第17話 コウのモノ

 支給された自分の制服を手に取る。

 黒を基調とした制服は詰襟で、腕や首、肩の部分に弐番隊のカラーである赤が使われている。

 男性隊員と女性隊員ではデザインが異なっていて、私の服は当然のように男性用のものだった。


 私は今まで男の《役人》しか見たことがなかったけれど、実をいうと《役人》は男より女が多いらしい。

 鬼が《贄人》にしようとするのは、子を産ませるのと血の関係から女が大多数。それを考えれば当然のことかもしれなかった。


 それでいて、男の《贄人》は少なくその多くは古い時代の《贄人》。

 つまりは先生によって鬼にされた者ばかりだと、コウから説明をうけた。

 そういう事情からか、俺以外の男には気を許したり近づいたりするなとコウに念を押された。


 女の鬼だとばれたらやっかいなのは、過去の私も今の私も同じ。

 ここでも男として振舞うように、《役人》の長である雪村から言われたこともあり、わかったと頷けばコウは満足そうに頭を撫でてくれた。


「やっぱ軍服は慣れねぇな。もっとラフなやつを制服にすればいいのに。アロハシャツとかさ」

 黒を基調とした詰襟の服を着て、コウが面倒くさそうな顔をする。

 しかしさすがにアロハシャツだとただのゴロツキに見えるから、それでいいと思ってしまった。

 普段くしゃくしゃだった髪にハサミを入れられ、身なりを整えたコウはわりと男前だ。

 太めの眉が凛々しく、しっかりとした顔立ちをしている。

 ふだんこんな顔が前髪に隠れていたのかと、少し残念に思う。

 きちんとして、黙っていればそれなりにコウはもてそうだ。


「ほらシュカ、お前の刀だ」

 手渡されたそれは、ずっしりとした重み。

 刀身はあまり長くなくて、柄を握れば手にしっくりときた。


「昔私が使ってたものか」

「記憶があるのか?」

「いや、なんとなく馴染むからそう思っただけだ」

 刀を腰に差して、コウと向かった先は番隊という板がかかった部屋だった。


「シュカ、少し離れてろ」

 何故か腰の刀に手を添えて、コウが指示してくる。

 不思議に思いながらも下がれば、コウは勢いよく足で蹴って両開きの扉を開けた。

 瞬間、炎がこちらに向かって襲い掛かってくる。

 

