一日目 前編

一日目


 まずは道案内通りに向かうことにする。局を出てすぐ矢印が差す方は私の家とは反対だった。これだけで随分と気分が上がる。指示に従い、大通りに出る。ここで念のため、マップを拡大縮小して経路の全体を一度目に焼き付ける。とりあえずこのまま一キロ半ほど直進のようだ。

 私の視界の大通りは横浜の日本大通りを模しているらしい。てっきり桜木町までかと思っていたが、現にレンガや石造りのような背の高い建物に幅広な一本道が挟まれ、おそらくイチョウだろう緑の葉をつけた木がずっと植わっている。歩道も広く、座れるほどに太い柵がまっすぐに伸び、店で買ったものか、飲食をしている人も多い。

 確かに生前慣れた街であれば単調すぎて見ただけであくびを催すだろうが、そんなことはない。この大通りだけでも見るものは多い。

 パッと見る限りでも、GIKOUとでかでかと看板を掲げる服屋の主張が強い。大きく切り取られた窓の向こうには多彩なヴィヴィット色を使用した奇抜な衣装もあれば、堅牢でありながら大人の色気を感じるスーツも飾られている。ただ、目を引くものが多いもののあまり客足はよくなさそうだ。何とはなしに近くを通る人の話を聞くと、どうにも最近は昔のリバイバルや色違いばかりで新作がないらしい。疎い私でも、ファッションはいくらか先進性がないといけないことは何となくわかる。だが、アイデアを出し続けることが難しいのもまた想像できるから、全く関係ないにせよ、一応心の中で回復を祈っておく。

 他にも妖し気な光を放つ実験室のようなお菓子の店、人体の拡張パーツやその材料をばら売りしている人形屋と言った方がしっくりくるような、私からすれば一風変わった店が軒を連ねている。もちろんバターのいい香りが漂うパン屋や、肉の焼ける香ばしい匂いをだだ漏らしてくれるステーキ屋のような胃をくすぐるものも多い。時計を見るにちょうどいい昼時である。食べてもいいのではなかろうか。いやいや、とりあえずは行ってみようと決めたではないか。


 ……結局買ってしまった。あのバターの香りには勝てず、バケットサンドを手に取ってしまっていた。バケットサンドは生ハムにレタス、玉ねぎ、トマト、ピーマン、クリームチーズを挟み、とどめに辛めのチリソースがかけられている。バケットの硬さに反して生ハムのむにょっとした面白い食感と塩気に、レタスのしゃきしゃき、玉ねぎの爽やかな辛味、トマトのフレッシュな酸味、ピーマンのアクセント的に添えられる苦み、それらをクリームチーズがまとめ上げ、チリソースという辛さの滝が一気にのどまで流し込ませる。想像しただけでよだれが出る。予定とは少しズレたが、そもそも明確な時間指定もないし別に問題はないだろう。それにおかげでやる気も増した。手紙に匂いが移らないようにしながら、ほくほく気分でバケットサンドを鞄に入れて経路に沿って向かう。


 目的地は、三階建てのアパートだった。造りはしっかりとしている。規模感からして間取りは2LDKはありそうだ。外壁は鈍色で、せっかくワンクリックで元の黒一色から変更できるというのにもったいないように思う。そんなにこのコンテナのようなデザインにこだわりがあるのだろうか。それに加えて、目的が目的だからか、個人的には重苦しい印象さえ受ける。

 しかしこれを乗り切れば先のパンをもっとうまく食える。気を取り直し、宛先の詳細から部屋番号を確認する。三〇一、最上階の角部屋だ。アパートではあるがいい位置である。上の足音や隣をたいして気にしなくて済むうえに、一番遠くまで眺められる。あとはエレベーターがあればいいが。

 エントランスに入った。内装までも鈍色で、壁に沿ってアクアマリンのラインが走っているがほぼ同化してしまってよくわからない。やはり鈍重さを感じてしまう。どれだけ清々しい朝を迎えても、玄関を出た後にこれではいくらか憂鬱な気分になること間違いなしだ。今の私の住まいもここと似たようなものではあるが、あちらは外装に乳白色を使っている分まだ格安ホテルだと思える。一通り見たがこの建物にはエレベーターはないらしい。階段が一つあるだけだ。三階とはいえ自分の足で上らなければならないのか。億劫だ。

 息を大きく吸って、吐き出し、胸を張って調える。そして一段目を踏み出し、あとは一心不乱に足を上げ下げ。気づけばもう次の段がなくなり、最上階についたことが分かる。うむ、最上階は階段がなくなれば着いたことが分かるから、その点では便利だ。などと切れる息を誤魔化しにかかるが上手くはいかない。ここはもう認めて、少し立ち止まり息を整えた。


三〇一号室


 なんだかようやっと着いたような妙な達成感がある。似ているとはいえ知らない街であることに変わりはなく、同時に慣れない街でもあるから、ちょっとした旅行と似たようなものだったのかもしれない。……最後の階段がただきつかっただけかもしれないが。

 ドア横を見てみると、ベルのマークが浮いている。これがインターフォンなのか。他には上にカメラがついているがそれらしいものでもないし、きっとそうなんだろう。この町で得た最初の仕事。そしてあの階段をもう上ることがないことを期待して、マークに触れてみる。


 コロンコロンと電子音めいた音が響く。反応なし。

 もう一度触れてみる。反応なし。

 ダメ押しの三回目、まったく反応なし。


 ダメそうだ。今はいなかったのだと思うことにしよう。足取り重く階段を下りる。随分とスムーズだった。戻りも同様、気づけば地上階だ。

 しかし、そんなに落ち込んでもいられない。どうせまた最低でも一回は今日中に訪ねなければならない。では、とりあえず一仕事を終えたことにして昼飯にでもありつこうではないか。

 地図を開き公園がないかを調べると、ここから歩いて五分ほどにあることが分かる。大通りで食べることはできそうだが、あそこはまた戻るとなるとやや遠いうえ誘惑が多い。それにのんびりとはできなそうだ。やはり公園に限る。


 公園は広く、ちょっとした丘もあった。座れそうだし、そこにした。頂上からの景色は丁度いいというのが適当かもしれない。上空何十、何百メートルからの景色もいいものだが、この小高いくらいの方が多くの人々の顔を一度に見渡せる。そのうえ、公園ともあって楽しいや安心といった感情が多いから英気を養うにはいい。

 さて、お待ちかねのバケットサンドだ。鞄から取り出し一口かじるも、残念ながら期待通りの味しかしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る