第20話 役人の日々
「家に帰りたい……」
「シュカがある程度信用されるまでは、事務所に帰るのは我慢しろ」
駄々をこねれば、コウが疲れた声で言い聞かせるようにそんなことを言う。
《役人》になってから早2ヶ月。
私は一度もコウと過ごしたあの事務所に帰っていなかった。
どうみても十三歳くらいにしか見えない《役人》のトップ、雪村(ゆきむら)が与えてくれた《役人》用の住居に、コウと監視役のカズマと一緒に三人で住んでいる。
《役人》ができるきっかけとなった、国に大きな損害をもたらした鬼かもしれない。
そんな理由から、私は《特異災害Sランク》を与えられ、国の監視下にある。
だからあまり自由はない。
自分の立場も状況も、ちゃんと理解している。
正直言えば、別に与えられた生活に不満はなかった。
住居は清潔に保たれていて、毎日勝手にお掃除の人が入る上、冷蔵庫の中身も補充される。
ネズミも某黒い物体も出ないし、床も軋んだりしないよい物件だ。
美味しい血のパックだって、毎日飲み放題。
ただし、コレを飲むとコウが拗ねるため、結局コウから貰っているのだけど。
食べ物だって《役人》専用の食堂に行けば、好きなものを好きなだけ注文できる。
ほしいものも購買に行って取り寄せることが可能だった。
事務所で過ごした生活が懐かしいというのは、確かにある。
でもそこにコウもいるし、無愛想で昔みたいに優しくないけどカズマもいた。
二人がいるのなら、ここが私のいる場所だ。
つまり……私が問題にしているのはそこじゃなかった。
「私たちは今日で十日連続で働いている。与えられた住居へはその間一切帰ってない。もっと詳しく言えば、寝てる暇もなく外へ借り出されている。事務所に帰りたいとかそんなんじゃない。頼むから、休みをくれ!」
バンと机を叩けば、まぁわかってたというようにコウが死んだ眼をしていた。
「シュカくんは面白い事を言うな。まだ十連勤だぞ? あと十日続いてもおかしくない……何のために弐番隊のお部屋に、シャワーと大量の制服の替えと血のパックと寝袋が常備されてると思っているんだ……ずっと働き続けるためだろ? ははっ、はははははははは……」
斜め前の席に座っている、赤に近い橙色の髪をした鬼が壊れた様子で笑う。
熊のような体格をした四十代の大男なのだが、目がいっちゃっている。
緑と紫の双子の鬼は、二人とも机につっぷして潰れていた。
他の弐番隊の隊員はというと、全員外に出払っている。
「鬼の癖に軟弱な奴ら」
その中でカズマだけが背筋を伸ばして、いつも通りの態度だった。
ただ目の下にはクマがあり、ぼーっとしていて頬はやけに赤い気がする。
『ぱそこん』と言われる機械(からくり)のボタンを指先で押しているのだけど、画面には意味をなしてない文字の羅列が並んでいた。
――暗号文書か何かだろうか?
