第19話 境界の揺らぎ

「シュカ、出動するぞ。大きな境界の揺らぎが発生する可能性がある」

 コウに声をかけられて本を閉じる。


 鬼の世界とこの世界の境界線は、夕方になると曖昧になる。

 逢魔おうまが時――日が暮れて闇夜が訪れるその時間帯になると、境界線の綻びが出来やすくなるのだ。

 普通の人には目には見えない境界線。

 でも境界線の揺らぎがどこかにできていると、鬼である私には感じられる。

 それは《贄人にえびと》も同じで、なんとなく境界線の揺らぎは感知できるらしい。


 境界の揺らぎが感知できるほど大きくなる前に、その場所を予測できる術者たちが《役人》の中にはいるとのことだ。

 彼らが予測した場所の境界を強化するという作業を、これから行なうらしい。

 鬼が境界線の揺らぎを裂いてこちらに現れる前に、境界線を正して来れなくしてしまおうというわけだ。

  

 番隊からは、コウと私とカズマの三人が作戦に参加することになった。

 『ばす』に乗り、移動する。

 私たちの制服が黒で赤のラインが入っているのに対し、乗り合わせた他の隊員の制服は白で青いラインが入っている。

 それでいて全員が見目麗しい女性ばかりだった。


「なぜ彼女たちは、私たちと制服の色が違うんだ?」

「ボクたちは攻撃部隊で、彼女達は境界補正部隊だからです。むこうの世界からこちらの世界へと鬼がこないよう、境界を正すのが彼女たちの役目となっています。《役人》には他にも色々な部隊が存在しています」


 前の席に座っているコウに尋ねたつもりだったのに、隣の席にいたカズマが答えてくれる。

 喋ってくれるつもりはないかと思っていたので、少し驚いた。


「何も知らないで足手まといになられても困りますから。業務上のことで聞きたいことがあれば教えます」

 私の考えを読んだかのように、カズマは答える。

 こっちの方はいっさい見ないで、前を見つめたまま。

 それでもカズマが喋ってくれるのが嬉しい。


「普段なら境界線の揺らぎを正す作業は、ボクたち弐番隊が出るものではありません。弐番隊は鬼との戦闘が絡む際に、出動することが主です」

 この世界に鬼が入り込んだ時や、もしくはすでにこの世界に潜伏している鬼が問題を起こした場合。

 戦いがありそうなときに、弐番隊は主に出動するらしい。


 鬼が人の姿をし《贄人》に紛れてしまえば、区別することは難しい。

 鬼を簡単に判別できるのは鬼だけ。

 鬼なら鬼の気配を追うことが容易い。

 そういう理由で弐番隊の鬼が先攻して鬼を確保し、他部隊に戦闘を引き継ぐというパターンが多いとのことだった。


「まぁ《贄人》でも、相手が鬼かを判別する方法はあるんですけどね。ボクが以前あなたに使った術符じゅつふがそうです。あれは鬼かどうかを判別するための、特別制なんですよ」