「ちっ、やっぱりか」

 それをしゃがんで避けたコウをめがけて、刀が突いてくる。

 コウはそれを一旦床を蹴って後ろに下がり回避すると、刀で攻撃をしてきた少年に切りかかった。

 そのコウの後ろに、別の少年がまわりこむ。

 背中を切りつけようとした彼の刀を、コウは見ずに小刀で受け止める。


「さすが隊長!」

 少年たちが声を合わせてコウを賞賛する。

 金属を打ち鳴らす音。

 コウに攻撃してきた二人組みは、十八歳くらいでどちらも楽しそうに笑っていた。


「物騒な挨拶だな」

 一通りやりあって、コウがそう言って笑えば、少年二人が刀を下ろす。

「僕たちなりの歓迎だよ、隊長!」

「おかえりなさい!」

 何だか癖がありそうなやつらだなと、そんなことを思った。



◆◇◆


 いきなり攻撃をしかけてきた少年二人は、過去の私のことを知らないらしい。

 緑と紫の鬼らしく、興味津々という様子で私に絡んでくる。

 この隊には、新入りが長らくいなかったらしい。


「いやー皆根性ないんだよね、そう思うでしょ緑」

「だよね、根性なさすぎだよ紫」

 ニコニコとしてる少年たちは、改造を施した制服を着ていて。

 制服の袖のラインや下の服が髪の色と同じで、互いの事を色で呼び合っている。


 顔は違うけれど背格好は一緒。

 髪型は同じで、仕草や喋り方がよく似ていた。


 首輪には星が三つ。

 つまりはどちらも《贄人》でなく鬼。

 てっきり《役人》の中に鬼は、特殊な事情の雪村しかいないんじゃないかと思いこんでいた。


「《役人》の多くは《贄人》だが、弐番隊はだけは鬼の《役人》が主だ。だから《役人》の中でも特別浮いてる」

 コウの言葉に、弐番隊の副隊長を務める蘇芳すおうが曲者が多くて大変と言っていた意味を察する。

 ただ、弐番隊の攻撃力はどの隊よりも大きい。

 先陣を切ったり、強い鬼との戦いに出たりと出動要請も多いため、いつだって人手不足との事だった。


「まぁつまり、鬼だからこき使ってもいいだろって部署だ」

「酷い話だな」

「けど、ここにいる連中は大体戦闘狂ばっかだから、それなりに皆満足してるんだよ。ただし、新人はなかなかこないけどな」

 素直な感想を言えば、コウは肩をすくめる。


「ねぇねぇ、隊長。新人さん、試していい? 僕たちがテストして駄目だったら、どうせここでやっていけないしさ」

「いいでしょ、隊長? それとも隊長が久々に相手してくれたりする?」

 緑と紫の子が、そんなことを言い出してコウにおねだりする。


「まぁいいだろ」

 部屋の中で一番大きな机に座っていたコウは、それを了承してしまった。

「わぁいやった! いっぱい切り刻もうね、緑!」

「楽しみだね紫。早速順番を決めなきゃね!」

 少年たちは嬉しそうに手を繋いで、飛びはねだす。


「おい、コウ! 何を考えてるんだ!」

「シュカの力量を測るには丁度いいからな。雪村の奴がテストをする予定だったがそれが省けて、こいつらを従わせるいい機会だ。こいつら自分より強い奴にしか従わないしな」

 抗議すればコウはあっさりとそんな事を言って、戦いの舞台を用意してしまった。



◆◇◆


「コウ、私は刀を使ったこともなければ、術も使えないんだぞ?」

「大丈夫だ。あの程度いざとなれば、シュカは刀を使わなくても倒せる。刀の使い方だって体が覚えている。思い出せばいいだけだ」

 試合前、個室で二人っきりになって問い詰めれば、コウは私の前に膝をついて、詰襟を外す。

 首筋を私にさらしてきた。


「大丈夫だ。血のままに動けばいい。やりすぎたら俺が止めてやる」

「……やられる心配はしてくれないのか」

「ありえないからしない。ほら、吸え」

 頭を手で優しく押さえられ、口にコウの首筋が当たる。

 ごくりと私の喉が鳴った。


 アオの家にいる時は、用意されていた血のパックを飲まされていたから、コウの血を飲むのは久々だ。

 自我がある状態で、自分からコウのを飲むなんて初めてで。

 妙な気恥ずかしさを覚える。


「それじゃ、失礼して……」

「んっ……」

 恐る恐る牙を立てれば、コウが痛みのためか気持ちよさからか声を漏らす。

 ぷつりと皮膚を貫く音と共に、甘い味が舌に広がった。

 こくりこくりと音を立てて嚥下(えんか)するたびに、体の隅々に力が行き渡っていくようで。

 脳が興奮して、白く染まっていくのが分かる。

 やっぱり――コウの血は、美味しい。


「っ、これくらいに……しとけ。《贄人》だから血はすぐ回復するが、貧血にならないわけじゃないからな」

 肩を押されて首筋から引き剥がされた。

 

 息が荒くて、目元を赤く潤ませたコウは驚くほどに艶っぽい。

 煽られるような気持ちになって。

 もっとそんな顔をさせたい、血を吸って泣かせたいと――そんな事を考えている自分に気付いて愕然とする。


「悪い……飲みすぎたか!?」

「そんなに動揺するな。大丈夫だから。大体俺の血は、シュカに飲まれるためにあるんだ」

 我に返れば、当たり前のことのようにコウは言う。

 

「……なんでそんな落ち込んだ顔をしてる?」

「そんなことを、コウに言わせてしまっている自分が情けない。記憶はないが、私がコウを無理やり《贄人》にした。エサとしてコウを見ているわけじゃないけれど、糧としてしまっているのは事実だ。悪かったと思ってる」