私の初出動日、紅眼の鬼が現れた。
そのことは《役人》たちや国の上層部で大きな騒ぎになった。
今まで群れることのなかった鬼たちが、一丸となって境界を壊し、この世界にやってくるようになったのだ。危機感を覚えるのは当然と言えた。
国は至急調査をし、改善につとめろと命令をだした。
境界の揺らぎは昔から都周辺で起こるらしく、それでいて国のお偉いさんがいっぱいいる街の警備が強化された。
自分達がいなくなれば国が立ち行かなくなる。
もっともらしいことをほざいていたらしいけれど、単なる保身だと弐番隊の副隊長の蘇芳(すおう)が毒を吐いていた。
お陰で戦力で言えば弐(に)番隊の次に強い、エリート集団の壱(いち)番隊が、全てそちらに借り出されてしまって。
その分のお仕事まで弐番隊に回ってきているような状態だった。
境界を飛び越えてくる大量の鬼たちだけでも、うんざりするところなのに。
それに加えて、紅眼の《鬼もどき》の問題も解決していない。
鬼が気に入った血を持つ女を《贄人》にしようとして失敗することで、《鬼もどき》は発生する。
自我のない化け物である《鬼もどき》。
彼らが発生する直前には、原因を作る鬼が境界を渡ってくるため、普通は境界の歪みが確認されるものなのだけれど。
この紅眼の《鬼もどき》は――境界の揺らぎの発生もなくいきなり現れる。
被害者は増える一方。
模倣犯が増えているなどとテレビでは報じているけれど、実際の
《鬼もどき》の出現は夕方以降が多く、現れるたびに《役人》が狩ってはいる。
ただ、ほぼ毎日のように《鬼もどき》な出現していて、きりがない。
けれどテレビで流す情報では、殺人鬼は連続殺人犯の扱いで、まだ捕まってないことになっていた。犯行時刻は夕方以降だから、出歩くなという情報を強調。
これはどうやら、国がわざと流している情報らしい。
そのお陰で夕方以降に出歩く人は激減。
鬼や《鬼もどき》の被害者も目撃者も減り、記憶操作等の手間もはぶけるというわけだ。
「嫌味野郎の多い壱番隊だけど……あいつらが早く帰ってきてほしいって、ぼく初めて心から願うよ」
「右に同じ」
紫の言葉に緑が同意する。
若い鬼の双子の兄弟は、もはや限界が近いようだった。
二人は戦いを好むところがあったけれど、それでもさすがにこれはきついらしい。
「シュカ、どこへ行く」
「息抜き……してくる。屋上だ。カズマ、監視」
コウに聞かれて、カズマの袖をひっぱる。
トイレに行くにも何をするにも、私の側にはカズマを置くように義務付けられていた。
「……」
「カズマ?」
無言のカズマを呼べば、はっとした顔になる。
立ち上がろうとしてそのままカズマは床に倒れそうになったので、その体を支える。その体はとても熱かった。
「カズマ、熱があるじゃないか!」
「こんなの……平気で……」
しかも高熱だ。なのにカズマは首を弱々しく横に振る。
「無理をさせすぎたな。悪い、俺とシュカとカズマは一旦家に戻る。俺はすぐに戻ってくるから」
コウがカズマをおんぶして、私たちは与えられた住居へと戻った。
◆◇◆
「悪いが、カズマの世話を頼めるか? 一応医者は呼んだから、見せて後にシュカも一緒に休め」
「わかった。コウは休まなくていいのか。私たちよりも長く働いてるだろう?」
「俺はまだ平気だ。伊達に修羅場はくぐってきてない」
コウはそう言って、私の頭を撫でてくる。
多少無理はしてるし疲れてるようだったけど、まだ余裕があるのは本当のことのようだった。
「事務所にいたときのコウはだらけていたのに、ここに来てからは仕事熱心だな」
「なんだ、惚れ直したか?」
言えばコウが茶化すように口にする。
鬼との戦闘中のコウは凛々しく、勇ましい。
隊長と呼ぶに相応くて、皆の中心にいるんだなというのがわかる。
なんだかんだ言われながら、皆の尊敬を集めてる姿を見ると自分のことのように誇らしかった。
「格好いいとは思ってる」
「……」
自分で聞いたくせにそんな言葉が返ってくると思ってなかったのか、コウは目を見開いた。
「できればもう一回言ってくれ。心の準備ができてなかった」
