第23話 美女

 赤鬼との話が終わり、そのあと番隊の部屋に戻る。

 すでに全員にコウが確認を取った後であり、紅目の鬼の血を飲んだ者はいなかったらしい。

「もしも飲んだやつがいるなら、上に知られる前に俺のところで情報を止めておこうと思ってたんだけどな。その必要もなかったようだ」

 コウが心底安堵した顔で告げてくる。

 そっちはどうだったと尋ねられ、カズマが赤鬼から聞いた情報を伝えれば、コウは考えこむような顔になった。


「血を飲んで後も潜伏期間があって、一度紅目になれば今の所戻る手段はないってことか」

「そうなります」

 確認したコウにカズマが頷く。


「いいかお前ら。もしも紅目の鬼の血を飲まされたら、まずは俺に言え。絶対に隠すな」

 コウの言葉に部屋にいた全員が頷く。

 それを確認してから、コウは雪村に報告に行くとその場を後にした。



◆◇◆


「カズマさん、いち番隊隊長が呼んでいますよ」

 赤鬼がもたらした情報で建物内が騒がしい中、弐番隊の部屋に美女がやってきた。


 女性は長い髪をゆったりとひとつにまとめ、右肩の前の方に垂らしている。

 見た目は二十代前半と言ったところだろう。

 スカートからはすらりとした足が伸び、胸はないが背は高くすらりとしている。

 苛烈な炎を思わせる髪色をしているのに、放つ空気は清浄な水のように穏やだった。


 着ている制服は、壱番隊のものとよく似ている。

 ただ黒地に金の縁取りがある壱番隊の制服に対し、彼女の制服は黒地に金と銀の刺繍があった。

 《首輪》を見れば星が二つあり、胸には階級章がたくさん付いている。

 優しげな風貌をしているのに、かなり強い《贄人》らしい。


 目が合うと美女が微笑む。

 その瞳の奥に――懐かしむような色を見つけた気がした。


「物凄い美人だな」

「もしかしてシュカ惚れちゃったの? 確かにあの人は美人だけどやめといたほうがいいよ?」

 呟けば、緑が気の毒そうにそんなことを口にした。


「どうしてだ?」

「いやだって、どんなに美人でもおと……むぐっ」

 小さな声で耳打ちしようとしてきた緑の口を、紫が塞ぐ。


「彼女は里中さとなか総副隊長だよ。高値の花だけど、ぼくはありだと思うな。シュカが一目ぼれしちゃったなら応援するよ!」

 紫が楽しそうな声で、そんなことを言ってくる。

 総副隊長ということは、雪村に続く《役人》の二番手だ。

 ああ見えて、彼女は相当なやり手らしい。


「里中さん、彼氏はいないから狙ったらいいと思うな。僕たち全力で応援するよ!」

 さっきまでやめとけと言っていたはずなのに、緑は意見を変えたようだった。

 その顔が妙にニヤついている。


「里中さん自分より弱い奴はゴメンですって、全員ボコボコにした上振ってるみたいだけど、シュカは強いし倒せるんじゃないかな!」

 紫もいい笑顔でそんな事を言ってくる。


 二人の顔は、まるでいい玩具を見つけた子供のようだ。

 前に私に対して、二人が決闘を申し込んできた時の顔によく似ていた。


 私はそもそも女なので、里中に交際を申し込む気なんて全くないし、一目惚れは勘違いだ。

 そう言おうと思ったら、いつの間にか側に里中が立っていた。


「カズマがいない間、私があなたの監視をします。すいませんが、ここでは監視がし辛いので移動をお願いできるでしょうか」

「わかった」

 申し出を素直に受けて、里中の後へついていく。

 振り返れば、緑と紫が頑張れと私に合図を送っていた。



◆◇◆


「私はシュカだ。あなたの名前は里中で当たっているか?」

「もしかして、覚えているんですか!?」

 自己紹介も兼ねて尋ねれば、横を歩く里中が目を見開く。

 その声に喜色が混じるのを見て、悪い事をしたなと思った。


「すまない。他のやつから聞いただけなんだ」

