第8話 ショジョの血は美味のようです

 アオと買い物に出かけてから、一週間がすぎた。

 てれびは、コウの家にいたときと変わらず連続殺人の話ばかりしている。

 若い女がおそわれ続けていて、国は何をしているんだとてれびの中のおじさんが怒っていた。


 内容が変わって、街で『かぷせる』なるものが流行っているとの話になったところで、ドアが開く音がしたのでてれびを消して玄関へ向かう。


「帰ったぞ」

 アオは毎日夜になると出かけていき、人間の血の匂いを漂わせて帰ってくる。

 今日も、アオは血をたっぷりと浴びていた。

 その血から、てれびで聞いた連続殺人犯のことを思い出した。


「もしかして、アオがてれびの言っていた連続殺人犯なのか」

「殺されたいのかトワ」

 直球で尋ねたら、危うく首に鋭い爪が食いこむところだった。


「冗談だ。悪かった! いつも人の血の匂いをさせているから、変に思っただけだ!」

「この血は人間の血じゃない。そのてれびで言ってた連続殺人犯の血だ。連続殺人犯は人間じゃなくて、《鬼もどき》なんだよ」


 今アオの縄張りで、鬼の成りそこないである《鬼もどき》が大量発生しているらしい。

 アオは血が乾いてこびりついたシャツを脱ぎ捨てると、ワインを出して飲み始める。

 同じ酒を飲む光景なのに、アオが飲むと絵になって、コウが飲むとただのおっさんに見えた。


「いつもは帰ってすぐ風呂に入るのに、疲れているんだな」

 アオはとても綺麗好きなので、珍しかった。


「まぁな。この《鬼もどき》を駆除くじょしながら、作り出した主人の鬼を探してるんだが全然見つからない。しかもこの《鬼もどき》、いろいろとおかしな点が多すぎる」

 アオは苛立たしげに顔を歪めた。


「おかしいとは、どういうことだ」

「まず色がおかしい。鬼は本来、種族ごとに髪色が違う。赤鬼、青鬼が有名だが緑や橙色のやつもいる。だが絶対に単色なんだ。作り出す《鬼もどき》も、親である鬼と色は同じになる。赤鬼からは皮膚や髪まで赤い《鬼もどき》が生まれるんだ。ここまではわかるか?」


 知識のあまりない私に、アオが丁寧に説明してくれる。


「この《鬼もどき》どもは、複数の色が混ざっている。頭は赤、手は青、足は緑という具合にな。瞳も金でなく赤。そんな《鬼もどき》は今までいなかった」


 それだけじゃないと、アオは続ける。


「鬼が《贄人にえびと》にしようと血を与えるのは、大抵女だ。だから《贄人》になり損ねた《鬼もどき》も女が多い。だが、この赤目の《鬼もどき》たちは8割が男で不自然なんだよ」


 その原因を突き止めるため、アオはずっと動き回っていたようだ。


「アオのやっていることは、《役人》であるカズマたちとそう変わらないんだな」

「自分の縄張りじゃなけりゃやらない。それに今は重要な時期なんだ。折角何年もかけて国の上層部にオレの息がかかった奴を潜りこませて、これから国をくつがえそうって時に面倒ごとは困る」

 もしかして、アオはいい人なのかとも一瞬思ったが、そうではなさそうだった。


「《役人》のカズマっていうと、コウが《役人》をしてた時の部下か。まだ付き合いあったんだな」

「アオはカズマも知ってるのか」

「あいつ青鬼の《贄人》で、自分を鬼にした奴を探してるからな。同じ青鬼のオレが何か知ってるんじゃないかとしつこいんだ。術附じゅつふばかり使って、正面から戦わずに罠をしかけてくるからやりづらい。その手段が悪いとは言わないが、殺しあいなら真っ向勝負が好みだ。そろそろ寝るぞ」


