第14話 選択肢
コウとアオのあとを私も追おうとしたけれど、窓に触れようとすればバチッと静電気が指先に走ったような感覚があった。
おそらくは私が外に出れないように、アオが何か細工したんだろう。
つまりは邪魔するなということらしい。
二人のことは気になったけれど、先に寝ることに決める。
アオがいつも使っているアジトのベッドよりは小さめだけれど、それでも大人二人は余裕で眠ることができそうだ。
隣にアオの分の空白を開けたところで、眠りにつく。
どれくらい経っただろうか。
ふいに体が揺さぶられているのに気付いて、うっすらと目を開ける。
「トワ、起きろ」
耳に音がゆっくりと戻ってきて。
名前を呼ばれてるということに気付くのに、少し時間がいった。
部屋の中は暗い。
まだ夜のようで、誰かがベッドの横に座ってる。
ゆっくりと上半身を起こして、そちらを見れば。
知らない男がそこにいた。
筋肉質な体の大柄な男は、歳の頃三十後半と言ったところだろうか。
アオが妖艶な色気を持つとするなら、この男は男らしい色気に溢れていた。しっかりとした眉と、鋭い眦。隙のなさを感じさせる。
右目の黒い眼帯は、前髪に少し隠れていて。
残った金色の眼が私を真っ直ぐ捕えていた。
「誰だ……お前?」
「お前の記憶を封じた者だ。そろそろ知りたがってる頃じゃないかと思ってな」
低く、背筋を震わせてくるような声。
「……お前が、私の記憶を封じたのか?」
「そうだ」
尋ねれば男はあっさり頷く。
起き抜けで頭が上手く働かない。
ここはアオの隠れ家の一つで、コウとアオが戦うために外に出てしまって。私は一人先に寝ていたはずだ。
結界が張り巡らされていたはずなのに、この男はどうやって入ってきたんだろう。
一体何者なのか。
そもそもどうしてこの見計らったような状況で姿を現したのか。
「……アオとコウは?」
「あいつらなら遊びに夢中だ。だから入ってこれた」
淡々と表情を動かすことなく、男は口にする。
どうやら二人はまだ戦っているらしい。
壁掛けの時計を見れば、あれからまだ二時間くらいしか経っていなかった。
「お前は誰だ。なんでいきなり現れた。私の記憶を封じたとはどういうことだ。何の意図があってこんなことをした」
「焦るな。説明するために来た」
睨みつけていえば、落ち着いた様子で男はそう言う。
警戒する私に対して、男は自然体だった。
「おれの名前はシゲン。コウやアオから、さっき話を聞いていただろう。お前達が先生と呼ぶ奴とは、友人のような仲だった。何故先ほどの話を知ってるのかと言えば、お前の体に最初からおれの《
先回りしたようにそう言って、シゲンが喉に触れてくる。
その瞬間咳が出て、私の口からコウモリが飛び出してきた。
「ごほっ……私の体に、そんなものを仕込んでいたのか」
「あぁ、悪いが見張る必要があったからな」
全く悪びれた様子なく、シゲンが言う。
パタパタと部屋を散策するように一回りして、シゲンの肩にコウモリが止まる。
《式》というのは、術者の命令で自由自在に動くモノのことらしい。
このコウモリが私の体にいて、逐一得た情報をシゲンに伝えていたようだ。
得体が知れない相手を前にして、普通なら焦ってもっと警戒すべきところだ。
なのに私は……思いの他落ち着いている。
シゲンの構えない態度のせいかもしれないが、本当にただ説明をしにきたんだと思える自分がいた。
「おれは記憶喪失前のお前と取引をしていた。お前が殺されそうになったら、その体を回収して《
私が人間や《贄人》に追い詰められたあの日、シゲンは近くにいたらしい。
傷ついた私の体を回収し、深い眠りへと落としたのだと口にする。
「……私は、死んでなかったということか」
言えばそうだとシゲンは頷く。
