待ち人来る

 割れんばかりの歓声が一帯に響き渡る。

 発生元は私の後ろに鎮座まします、横浜スタジアムを象った例の闘技場だ。四方八方に試合内容を映すモニターが表示され、外でも活況を呈している。拍手や声援、口笛などがまた更に四散し、高層ビルの間をこだまする。

 気が狂いそうだ。

 なるべくスタジアムから距離を取り、一番大きい交差点上の件の歩道橋からじっと見下ろすこと二日。ヘレンが「あまりお勧めしない」と言っていたことも納得だ。決闘ゲームと言っていたように、血こそ出ないものの血生臭さが立ち込め、拍手や声援もそれを助長させている。いるべき理由がない限り、私が寄り付くことは絶対にないような場所だ。

 腰もつらくなって行儀が悪いが下の覗けそうな手頃なベンチに横になる。腕枕をし、片耳だけでも塞ぐことに成功した。服はシエラにぱっと見で見つかって逃げられないよう、普段着にしている。白シャツに黒のチノパンだ。また、勤務態度云々でクレームを入れられることもなかろう。



 それから何十分か経ったころ、頭の上から声がかけられる。

「あれ、偶然だね」

 余裕を持った物言いに反して様相がずれているポートだった。

「偶然?そう言う割には汗をかいてないか?」

 言うと、ポートは首のあたりを触り、手に水滴が付くのを見る。そして左手で円を描くようにしながら

「いや~、ほら、僕ってシステムの管理者だろう?するとさ、腰とか足が凝り固まっちゃってね。その解消のためにランニングしていたんだよ。そう、ランニング」

と言い終わり、様子を窺ってくる。この態度からもわかるが、先の仕草が彼の誤魔化しを考えているサインであることはもう知っている。しかし、敢えて突っ込まない。私も気を誤魔化したかった。

「であれば確かに偶然だな。どうだ?暇なら腰を落ち着けて話さないか」

 元からその気だったのだろう。彼は食い気味に答えた。

「もちろんいいとも」



 他愛ない話をした。どこそこのカフェであった抹茶コーヒーオレが存外に美味しかったとか、ポートがクレアの新メニューの実験台となって珍しく撃沈しただとか。本当にしょうもない話だ。

 ひとしきり笑い、お互い一息つく。そして彼が徐に口を開く。

「そういえば、君はどうしてここへ来たんだい?まさかあんなのに興味があるわけではないよね?」

 彼の顔は打って変わって真剣そのものだ。私の目をじっと見、何か見定めようとしている。私はかぶりを振って答える。

「興味なんかないな。むしろなるべく見たくもないし、聞きたくもない。ここにいるのは仕事で必要だからだ。……だが、まぁ、そう思うからこそあの人間たちがなぜあんなにも興奮しているのかは気になるな」

 言うと、彼は「そうかい」と一言の後、左手で額を押さえ考え込む。十数秒後、結論を出す。

「あそこでやっているのは『オーバーペイン』って決闘ゲームなのはもう知ってるのかな?」

「知っている」

「ルールは簡単。相手のHPを削り切れば勝利だよ。武器は何でも可。剣でも銃でも、……拳でもいい。普通は剣か銃だね。武器の打ち合いとかは衝撃が瞬時に算出されて、その値を元に本人の神経命令を抑えることで実現している感じだったかな。とにかく、実際の武器を使用してはいないってことさ。

 で、このゲームの最大の特徴は、触覚を刺激して本物と同等の痛みを感じるところにあるんだ。スタングレネードとか爆弾とか使った場合には目や耳もいかれそうになったかな。鼻は、どうだろ。僕は肥やし玉を投げつけた試合は見たことないからわからないや。

 そしてこの特徴こそ、最大の魅力に直結してるんだ。

 プレイヤーにとっては最高のスリルが、生と死の狭間をあたかも体験できるように思えて、観客にとっては命のキラメキが見られたように思える。実力が拮抗すればするほど、ギリギリの戦いになればなるほどいい。

 その究極系こそ、拳での決闘なんだって。こればかりは現実の武器だからね。普通はっていうのはそういうこと。

 泥沼試合こそ、最高なんだそうだよ。

 一応、セーフティとして頭と心臓への攻撃は内容と程度によってHPが削られるだけで、痛みはないようにはなってるけどね。僕は見てても嫌悪感しか感じないね。

 あと、トップランカーになったり勝ったりすればファイトマネーはたんまりもらえるし、観客として賭けをして儲けることもできる。でも、だからと言って、こんなのには参加しないでおくれよ、お願いだからさ」

 言い終わり、彼の顔を見ると暗く沈んでいた。確かに聞くだけでも随分狂った競技なことが分かる。

「お願いされてもよくわからないが、安心するといい。私もやりたいとは思わないからな。そもそも私は他人を殴ったこともないし、物にあたったこともない。

 暴力なんてものは往々にして、悔恨と怨恨と遺恨、とにかく根を張るものばかりしか残さない。

 問題の解決はおろか、解消さえでき得ない。

 それなのにその手法を採るということは、愚か者、思慮に欠ける者であることを自ら証明しているということだ。私が、ではそうではないのかと聞かれれば、そうだと強く肯定できはしないが、少なくともそうでありたいと思っている。

 だからきっと、大丈夫だ」

 ポートは目を見開き、次いで柔和な笑みを浮かべる。

「そうか。そうだね。君はそういう人だったね。ならきっと……安心だ」

 私は二、三度頷き、彼の気持ちを補強した。



 落ち着いた沈黙が流れた。私はなおも交差点を見続けている。

「お。やっとお出ましか」

「どうしたんだい」

「仕事だ。悪いが、また今度だ」

 私はすぐ下で左折しようと信号待ちをしている彼女を見つけ、飛び降りる。

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