シエラの過去 Ⅰ

 八年前



「ふぁーあ」

 本日十何度目かのあくびが局内に起こる。だが、同じ人間のものではない。今あくびをしたのはわたしの右前のやつだ。その前はわたしの後ろ、そのまた前は確か窓口に立っているやつだったか。お客はひっきりなしに訪ねてくるものだから、さすがに噛み殺そうとしていたけど、漏れ出ていた。

 実際、あくびをするなとは言えないと思うし、そんな大きな異音でもない。それに、彼らのデスクを見れば納得もする。まっさらだ。対してわたしが拝めたのはここに入った三年前だけ。

 わたしは眼前にうずたかく積まれた電子書類の連峰を見る。今の世界じゃ、世界の見方は人それぞれに任されているから、こうしたデータなんかも個人の世界というか視界で治められるものなわけだけど、ここは仕事場だからデータは共有され、互いに見えるようになっている。抱えている量を可視化しておかないと、何をしないといけないか忘れてしまうし、サボってる人もわからないし、どれだけ減らせたかもわからない。あ、わたしのは減ったことはなかったか。思うと、わたしがお気に入りで設定している御空みそら色の目と背景色が同じなのに腹が立ってきた。

「はーあ」

 ため息を一つこぼし、目にかかった亜麻色の髪をよける。どうせあくびにカウントされるし構わないでしょ。わたしは右の峰の頭を押さえ、一番古い仕事を引き抜く。お客様への新しいサービス案について、か。郵便局がお客にしてあげられるのはせいぜい頼まれた荷物を確実に届けることくらいだと思っているから、中々に難しい。

 新たな料金設定とか?手紙の封筒や封をするためのシールデザインを刷新するとか?例えば人気のコンテンツとコラボするといった具合に。シール……シーリングスタンプ。これがよさそうだ。熱で溶かした蝋を流し、その上にスタンプを押して手紙に封印を施す。

 今でも〝あのゲーム〟由来の中世ヨーロッパは根強い人気を誇る時代だし、実際、街並みサービスの上位に常にランクインもしてる。ゲームって言うと怒られるんだろうけど。思ったついでに町で一番ノッポな建物を窓越しにちらと見ておく。わたしはイギリスはロンドンって都市にしているから、そこのザ・シャードみたいな形だ。ほんと、ふんわりとであっても霧がけしているのにどこからでもよく見える。

 にしても、これは中々に妙案だと思う。見慣れながらも、目に新しく、あるようでなかったことが体験できる。シーリングスタンプは蝋の色を混ぜることで変えられるし、スタンプもいろいろな紋様があってきれいだ。遊びの幅が広い。

 それに販売だけで収める必要もなさそうだ。蝋の色では郵便局限定と銘打てば、それなりに特別感を感じられて販売促進につながりそうだし、「あなただけのしるしを」なんてスローガンを掲げてスタンプのデザイン教室を開けばさらに儲けられそうだ。

 ざくざくと内容をまとめ、ものの一時間程度で形になった。きっちり誤字脱字がないか確認し、体裁を整え、仕事場後方にある仕事完了ポストに投函する。

 皮肉なことにこの局で一番愛着が湧いているのはこのポストだけだ。一番顔を合わせるし、いっつも大口開けて待っている。まったくもう、ただの木の箱のくせになまいきだ。わたしは軽くデコピンをし、くぐもったを上げさせる。

「何をしているんですか」

 そう声をかけてきたのは支局長のグラハムだ。丁寧な口調ではあるけど、とても上から押し付けるような物言いでわたしは苦手だ。それでいつもおずおずとしてしまう。

「へ?あの、仕事が一つ終わったので、投函しに。あと、このまま給湯室で紅茶を淹れてこようかな、と、思っていたところです」

「そうではなく、あなたはこのポストを指で弾いたでしょう。これはお客様が使うことのないものではありますが、形状としてポストの形をとっています。ポストはわたしたち、郵便局のトレードマークといっても差し支えありません。それを指で弾くとは」

 わたしはすかさず、頭を下げる。

「申し訳ございませんでした。以後、気を付けます」

 顔を見なければ、まだつっかえずに返すことができることはいい発見だった。そのおかげで早く終わるし、何か言われても表情が伴ってこないからダメージも少なくて済む。グラハムは上から吐き下ろすようなため息をした後

「それなら結構です。あなたにはまだまだ仕事があるでしょう。期待していますからね」

 と言い残し、去っていく。

 わたしは結局しばらく動けなかった。お腹の中心が鉛のように重たく、氷のように冷たい。でも、こんなときこそ温かい紅茶を流し込むべきだ。わたしはとぼとぼと給湯室に向かった。



 デスクに戻って来るや否やまた振りかけられる。今度は一列向こうの席のやつ。名前なんて知らない。

「シエラ、これやってくれない?ぼくにはできそうになくて。君ならできるだろ。期待しているよ。あ、できたらで良いけど、出す前に一旦ぼくを通してね」

 問答無用で手渡される。意味がないことは分かりつつ、くしゃくしゃになるように握りこむ。そして、自分の手で積み上げる。また標高は変わらなかった。

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