第24話 側にいるのは

「コウもカズマも仕事が長引くみたいですから、今日はわたしの部屋に泊まってくださいね」

 そう言って案内された里中の部屋は、薄いクリーム色の壁紙に、上品な家具の揃った部屋だった。

「着替えも準備してありますから、まずはお風呂からどうぞ」

 にこにこと言われて、戸惑っている間に脱衣所へと押し込められた。


 広い脱衣所の身支度を整えるスペースに、タオルと服一式が置いてある。

 私が泊まることは急に決まったはずなのに、用意がよすぎる。

 服を摘んでみれば、ひらひらとした女物の寝間着だった。


 ――里中は私が女だと知っているということか?

 アオと仲がいいと言っていたから、アオから聞いたのかもしれない。


 服を全て脱ぐ。

 風呂場へと続く扉を開けたところで、背後で扉が開いた音がして振り返る。

 振り向けば、バスタオル一枚を巻いただけの里中が脱衣所に入ってきていた。


「わたしも一緒に入りますね。背中を流してさしあげます」

「いい、いらない!」

 思わずすりガラスになっている風呂場の扉に体を隠す。

「遠慮しないでください。久々なんですし、裸の付き合いをしましょう」

 お構いなく楽しそうに里中は風呂場に入ってきた。

 私が女だとアオから聞いていて、女同士だから遠慮はいらないと思っているんだろう。

 

「裸のままドアに張り付いていたら風邪をひいてしまいますよ? ほら、こっちに来てください。体を洗ってさしあげます」

 肩に手を置かれ、優しく諭されて。

 ここは腹を決めようとゆっくり体を里中へ向ける。


「……!」

「な、なんだ。じろじろ見るな!」

 何故か里中が大きく目を見開く。

 そんな顔をされると恥ずかしくて、体を手で隠し体をひねった。


「えっと……トワ。あなたはいつから女になったんです?」

「……もしかして、アオから何も聞いてないのか?」

 里中はどうやら私を男だと思い込んでいたらしい。

 口を覆って、見たものが信じられないというような顔をしていた。


「聞くも何も……これはどういうことなんですか。トワと今のあなたの性別は別ということですか? それとも他人の空似? いやでも、コウはあなたを主と認めていますし、雰囲気も何もかもトワそのものだ」

 私に聞いているような、独り言のような言葉を里中は呟く。

 相当に混乱しているらしい。


「最初から私は女だ。鬼の女は珍しく、同族からも狙われやすいからと、先生が男として育ててくれた……らしい」

「なるほど、そういうことでしたか。男なのにこのわたしより愛らしいなんて、おかしいとは常々思っていたんです」

 里中は自分の美貌が大好きな人種らしい。

 簡単に説明すれば、里中は妙な所で納得してくれたようだった。


「里中はわたしが女だと知っているものだと思っていたぞ。男だと思っていたなら、どうして用意されてる寝間着が女物なんだ」

「絶対似合うだろうなと思ったので用意したまでです。ずっと昔から、トワに女物を着せて、お揃いにするのが夢だったので」

 つまりは私が男だろうと女だろうと関係なく、女物を着せたかったらしい。

 

「……男に女物を着せて楽しいのか?」

「強くて可愛いものを、可愛くして愛でるのが好きなだけですよ。男とか女とか関係ありません。まぁでも――トワが女であってよかったなとは、思ってますけど」

 理解できなくて首を傾げれば、そう言って里中は笑う。

 言葉の途中で目がすっと細められ、見つめられた瞬間にぞくりと背筋が泡立った。

 その目は、獲物を前に舌なめずりする肉食の獣のように見えた。

 

「やっぱり私は一緒には入らない!」

 なんだか身の危険を感じて脱衣所に戻ろうとすれば、手首をつかまれてしまう。

「駄目ですよ? 拒否権はありません」

 強引にシャワーの前まで連れていかれて、椅子に座らされた。


 ……ここまで来て暴れてもしかたない。

 大人しく洗われることに決める。

「隅々まで念入りに洗ってさしあげますね」

 里中が河童のつけるお皿のようなものを、私の頭に装着してきた。

 これは『しゃんぷーはっと』というらしい。

 これをつけて髪を洗うと、水を上から流されても泡が目に入ることがないという。


「里中はいつもこれを使っているのか?」

「いえ、まさか。これはトワのために急いで準備させたものですよ」

 そうかと言いながら、私の頭に疑問符が浮かぶ。

 私と風呂に入ることが前々から予定されていたみたいだ。


「ふん、ふふん~」

 里中はご機嫌のようで、私の髪を洗いながら鼻歌を歌っている。

「楽しそうだな」

「えぇ、とても。わたしの可愛いトワが帰ってきたんですからね。しかも女の子だったなんて……こんなに嬉しい事はありません。神様からの贈り物のようです」

 そんな風に髪やら体やらを洗われたところで、先に湯船に浸かっておいてくださいねと言われた。

 風呂場もそうだが湯船も広く、軽くあと三人くらいは浸かれそうだ。


 風呂桶のへりに顔を乗せて、ボーっとする私の前で里中が体を洗う。

 女性にしては筋肉質だ。

 というか……どう見ても男の体みたいなんだが。


「……」

 先生のところにいた《退鬼士》は全て男。

 コウも、アオもそう言ってた。


 まさか、とそんなことを思う。

 そう言えば、私を叱る里中の声はやけに低かった。

 

