第21話 彼が鬼を嫌う理由

「なぁ、カズマ。なんで鬼をそんなに嫌ってるんだ」

 仲直りしてすぐに聞くのはどうかとは思ったけれど、どうしても気になって。

 それを尋ねれば、カズマは私をベッドの横に避けた。


「折角ですし、もう一眠りしましょう。まだたぶん熱も下がってないような気がしますし」

 私の方がおそらくは年上なのに、年少者にやるようにトントンとカズマが胸の上を叩く。

 まるで幼い子を寝かしつけるような動作だった。


 鬼を憎むような過去だ。

 カズマにとっていい出来事ではなかったのは間違いない。

 傷を抉るようなことをしてしまったかもと、反省しながら目を閉じる。


「……ボクには二人の姉と、双子の妹がいました。母親はぼくが物心つく頃には亡くなっていましたが、父が男手一つでぼくたち兄妹を育ててくれました。ぼくはそんな父のことを、心から尊敬していました」

 カズマが言いたくないなら、無理に聞き出すつもりはなかった。

 でも、しばらくすると、ゆっくりとカズマは語ってくれた。


 家族仲はとてもよく、幸せな家族だったんだとカズマは口にする。

 でもその眉間にはシワが寄っていて。

 楽しい思い出話では決してないことを物語っていた。


「ボクと妹が十六になる間近。どうにも父の様子がおかしくなってきていたんです。姉や妹たちを……いやらしい目で見ているような、そんな雰囲気を感じました」

 仮にも父親だ。

 ありえないとは思ったらしい。


 けど、カズマは父親の部屋を覗いて――見てしまった。

 父親が姉たちの血をすするところを。

 姉たちが、気持ち良さそうに甘い吐息を漏らして……父親と睦みあっているところを。


 激しい嫌悪。

 汚らしいと、カズマは思ったらしい。


「あいつはボクに気付かずに、楽しそうに今後の計画を語っていました。十六の誕生日に妹とボクを味見して、全員を《贄人》にしてやると。つまり、父親は鬼だったんです。ボクたちは父の本当の子じゃなかった。幼かったぼくはそれを知らずに育っていました」

 そのころのカズマは《贄人》の意味を知らなかった。

 だから、父親が自分の姉や妹を愛人のようにしようとしてるのだと思った。

 しかもそこには自分も含まれていると知って、嫌悪はさらに大きくなった。


 でも、子供で庇護対象でしかないカズマにできることなんて何もなくて。

 周りでは人格者扱いされている父親が、実はそんなことをしているなんて訴えたところで誰も耳を貸してくれないことくらいわかっていた。


 どうにかしてとめなくちゃ。

 そう思ったカズマは、いざというときのためにナイフを購入した。


 ナイフなんて使わなくてすみますように。

 この前見たアレが、全部夢でありますように。

 なんだかんだで、カズマはまだ父親のことを信頼していて。

 どうしてもそんな人だと、信じたくはなかった。


 父親の家では十六になると大人で、大人になる際に必ずやらなくてはならない儀式がある。

 そういわれて、地下へと連れていかれた。

 重い扉が閉められて鍵をかけられて、逃げ道を塞がれたとカズマは内心冷や汗をかいた。


 先に姉が二人待っていて、父親の横に寄り添った。

 父親は外見が二十代後半の美形で、姿形がずっと変わらなくて。

 姉たちの側にいると、まるで同じ年頃の青年みたいに見えた。

 三人の間に漂う空気が気持ち悪いと、カズマは嫌悪のようなものを感じながら、何があっても妹を守ろうと心に誓っていた。


「ナイフを渡されて、指を傷つけて血を舐めさせろとそいつに言われました。頭おかしいんじゃないかとは思いましたが、妙な迫力があってボクと妹は命令に従いました」

 つまりは血の味見だったんだと、カズマは口にした。


「この鬼は、最初からボクたち兄妹を《贄人》にするため育てていたんです。母親の血の味が好みで、きっと子供であるボクらも美味しいだろう。そう考えて、この日までいい父親のふりをしていたんです」

 騙されていた自分が馬鹿だというように、カズマは渇いた笑いを浮かべる。


「しかもその鬼が、本当はボクらの母親を殺していた。《贄人》にしようと失敗して母を《鬼もどき》にしたあげく葬った。ボクら兄妹を見つけて引き取るために、本当の父親まで殺していたんです」