「調子にのるな。というか、らしくないぞコウ。どうして、そんなに頑張るんだ」
口づけされそうな距離にコウが近づいてきて、ぐいっと体を押し返す。
「シュカの居場所を作るために決まってる」
ふいに真剣な声が降ってきて、とくりと心臓が波打つ。
動揺した私を見てコウは微かに笑って、唇を合わせてきた。
「ん……ふっ……!」
くちゅ、と唾液が音を立てていく淫靡(いんび)でねっとりとした口づけ。
肉厚なコウの舌に口内をくすぐられると、鼻にかかった甘い息が漏れた。
コウは初めて口づけを交わした日以来、時折こうやって私を翻弄(ほんろう)してくる。
口づけられると胸が高鳴り、体に力が入らない。
ベッドで寝てるとはいえ、カズマがそこにいるのに。
羞恥心と同時にいけないことをしているという気持ちが湧き上がって……興奮してしまっている自分が嫌だった。
「たまらないって顔してるな。すっかり俺とのキスを覚えたか」
「そんなんじゃな……んむっ」
嬉しそうに言うコウの胸を非難するように叩けば、押さえるようにぐっと力を込めて体を密着させられた。
言葉を塞ぐように、コウの舌が私の舌に絡んでくる。
ドアを叩く音がして、医者が入ってきて。
コウはようやく私を解放してくれた。
医者を部屋に通せばカズマは起きた。
その言葉に頷いて言う通りに喉を見せたりしていたけれど、条件反射的なものであまり意味も理解してなさそうだった。
診断は、過労からくる風邪だ。
《贄人》も風邪をひくんだなと医者に言えば、体のつくりはそう人間と変わらないから病気もするらしい。
「大病にかかることはないんだけど、風邪や腹痛、過労で倒れることはあるよ。あまり知らない《贄人》が多くて、無茶しちゃったりするんだよ。というかここ最近は倒れるやつ多すぎ」
毒物を盛られて中毒になっても、首を絞められて呼吸困難になっても、《贄人》の体調はしばらくすると元に戻るらしい。
「私たちは死ねないけど、そのあたりは厄介なんだ。長引く場合は一度仮死状態にすると病状が治って、体が初期状態になるよ。人間みたいに病にかかるわりに、人間じゃないんだよね私たち」
医者自体も《贄人》らしく、慣れた様子でそう説明してくれた。
コウが戻ってしまったため、濡れたタオルを絞り、カズマの体を拭いてやる。
服を着替えさせて、お粥を作った。
まだカズマは寝てる。寝かせておいたほうがいいだろう。
性格からすると、起きてすぐにカズマは仕事に戻りそうだ。
それを防ぐためにベッドに一緒に寝かせてもらうことにする。
一人用のベッドといえどわりと大きいので、そこまで体格が大きいわけじゃない私とカズマの二人が寝ても問題はなかった。
しばらく寝て衣擦れの音で起きれば、カズマが上半身を起こしていた。
「起きたんだな。お粥食べるか?」
「……はい」
まだぼーっとした様子だったけれど、カズマが頷く。
椀によそって渡せば、思いのほかいい食べっぷりだったので、おかわりのお粥を入れてやる。
この調子なら大丈夫そうだ。
「お腹すいてたのか?」
「そうみたいですね。忙しすぎて、結構前から食べてませんでした」
ありがとうございますと食べ終わった椀を渡しながら、カズマが申し訳なさそうな顔をする。
「それじゃ体を壊す。果物もあるから持ってきてやる。ちょっと待ってろ!」
「……ありがとうございます、シュカ」
背中にかけられた声は、柔らかくて。
私がよく知ってるカズマの声だった。
◆◇◆
「鬼たちの中にいると、どうにも食べるタイミングを逃すんですよね。あの人たち基本血さえあればお腹空かないみたいですし、食事も人より回数が少ないですから」
果物を食べながら、まるで私に同意を求めるかのような愚痴をカズマがもらす。
その態度はコウの事務所にいたときのような親しげなもので。
それが嬉しくて、私自身鬼なのに、ついわかるよなんて相槌を打ってしまう。
「それにしても、いつまで続くんだろうなこの忙しさ」
「そこが問題ですね。ぼくたちだけでなく他の隊も忙しすぎて大変みたいですし」
二人して溜息を吐く。