「里中は、男?」

「えぇそうですよ」

 あっさりと里中はそれを認めた。

 こっちを向いてやってくるその体は、男の体以外の何者でもない。

 湯船の中に、ゆっくりと里中は体を沈めた。


「……なんで女の格好をしているんだ?」

「似合うからですが」

 質問すれば、真顔で即答された。


「……もしかして、女になりたいとかそういう願望のある人なのか」

「いえ、そういうわけではないですよ。似合うからしてるだけです。男が好きというわけでもありませんしね」

「そうか」

 じゃあなんでスカートなんか履いてたんだと聞けば、似合うからですがと返ってきて、質問は堂々巡りだった。


「わたし昔から女の格好して褒められるのと、人をからかうのが大好きなんです。皆面白いほど騙されてくれますからね。それで、鬼にも女性と間違われてしまいまして……《贄人》にされてしまったんです」

 笑い話であるかのように、明るくカラリと里中は言う。


 つまり里中は見も心も男だが、女の格好をするのが趣味らしい。

 コウやアオも変わってると思ったが、里中もまた変態のようだ。


「ちょっと待て! そもそも、里中が男なら。女の私と一緒に風呂に入ってるこの状況は、問題大有りなんじゃないのか!」

 今更気付いて声を上げれば、里中は薄っすらと笑みを浮かべた。

 すっと近づいてきて、私の頬を長い指で撫でる。

 手のパーツをまじまじと見れば大きくて、男のものだなとわかった。


「わたし昔から、可愛いものと強いものが好きなんです。将来付き合うなら、自分より可愛くて強い子がいいなってずっと思ってたんですよ」

 うっとりとした瞳で語りかけるように、里中は口にする。

 私の髪を一房、手で弄びながら笑うその顔はとても妖艶で色気に満ちていた。


「でも、わたしより可愛い子ってなかなかいないじゃないですか。しかも強いと言ったらなおさら。でもトワは強くて可愛かった。もういっそ男でもいいかなと思うくらいには」

 色っぽい流し目。

 男でも女でもときめかせてしまうような、不思議な色香を里中は放っていた。


「それに、トワは記憶喪失で忘れてるみたいですけど……わたしたち恋人同士だったんです」

 ちゃぷりとお湯をかき分けて、里中が私との距離を縮めて囁く。


「そんなの初耳なんだが」

「記憶喪失ですから、しかたありません。それに付き合いたてでしたし。でもやっぱり恋人のトワにそう言われるのは……応えますね」

 本当なのかというように疑いの視線を向ければ、悲しそうに里中が俯く。

 里中の瞳から零れた涙が、頬を伝う。


「っ、すいません。泣いたりしないと……決めていたのに」

 そう言って里中は口元を覆う。

 無理に笑ってこらえようとしているかのようなその表情に、罪悪感が湧き上がってくる。


「わ、悪い! 覚えてなくて!」

「いえ、いいんです。思い出してくれなくても、わたしとトワが恋人なのには変わりありません……そうでしょう?」

 慌てて言えば、里中が潤む瞳で見つめてくる。

 そうだと言ってくださいというように。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 確かに昔は恋人同士だったかもしれないが、私にはコウが」

「今は、何ですか? もしかして……コウと付き合ったりしてるんですか?」

 言いかければ、里中の顔がくしゃりと歪む。


 自然に頭の中に浮かんでいたのはコウだった。

 でも、恋人同士かと言われると違う気もして。

 ――何もいえなかった。


「その反応は……まだなんですね? よかった間に合って。女装したわたしと、男装したトワ。これ以上にぴったりくる組み合わせはありません。誰よりも可愛い夫婦になれます」

 嬉しそうに笑って里中が近づいてくる。思わず後ずさった。

「い、いきなりそんな事を言われても困る。里中の恋人にはなれない!」

 浴槽の縁に背が当たり、これ以上後ろには下がれない。

 どんどんと里中が距離をつめ、綺麗な顔が近づいてくる。


「どうしてです? コウと付き合ってはいないんでしょう?」

「コウ以外が私の側にいるのが、想像できない」

 するりと喉から出た答えはそれだった。


 私の横にいるのは、コウ。

 当たり前のようにそう思った。


「そうですか。それはしかたないですね」

 里中はわたしから離れると風呂から上がる。

 思いのほか諦めがよかった。

 ほっとして、それから――自分の言った言葉の意味を考えてしまう。


「コウ……」

 思わず名前を呼べば、胸の奥がきゅうっと痛くなる。

 呼んでしまったことが恥ずかしくなって、湯の中に顔を半分ほど沈めた。


 最近どうにも私は変だ。

 コウのことを考えたりすると、時々こうなる。

 いやらしい口付けを受けた日から、ずっとこんな感じだ。


 《贄人》は病気になることがある。

 でも、鬼はないと聞いていた。

 だから病気じゃないと思うのだけれど。

 この胸を締め付けるような痛みは、一体何なんだろう。


 考え込んでもいつも答えはでない。

 ただコウのことばかり考えて、頭がどんどんいっぱいになってくだけだ。

 思考を切り上げて、私は風呂から出た。

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