「……そう、ですよね」

 悲しげに里中は微笑む。

 分かっていたのに、期待してしまった。

 そんな顔だった。


「里中は過去の私の知り合いなんだな」

 最初に里中が名乗らなかったのは……私が自分を覚えているかもしれないという期待があったのかもしれない。

 無言で頷くその様子に、そんなことを思った。


「忘れてすまない。傷つけてしまっただろうか」

「いえ、そんなことはありませんよ。忘れてたほうがいいこともあります」

 謝れば、里中は一つの部屋の前で立ち止まり、私を中へ招き入れた。


 総副隊長室という板が掲げられた部屋は広い。

 大きな机が一つあり、近くには話し合い用なのかテーブルと長椅子があった。


「この建物内は監視装置がいたるところについていますが、この部屋には監視を惑わす仕掛けが施されています。ですから、自由に話すことができます」

 そう前置きして、里中は椅子に座るよう私に促してきた。

 腰掛ければ、程よく体が沈む。


「里中は先生の元で私と一緒にいた《退鬼士たいきし》なのか? 男だけだと聞いていたんだが」

「……そうですよ」

 妙な間の後、苦笑いして里中はそう言った。

 何かおかしなことでも言ったんだろうか。


「里中は、赤鬼ではあるが私の《血族》というわけじゃないんだな」

「はい。あなたがアオに拾われる前から、先生の元にいますから」

 前に私の《血族》であるらしい弐番隊の副隊長・蘇芳すおうと会った時のような感覚がなくて、確認すれば里中は頷く。


 コウやアオに聞いた話と矛盾している。

 先生の元にいる《退鬼士》は、男しかいないと二人は言っていたのに。

 これはどういうことだと考え込んでいたら、くすっと里中が笑った。

 考えが読まれているようで、妙に気恥ずかしい。


 いっそ、女である里中が《退鬼士》である理由を聞いてみようか。

 そう考えていたら、軽快な音楽が鳴りだした。

 里中が失礼といいながら携帯電話を取り出し、電話に出た。

 その携帯電話は、私が以前アオから貰ったものとよく似ている。

 アオから買ってもらったのはいいものの……《役人》になった際に取り上げられてしまっていた。


 アオ、怒ってそうだな……。

 電話したらすぐ取ると約束していたのに。

 元気かな、なんてそんなことを考えていたら、里中が私に携帯電話を手渡してくる。

『よぉ、トワ。そろそろ《役人》が嫌になってきたころじゃないか?』

 耳に当てれば、電話の向こう側からアオの声がした。


「アオ? なんで《役人》の里中にアオが電話をかけるんだ? アオは《役人》と敵対してるんじゃなかったのか?」

『敵対はしてるな。ただ《役人》も一枚岩じゃない。オレの仲間がそこには何人か入り込んでるし、里中とは昔から仲がいいんだ』

 疑問がいっぱいで口にすれば、アオが答えてくれる。


 アオの口調や雰囲気からするに、里中はアオの仲間というよりも、友人と言ったところなんだろう。

 途中で進む道は分かれてしまったけれど、同じ先生の下で家族のように育ったのだから、そういう関係があってもおかしくはない。


「そうだアオ、赤目の鬼なんだが」

『あいつらの血を飲むと、こっちまで赤目になるって話だろ。《役人》よりも前にオレたちはそれを知ってる』

 アオは現在のこちらの状況を、里中から聞いているらしい。

 話を聞けば、アオのところでも向こうの世界から逃げてきた鬼を、何体か保護しているようだった。


『最近紅目の鬼たちが境界を越えてくるのが多すぎる。このままじゃ消耗戦になるからな。一旦オレたちは、《役人》と組むことにした』

 今までは境界の揺らぎを感じた時に、そのほころびを直す方法をとっていた。

 しかし今回は、もろくなっている部分もそうでない部分も、一気に境界を引きなおすのだとアオは言う。

 

