第12話 恨みと尊敬と、裏切りと

「とりあえず話の前にオレは風呂に入ってくる。終わったら次はコウな」

 そう言ってアオが地下室を去って行った。

 ばたんという重い扉が閉じる音と共に、がちゃりと鍵がかけられる。

 逃げられないようにという事なんだろう。

 アオは用心深い。


「昔から本当あいつは風呂大好きだな……しずかちゃんか」

「しずかちゃん?」

 多少馬鹿にしたような口ぶりのコウに聞き返せば、なんでもないと口にした。


「……さっきは、悪かったな。その……首、絞めて」

 コウが謝ってくる。

 その顔は物凄く後悔しているようで、私の目を見れないと言った様子だった。


「いやいい。こっちこそ、悪かった」

 何から謝ったらいいか、わからなくてそれだけ言う。

 コウの血を勝手に吸ったことも、心配してくれてたのに帰らずにアオの元にいたことも。

 何よりも死にたがっていたコウを、《贄人にえびと》にして……その上傷つけて、裏切った事も。

 私はコウに、謝らなきゃならないことだらけだった。


「シュカは何も悪くない。悪いのは……俺だ。シュカが記憶なんて取り戻さなきゃいいと、ずっと思っていた。だから、お前に過去のことを話さなかったんだ」

 ぽつりぽつりとコウが口にする。

 


「遥か昔に、俺はお前によって《贄人》にされた。俺の生家であるカガリの家は、霊力の強い家系で鬼にとって上質のエサだった。鬼は霊力のある血を好む。でも同時に霊力は鬼の苦手とする符術ふじゅつの源となるからな。俺たちの一族は鬼のエサであり、鬼の天敵でもあったんだ」


 身を守るため、コウの一族は符術を極めた。

 私やアオが国の元で働く《退鬼士たいきし》だとしたら、コウたちの一族は民間の《退鬼士》と言ったところだったらしい。

 国から要請があれば、私達と時々共闘することも時々あったようだ。


「俺が《贄人》にされる前から、シュカは俺の知り合いだった。偶然知り合って、《退鬼士》とは関係ないところで仲良くなったんだ。友人の間柄だった。その頃は一緒に戦ったことはなかったが、シュカのその真っ赤な髪と腕章を見れば国お抱えの《退鬼士》ってことはすぐわかった」

 私はコウの兄嫁ととても仲がよかったらしい。

 コウを含めた三人で、よく過ごしていたのだとコウは懐かしむような目をした。


「俺はずっと昔から義姉が好きだった。兄さんの嫁になる前から好きで、兄さんが亡くなったあとも好きだった。一方的な片思いってやつだな。その気持ちをひょんな事からお前が知ってしまって、色々お節介をやかれたりして。まぁとにかく、三人で過ごす時間が俺は結構好きだったんだ」