過去のことは何一つ覚えてはいない。
でもよく考えれば、その時に死んでいれば今の私はいない。
当然と言えば当然なのかもしれなかった。
「この世界がお前を忘れて、平和を取り戻したら――また復活させる。そういう約束だった」
無表情だったシゲンの声に、少しの揺れ。
見れば眉間に少しシワが寄っていた。
「……この一年、猶予を与えた。お前はこれからどうする」
「どうすると言われても困る。記憶を封じたなら、それを解いてくれないか。そうしないことには、私は状況がよく把握できない」
頼めば、シゲンは駄目だと呟いた。
「記憶があればお前は余計な情報を得る。おれが知りたいのは、素のお前がどうしたいと願うかだ」
ずいっとシゲンが顔を近づけてくる。
私を見透かそうとするような瞳の奥は、底知れなくて怖い。
けれど目が逸らせなかった。
「お前は人と《贄人》が共存する未来を望むか? それとも《贄人》が人の王となる未来を望むか?」
「そんなことをいきなり言われても……そもそも何で記憶喪失前の私は、そんなことをお前に頼んだんだ?」
戸惑いながら尋ねれば、シゲンが体を離し立ち上がる。
「お前の意図など、おれの知ったことじゃない。問いを変えよう。コウと生きるか、アオと生きるか。どちらを選ぶ」
それは先ほどまで、二人に突きつけられて結局選べなかった選択肢とよく似ていた。
「……わからない」
素直に答えれば、シゲンの肩に止まっていたコウモリが飛び立ち、私の肩の上に止まる。
つぶらな瞳が思いのほか可愛く、目が合うと挨拶するようにキィと鳴いた。
「後一年猶予をやる。一年後の今日、世界が鬼で埋め尽くされたその日に――お前の答えを聞こう」
そう言ってシゲンは私に背中を向け、窓の方へと向かう。
「ちょっと待てシゲン! 世界が鬼で埋め尽くされるってどういう」
立ち上がって追いかけようとした瞬間。
ガラスが割れたような感覚が頭の中でした。
部屋に張られていた結界が砕かれたのだと気づく前に、膨れ上がったアオの気配がする。
激しく何かがひしゃげる音がして、玄関の方からアオとコウが走ってきた。
「トワ、無事かっ!?」
アオの剣幕に驚く。
いつだって皮肉混じりの笑みを浮かべていたアオなのに、焦った顔をしていた。
後ろからやってきたコウが、シゲンのいた窓の方へとかけよる。
「くそっ、逃げられた!」
すでにそこにシゲンの姿はなく、白い日除けの布が風にはためいていた。
◆◇◆
私の記憶を封じ、コウの元へ送ったのがシゲンだということ。
記憶喪失前の私に頼まれて死ぬ直前の私をシゲンが回収し、今ここに私がいることを伝えれば、コウとアオはそれぞれ考え込むように黙る。
コウかアオ、どちらを選ぶと聞かれたことは伏せておく。
二人に問われて、答えを出せる自信が今の私にはなかった。
「シュカは平和になった頃に蘇って……あの言葉の通り、あの日を繰り返すつもりだったのか。それほど……絶望してたのか」
私の話を聞き終えて、コウが悲しげでこっちの胸が痛くなるような声で呟く。
まるでその気持ちに寄り添って、支えることができなかった自分を悔やんでいるかのようだった。
「……トワは身柄を隠す役に、シゲンを選んだってことか。オレを頼ればいいものを……一度死んだと思わせることが、トワにとって重要だったってことか。オレが回収役だと色々目立つから、不都合もありそうだしな」
一方のアオは、自分がシゲンの役割を与えられなかった理由について考察して、多少納得したような顔をしていた。
「それと、《贄人》だった頃はわからなかったが、シゲンさんは《贄人》でなく鬼だったんだな。しかもかなり強くて高位だ。トワはどう感じた」
「強い鬼だなっていうのは、なんとなくわかった」
問いに答えれば、アオは足を組んだ。