『鬼が何度も頻繁に現れるせいで境界全体が緩くなって、一度に現れる総量も増えてきてる。こっちの世界へ来やすくなってるんだ。境界全体を一気に強化すれば、二ヶ月程度は持つはずだ』

 その間に体勢を立て直す。

 アオはそう口にした。


 しかし、これをやるには大勢の鬼や《贄人》の力が必要らしい。

 アオたちの力だけでは不十分だし、《役人》だけでもできない。

 二つの勢力あわせてどうにかできるかもしれないと言ったところのようだ。


『オレの方は準備で色々忙しいからな。何かあったら里中を頼れ。ただ里中に心は許すな。危険な奴だから、警戒しろ』

 ちらりと里中を見れば微笑まれた。

 気をきかせたのか、席を外してくれる。

 

「……信頼できる奴ではないということか?」

『そうじゃない。あいつがお前を狙ってるってことだ。本当は二人で会うのも避けた方がいいくらいなんだが……《役人》の中で権力も持ってて、お前を守れそうなのって言ったら里中しかいないしな』

 小声で尋ねれば、アオは難しそうな声を出す。

 なにやら葛藤しているようだった。


「信頼してもいいし、頼れというのに、心を許すなとはどういうことだ? 狙うというのは、里中が私の命を狙ってるということか?」

『違う。命を狙うような奴に、オレがトワを預けるわけがないだろう。食われるってことだ』

 質問すれば、アオは盛大な溜息を吐いた。


「食う? 血を吸われるということか? 里中は鬼ではなく《贄人》だぞ?」

『本当そういう方面は鈍いな。育て方を間違った。性的な意味でに決まってるだろ』

「性的な意味で食べる?」

『……もういい。次会った時に、それがどういう意味か体に教えてやる』

 疲れたような怒ったような声で、アオは投げやりにそう言った。

 気になりはしたけれど、まぁその時に教えてくれるならいいかと思う事にした。


『とにかくだ。里中を頼ってもいいが、隙は見せるな。それとわかってるとは思うが、里中がオレと通じてることはコウの馬鹿には言うなよ?』

「わかった」

『……本当に分かってるのか? まぁいい、じゃあな』

 念を押すアオにそう言えば、また盛大な溜息を吐かれてしまった。

 アオが電話を切ったので、里中に携帯電話を返却する。


「里中は《役人》なのに、アオにと仲がいいんだな」

「付き合いで言えば、トワよりも長いですね。それにわたしは、国を滅ぼそうとするアオの考えに賛成でしたし」

 意外なことを里中は口にする。


「じゃあなんでアオのところに行かず、《役人》になってるんだ」

「先生が殺されて後、わたしはトワの方と一緒に行動していました。人のいいあなたが心配でしたし、アオはあなたを気にしてるみたいでしたからね。わたしが同行して、心配症のアオにあなたの様子を伝えていたんですよ」

