第30話 裏切り

 男を痛めつけて少しすっきりしたらしいアオは、里中に電話をかける。

 里中が来いと指定した部屋はビルの最上階だった。


「……」

 上へと向かうエレベーターが私たちの前で開く。

 アオは一歩を踏み出さない。

 黙り込んで難しい顔をしていた。


「アオ、どうした?」

「いやなんでもない……行くぞ。ナイフはいつでも抜ける準備をしとけ」

 不安になって尋ねれば、アオはそんなことを言って歩き出す。

 さすがにこの格好に刀を持ち歩くことはできなかったので、ナイフや小刀を用意していた。


 途中、エレベータが止まり、誰かが乗り込んでくる。

 少し身構えたけれど、乗り込んできた顔を見て思わず目を見開く。


「コウ?」

「ん? ……もしかして、シュカか? なんでそんな格好を?」

 何故かコウがいた。

 服装は役人仕様じゃなく、柄が悪く見える趣味の悪いスーツ姿だった。

 正直クラブにいた連中の中にいてもおかしくない格好だ。

 乗り込んできたコウの背中側で、エレベーターの扉が閉まる。


「ここで《鬼もどき》の原因になるカプセルが取引されていて、その現場を押さえるためにアオや里中と潜入していたんだ」

「なるほどな。目的は俺と一緒ってわけか」

 どうやらコウも潜入調査をしていたらしい。

 手ごろな売人を捕まえて身ぐるみをはぎ、ここまで来たとのことだ。


「アオはどうしたよ。つーか、あいつまだ力使えないのに連れてきてるのか?」

 護衛だろ何してるんだよと、感心しないなと言った様子でアオが言う。

 どうやら同じエレベーター内にいるアオに気付いてないらしい。


 最上階に着き、エレベーターの扉が開いた。

 そこにはスペースがあって、ワインのような赤色のカーペットが引かれていた。

 すぐ向こうに重厚な扉がある。


 コウが一番先に出て、それから私が続く。

 アオはというとエレベーターから降りずに、そのまま扉を閉めようとした。


「ちょっと待て。ここが降りる場所だぞ!」

 おもわず開けるボタンを押してそれを阻止すれば、ギッと強くアオに睨まれた。

 その顔は整っているだけに迫力がある。

 なるほど、コウにばれたくないんだなと遅れて気付いた。


「なんだその女は」

「アオのところの《眷属(けんぞく)》だ」

 コウは今更アオの存在に気付いたらしい。

 誤魔化せば私の後ろに隠れるようにして、アオが立つ。

 頑なにコウの方に顔を向けようとはしない。


「例え今のアオがどんなに役立たずでも、お前を敵の真ん中に知らない《眷属》と一緒に置いておくとは思えないんだが」

 コウは眉を寄せて、アオを睨んでいる。

 アオの《眷属》だと私に紹介された女に、不信感を抱いているらしい。


 そもそもアオが近くに置く信頼している《眷属》は、先生の所で一緒に過ごした《退鬼士》ばかりだ。

 つまりはコウとも顔見知りということになる。

 それにアオは血を貰う以外、うっとおしいという理由で女を側に置こうとはしなかった。


 コウがアオに近づいて顔を覗き込む。

 手首を握られてアオは振りほどこうとしたが、今は非力だ。

 片方の手で顎をつかまれ、無理やりコウの方を向かせられた。


「へぇやけに綺麗な顔してる女だな。どこかで会ったような気もするが……お前、何者だ?」

 そんな至近距離で見てるのに、コウはアオだと気付いてないらしい。

 アオは歯を悔しそうに噛み締めて、コウを睨んでいた。

 そして、思いっきり股間に蹴りを入れた。


「っ! この女何しやがる!」

「おちつけコウ! これには深いわけがある。こいつは怪しくなんかない!」

 前かがみになってしゃがみこんだコウが拳を握り締めたので、慌てて庇うようにアオとの間に入る。

 しかしアオときたら、そんなコウの頭を踏みつけた。


「誰が女だこの馬鹿が」

「……まさか、アオか」

 低い声でアオが言い、コウが目を見開く。

 驚きすぎてわけがわからないという顔をしたコウに舌打ちして、その顎をアオが蹴り上げる。


「アオ! 足癖が悪いぞ! そんなことをしてはスカートの中がコウに丸見えだ!」

「うるさい。離せ! この馬鹿、人を辱めやがって……っ!」

 後ろから羽交い絞めにしたが、アオは暴れる。

 黙っていればアオだとばれずに済んだのに、どうやらコウに女扱いされたのが相当きたらしい。


「ははっ、アオお前それ……似合いすぎだろ! 全く気付かなかった。はは、ヤバイ腹痛い!」

 今度は腹を抱えて、コウが上半身を丸める。

 床のカーペットをばしばしと叩いて、笑いが止まらないといった様子だ。

「殺す。絶対に後で殺すからな!」

