就職Ⅱ

 支局長がノックをして開ける。

 木張りの部屋に、十字で連結された木製のデスクが四つと、壁一面には大小さまざまな棚が設けられている。棚にはたいして郵便物は詰まっていなかったが、色あせたものが多かった。長い間ここにあることが窺える。

「やぁ、シエラ君。順調ですか」

 支局長が言う。視線はやや右下で気まずそうだ。

 すると奥の書類が積まれているデスクから勢いよく起き上がる人間の姿があった。

 肩口までまっすぐ伸びる銀の髪に、ぱっちりとしながらも気怠さを湛えた、翠の目の持ち主だった。肌は透き通るように白い。巻き上げられた塵が光を反射し、より幻想さを増させている。美女という言葉が大変似合う。

 彼女は支局長を見るとその気怠そうな目を細めた。露骨に不機嫌な顔をしている。

「全然。ていうかなんですか、その人」

 一言。かなりトゲを含ませてくれる。支局長はなおも気まずそうに今度は口をヒクつかせている。

「ここで働いてくれるかもしれない方ですよ」

 私に手のひらを差し出し、目線をよこしてきた。自己紹介を、ということらしい。一歩前に出てその隣に立つ。

「初めまして、サクライ ジュンと言います。現在仕事探し中でして、支局長からここならとのことでお邪魔させていただきました。入り口には受取拒否再配達部とありましたが、ここでは何をしておられるのですか?」

 今度はさらに進化して嫌そうな顔になった。何かしたかと思い、自身の言葉を振り返るが特段マズそうな部分はない。原因を探るため部屋を見回す。部屋中央の連結された四つのデスクを見ると、彼女のいる左奥のデスクから放射状に書類やらお菓子やらが散らばっている。また右奥のバーガンディーの革張りのソファには似つかわしくないかわいらしいクッションが置かれている。

 どうやらここは彼女にとっての聖域らしい。だから私の自己紹介から前向きに考えていることがくみ取れて嫌だったのだろう。その証拠にボソッと「……やっとまた一人になれたのに……しかも」と言っている。その先は聞かないようにした。こういう時変に耳がいいのは一体何なんだろうか。ただ自分が落ち込むだけだというのに。私も支局長に倣ってしまう。

「ここは読んで字のごとくそのままに、受取人が受け取りを拒否した郵便物を必ず届ける部署よ。郵便局全体として手渡しにこだわりがあるからこんな部署が生まれたってわけ。まぁ?そのこだわりがなくなればドローン輸送と大した違いがなくなるからっていうのもあるらしいけど」

 この発言には支局長は物申したくなったらしい。ずっと気まずそうにしていたのに、厳しい目つきに変えている。

「シエラ君、私たちは人の思いを運ぶことを重視しているんです。ここは利益だけを見て動くところじゃありません。あなたもそのことは重々承知のはずではないですか。でなければこの部署に勤め続けることもないでしょう」

 彼女は否とも応とも言わず、そっぽを向いてしまった。支局長は気づいていないようだが、窓に反射した彼女の右の口の端は上がっていた。



 少しの間沈黙が下りた。そして作った本人により破られる。

「ここはたいして楽しくないよ。拒否されただけあってベルを鳴らしても出てきてくれないし、出てきたと思ったら「受け取らないといっているだろうが!!」なんて怒号を浴びせられることもある。そりゃ拒否された思いだからね。その思いを送らないといけない発端なんて、怒りとか憎しみみたいなマイナスの感情なのよ。だからもちろん、受け取ってもらえて、もっと言えば仲直りしてくれたらうれしいけれど、楽しくなんかないよ」

 そう言われて思い出す。先ほどぶるぶる震えていた女性は、原因はともかく、喧嘩のような関係が悪化した相手に謝罪もしくは許しを請う内容をしたためていたんだろう。あれは読むことはおろか、受け取ってすらもらえないのではないかという不安があったのか。もう顔は覚えていないが、関係が回復することを祈ろう。

 呆けていると、これまで存在を消していたポートが腕を引いてきた。一旦出ようということらしい。「ちょっと考えますね……」と軽く二人に断り、通路に出る。ドアは閉めたが、一応少し離れたところに移動する。ポートが小声で話す。

「君はどう思っているかは知らないけれど、ここは働くとした方がいいと思うよ」

「なぜだ?」

「正直なところ、君は特に秀でているところはないだろ。何かしら一芸があればこの町で職を見つけることはそう難しくはないんだけどね。でもここならそんな求められるスキルもないし、何より忙しくはなさそうだ。配達で外も出歩くだろうし、自分がしたいと思える仕事を探しながらできるかもしれない。あくまで次へのワンステップと考えるならここはそう悪くないんじゃないかな?」

「特に秀でているところはないというのは引っかかるが、確かにつなぎとしては悪くなさそうだな。ただ給料が定期的にもらえるのかが気になる」

 今後の指針も定まり、私たちは「よし」と頷きあった。



 また部屋に戻る。そして支局長に向いて

「かなり今は前向きなんですが、ただ給料が気になってしまいまして。どうなっているんでしょうか」

 支局長は意外な顔をしていた。それもそうだろう。あのシエラという女性は見た目はいいが言葉の端々に「ここに入ってくるな」という意思を込めてきており、あまり感じがよくない。それにこの部署の仕事のキツさもリアリティを持って言ってきた。

 だが私はなりふり構ってられないのだ。ポートと決めたこともあるが、早く稼いでとにかくあの飯から逃げたい。美味い食事は積極的な日々を送るには必要なのだ。

「給料は月ごとに支払います。月給三〇万です。シエラ君が言っていた通り、この部署は精神的につらいことも多いので一般従業員より高めですね」

 聞いた瞬間、率直に言ってそれほど高くないなと思ってしまった。しかし家賃も食事も、拘らなければ衣服もお金がかからないのだから、確かにこれは高い部類なのかもしれない。給料については問題はなさそうだ。ここにしよう。あとは配達中に色々見て回ればいい。

「……わかりました。ここで働かせてください」

 すると支局長は柔らかな笑みを湛えて

「それはよかった。ありがとうございます」

と言ってきた。ポートは満足げだ。しかし肩口に奥の彼女を見やれば、顔を伏せてため息をついていた。彼女には悪いがしばらく世話にならせてもらう。なるべく関りは最小限にするべきか。


 この世界での一歩は存外二日目にして踏み出せたが、まだ前途は多難そうだ。

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