「鬼は赤青黄の三原色の下に他の色がある。自分で言うのも何だが、青鬼であるオレの術の精度は高い。このオレの結界を容易く壊せて、トワに《記憶操作》までかけたとすると……やっぱり黄鬼っていうのが有力だな」
言葉に出すことによって、アオは頭の中を整理しているみたいで。
その横顔は無駄に整っていて、一つの絵のようだ。
「シゲンさんがトワを記憶喪失にしたのは、……あの出来事を繰り返して欲しくなかったってことか」
そう呟いて、アオが私を手招きする。
黒い革張りの長椅子。アオの股の間に座って後頭部を胸に預ければ頭を撫でてくる。
この大勢が妙に落ち着くのだと、アオと暮らした短い間に気づかされた。
しっくりくるというか、まるで昔からこうしていたように無理がない。
気づけば、向かいの椅子に座るコウが、むっとした顔でこちらを見ていた。
「どうしたんだコウ?」
「どうしたんだじゃねーだろ。なんでそんな自然にアオの膝に収まってるんだ、お前は」
首を傾げれば不機嫌丸出しの声でコウが口にする。
「あぁこの体勢のことか。最初は恥ずかしいと思ったんだが、妙に落ち着くんだ」
「それはそうだろうな。トワとはよくこうしてたし」
「やっぱりそうなんだな」
コウに答えれば、アオが返答してくる。
なるほどなと思ったところで、余計にコウの眉間のシワが深くなる。
「……こっちこい、シュカ」
「わ、わかった」
低くドスの聞いた声で言われ、アオの膝からコウの元へと移動する。
ぐいっと手を引かれて、膝の間に座らされたかと思うと、後ろから包まれるように大きな腕がまわされてきた。
アオの時と違って圧迫感があるけれど、コウの体温と匂いがして悪くない。
体の力を抜けば、コウが頭に顔を乗せてくる。
「コウ重い」
「うるさい」
私を抱きしめてくる手に力がこもる。
必要とされてると思うと、満たされてくような心地になった。
「ヤキモチ焼きの駄犬の世話は大変だな」
アオが呆れたような顔をして、気持ちを切り替えるかのように座りなおす。
「トワ、一年後の今日、世界が鬼で埋め尽くされるその日に――また会いに来るとシゲンさんは言ったんだな」
「あぁ」
正確に言うと少し違うけれど、確認してくるアオに頷く。
「境界は昔に比べて脆いが、鬼が大量に来るほどじゃない。一年後……何かが起こるってことか」
やっかいなだなと呟きながらも、コウは私から離れようとはせず。
アオがやっていたのよりもやや乱暴に私の髪を撫でてくる。
「おそらくはそういう事だな。最近街で起こってる異変にも何か関係があるのかもしれない。境界が裂けた様子も鬼の姿もないのに、《鬼もどき》ばかりが目に付く」
「それは俺も気になってた。《役人》たちもやっきになって主の鬼を捜そうとしてるんだが、見当たらない。しかも色は様々で、今までの《鬼もどき》と違って女じゃなくて男が多い。しかも出現する範囲がだんだん広がって行ってる」
苛立たしげなアオに、コウが同意する。
「主なしの《鬼もどき》が増えだしたのは、ちょうどシュカが俺の元にやってきてからだ。シュカ自身も、何か関係がある可能性は……高いと思う」
「そこの《式》。シゲンさんはお前を通じて、オレたちの話を聞いてるんだろ。答えろ」
コウの呟きに、アオがテーブルの上でオレンジを美味しそうに齧っているコウモリへと声をかける。
コウモリは食べるのをやめて、小さく首を傾げた。
話しかけられたということを、ちゃんと認識しているらしい。
「話す気はないってことか」
すると、コウモリがプルプルと首を横に振って、二度羽をアオに向かってバタつかせる。
私とコウは立ち上がって、アオの側に行きコウモリの動作を眺めた。
「ちょっと待ってと言ってるんじゃないか?」
そう言ったコウを指……というか羽で差してコウモリが頷く。