 私がコウを襲った時に、カズマが放ったあの術符。

 あれは特に鬼だけに効くよう、カズマが編み出したものらしい。

 何か他に質問はと聞かれて、口を開く。


「今回は戦闘ではないのに、どうして呼び出されたんだ?」

「予測された境界の揺らぎが大きすぎるからです。もし揺らぎを正すのが間に合わず、鬼が出てきた時のためにボクたちは呼ばれたんですよ」

 私の質問にカズマは答える。


「この人数と術者の面子だと、出番はなさそうだがな。念のためってことだ」

 コウが私とカズマの方を振り返って、周りのやつらの階級章を見てみろと言う。

 同乗者たちを見渡せば、皆星の飾りを胸に一つか二つもっている。

 首輪についている星の数と同じだけ胸に飾り――階級を示す階級章をつけているのだけれど。

 つまり彼女達は、それ相応の実力者ということらしかった。


「……向こうの世界から引きずりだして、鬼なんて全部殺してから、境界を閉じればいいのに」

 低く、低く、恨みのこもる声が横から聞こえた。

 カズマは私が鬼だと判明した日に見せた表情と同じ、暗い――底冷えのする目をしていた。


「カズマは、どうしてそんなに鬼を恨んでいるんだ」

 聞いてはいけないような気がしていたけれど、気になった。

 口にすれば、カズマのまとう空気が氷の刃のように尖る。


「鬼がボクから大切なものを全て奪ったからです。《贄人》が戦う理由なんて、そんなものでしょう?」

 そう言ってカズマは、また黙り込んでしまった。



◆◇◆


 境界線の揺らぎが発生したのは、とある高校の校庭のようだった。

 すでに他の《役人》や警察が人払いしていた。

 鬼が出るかもしれないではなく『特異災害』が起こるかもしれないという名目で、人々は避難させられているようだ。


 鬼が巻き起こした被害の多くは、『特異災害』として基本的には処理される。

 『特異災害』はいきなり起こり、巻き込まれたら命の危険がある。

 空間のねじれによる振動率というよくわからないモノを、テレビで偉い学者さんたちが口々に引き合いにだしてソレっぽく話を作り上げているらしい。

 一般の人々はそれを信じていて。鬼の存在を知らないまま、鬼に関わるものが巻き起こす被害は、全て『特異災害』だと思い込んでいるようだった。


「でも鬼を目撃したり、遭遇したりする人もいるんじゃないのか」

「そういう場合は、黄鬼とその《贄人》たちで構成される《忘却ぼうきゃく屋》に頼むことになってるんだ。そいつらは《役人》じゃないが、国と取引をしてるんだ」

 質問すれば、コウが答える。

 黄鬼は鬼の中では穏健派らしく、この国で暮らす代わりにそういった情報操作を引き受けているらしかった。


 目の前では補助部隊の子たちが、詠唱の準備をはじめている。

 少し目線を上げる。

 空中に薄く光が揺らめいていた。

 あれが境界の揺らぎらしい。

 確かに不思議な気配のようなものを感じる。

 

 空の色が茜色に染まるにつれて、揺らめきは大きくなる。

 後ろにある校舎がすっぽり入るほどの揺らぎ。

 ゆらゆらと蜃気楼のように揺れるそれは、まるで膜がそこに張られているみたいにみえた。

 しゃぼんの膜に似ているなと、その色合いを見て思う。


 彼女たちはこのゆらゆら揺れる膜を固く、強固なものにしようとしている。

 膜の前にいくつもの光の陣が展開され、まるで窓に板を打ち付けているがごとく、膜を強化しているようだ。

 術が完成すれば光の陣は膜に吸い込まれ、その部分は揺らがなくなる。

 それを繰り返していくことで、境界を正すのだろう。


 しかし、まるで向こう側から押されているように、膜がこちら側へと大きく膨らんだりしている。

 その振動で、陣が完成して膜に強度を与える前に壊されていくのが目に見えた。


「まるで何者かが意志を持って、向こう側から膜を破ろうとしているみたいだな」

「その通りだ。境界が柔らかくなっている部分を狙って、鬼は破ろうとしてくるからな。裂け目が大きいほど、この世界へ通りぬけてくる鬼の力の総量が大きくなる」

 私の感想に、コウが頷く。

 特に今の所私たち弐番隊にやることはなく、その場に待機していた。


「しかしこれはまずいな。裂け目の向こう側からの力が強い。破れそうだ」

「……そうですね。破れてしまいそうです」

 コウは意味ありげにちらりとカズマへ視線を寄越す。

 カズマはその視線に気付いているようだったけれど、あえて淡々と返したように見えた。


「カズマ、お前手伝ってこい」

 コウが言えばカズマが不満そうな顔をする。

「隊長命令だ」

「……わかりました」

 強い口調でコウが言えば、カズマは渋々と言った様子で境界補正をする部隊に加わった。


 手を空に向けてカズマが翳せば、一際大きな光の陣が膜の前に展開された。

 術符の才能に長けるカズマは、境界補正の腕前もかなりのモノなのだという。

 描かれた陣の大きさからしても、カズマはもしかすると専門職の彼女達よりも腕がいいのではないかと思えた。


 しかしそれでも苦戦しているみたいで、境界の揺らぎは直らない。

 まるで風にはためく日除け布のように膜は揺らめき、動きがどんどん大きくなる。


「境界を正すことは、私やコウにはできないのか?」

 眉を寄せているコウを見上げる。

 するとコウは首を横に振った。


「術を得意とする青鬼や、青が混じる紫や紺の《贄人》が境界を正す作業には向いてる。赤鬼は基本的に術はあまり得意じゃない……こういう術は繊細さが求められるから、和を乱すだけになる」

「なるほど、適材適所ということか。コウは見るからにガサツそうだもんな」

 納得すれば、コウが私に何か言いたげな視線を向けてくる。


「青鬼の血族の《贄人》は繊細な奴が多く、赤鬼は感情的で血の気が多くて、戦闘狂な奴が多い。性格によって鬼の血との相性がある。赤鬼は元々細かい作業に向いてないやつがなることが多いんだ」