 優しい顔をコウはしていた。

 でもどこか、苦しさを押し殺すような声。

 思い出として語れるけれど、未だにしこりが胸に残る。そんな様子だった。


「そんな平和な日々が、俺はこれからも続くと信じて疑ってなかった。あの日まではな」

 コウが家を開けている日に限って、鬼はカガリの家を襲撃した。

 鬼同士はあまり群れない。群れたとしても同じ色の一族同士で行動する傾向があり、多くて三匹程度だ。

 大人数で現れることはなく、それは鬼同士の仲がそんなによくないのと、鬼の世界との綻びを一度にくぐれる数が決まっているのが原因だった。

 なのにあの日カガリの家を襲った鬼は、複数色で人数もこれまでになく多かったらしい。


 コウが仕事から戻ってきてみれば、鬼に蹂躙じゅうりんされた一族の屍があちらこちらにあって。

 コウは怒りのままに、刀を振るった。


 鬼に《贄人》にされるくらいなら、死を選べ。

 そう一族の女性は教え込まれていて。

 コウの想い人もまた、その教えの通りに自害していた。

 それを見た瞬間、頭の中で理性は全て飛んだとコウは口にする。


 まだ生きて戦っていた一族も、朽ち果てていく中。

 コウは一人、どこもかしこも赤く血の匂いがする屋敷でがむしゃらに鬼を切り続けた。

 痛みも何もかも通り越して、ただ体が熱くて。

 満身創痍まんしんそういな状態の中、コウは家を襲った鬼を残らず殺した。


 一族を守れなかった。

 鬼は全て殺した。

 でも、このことになんの意味があるのか。

 大切なモノは、全て零れ落ちていった。

 復讐はあっけなく終わって、後には虚しさだけが残った。


 かすんでいく景色と、失われていく命の中。

 コウはそんなことを思っていた。

 そのまま死ぬんだと、そう信じて疑わなかった。

 もう手遅れだったし、一族と一緒に死にたいと心からコウは思っていた。


 私やアオが所属する《退鬼士》たちが、今更やってきたのが目の端に見えた。

 耳はもう聞こえなかったけれど、何か叫んで、戸惑って、驚愕に目を見開いているのはわかった。


 今更遅い。

 何もかも全て終わって後だ。

 そんな事を頭の隅で思っていたら、私がコウに気付いて駆け寄ってきた。

 放っておけと言いたいのに、声は出なくて。

 私は必死な顔でコウを人気のない場所へ連れて行ったらしい。

 

 アオが止める中、私はコウに自らの血を飲ませた。

 コウには意味がわからなかったらしい。

 喉を血が通って行った瞬間、強烈な痛みにまどろんでいた意識が強制的に起こされた。体の中を焼けた火の棒でかき回されているようだったと言う。


 のたうちまわって、次に意識を取り戻したとき。

 コウは――《贄人》になっていた。


「俺はお前を恨んだ。仲良くしてたのが、恨むべき鬼で。しかも生き恥をさらせというように、俺を《贄人》にした。復讐はもう終わっていた。生きる意味はとうになかったのに、お前は俺を生かしたんだ」

 淡々とコウは口にする。

 恨んだと言っているわりには、そこに憎しみの感情は見当たらない気がした。

 ただ過去の事実を振り返っているというように、コウは続ける。


「殺してくれという俺に、シュカはこう言った。カガリの家に鬼を差し向けたのは自分だと。死にたければ、私を殺してみろとお前は言ったんだ。一族を守れなかった俺には、到底無理だろうけどなって馬鹿にして笑って……そう言った」

「私が……コウの一族に、鬼を差し向けたのか」

 衝撃を受けて目を見開けば、そうじゃないとコウが首を横に振る。


「あれはシュカが俺を生かすために付いた嘘だ。シュカはどこに向けていいかわからない俺の気持ちを……全部引き受けてくれようとしてたんだ。少し考えれば簡単に嘘だとわかることだ。でも生きてるのが辛くて、死ぬことさえ封じられて……何もなかった俺は、その嘘にすがることでしか自分を保てなかった」

 自分の弱さが嫌だというように、コウが唇を噛み締める。


「だってそうだろ。死にそうになっている俺を抱きしめて、涙をボロボロ流してるようなやつが……そんな事をできるわけがない。鬼でありながら人を護るお前が、俺の一族に鬼を差し向ける理由なんて何処を探してもないんだ」

 眉尻を下げて、コウは困ったような優しい顔をする。

 その眼差しに戸惑いながらも、きっと手が自由なら今コウは私の頭を撫でてくれていたんじゃないかなと、そんな事を思った。


「お前と生きて、俺は段々と癒されていった。お前を殺すためなんかじゃなくて、自分の意思でお前の側につくようになった。それが俺の生きてる意味になった。でもそれを口にするのは……なんか悔しかったんだ。だから、ずっと普段通りの態度を貫いてた」


 ――いつか殺してやる。

 ――あぁ、いつでも殺せ。私をお前が殺せるならの話だけどな?

 それが私とコウのお決まりの文句だったのだと言う。


「コウは……今では私を恨んでないのか」

「この件でってことなら、もうとっくの昔に恨みはない。というか、最初から恨むのは筋違いだったと思ってる」

 呟けば、コウはそんな事を言った。


「お前は鬼なのに、人よりも人らしかった。人を護って、先生やお前の血によって《贄人》にされて、《退鬼士》になった仲間たちに心を砕いて……誰よりも思いやっていた。いつか人も《贄人》も幸せになれる世界を作るんだと、お前は言っていた」

