二日目

二日目


 局に着き、仕事道具一式を身に着ける。時刻は十時。始業ぴったりだ。通常であれば褒められることではないが、ここの者には褒められるどころか責められる謂れもない。元々時間の制約が薄く、他とは独立して動いている部署だからだ。実際、ソファには鞄と帽子が昨日のまま置いてある。

 誰もいない部屋。自分のじゃなくて自分だけの部屋。

 なんとも清々した気分だ。両手を広げ、胸を目一杯膨らませて息を止める。この瞬間、解放感が全身にいきわたる。そのまま数秒堪能したのち、一息に吐き出す。顔をあげ姿見を見れば、デフォルトの仏頂面に笑みが浮かんでいる。これにさらに気分を良くし、口でも「よし」と言ってしまう。さて、配達に向かうとしよう。



三〇一号室


 今日の記念すべき一回目の訪問は最短時間で来た。十時五十分。やはり風景に新鮮さを感じるのはそれが初めてだかららしい。昨日と同じ道を通ってきたが特に揺れ動くものもなく、すたすたと歩いていた。


 一度目、反応なし。

 二度目、反応なし。

 三度目、反応なし。


 空振りか。

 では、昼飯を探しに行こう。階段を下りながらマップを開き、半径二キロ圏内を色付けする。しばらく散策すると肉の焼けるいい匂いがしてきた。ケバブ屋だ。丁度いい。肉々しいものを食べたかったし、腰を落ち着ける必要もない。

「ケバブサンドとアイスコーヒーMで。ソースはホットソースで。あ、ソース多めってできます?」

「あいよ!ケバブサンドホットソース多めにアイスコーヒーのMね!」

 景気のいい応答で頼むこちらも気分がよい。これなら少し待たされてもよいなと思える。支払いを済ませると時間をたいして気にしていないことを示すため、脇にそれて空を眺める。

「あんちゃん!できたよ!期待してっぞ!」

 ものの三十秒くらいか。待ちの客がいなかったとはいえ素早いな。どれくらいここで営業しているのだろう。商品の見た目もいいことから練度の高さが窺える。……しかし、はて「期待」とは何だ?この者が手紙を出していて私が配達員の制服だからか?よくわからんが、この開けっ広げな笑みを見るにわざわざ聞き直す必要性も感じない。お礼を述べつつ受け取りそこから離れた。

 ケバブサンドは大変美味だった。ピタパンは薄く、具材の食感を前面に活かす。レタス、玉ねぎ、トマトのさっぱりさと肉のジューシーさが程よい調和をもたらし、多めにしたホットソースの辛味が食欲を湧き立たせる。どうにも迷った時の一店が見つかった。



三〇一号室


 本日二回目の訪問。ベルを鳴らす。


 一度目、反応なし。

 二度目、反応なし。

 三度目、反応なし。



 散策に戻り、大通りの路地裏に入った。なんと、紙の本屋があるではないか!正直なところ、こちらではもうその文化は失われたのかと思っていたがそうではなかった。勿論、電子版は持ち運びや収納の面で良いのはわかる。だが、紙にはまた特有の良さがあるのだ。まず、紙とインクの匂いにアナログなコントラスト。それに紙を繰る音が加わり、そこに静謐な空間を演出させる。どこでも独り、集中できる。そして本の内容に触れることで自分の内にも触れられ、整理・開発ができる。もう一段深く思考を深められたようなあの感覚はやはり紙の本ならではだ。

 店に入り、夢中になって本を漁る。あまりにあちこち引っ掻き回していたために店主には咳払い一つ浴びせられてしまったが、それでも興奮は収まらなかった。何しろ、見たことのないものが多かった。どれをとっても目に新しく仕方がなかった。仕舞いには店主に肩を軽くたたかれ、せめて一冊は買っていけと言われたほどだ。

 これにはさすがにそうかと思ってなけなしの所持金から捻出し、小説を一冊買った。明日は家からくそまずクラッカーを持ってくるとしよう。

 時計を見れば、十八時半。のんびり行って十九時くらいか。いくら何でも居はするだろう。



三〇一号室


 三回目の訪問。アパートの外からこの部屋を見上げると、窓は白いふちで切り取られていた。


 一度目、反応なし。

 二度目、反応なし。

 三度目、反応なし。


 さあさ、局に戻ろう。ここまでコケにされた上、彼女と顔を合わせるとなれば気が滅入ってくるが、きっと戻らねばならないのだろうからな。



 ソファに鞄と帽子はなかった。窓の小棚を開けても、もう一つのバッジはない。足音が聞こえ、確認のためにドアを開けて通路に顔を出す。歩いてきたのは支局長のテラだった。

「テラさん、お疲れ様です。シエラさんってまだ戻って来ていないんですか?」

「ああ、ジュンさん、お疲れ様です。そうですね、彼女は大体昼の十二時に出勤してきて、夜十時手前くらいに戻ってきますから。一度に五つ手紙を掛け持って、それぞれ三回ずつ訪ねるというのをかれこれ八年ほど続けてくれています。彼女は敢えて口にするようなことはありませんが、実際壁を埋めていた手紙は着実に減っているんですよ。本当、尊敬します」

「そうなんですか、わかりました。ありがとうございます」

「ええ、では私は失礼しますね」

 少し申し訳なさを残す笑顔とともに言うと、テラは支局長室に向かっていった。

 シエラは私なんかよりずっと多く、そして長くこの仕事を辛抱強く懸命に続けているのだ。私への態度はひどいものが多かったが、それは常に頑張り続けていて一人で落ち着く時間が欲しかっただけかもしれない。それに対してたかだか二日目でやる気をなくしている奴が気に食わないなどと一口に切り捨ててしまうのはなんと思慮に欠けることか。

 次彼女に会ったときは自分の居心地の悪さから逃げたり誤魔化したりせず、ちゃんと向き合って話すとしよう。それに、もっと効果的なやり方を教えてくれるかもしれない。


 明日も気張っていこう。

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