第7話 アオが鬼になったのは

 私はしばらくアオの家で世話になることにした。

 コウの元には帰り辛かったし、頭の中がぐちゃぐちゃで、考える時間が欲しかったのだ。


 アオの家はコウの家と違って快適だった。

 隙間風が入ることもなく、常に過ごしやすい温度。隣の部屋との壁も厚いのか、人の話し声が聞こえることもない。

 居間には、体ごと中に入れそうな大きさのてれび。

 寝室には二人くらい寝れるふかふかの大きなベッド。

 冷蔵庫の中身が少ないのは、コウの家と一緒だったけれど、食べたいと言えばアオは何でも買ってくれた。


 ただ、一つだけ困ったことがあった。

 アオは私に血を飲むことを要求してくるのだ。


「おい、食事の時間だぞ」

「いらない」

 アオは私に食事と称して、血を与えようとする。

 そんなもの飲みたくはなかった。


 鬼である私は、血を飲まないと飢えてしまうらしい。

 そんなもの今まで飲んだ覚えはないと言いたかったけれど、思い当たるふしはあった。

 コウのくれる甘い汁だ。

 特製のジュースだとコウは言いはっていたけれど、あれにはきっとコウの血が含まれていた。


 私がそもそもコウをおそったのは、一週間近くあの汁を――血を飲まなかったことが原因だったんだと今ならわかる。

 血の供給が途絶とだえた私は、自我じがを飛ばしてコウに襲いかった。

 あの日、コウは私が飢えているだろうと慌てて戻ってきたんだろう。

 だから血の汚れを取ることもなく、手当てもせずに、そのまま帰ってきたに違いない。


 血を飲まないと、また衝動的に誰かを襲ってしまうかもしれない。

 わかってはいるのだけれど抵抗があった。


「お前はわざわざ、飢える苦しみを味わいたいのか?」

 三日も血を拒んでいたら、アオは苛立ちながらそう言った。

 でも、人の血なんて飲めるわけがない。


 ふいっと顔を背けたら、無理やりあごをつかまれ唇を重ねられた。

 どろりとした液体が、口の中に移される。


「んっ……」

 舌の上に甘い味が広がり、それをかき回すようにアオの舌が動く。

 ごくりと嚥下えんかしたあとも、その口づけは続いた。

 敏感な部分をくすぐられ、体から力が抜ける。

 ぞくぞくと背筋にしびれが走るようで、足元がふらついた。


「何をする……」

 なんだ今のは。

 口づけをされたのは初めてで、妙な浮遊感ふゆうかんに頭がおかしくなりそうだった。


「自分で飲まないっていうなら、今のを毎日やってやる」

 ようやく解放されて、弱々しく抵抗した私を見てアオは笑った。

「それでどうする? オレから飲まされたいか?」

 アオに飲まされるよりはマシだと、私は自分で血を飲むことにした。



◆◇◆


「外に出たいんだが」

「オレと一緒なら連れていってやる」

 アオの家に住んで五日目。

 私は出会ったときに着ていた服を着て、アオと外にでた。


 夏の日差しは暑く、空は澄み渡っていて。

 平和そのものといった様子に、この前のことが嘘みたいだと思った。


「それで、行きたいところは?」

「……コウのところ」

「予想はしてたが、コウの元に帰るつもりでいるのか?」

 怒るかと思ったら、アオは冷静に尋ねてきた。


「いや、それはまだ。ただ、無事だったのかが心配なんだ」

「なら近々オレが様子を見てきてやる。ここはコウの家からは遠い。お前の足じゃ、時間がかかりすぎるからな」

 アオは私を連れていくつもりはないらしい。

 そんな気はしていたし、実を言うと私自身どのあたりにコウの家があるのかわかっていなかった。

 様子を見にいってくれるとアオが約束してくれただけで、満足しておくことにする。


 アオに床屋へ連れていかれて、髪をカットされる。

 今までは短く男みたいな髪にしていたけれど、肩下で切りそろえられた。

 まるで女のようだなと鏡を見て思う。

 いや、女ではあるのだけれど。


 炎のように赤い髪。

 それが鬼である証のように思えて、嫌になる。

 コウのところで楽しく過ごしていた日々の自分とは、もう違うのだと教えられるようだ。


 お金がなかったくせに、コウは私の髪を定期的に黒く染めてくれていた。