 快く思うというような口ぶりで、コウは言う。

 何かを噛み締めるようにコウは目を閉じ、少し間を置いた。


「俺は――そんなお前を主人として認めていたんだ。何もかもなくした俺の生きる意味は、お前の盾で剣であることだと思っていた。境界を引きなおして、鬼がこの世界にくることがなくなって、人間が俺たちを迫害して。それでも志を捨てずに人間や《退鬼士》の仲間たちを護るお前を、誇りに思ってたんだ」

 ゆっくりと目を見開いたコウの声には、私を責めるような響きがあった。


「あの日……国にそそのかされて、仲間たちや護ってきた人間がお前を裏切った。確かにあいつらが悪い。でも、それでも俺はお前があいつらを傷つけることなんてないと信じて、疑ってもなかった」


 そういう奴だと思っていた。

 信頼していた。

 例え他の人から見たら甘い考えだろうと、自分の中にある志を変えるような奴じゃないと思っていた。

 どんなことがあろうと、私は前を向いて諦めることはないだろうと思っていた。


 ――それが俺の知ってる、『トワ』という奴だったんだとコウは呟く。

 そこには、深い失望と悲しみが見えた。


「あいつらの攻撃を受けて、お前はずっと何も手を出さなかった。お前を庇う俺もやつらの標的にされた。二人して追い詰められて、俺はお前を背に庇った。絶対絶命の状況だったけど、お前だけは逃がそうと思っていた」


 けれど私は裏切りに絶望して――暴走した。

 仲間たちを痛めつけ、私を制止しようとしたコウを半殺しにして。

 人々を蹂躙し街を焼き払い、森を死滅させ。

 人と《贄人》、全ての敵となった。


「俺の知ってるお前は甘ちゃんで、いつだって純粋な目をして夢を語ってた。馬鹿にしながらも、強い志を持ってるお前が好きだったんだ。変わってしまったお前を見たくなくて、止めたかった」

 コウは私を追った。

 何度も戦いを挑んだけれど、そのたびに死ぬ方がマシだというような痛みを体に刻まれたのだと言う。


「何度も説得を試みたけど駄目で。お前は圧倒的に強くて……残虐で。今まで鬼相手の戦いでも、力を抑えてたんだなってことがありありと分かる強さだった。《贄人》が簡単に死ねないのをいいことに、痛ぶって命乞いするまで泣き叫ばせるのがお前は好きみたいだった。それでも、変わってしまったお前が誰かに殺されるのが嫌で。それなら……俺が殺そうって思った」


 コウは自分を鍛えて、私を仲間と一緒に追い詰めた。

 深々とコウは私の胸を、特殊な刀で貫いた。

 カガリの家に伝わる鬼の牙から作られた刀。それに切られた部分は、普通の傷と違ってその場で自己再生することはない。

 致命傷を負った私は、背中から背後の崖へと落ちていった。


 ――何度境界を閉じようと、私を殺そうと無駄なことだ。

 何度だって蘇って、お前達を殺しつくしてやる。

 そういい残して。


「シュカにまた出会った時、あの時の言葉通り蘇ってきたんだと思った。でも……記憶をなくしたお前が、俺の知ってるお前とそう変わらなくて。俺の元に帰ってきてくれたみたいで。だから、ずっと記憶なんてなくていいと思ってたんだ」

 苦しそうに、コウは言葉を紡ぐ。


「俺はもう、あんなお前を見たくない。優しいお前が仲間を痛ぶって、本能のままに人を襲って……血に塗れて笑ってるところなんて見たくないんだ。俺の好きなお前を、お前自身の手で汚して欲しくない」

 だから、アオと一緒にいた私をコウは手にかけようとした。

 いつか記憶を取り戻して、残虐な私になってしまう前に。

 コウは今までにも、何度か私を殺そうと考えたことがあるようだった。


 今のコウも、私の首を絞めてきた時のコウも。

 その顔には憎しみはなくて、ただ悲しみだけがあった。


「コウは、私が嫌いなわけじゃないんだな」

 コウの行動の理由を知って、嫌われていたわけじゃないと知れば体の力が抜ける。

 それを私は何よりも恐れていた。


「そんなわけないだろ」

 そう言われるのが心外だというように、コウが顔をしかめる。

 むしろコウは……私のことを想っていてくれている。

 それがわかって、心の底から安堵した。

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