 思い出すのは、あの日私の手の中でくったりとしたコウ。

 私は慕っていたはずのコウをエサとして認識して、その血を思う存分、遠慮なく啜った。

 今もまた、コウの血に理性を失って、同じ事をしようとしていた。


「もう気にしてないって言っただろ。それに今のはそういう意味じゃない」

 謝れば、コウが困ったように自分の髪をかく。


「俺の全部は……シュカのものだって言いたかったんだ」

「うん……悪かった」

 少し怒ったような声で言われて、さらに落ち込む。

 コウをこんな体にしたのは記憶がなくても私なのだから、責められて傷つく資格なんてないのはわかっている。

 けど、そう面と向かって言われるとやっぱり堪えて、顔を伏せた。


「やっぱりコウの血は危険だ。今度から飲まない」

「シュカお前、絶対わかってねぇよな……俺の言葉の意味」

「わかっている。コウは怒っているんだろう。私に出来ることなら何だってするし、その体にした責任は取るつもりだ」

 苛立った声で言われて、余計にコウの顔が見れない。

 せめて今の私にできることは、コウの言う通りにして、緑と紫の子に認められることだ。


「では行ってくる」

 早々に立ち去ろうとすれば、ぐっと手首を握られた。

「ちょっと待て。ちゃんと傷を治してから行け。からかわれるし、血が止まらないだろうが」

「そ、そうだったな!」

 私としたことが忘れていた。

 手を引かれて振り向けば、後頭部を押さえられて。

 コウの唇が私の唇に重なった。


「っ!?」

 目を見開く私を、コウの金色の目が見ていて。

 胸を突っ返そうとしたのに、それをふせぐように手を握られて、舌を口の中にねじ込まれた。


 むさぼるように舌を絡め取られ、全部を味わわれるような口付け。

 熱い舌で口の中を舐められ、擦りあわされると、ぞくぞくとした感覚に泣きそうになる。

 コウに食べられている。

 そう思えば、心臓がうるさく音を立てて、体の奥が熱くなった。


「……んぁ、なんで、コウ?」

「なんで、じゃないだろ。これでもわかんないのか?」

 コウの瞳が私を映す。

 いつもと違う、熱を帯びた真剣な顔はどこか怒ってるようにしかめられている。


「俺の全部はお前のものだ。心も、体も、血の一滴さえも。だから、お前も俺のものになれ。アオのでも誰のでもない――俺だけのシュカに」

「コウ、それは……んっ」

 口を開こうとすれば、封じられるようにまた口付けをされる。

 都合の悪い言葉は聞きたくないと言うように。


「好きだシュカ」

 直接的な言葉に、体の血が沸騰したような感覚がした。

 今まで感じたことのない、高揚感。

 不自然に早鳴る心臓の音とこの異変を、真っ直ぐなコウの目に見透かされてしまいそうで、恥ずかしくて逃げ出したくなる。


「……で、でも待ってくれコウ。私は記憶がない。お前が好いてくれてるのは嬉しいが、それは私であって私でないというか」

「俺が好きなのは、今目の前にいるお前だ。過去も、それを忘れてしまってることさえも。一緒に過ごしたこの一年も全部ひっくるめて、今のシュカが好きだ」

 後ずさりすれば、壁際においつめられる。


「なぁシュカ。シュカは俺が嫌いか?」

「嫌いなわけないだろう!」

「なら、好きか?」

「……そんなの、わかりきってることだろう!」

 耳元で囁かれると、背筋が撫でられてるような妙な感覚が走る。


「ちゃんと言葉にしろ、シュカ。俺だけがこんな気持ちみたいで、寂しいだろ?」

 悲しげにコウは囁く。

 でもその表情は楽しそうで、私が困っているのを楽しんでいるみたいだった。


 翻弄するようにまた口付けてくる。

 アオとした時のように、血を飲ませるとか嫌がらせとか、そういう意図のない口付けは、ただ私を可愛がるかのようで。

「好きだ、シュカ」

 大きな手を髪に差し込まれて、撫でられながらすれば――たまらなく気持ちよかった。


 ぼぅっと頭が霞みゆく中、好きというコウの言葉だけが頭の中を巡る。

 繰り返されて、刷り込まれて。

 ふわふわと満たされていく。