「あぁ、今にも笑い殺されそうだ……里中より、アオの方が俺好みの美人だな。くくっ、あーもう駄目だ」

 真っ赤なアオに対して、コウは息も絶え絶えになりながらしばらく爆笑していた。



◆◇◆


「コウは最上階に用なのか」

「里中に呼び出されたんだ……くくっ。こっちのボスと接触できたから、来いってさ。穏便に話がつきそうだとも言ってた」

 尋ねればコウは、まだ笑いながらそんなことを言う。


 そんなコウの足を思いっきりアオが踏みつけていたが、今のコウはそんなことにもどうでもいいほど笑いのツボに入っているらしい。

 口元を押さえてまだ笑い続けていて、それが余計にアオを苛立たせているようだった。

 コウを叩いたり蹴ったりアオはしてるが、人間並みに非力なためコウにはほとんど効いてない。

 そんなアオの反応もコウにとっては可笑しくてたまらないらしかった。


「里中は、アオや私だけでなくコウも呼んだんだな」

 大分待たせてしまっているなと思いながら口にする。

 コウとアオが落ち着くまで待っていたから、かれこれ最上階の扉の前で十分ほどこうしていた。


「そろそろ行くぞ」

 私が率先して、重厚な扉を開ける。

 高級感のある黒を基調とした部屋は広く、奥に行けば執務用の机があった。

 そこには――男が一人座っていた。


「遅かったな」

 低く響く声。

 壮年の男は金色の片目でこちらを見ている。

 その横には微笑む里中の姿があった。


「シゲン……さん?」

「なんであんたがここに」

 アオとコウが驚いた声を出す。

 まさか、というように。

 

 私の鞄の中にずっと待機していた、シゲンの《式》でありコウモリのキキが飛び出す。

 嬉しそうにシゲンの周りを二周ほどすると、その肩に止まって頬ずりをする。

 シゲンは無骨な太い指で、キキの頭を無表情のまま撫でた。


「《式》や里中から話は聞いている。コウを選んだんだな、トワ」

 シゲンはアオやコウの問いかけを無視すると、椅子から立ち上がる。

 その瞳は真っ直ぐ私を見ていた。


「シゲン、なんであなたがここにいる」

「察しが悪いなトワ。それはおれが黒鬼だからだ」

 問えばシゲンが右目の眼帯を外した。

 紅色をした右目が、私を見つめていた。



◆◇◆


 敵の本拠地に乗り込んだというのに、私たちは丁寧な接待を受けていた。

 長椅子に座らされた私たちの前で、里中が手首からグラスに血を注いだ。それを私やアオの前に置く。コウの前には麦茶だ。


「シゲンの血は入ってないから、安心して飲んで大丈夫ですよ。私はシゲンの血を一切口にしてませんし、口にしていたとしても覚醒前なら飲んでも黒鬼の血に感染することはありません」

 ここに来る前と何も代わらない柔らかな口調で里中が言う。

 目の前で血を注いで見せたのは、その血が安全だという証明のつもりなんだろうけれど。


 ――黒鬼は、紅目になってない奴を操れない。

 黒鬼であるシゲンの横に座り、こんなことをしてくる里中は……つまりは最初から向こう側の者だったという事なんだろう。

 自分の意志で、シゲンの側についている。


 横を見ればアオは黙り込んでいる。

 不機嫌ないつもの顔だけど、その瞳に焦りとか動揺が見て取れた。


 アオはきっと里中が黒鬼と通じてることを予想していた。

 それでも信じたくなかったんじゃないだろうかと、事前のやり取りを思い出してそう思う。

 それでいて、黒鬼がシゲンだったとは考えてもなかったに違いない。


「……シゲンは、何が目的でこんなことをしてるんだ」

「おれは鬼も人も嫌いだ。どちらも滅びればいいと心から思っている」

 ピリピリとした空気をまとっているアオやコウの代わりに尋ねれば、シゲンは淡々とそう口にした。


「復讐をするためにおれは生きてきた。そして今、その目的は果たされようとしている。黒鬼になり、鬼を支配することに成功した。後は人も何もかも、消し去るだけだ」

 復讐と口にするシゲンには、裏に燻るような熱。

 その瞳には暗い影のようなものがある。


「そんなことをして何になるって言うんだ」

「何になる……か。そんなことはどうだっていい。ただ、人や鬼が苦しめばそれでいい」

 冗談とかそういうのを言うような人には見えない。

 本気でそれを口にしているんだろう。


「里中、お前はなんでそっち側にいる。シゲンと通じていたんだな」

「そうですよ。《役人》の情報も、アオたちの情報もシゲンに横流ししてました。シゲンの血を人間たちの間で行き渡らせるのに、邪魔が入るのは嫌だったんです。できるだけ《役人》や《贄人》の犠牲者は出したくありませんでしたから」