 そんな奴を父親だと慕って。

 ただいずれ血を搾取するためだけに、育てられた。

 憎しみのこもる口調で、カズマは口にした。


「鬼はボクの血がいたく気にいったようでした。陶然とした瞳で血を啜られて、これは父親ではないとそう思いました」

 そのあと全員に、血の入ったグラスが配られたらしい。

 いっきに飲めといわれて、カズマと妹は飲むのを躊躇った。

 けれど姉たち二人はそれを飲み干して――苦しみだした。


 鬼は苦しむ姉たちを横目に、カズマと妹に血を飲むことを強要した。

 抵抗したけれど無駄で、無理やり喉に血を流し込まれた。

 体中が痛くて死にそうで、焼けるようで。

 霞む視界の中、先に血を飲んだ姉達が化け物へと姿を変えた。


「あぁ、母親と同じで上の二人は失敗か。残念だ」

 今日は雨だから散歩ができないなというくらいの、そんな小さな落胆を、鬼は口にした。

 いままでずっと一緒に過ごしてきて、あんなに自分を慕っていた娘たちが見るも無残な姿になったというのに。

 二人が化け物になったという悲しさなんてそこにはなくて。

 ただ、自分の思い通りにならなかったことを嘆く響きがあった。


「血は美味かったのに。本当、残念だ……こればかりは相性だな」

 そういって鬼は一番目の姉を切り捨てた。

 なんのためらいもなく、虫を殺すかのように。


 二番目の姉を殺そうとしたところで、カズマはどうにか立ち上がって。

 その背に姉を庇い、鬼にナイフをつきつけた。


「ほぅ……お前、動けるのか。へぇ」

 嬉しそうなニヤニヤ笑いを、鬼は浮かべていた。


 カズマの体はおかしくなっていて。

 薄闇のこの地下室の中でも、夜目がよく効くようになっていた。

 体の痛みよりも怒りが体を動かしていて、力が溢れてくるかのようだった。


「まさか男だけが《贄人》になるなんてな。子は生ませられないが、血は美味いしよしとするか」

 鬼がそう言って目線を別の方向に向けて。

 その先には、化け物――《鬼もどき》へと変質していく妹の姿があった。


「痛い……お兄ちゃん、苦しいの……助けて……」

 カズマへと妹だったものが真っ黒な長い爪を持った手をのばす。

 可愛いらしかった声はしゃがれ、泣いていた。

 真っ黒だった瞳に金が滲み、頬の肉が爛れて鱗のようなものに覆われていく。

 骨や筋肉が体の内側から肉を突き破ろうとするように暴れ、服すら突き破りその体が膨張して。

 目の前で、人ではないものになっていく。


「カズマ、お前は今日から俺の血族となった。俺の息子でありエサであり、手足のように働く駒だ。ここまでいい父親を頑張ってきたんだ。俺を楽しませて、働いてくれるな?」

 優しく鬼は微笑んで、カズマの握っていたナイフの刃を掴むと粉々に砕いた。


「血族としての最初の仕事だ。失敗作を始末しろ」

 放心するカズマに、鬼は自分の刀を握らせた。


「そんなこと……」

『やるんだカズマ。姉と妹を始末しろ。化け物のまま、生き恥をさらすなんて可哀想だろ?』

 鬼はカズマに命令を下した。

 どんなに嫌がっても、主である鬼の命令に《贄人》は逆らえないらしい。

 カズマは、自分の手で愛する兄妹たちを切ったのだという。


 その日からカズマは、鬼の下僕(げぼく)になった。

 命令されるままに人を攫ってきたり、殺したり。


 この鬼は嗜虐趣味があり、人の絶望するところを好む性質があって。

 時折カズマの兄妹にやったように、人の子を育てては自分の血を与えた。

 その鬼曰く、信頼が裏切られた時の表情がたまらないらしい。

 カズマは自分たち兄妹と同じ被害者を作り出す手伝いを、自分の意志に関係なく強要されていた。


 それは鬼が《役人》に見つかり――カズマが《役人》に保護されるまで続いたのだという。


「ボクは正直、シュカのことを信じ切れてはいません。父親だと思っていたあの鬼のように、ある日突然裏切られるんじゃないかと心のどこかでは思っています」

「そんなことしない!」

 思わず叫べば、カズマが体を横にして私を見た。


「でも、一度過去のシュカはしてるでしょう。あっちに裏切られたのが先といえ、先輩の信頼を裏切っている」

「それは……」

 カズマの言う通りだ。

 言いよどめば、カズマはそんな私の様子をじっと見ていた。


「同じ事がないとは言い切れない。それでもボクは――シュカと仲良くしたいと思ったんですよ。こんなこと普通はないんですからね。しかも弱みまで話してしまって、ありえないことです」

 少しふてくされたような、悔しそうな顔。

 ほんのりと頬が赤くて、カズマが照れてるんだとわかった。


「カズマ」

 心を許してくれてるとわかれば、嬉しくなって。

 ぎゅっとカズマに抱きつく。

「本当シュカって子供っぽいですよね」

 しかたないなというように、カズマは背中を撫でてくれた。

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