「コウ……す」

 それを口にしようとした瞬間、激しくドアを叩く音で、意識が引き戻される。


「ちょっといつまで待たせるんだよ! 準備に時間かかりすぎ!」

 緑の声で、こんな事をしている場合じゃなかったと気付く。

「今す」

「必勝法を授けてるんだ。お前達も手ごたえがあった方が楽しいだろ? もう少し時間がかかる。待っててくれ!」

 今すぐ行くと言おうとすれば、コウに口を塞がれた。

 緑は隊長が言うならと去って行く。


「ほら、今言おうとしたことを言え」

「……嫌だ。流されるところだった。全くコウはスケベだ。あんな口付けで惑わそうとするなんて」

 催促されて恥ずかしくなって、顔を背ける。


「別に流されてくれてもいいんじゃないか? ここまできてお預けはなしだろ」

「そういう事は……ちゃんと言いたい。気持ちの整理がついてから、言わされるんじゃなくて、自分の言葉で言う」

 溜息を吐いたコウにそう言えば、頑固だなと頭をくしゃくしゃと撫でられた。


「じゃあ、今は言葉じゃなくていい。シュカからしてくれれば、それだけで頑張れるから」

 コウが自分の唇を、指でトントンと叩く。


「そ、そんなことできるわけないだろう!」

「なんでだ? アオとはわりと平気でキスしてたよな? 積極的にしてたくせに、何で俺だと駄目なんだ?」

 慌てて言えば、すっとコウの目が細められる。

 剣呑な光が宿って、アオとキスをしていた日の残酷なコウが思い起こされて、ヒヤリとした。


「アオとのあれはいやらしくないからいいんだ。でも、コウのは駄目だ。いやらしいし、変な気分になる。恥ずかしいし、心臓がおかしくなって壊れそうになるんだ!」

「へぇ……?」

 必死に訴えたのに、コウは面白そうに笑う。


「アオとはキスしても、いやらしくならないし、ドキドキもしなかったのか」

「そうだ。これもそれも、コウがスケベな口付けをしてくるから悪い。私のせいじゃなくて、全部コウが悪いんだからな!」

 ニヤニヤするコウに、反省しろという意味をこめてそう言えば。


「そうだな。俺が悪い」

 嬉しそうにコウはまた、唇を重ねてきた。

「あ……ん、ふぅ……コウっ!」

 駄目だって言ったのにという言葉は、コウの舌に絡め取られて消えた。

 コウの手が私の胸の上に乗る。


「本当だな。シュカの心臓、壊れそうだ」

 人が苦しい思いをしてるのに、コウは嬉しそうに笑う。

 そんなの確かめないでほしかったのに、言われて羞恥心が大きくなった。


「コウ、なんでこんな意地悪するんだ……!」

「意地悪なんてしてないだろ?」

 涙目で睨めば、柔らかくくすぐるように、コウの舌が口の中をなぞる。

 コウのその動きはまるで、優しくしてると主張するようだったけれど。

 気持ちいいに似た未知の感覚に苛まれて、怖くなるばかりで、虐められているのと変わらない。


「コウ……」

 ゆっくりと唇が離れて行って、名前を呼べば。

 つながりあった部分の唾液の糸を切るように、コウの親指が私の唇をなぞった。


「今度は手放したりしない。お前の心も何もかも……ちゃんと護るから。だから、シュカも俺から離れないって約束してくれ」

 そう言ったコウの声は、苦しそうで。

 肩に手を乗せてくる手は、心なしか震えている気がした。


 コウは、一度私を失っている。

 もう繰り返したくはないと、願ってるみたいだった。


「離れるも何も、側にいてもいいのなら。私は……コウの側にいたい」

 伝えられる今の気持ちを言葉にすれば。

 ちゅ、と音を立てて口付けが額に降ってくる。

 それは頬に、唇にと落ちて、最後は首筋を強く吸った。


「っ! コウ!」

「別にいいだろ、これくらい。シュカは俺の血をいっぱい吸ってるんだからさ」

 真っ赤になって言えば、コウがようやく私を解放して、悪戯っぽい口調でそんな事を言う。

 でもその顔は普段とは少し違っていて。

 赤い私の顔を、蕩けるような優しい目で見ていた。

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