 だからこそ先生は、青鬼である自分の血と、赤鬼である私の血の二種類で《贄人》を作っていた。

 その人にどちらの鬼の性質があるかで使い分けていたのだと、コウは口にする。

 へぇそうなのかと思ったところで、コウが私の鼻先を指で押し、悪戯っぽく笑う。


「つまりは俺の主であるシュカは、俺以上に繊細さに欠けるということだ。シュカにだけは言われたくない」

「なんだその結論は。コウよりは私の方が几帳面だし繊細だ」

 むっとした私に、コウは肩をすくめる。

 おどけた動作を取りながらも、コウの手は腰の刀へと動いていて。

 その気配が研ぎ澄まされていくのを肌で感じた。


「料理作るとき、切り刻んだまな板ごと入れたやつが何を言う」

「魚や肉でダシがでるなら、植物である木のまな板からもダシが出るかもしれないと思ったんだ!」

 言えばコウは笑う。

 緊張を解すかのようなやり取りの中、境界の揺らぎが大きくなっていく。


「いや……さすがにそれはない。というか、まな板を植物に加えるところが雑すぎるだろ」

「毎日パンの耳ですますコウよりマシだろ!」

「あれは金がなかっただけだ」

 腰の刀を抜き、コウと言い合いをしながら、境界へと歩く。

 もう境界が破られそうだと、私もコウも気づいていた。

 

 水面に浮かんだ布に、ボコボコと大きな気泡をぶつけたかのように、膜が激しくうごめきを増す。

 瞬間卵の殻が割れるみたいな亀裂が膜に走り、ガラスが砕けるような音と共に膜が目の前ではがれ落ちていった。

 夕闇の空の真ん中に大きな裂け目。

 向こう側には深い闇が見えた。


「構えろシュカ。本当は見学だけしてもらうつもりだったが……そうも行かなさそうだ」

 コウが呟く。

 裂け目から出てきたのは、橙色の髪をした二十代後半の青年。

 濃い橙色をした角は長く、和服を着ていて端正な顔立ちをしている。

 無表情で私たちに向かって歩いてきていた。


 私の感覚が彼を鬼だと告げる。

 それでいて、彼の瞳は鬼や《贄人》特有の金色ではなく――血のような紅色をしていた。


「赤眼の《鬼もどき》と同じ、瞳の色だわ。もしかして、彼が主なのかしら」

「でも体の色はマーブルじゃなくてオレンジよ?」

 境界の補正に失敗し、私たちより後方へ移動していた隊員たちがざわめきだす。

 一番先に動いたのはカズマだった。


 カズマが術符を放てば、短冊のような紙が蛇に化ける。

 それが鬼の体を拘束した。

 戦闘要員でない境界補正部隊が、その場から逃げ去って行く。

 鬼は抵抗する様子も見せずに、虚空をただ見つめていた。


 刀を抜いてカズマはためらいなく鬼の首を横から切ろうとする。

 しかしその刀は止められてしまった。

 もう二体、鬼が裂け目から現れたのだ。


 今度は別の色の鬼で、緑色と茶色。

 どちらも紅い眼をしていた。

 その鬼たちが、橙色の鬼を術符から解放する。


 すかさず私やコウも鬼との戦いに加勢した。

 初めての実践での、鬼との戦闘。

 恐怖はなかった。

 ただ、戸惑いがあるだけだ。


「コウ、鬼とはこんなものなのか!」

 長い爪で茶色の鬼が私を切りつけてくる。

 それをかわしながら、刀で応戦する。

 切りつけられても鬼は顔色一つ変えはしない。

 まるで人形のように、鬼は攻撃を繰り返してくる。

 そこに意志のようなものは何も見られなかった。


「いや様子がおかしい! まるで操られてるみたいだ!」

 私が受けた印象を、コウも受けていたらしい。

 緑色の鬼と戦っていたコウが、そう返してきた。

 

「先輩もそう……思いますか! こいつら金じゃなくて、紅い目ですし。街に現れる赤目の《鬼もどき》と……関係がありそうですね!」

 鬼と切り結びながら、カズマが答える。


 一体一体はそう強くない。

 ただ、裂け目から次から次へというように、鬼が入ってくるのだ。

 色んな色の鬼がぞろぞろと。

 以前鬼は同じ色でしか群れないのだと、聞いたような覚えがあったけれど……これはどういうことなんだろうか。


「カズマ、広範囲の攻撃術を使え! 詠唱中は俺とシュカが護る!」

「わかりました!」

 埒があかないとコウが指示する。

 鬼たちは逃げることはなく、私たちを殺そうとしてくる。

 私とコウはカズマを背に護るようにして、鬼たちに対峙した。


「先輩、シュカ、もっとボクの近くに!」

 詠唱を終えたカズマの言う通りにすれば、私たちの回りをぐるりと囲うように地面に光の陣が展開して発動する。

 光によって描かれた複雑な文様。

 それに触れた足元から、鬼達の体に青の炎が灯り焼け爛れて、やがて鬼たちは黒こげになって沈黙した。


 何体か生き残ったやつを始末し、境界をしっかりと引きなおして。

 私の怒涛の初出動は幕を閉じた。

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