シエラの過去 Ⅱ

 暗がりが広がる局内に明かりが一つ。そして、その下に人影一つ。

 わたしだ。

 他の局員はもうすでに家路についた。視界右下の時刻を見れば二十二時になろうとしている。みんながいなくなってから四時間半近くだ。

 他に人がいるならこの明かりはわたしが中心となっている証ともなるんだろうけど、実のところはそんなわけではもちろんない。

 別に、節電とか、そんな殊勝な理由でもない。そもそもこの町で気にする必要なんかないし。

 ただ、余計な情報を入れないため。

 無限とも言い得る仕事の山を削りきる作業は単純に体に来る。頭も疲れる。それで体を伸ばして少しのリフレッシュを取ろうとしたときに、他のやつらの痕跡が見えればまたさらに気分が害され、余計に疲れる。

 一つ。二つ。三つ。……八つ。

 終業してからこれだけ片付けても、やっぱり全然減るそぶりがない。もしかして新しい仕事が下からせりあがって来てでもいるんじゃないだろうか。

 頭を机に付けて真横から眺めてみる。さっき淹れてきておいた紅茶が鼻腔をくすぐる中、手でなぞっていつ頃からある仕事か見てみると先週のだった。うん、だいじょぶそう。

 ……いや、なにが?

 全然だいじょぶなんかじゃない。

 毎日、毎日、終業までずっと、隙間なくある仕事をこなして終業後までもやっている。なのに、周りのやつらからは仕事を振りかけられる。それでこの山がもっと彩り豊かになればまだよかったかもしれない。けど、そんなわけない。

 御空色の山は天を突き、空とついぞ同化しようとさえしている。地上のもののくせになまいきもいいとこだ。

 思い返してみると、最初はもっと遠慮がちに頼まれたものだ。だからわたしは手を貸してきた。

 わたしはやろうと思えば、大体のことは大体できた。「こんなこと」と思えるようなことでも期待を込めて頼られるのは単純にうれしかったし、自分にとってできなそうなことができたとなれば殊更にうれしかった。また、応えれば信頼を得られるだろうということもあった。

 「期待」と「信頼」。

 この二つは人間関係を構築していくうえで大事なものだと思う。

 「期待」は人を伸ばすためのいい機会になると思うし、「信頼」は今とこれからにおいてスムーズなやり取りを実現する。

 そう、わたしがやってきたのはわたしのため。

 そのはずだった。

 けど、どうだろう。真っ暗な局を回り見る。

 誰もいない。働いているのはわたしだけ。しかも終業後に。

 仕事は遠慮の兆候さえ見られずに、ほぼ強制的に手渡される。

 そしてきっちり添えられる一言。「期待しています」。

 それでたまに失敗すれば、「期待外れだったようですね」と「信頼」を盾に被害者面され、挽回の機会としてまた「期待しています」と仕事を投げつけられる。

 「期待」と「信頼」の堂々巡り。

 わたしだって人間だ。あの全知全能のカミサマってものではもちろんないのだから、失敗だって間違いだってあるというのに。わたしはただ、大体のことは大体できる、ってだけ。

 それに、もはや「ありがとう」の一言だって言われなくなった。

 みんな「当然」という風に流していく。


 もうわかっている。

 わたしが思っていた「期待」とはかけ離れたものであることは、重々分かっている。

 ここに「信頼」がないことは分かっている。


 目を両手で覆い隠す。手のひらがじんわりと濡れる。

 わたしは何も見ていない。何も気付いていない。

 わたしは今夜も紅茶をお腹に流し込む。

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