「いつもこんな感じだったのか《役人》は」
だからコウにバイトを頼みにきてたのかなと思って、尋ねればカズマが苦笑いする。
「さすがにここまでではないですよ。今回は特別です。《鬼もどき》の事件が解決せずに一年以上が経って、不安が募ったところにこれですからね」
そこまで言って、カズマはむいたミカンを私の口に入れてくれる。
ミカンは甘い味がして、思わず顔が綻んだ。
まるで昔に戻ったみたいだ。
つい三ヶ月くらい前まではこんな風にカズマと過ごしていたのに、物凄く遠い日のことに思える。
「なんで笑ってるんです?」
「カズマが優しいから」
言えばカズマは目を見開いて……それから何か言おうと口を開き、目を逸らしてしまった。
口にして後で、言わなければよかったと思う。
そうすればもう少しカズマはこのままでいてくれたかもしれない。
「カズマ、あのな」
できれば今みたいに接してほしい。
自分がカズマの嫌いな鬼だということくらいわかっている。
でも諦め切れなくて願いを口に出そうとすれば。
「ボクは鬼が嫌いです。どうしても、許せない」
カズマが視線を合わせることなく、そう言い放った。
――拒絶されてしまった。
そうやって願いを口にすることさえ、許してはくれないのかと悲しくなる。
「でも、ボクはシュカが好きです。鬼は嫌いですが、シュカは……どうしても嫌いになれない。鬼なのに、憎まなきゃ……いけないのに」
苦しそうにカズマは口にして、血が滲むほどにぐっと手を握り締める。
葛藤しているように見えた。
「シュカの過去のことも聞きました。人や《贄人》を恐怖に陥れた鬼だと。嫌うに値する内容でした。でもボクの中で、その鬼とシュカは結びつかない。世間知らずで楽天家で。先輩と一緒にあの事務所でくだらないことで笑い合う日々が――ぼくは結構好きだったんです」
ゆっくりとそこまで口にして、カズマは私と目を合わせた。
仕事中のカズマは、『こんたくと』をしていないから金色の瞳だ。
再開してからずっと冷たい色をしていた金の瞳が、温かみを帯びていて。
目の前にいるのが、私の好きな生真面目で優しくて、少し厳しいところのあるカズマなんだと教えてくるようだった。
「何度も言うようですがボクは鬼が嫌いです。でも――シュカは嫌いじゃない。つまりその……鬼が嫌いという気持ちより、シュカが好きという気持ちの方が強かったというか」
もごもごと、いつも何事も白黒つけるカズマが言葉を濁す。
「とにかく、今のこの状況が嫌なんです! ボクが一方的に酷い態度を取りましたから、許してほしいとは思ってませんし、すいませんが悪いとも思ってません。だから謝ったりはしません」
「はぁ」
カズマの話は長くて、何が言いたいのかよくわからなくて、気の抜けた相槌を打つ。
不満そうな顔をカズマはしていた。
「本当鈍いですね。ボクは、仲直りしようって言ってるんです」
ふてくされたような顔で、ちょっと偉そうにカズマは言いながら手を差し出してくる。
思わず目を見開けば、ふいっと顔をそらしてしまったけどその耳は真っ赤だ。
「昔みたいに接してくれるのか?」
「……シュカが望むなら。嫌われるようなこともしましたし、強制はするつもりはないでけどす」
カズマの言葉に、胸の奥から嬉しい気持ちが溢れてくる。
「カズマっ!」
「うわっ!」
嬉しすぎて思わず抱きつき、ベッドの上に押し倒す。
ぎゅっと抱きつけば、カズマが頭上で笑った気配がした。
「本当、相変わらず馬鹿力ですね。ボクの骨、折らないでくださいよ」
「善処する」
嫌味のようにいいながらも、カズマは私をどけようとはしなかった。
ただ背中を撫でてくれる。よしよしとあやすように。
答えるようにさらに腕に力をこめれば、しかたないなというようにカズマが笑った気配がした。
「本当、シュカって大げさですよね」
耳に柔らかいカズマの声は、どこか嬉しそうで。
あの日から行方不明だった私の日常が、ようやく帰ってきた気がした。
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