辺りの配達用鞄のベルトとバッジを握りこむ。左手はとっても痛い。

 刹那。

 ベルトを握る右手に僅かな空間が生まれる。

 手紙が奪われたのだ。

 その犯人、彼が瞑目し深く息を吐きながら悲痛の声色をもって言う。

「すまなかった。まさかこんな内容だとは。

 どうやらこれは君にはもうただしく必要なものではなかったらしい」

 彼はワタシに見えるように手紙を引き裂き、乱暴に丸めてポケットにしまい込んだ。

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