 疑問を口にすれば、里中が答える。

 その流れで皆と一緒に《役人》になり、今に至るのだということだ。


「……シュカさん、一つお願いごとをしていいでしょうか」

 ふいに里中がそう言って、揺れる瞳で私を見てくる。


「一つ懺悔のようなものをトワの代わりに聞いてはもらえないでしょうか。たぶんわけがわからないと思いますが……お願いします」

 苦しそうな顔をして、里中は告げる。

 過去の私に対して、積もる想いが里中の中にはあるみたいだった。

 それはどうやら、彼女自身を苛む類のものらしい。


 過去の私は、仲間に裏切られ、傷ついて――彼らを殺そうとした。

 覚えてなくてもそれはしたことで。

 昔の自分がしたことだからと、切り離すことはできなかった。


「……いいぞ」

 だから罵倒される覚悟で一つ頷いて、言葉の続きを待つ。


 ありがとうございますと里中は言って、私の前に移動してきた。

 私の両方の手首を掴み、見上げてくる。

 優しい目じりがすっと細められて、綺麗な形をした眉がつりあがった。


「トワ、あなたは大馬鹿者だ」

 第一声はそれだった。

 女性にしてはハスキーだった声が、男の声のように低くなって驚く。

 意志のこもる強い瞳で、里中は私を射抜いてきて。

 ぎりぎりと痛いほど、手首が握られた。


「先生もあなたも。どうしてそう自己犠牲が大好きなんですか。あなたたちはよくても、あなたたちを大切に想う人がどんな想いをするか……わかってない。そんなモノの上に立つ幸せなんて、わたしはゴメンなんですよ」

 怒りをぶつけるように、里中は私を責める。

 正しく言えば、私でなく――トワを。

 

 先生が自分の命と引き換えに、《退鬼士》の皆を救うよう求めて死んでいったことは知っている。

 それは確かに自己犠牲と言えるけれど、私の場合は違う。

 仲間に裏切られて、自棄になって全てを滅ぼそうとしたのだ。

 自己犠牲なんてどこにもないのに、里中は何を言ってるんだろう。


 焼け付くような熱を持つ瞳。

 優しげな容貌を持つのに、里中は激しいものを内に秘めているようだった。

 伝わってくるのは、トワに対する怒り。

 でも、そこに憎しみはない。


 親しい者だからこそ、謝った道へは進んで欲しくなかった。

 それを止められなかった自分と、そこへ突き進んでしまったトワに対する憤りがそこにはあるだけだ。


 言い終えて、ふっと里中は瞳の色を和らげる。

 それから上半身を伸ばして、私に抱きついた。

 ふわりと花のような良い香りが、鼻先をくすぐる。


「それでも、帰ってきてくれたことは嬉しいです。おかえりなさい、トワ」

 優しく甘く響く言葉。

 また会えて嬉しいと伝えてくる言葉に、胸の奥が熱くなる。


 里中のことを覚えてはいない。

 でも、この抱きしめられる感覚は素直に懐かしいと思えた。



◆◇◆


 過去の私と特別に仲が良かったのは、コウとアオ、それと《役人》のトップである雪村と、弐番隊の副隊長である蘇芳すおう、それと目の前にいる里中の五人だったらしい。

 

 私が人や《贄人》に追い詰められ姿を消して後、雪村と蘇芳、それと里中の三人は《役人》になった。

 狂う前の私が望んでいた――人と《贄人》が共存する世界のために。


 私という主を亡くしたコウは不安定で、《役人》になったりふらりと旅をしてみたり、また《役人》になったりしていたらしい。

 そして最終的に探偵という職業に落ち着いていたようだ。


「そう言えば、ここは里中の部屋なんだよな? 偉い人の部屋って感じがするんだが、この緊急事態にのんびりしていいのか?」

 緑茶と茶菓子をご馳走になりながら、そんなことを尋ねれば。

 いいんですよと里中は笑う。


「矢面に立つのは雪村の仕事、走り回るのは蘇芳や下のお仕事です。それにわたしは、人や《贄人》がどうなろうと正直どうでもいいんです。自分の大切な者たちが守れればそれでいい。あなたと過ごす時間の方が大切なんですよ、トワ」

 それで本当にいいのかとツッコミたいが、本人がいいというならいいんだろう。

 わりと里中は横暴な上司のようだ。


「大体、雪村もコウも蘇芳も……わたしにあなたの存在を隠していたんですよ。酷い話だと思いませんか? もう二ヶ月以上経つのにですよ? 壱番隊と一緒に外に出るよう命じられて、その後も何かと外に出されて。これくらい当然です」

 拗ねたように里中がむくれる。

 大人っぽい落ち着いた人なのかと思ったら、そうでもないようだ。

 その表情は可愛いと表現するのがピッタリだった。

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