 うんざりした様子でアオは呟いて立ち上がる。

 台所でパックに入った血をコップに移すと、私に手渡してきた。


「今日の分だ」

「これはいつもどうやって手にいれているんだ? まさかその《鬼もどき》のものだったりするのか?」

「そんなわけあるか。《鬼もどき》はそもそも《贄人》になれなかったヤツの成れの果てだ。血は最悪なまでにマズイ。そんな常識まで忘れているんだな」

 呆れたように、アオは言う。


「今日は適当にたぶらかした女の血だが、いつもトワが飲んでいる血はオレの《眷属けんぞく》たちが分けてくれたものだ」

「アオにも自分の《贄人》がいるんだな」

「《贄人》じゃない。血をわけた《眷属》だ。わざわざ取ってきたんだから、ありがたく飲め」


 しっかりと訂正して、アオが血を飲むよう促す。

 そのこだわりは、自分のもとに集まる者を血を提供する家畜ではなく、個人として尊重している証に思えた。


 一見冷たそうなアオだけれど、身内は大切にする性質なのかもしれない。

 指摘したら認めずに怒りそうな気がしたので、これも口に出したりはしない。

 また少しアオのことを知った気分になる。


 私は血を飲むことを、諦めて受け入れるようになっていた。

 拒絶したところで、血が必要だという事実は変わらない。


 コップに口をつける。

 粘つく血は、こってりとしたバターのように舌に残り胸やけがしそうだ。

 それでいてあまり中味がない。

 アオは毎回、いろんな血を持ってくるので味の違いがわかるようになっていた。


「……あまり美味くないな」

「処女ではなさそうだったし、健康状態も悪そうだったからな」


「血は健康状態のいいショジョが美味しいのか」

「一般的にそうだな。鬼も生物だから、子を産める可能性が高い奴の血が一番美味く感じるんだ。あとは相性の影響も大きい。子孫繁栄のために強い子を産んでほしいからな」


 なるほどそういうものなのかと納得する。

 アオが持っていたグラスを傾けたので、ワインのおかわりがほしいのだと気づく。

 ワインを注げば、一気にアオは飲み干してしまったので、またおかわりを注ぐ。

 

 鬼にとって、食べ物や飲みものは腹の足しにならない。

 けど、美味いものを美味いと感じることはできる。

 特に酒は好ましいのだとアオは言っていた。


 コウもよく酒を飲んでいたけれど、私には味のよさがよくわからない。

 血の味は――こんなにもわかるのに。

 他の血を飲めば飲むほど、コウの血の美味しさが際立つようだった。


「つまり……私にとって、コウはショジョだったというわけか」

「っ! ごほっ! ごほっ!」

 話を総合して出した結論に、盛大にアオがワインを噴出す。


「アオ、汚いぞ」

「今のはトワが悪い……処女の意味をわかってないな?」


「アオが説明してくれたから、理解している。相性がよく、子を生めそうな相手の血は美味しい。つまり、自分にとって血の美味しい相手をショジョというのだろう。つまり、コウは私のショジョだ」


「それ間違ってるからな。外では絶対に言うなよ」

 アオは頭が痛いというように、額を押さえた。

 いつも余裕のある態度だったので、こんな困った顔は初めて見る。


「お前、そういう事に関して驚くほど疎いな。これも記憶喪失のせいか……いや、オレのせいか。《鬼姫おにひめ》のお前が色恋に目覚めるとやっかいだから、色々情報を遮断しゃだんしてたしな」

 アオは盛大に溜息を吐いた。


「コウの血が特別美味いのは、ショジョだからじゃない。あいつの一族は性別関係なく、特に美味しい血をしているんだ。だから鬼に狙われた」


「コウの血を美味しく感じるのは、私だけではないということか」

「そういうことだ」


「なら、もしかしてコウは、その一族の出身だったから美味しい血を狙われて、男なのに《贄人》にされてしまったのか?」


 前に聞きそびれてしまっていた。

 いい機会なので質問をすれば、アオが眉を寄せる。


「……お前が助けたんだから、お前が一番よく知ってるはずだろ。ちゃんと自分で考えろ」


 アオは教えてはくれなかった。

 たぶん、この理由で鬼になったわけじゃないんだろう。


 コウは今頃どうしているだろうかと考える。

 深い傷を負っていたけれど、治したから大丈夫なはずだと自分に言い聞かせる。

 《贄人》は元々鬼にとって血を得るため存在だから、血が大量に流れても普通の人より丈夫だと、アオからは聞いていた。


 ――コウに会いたいな。

 酒のみでどうしようもなかったり、折角手に入れたお金を遊びにつかったりする悪い癖はあったけれど。

 時々お金が足りなくて、スーパーの試食で食いつないだりしたこともあったし、夏は熱くて大変だったりしたけれど。


 たわいのないおしゃべりをして、一緒にてれびを見て。

 夕飯が美味くできたときは褒めてくれて。

 記憶のない私が不安になる暇がないくらいに、コウは私に構ってくれた。

 やっぱりコウのいるあの場所が好きだなと、そう思った。

 


 コウはアオが言うように、おそらく私が鬼だと知っていた。

 鬼と違い《贄人》は血を飲む必要がない。

 私のことを《贄人》だと思っていたなら、こっそり血入りの汁を飲ませる必要はなかったはずだ。


 コウが私を鬼と知りながら接していたのなら、帰ってもいいんじゃないかと思う。

 しかし、気になるのはアオが私に話した過去の話だ。

 あれが真実だとするならば――私は記憶を無くす前に、一度コウを殺しかけたことになる。


 そんな私に、どうしてコウは優しいんだろう。

 何よりも、どうして記憶喪失前の私を知っているのに、ずっと黙っていたんだろう。


 ぐるぐる考えていたら、ワケがわからなくなって。

 気づいたら私は、長椅子の上で寝ていた。

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