くもの糸切り

「ちょっと。そこどいてくれない?」

 そう言う彼女の乗るスクーターの前に私は仁王立ちしている。華麗なヒーロー着地をお見舞いした時は目を丸くしていたが、もう彼女はいつものつまらない顔に戻ってしまった。目を細め、今にも舌打ちしそうである。

「受け取りたくないんだけど」

「意外だな。まさかそれをナリワイにしている君がそんな言葉を吐くとは」

 私は彼女の配達員バッジを指さす。彼女はさらに眉根を寄せた。

「ナリワイ?ああ、生業ね。ワタシだって人間だもの。そういうことだってあるでしょ」

 私は大きく首を振って見せる。

「いや違う。成業なりわいだ。受取拒否再配達は君にとって無くてはならない要素だ。

 そして、実のところ、君は自分をただの人間だなんて思ってもいないだろう?なぁ、女神サマ?」

 なるべく挑発的な物言いを心がける。元々平坦な喋りのため、中々に難しい。しかし功を奏した。彼女が噛みつく。

「カミサマなんて、あなたたちがどうにもできない、理解できないことから逃れるために創った見方でしょ。ワタシには関係ない」

 思っていた反応と違って、私は少したじろいでしまう。体の揺れに乗っかって、片足を引き額に手を当てまた首を振ったことにする。

「君だってその一人だろうに……。ともあれ、私も別に神や仏を信じる類ではない。だから、言及はしない。ただの例えだ」

「……もういいでしょ。ワタシは受け取らない」

 吐き捨てるように言い、彼女はスクーターを走らせ、私を抜き去ろうとする。私はすかさず彼女の鞄をつかんだ。

「ちょっと。放してよ。これは――」

「大事なもの、だからだろう?」

 私はより強く握りこむ。

「君の今の生命線そのものだ。これがあるから生きられる。

 だが、正直言って、見苦しい。くもの糸と大して変わらない。君はもう一度ちゃんと、落ちるべきだ」

「うるさい!なに!?なんなの!?いいから放してよ!!」

 彼女は暴れる。死に物狂いだ。私は冷たく、柔らかく刺す。温かい血が流れ出ることを知ってもらうために。

「君はこれを開けなくてはならない。少なくとも、受け取らねばならない」

 私は恭しく手紙を差し出す。

「君にとっては終わりの鐘なのかもしれないが、私からすれば随分と幸福なことだ。

 君は他の人間から言葉をかけられている。理解しようとしてくれている。そして何より、君自身に受け取るか受け取らないかの選択権が与えられている。――手紙のいいところの一つだな。

 再度言うが、これは幸福なことだ。君は君自身の意志で人間に戻ることができるんだ」

「……」

 彼女は私とも手紙とも顔を合わせず、遠く彼方を見やる。効いていないことを示したいらしい。しかし、彼女を見ていると昔の自分と重なるようで、仕事とか関係なくどうしても放っておきたくない。

「よく考えてくれ。今の君は、結局のところ、前と同じように、他人があっての自分になってはいないか?

 君が求めた自分はその地平だったか?」

「……」

 私は息を吸い、目を閉じ、腹の底に空気を送り、加圧する。またさらに賭けに出る。

「君はまだ〝期待〟と〝信頼〟によって祭り上げられた、キレイな奴隷ではないか。

 私は思う。君は次の『人』の段階に行くべきだ」

 彼女はようやっと、私をきっちりとねめつけてくれる。

「よくもまぁ、そんな分かった風な口を利くね」

 私は崩れた笑顔を向けることにした。

「まったく同じなんてことは口が裂けても言わないし、言いたくもない。同情なんてもってのほかだが、残念なことに、もしくは幸福なことに、私にも似たようなことがあってな」

 彼女は遂に舌打ちを決め、スクーターから降り、ゆるくなった私の手から手紙を奪う。

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