初出勤

 翌日。初出勤日である。今朝は偽コーヒーを決め、しっかり気分を最悪にしてきた。これで今日は乗り切れそうだ。

 片道十五分を歩き切り、郵便局につく。勤務時間は朝十時から夕方十七時半と定まっているが、あの部署に限ってはそうでもないらしい。元々成果が上がりづらいうえに通常の業務に支障もなく、気にされていなかったのだとか。なのでこうして十時五分前に着く必要もなかったのだが、何にせよ今日から働くのだ。ちゃんとしたポーズをとっておくのが大事な頃合いだろうし、それで彼女を待つことになっても手ほどきは受けておきたい。

 裏手の従業員用出入り口を開け、中に入る。こちらに来てから珍しい木の踏み心地を堪能しながらあの部屋へ。ドアを開けると彼女がもう来ていた。腕を組みながら窓の外を見ている。指先でトントンとしている様を見るに苛立っているようだ。昨日からしてどのように接するのが適切か、やはり図りかねる。全く、ここで第三者例えばポートがいればワンクッション置けて軽くすることもできたろうに、彼は今日から元の仕事に戻るそうで隣にはいない。仕方ない。とりあえず挨拶から試みる。

「おはようございます。随分と早く来ていたんですね。先に着いておこうと思っていたんですが」

「……」

 何も喋ってくれない。どうしたものか。ざっくりとした仕事内容しか知らず、彼女からご教授を賜らねばならないというのに、苛立たし気な上にだんまりを決め込まれた。無意識のうちに後ろ髪をガシガシとしていると、溜息を一つ吐いてついに彼女が口を開いた。

「別に……、家にいても特にすることがないし、あなたの初出勤だから何かと時間がとられると思って早く来ただけ。あなたの席は空けておいたから荷物があればそこにおいておくといいよ。あと敬語はいらない。どうせそれなりに歳は取ってるんでしょ」

 かなり矢継ぎ早ではあったが答えてくれた。言われた通り中央の机を見るに右手前がきれいに片付けられている。他は相変わらず散乱していたが、このことを含め早く来てくれたということか。近づいて椅子を引き、座る。何か荷物があればとのことだったが、何も持ってはいない。一応ポートから幾ばくかのお金はもらったが、そもそもこの町で流通している貨幣は現物を伴わない。左下の天候や心拍、呼吸数などの情報の下に全所持金が表示される。次の給料日までの昼食以外で使うの余裕があるわけではないくらいだ。本当にぎりぎりの分しか渡してこず、けち臭い奴だと思ってしまったが、くれるだけいいので文句も言えなかった。

 着席早々何もすることがなく困ってしまった。何か連鎖するものはないか、あちこちに視線を飛ばす。すると彼女の服に目が留まる。昨日はたいして気にしていなかったが、窓口に立っている職員と違って茅色のスーツに、黒のスラックス、焦げ茶色の革靴だ。落ち着いた配色で気品が感じられる。胸元に郵便局マークの銀バッジが光っているから多分制服なんだろう。

「あの、配達員用の制服とかってあるんですか」

「敬語はいらないって言ったでしょ」

 そういえばさっき付け足されていた。歳とかではなく職場の先輩として敬う態度のためだったのだが、どうやらその配慮自体が余計らしい。軽く謝って今後善処することを伝える。すると彼女は窓際の小棚を開け、その胸元にあるのと同じバッジを取り出し渡してきた。

「そ、これは制服。このバッジをつけている間は着替えアプリの候補に追加されるから」

 言われ、彼女同様の場所につけるとユーザー認証の後、確かに視界上に制服が追加され、今すぐ変更するかの確認が行われる。それに承諾し着替える。部屋の隅に姿見があったので見てみるとちゃんと制服になっていた。意外と様になっているように思われて、鏡の前でくるくる回ってしまう。

「あなた、あんなに適当な服装のくせにちゃんと自己肯定感の概念あるんだ。あとこれ、帽子と鞄」

 急に我に返って彼女を見ると、なぜかゴミを見るような目だった。なぜそんなに引かれるのか。自己肯定感の有無はともかく、たまに違う服を着ていくらか気分が上がるくらい誰だってあるだろう。まだまだ私に対しての警戒心は強いようだ。苦笑いとともに差し出された帽子と鞄を受け取り、とりあえず自分の机に置く。帽子はスーツと同じ茅色にツバが黒のキャスケット、鞄は斜め掛けの白茶のメッセンジャーバッグ。

 段々とここで働くことに現実感が伴ってきてまた更に気分が上がってきた。早く仕事はもらえないかと彼女の方を見やると、机に広げられた手紙軍とにらめっこをしていた。しばらく腕を組み、あごに手をやり考え込んでいるかと思えば、目をパッと見開きそのうちの一つを手に取って渡してくる。

「さしあたってはこれからやってみて。距離はここから近めで徒歩で行けるから。届け先の住所はこの右下にあるコードを読み取れば地図アプリに登録されて道案内も付くからできるはず」

 コードを見ると、勝手に読み取り地図アプリが起動する。目的地設定および経路も示されたマップが視界左上に表示された。なんだかゲーム画面のようだ。だが確かにこれで迷うことはないだろう。距離も徒歩で……四十分くらい。

「まあまあ、遠くないか?」

「頼むのはそれ一つだけだし、ある程度の距離幅がないと時間を持て余すでしょ。それに道中見て回って土地勘把握もできるし」

 なるほど確かに。そういうことであれば納得できる。それに初日から何件も持ったところでそんな成果は出せないだろう。意外と考えてくれてはいるようでよかった。仕事であればある程度割り切る人なのか。

「わかった。じゃ、これをやってみよう」

「うん。二、三回訪ねるくらいでいいよ。あとは適当に散策して」

 そっけない物言いだったが、話すこと自体は今後もできそうな雰囲気だ。帽子を顔が隠れないようにかぶり、手紙を鞄に入れて部屋を発つ。

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