 責めるように言えば、くすっと里中は笑い説明してくれる。


 シゲンや里中の目的は、人の間でカプセルを――黒鬼の血を広めること。

 その間に妨害が入るのは嫌だったため、最小限の犠牲で済むようかく乱するように《紅目の鬼もどき》を出現させていたのだという。

 

「シゲンは鬼や人の敵ではあっても、《退鬼士(たいきし)》や《贄人(にえびと)》の敵じゃないんですよ。だからシゲンの支配下にある《紅目の鬼》も《紅目の鬼もどき》も、《贄人》を仲間に引き入れようとはしなかったでしょう?」

 確かにそうだ。

 境界の向こうから来た赤鬼は、紅目の鬼たちが他の仲間に血を飲ませ、紅目の鬼にするところを見てきたと言っていた。

 しかし、この世界にやってきた《紅目の鬼》たちは一切そんな素振りを見せてはいなかった。


「時は思っていたよりも早く満ちた。カプセルは今や、首都だけでなく他の地域にも広がっている。おれはこれからカプセルを口にした《潜在者》を全て《鬼化》させるつもりだ。《鬼もどき》共には人を襲わせ、自らの血を飲ませるよう指示する。そうして全ての人間を《潜在者》にする」

 シゲンが計画を語る。


 逆らえば、自分も《鬼もどき》にされるかもしれない。

 人間を恐怖でしばりつけ、餌として生かす。

 それでいて鬼も同じように管理するのだとシゲンは言う。


「おれたちを化け物扱いしてきた人間が同じモノになる。おれたちに助けを請いて、泣き叫ぶんだ」

 暗い笑い。

 目の前のシゲンがその内に深い闇を抱えているんだと、それを見て気付く。

 

「その前に、数をある程度減らさなくては管理し辛いからな。偽の解血剤(かいけつざい)を餌として使って、人には争ってもらおうと思ってる。勝ち残った一人にだけ、これを与える……とな」

 シゲンは酷薄な笑みを浮かべて、真っ白な錠剤を見せた。

 ――これを飲めば、体内に入った黒鬼の血が浄化される。

 本当は飲んだところで何の効果もないらしいが、それでも争いは起きるだろうとシゲンは楽しそうだ。


「あいつらがトワにしたことを、逆にしてやろうってことか」

 アオの呟きに里中が微笑む。


 ――《贄人》から人に戻りたければ、《退鬼士》の中にいる鬼を殺せ。

 そう国に囁かれて、仲間や人間は私を殺そうとしたのだと聞いていた。

 シゲンは彼らを憎しみあわせて、殺そうとしている。


「楽しそうだろう? あいつらは自分達だけが可愛いからな。偽の薬を争って、自分が人であるために人を殺すんだ。おれ達を化け物と呼ぶ人間が、化け物より醜いところを見れる。その後は絶望に突き落としてやればいい」

「シゲンの計画では、《役人》や《贄人》が人と鬼を支配するんです。私たちの計画に乗ってくれますよね?」

 低く笑うシゲンの後に、にっこりと里中が笑いかけてくる。


「冗談じゃない。そんなクソみたいな計画に協力するわけねーだろうが!」

 立ち上がって言ったのは、コウだった。

「どうしてだコウ。お前は鬼を恨んでいただろう。セイランが死んで、守ってきた人間に迫害されて。トワを失って。それでも人側につくのか」

 ゆっくりとしたシゲンの問いかけに、コウは唇を噛む。


「確かに、人を恨む気持ちはある。かつては同じ人だった。守ってきたのに、この仕打ちはないだろって、思った。でもそれでも……全部の人間がそうじゃないことを俺はちゃんと知ってる。セイランさんもトワもそんなこと望まない。行くぞシュカ、アオ」

「俺に命令するな、コウ」

 コウが言えば、アオがそう言って立ち上がる。


「アオはこちらについてくれますよね? セイランをあんな目にあわせた人間を、アオは駆逐(くちく)したかったんですから」

「……オレは」

 里中の言葉に、アオは黙り込む。

 滅多に見せないその顔は、迷いにも見えた。

 その手を握れば、私の目を見てアオは小さく息を付く。


「オレは誰の下に付く気もない。オレに命令していいのは、先生だけだ」

 真っ直ぐシゲンにいい放ち、背を向けてアオが歩き出す。

 その横に私とコウも並んだ。


「……変わる世界の中で、どちらにつくかよく考えておけ。あいつの命日に、いつもの場所で待っている」

 背中の向こうで、シゲンの声が重みを持って響いた。

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