 コウとおそろいなのに、どうして染めるんだと尋ねれば。

 私には人らしくあってほしいからだと、コウは言っていたけれど。


 ――コウは私をどう思っていたんだろう。

 一度私は、コウを殺しかけたとアオは言っていた。

 私が《贄人》ではなく鬼であることを、きっとコウは知っていて。それでも、私に人であって欲しいと願っていたんだろうか。


 コウが何を考えていたのか、私にはわからない。

 でも、コウがしてくれていたように黒に染めたいと思った。


「黒に染めたいんだが」

「トワは、そのままの色が一番綺麗だ」

 アオにお願いすれば、即却下されてしまい、私たちは床屋を後にした。

 


◆◇◆


 次に、アオは私を『でぱーと』へ連れていった。

 夏に何度かコウと行ったときは涼むことが目的だったので、買い物をするのは初めてだ。

 コウの事務所にはアオの家や『でぱーと』にあるような、『くーらー』いう冷たい風を生み出す機械からくりが存在せず、熱い風をただ悪戯いたずらにかき回す『せんぷうき』しか備わってなかった。


 でぱーとで私の下着とか、服を購入する。

 種類がありすぎてよくわからなかったので、全てアオに任せた。

 仕立てのいい『わんぴーす』や、金魚の尾びれを思わせる『すかーと』。

 着たことのない女物の服を、アオは購入していく。


 ちなみに今まではアオの上着を着て、下着はなしで過ごしていた。

 それはどうなのか、アオはそういう趣向の変態なのかとも考えた。

 しかし、そういうわけでもないようで。

 

 家だし、オレしかいないから問題ない。

 そうアオは口にしていて、私の服装を気にした様子もなかった。

 初日には私の体を平然と布で拭いていたし、妹で子供の私には興味が全くないんだろう。

 それでいてアオはおそらくモテるだろうから、女に困っていなさそうだ。


 私の見ている前で、アオは大量の服や靴をお札でまとめて購入した。


「アオはお金持ちなのか? 何の仕事をしてるんだ?」

 ふと気になって尋ねてみる。

「仕事? 何でオレが働かなくちゃいけない」

 はっと鼻で笑われた。


「じゃあこのお金はどうやって手にいれてるんだ?」

「女やオレの考え方に賛同してるやつらが勝手にくれるんだ」

「つまり、ひも男というやつ……痛い!」

 導き出した答えを口にしたら、思い切りアオに殴られた。


「お前記憶喪失のくせに、どこでそんな言葉を覚えた」

「コウの手伝いで浮気調査をしたときにだ。自称バンドマンのその男には、家賃を支払ってくれる女と、お小遣いをくれる女と、音楽教室の受講料を払う女がいた。アオのお金からすると……一体何人いるんだ?」

 指折り計算していたら、思い切り頬をつねられる。


「いひゃい!」

「オレをヒモ扱いとはいい度胸だなトワ。こんな子に育てた覚えはないんだが、これもあの馬鹿の影響か」

 綺麗な顔だちをしたアオはすごむと迫力があって、ヒモというのはあまり良い言葉ではないのだなと学ぶ。

 俺も女に養ってもらいたいなぁと羨望せんぼうまじりにコウが言っていたので、皆がうらやむ立場なのかと誤解をしていた。


「アオに育てられた覚えもないんだが」

「記憶喪失だからだろ。言葉も、着物の着方も、箸の使い方も全部オレが教えた。先生は忙しい人だから、そこまでお前に構ってられなかったしな」

 なるほどと思う。

 口は悪いけれど、アオは世話に慣れているところがあった。

 一緒にいてそわそわするけれど、妙に落ち着く部分もある。

 危険な奴だと思うのに、気安く口をきいてしまうのは、そのせいかもしれなかった。



◆◇◆


「私の服、女物ばかりだな」

 アオの家に戻り、部屋の棚に服を仕舞いながらそんなことを思う。

 

「昔と違って男装をする必要性がないからな。今のオレなら、人からも鬼からもトワを守ってやれる」

 アオがさらりと答えてくれる。

 親愛と強さへの自信がアオからは感じられた。

 ふと、疑問が頭をよぎる。


 私を拾ったとき、コウは私を男だと思っていた。だから私も男として振る舞っていたけれど、コウは私の本当の性別を知っていたのだろうか?