動作が可愛い。その通りだと言いたげだった。
少し首を上に傾けて、コウモリが口を開く。
まるで何かと交信しているみたいだった。
それからしばらくして、また私達へと視線を戻す。
コウモリは一回キッと鳴いて、それから何かを伝えるように動き出した。
右に大きく振りかぶり、羽を広げた姿勢で一度固まる。
バサァっと音を立てるようにして、羽を振って後ろへと飛び、よろめいてまわって倒れる。
それから起き上がって、羽を前につけて首を傾げた。
まるで、これでわかってくれたでしょ? というかのように。
しかし、コウモリには悪いが、全く何が言いたいのかこれっぽっちも伝わってこない。
ただその仕草は愛らしく心を打ちぬかれた。
ぐりぐりと撫で回したい気持ちに襲われていたら、アオがコウモリをつまみあげる。
馬鹿にしてるのかこいつと言ったような、苛立った顔立ちでコウモリを目線まで引き上げた。
「コウ、酒のつまみはコウモリの素揚げでいいか」
「ちょっと待てアオ! 可哀想だろう!」
「シュカの言う通りだ。さすがの俺でもお腹を壊す」
「そうじゃない!」
漫才のようなやり取りをしつつ、アオの手からコウモリを奪還する。
コウモリがキーキーと言いながら泣きついてきた。物凄く感情豊かだ。
「アオ、キキを虐めるな。ちゃんと伝えようと努力していただろう!」
「キ!」
私の言葉にコウモリがそうだそうだというように、声をあげる。
アオがまたイラっとしたのが目に見えてわかって、コウモリが私の腕に頭を隠した。
「キキ、簡単でいいんだ。主のいない《鬼もどき》が増えたことと、私が関係あるなら頷いて、なければ首を横に振れ」
そっとコウモリをテーブルの上におろせば、わかったというようにコウモリは鳴いた。
「というか、トワ。キキってコウモリに名前をつけたのか。まさか飼うつもりじゃないだろうな」
あからさまにアオが眉をひそめる。
「別にいいだろアオ」
「動物を飼うのは反対だ。無生物に魂を与えた《式》ならまだしも、コイツ動物を基本としてるから、普通に世話が必要なんだぞ。第一コウモリなんて不潔だ」
「ちゃんと風呂も私がいれる! 駄目なら、コウのところで飼う」
「……」
むっとして言えば、アオが何か言いたげに眉を寄せて口を開く。
けれど、何も言わない。
「ははっ、相変わらずだなお前ら。昔も似たような会話をしてるの見た覚えがあるぞ」
「あの時トワが拾ってきたのはコウモリじゃなくて、主人の手を噛むどうしようもない駄犬だったけどな。何がなんでも止めておくべきだったと後悔はしてる」
横を見れば思わずと言った様子でコウが笑っていて、皮肉るようにアオがそんな事を言う。
アオの言う駄犬が、コウをさしているのだと私でもわかった。
「あぁ? 何だアオ、まだ切られ足りないのかよ? そう言えば、シゲンのせいで決着がまだだったな。でもあれは俺の勝ちでいいだろ」
「何をふざけたことを言ってる。どう考えてもオレの方が優勢だった」
険悪な雰囲気がまた戻ってきて、二人が睨みあう。
二人とも相当な負けず嫌いらしい。
「互いに納得がいかないなら、再戦だな」
「望むところだ」
アオの言葉にコウが不敵な笑みを浮かべる。
「けど外に出てるうちにまた変なのが入ってシュカに接触したら困る。切りあい以外の対決にしよう。腕相撲とかどうだ」
「純粋な力じゃコウが圧倒的に有利だろ。どれだけ強い術を練れるかの勝負がいい」
「それだとアオが断然有利じゃねーか!」
この二人どちらも負けを素直に認めるタイプじゃなかった。
いつまで続くんだろうか。
……もう一眠りしよう。
付き合ってられないと、キキと一緒にベッドにもぐりこんだ。
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