 気になって、アオに尋ねてみる。


「オレが知る限りでは、気づいている様子はなかったな。トワが女だと知ってたのは先生とオレだけだ」


「一緒に暮らしていた仲間の退鬼士は男だけだったんだろう? よくコウや他の仲間にバレなかったな」


「他のやつらは同じ部屋で雑魚寝だったが、トワはオレや先生と同室だったからな。あと単純に、自分より強いやつが女だと思わなかったんだろ」


 どうでもよさそうに、アオは言う。


「それよりもトワ。家に帰ったんだから、鬼らしく角を出せ」


「私はこのままでいい。それにカタツムリごとく自在に角は出せな……痛い! なぜ叩く!」


「鬼とカタツムリを同列にするな」

 アオに叱られてしまう。


「角を出せるようになれば、自然としまい方も覚える。鬼化したときに角がしまえなくて困るのはトワだからな」


 私を鬼としてすごさせたいから、アオは角を出せと強制するのかと思っていたが、自分で角の出し入れができるようになるための練習だったらしい。

 たしかにアオの言うとおりなので、角を出そうと試みる。


「うぅ……」

 頭に手を当て意識を集中させてみたが、うなり声しかでなかった。


「まだ一人では無理か。補助してやる」


 アオが血を経由して、私の角を出すのを手伝ってくれる。

 

「なぁ、アオ。過去の話で気になったことがあるんだが」


「なんだ」


「アオは先生から血をもらって《贄人》になったと言っていたが、アオは《贄人》じゃなくて鬼だよな?」


 アオには立派な角がある。

 それは鬼の証で、《贄人》にはないものだ。

 アオは少し黙りこんでから、口を開いた。

 

「鬼が若い女の血を好むのは、知ってるか?」


 アオの言葉に頷く。

 鬼や《鬼もどき》の狙う被害者は、若い女ばかりだと、私はコウやカズマから聞いて知っていた。

 

「昔は《贄人》を鬼の花嫁と呼んでいる地域もあってな。村を襲わないことを条件に、鬼が指名する娘を一人、差し出す風習があったんだ」


 悪者が相手の弱みをにぎり、綺麗な娘を自分のものにしようとするのは私の好きな時代劇でもよくある話だ。


 アオの家はもともと村のまとめ役だったのだけれど、アオの姉がその鬼の花嫁に指名されたらしい。


「オレの家は鬼の要求を飲まなかった。その結果、姉はさらわれて他の家族は全員殺され、なぜかオレだけが生き残った。そうしてオレは親戚である先生のもとへ預けられたんだ」

 

 育ての親である先生は、もともとアオの親戚だったらしい。


「オレは先生のもとで退鬼士になって、もっと手伝いができるように先生の《眷属けんぞく》にしてもらった。ここまでは前に話したよな」


「ああ。だが、《眷属》とは何だ? はじめて聞く言葉だぞ。《贄人》じゃないのか?」


「本質的には同じだ。だが《贄人》って言葉は無理やり鬼にされた意味合いが強い。《眷属》は家族というか……自分から仲間に加わったっていう前向きな《贄人》のことだな」


 同じものでも含む意味が違うようだ。

 前回は私にわかりやすいようアオは《贄人》と言っていたが、本当はこだわりがあるらしい。


「トワと出会ったときのオレは、ただの《眷属》だった。けどな、殺された先生を食って――《眷属》から鬼そのものになったんだ」


 アオの言葉に、しばらく呆然とする。


「食った? 先生を?」


「あぁ、文字通りな。鬼の血を飲めば《眷属》や《贄人》になる。なら、鬼を食べたら鬼になれるんじゃないかと思ったんだが――これが正解だった」


 正気の沙汰じゃない。

 やっぱりアオは狂っている。


 でも、先生のことを話すアオの目はどこか寂しそうで。

 それほどまでに、先生のことを想っていたんだなとわかる。

 その気持ちはどこまでも純粋で、怖くて。

 それでいて、どこかうらやましいなと、ほんの少しだけ思った。

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