3.聖女、雲を食す
この国のマーケットは全て屋根の下に収まっている。
雨が降っても濡れないし、砂埃もかからないから商品はいつでも清潔で、良い事づくめだ。
「わぁぁぁぁ〜!!」
そう思っていたが、太陽の下、テントを張ったり、青い敷物を敷いたり、地面に直接洋服をかけた鉄棒を並べていたりと、思い思いの形態の店が並ぶ様子を見ると、アーシャは嬉しくなってしまった。
『これぞマーケット!』という雑然さに、俄然気分が盛り上がる。
(『すーぱー』と違って、並んでいるものがバラバラ!)
整然と野菜、果物、肉、魚と並んでいる店しか、こちらにはないのだと思ったが、ここの店々に置かれたものは混沌としている。
人形が置かれているかと思えば、その隣に色も形も不揃いな皿が並び、なにやら可愛らしいアクセサリーまで並んでいる。
———
アーシャがはしゃぎ過ぎたせいか、体の中で眠っていたアカートーシャも目を覚ます。
(この国にもこう言うのがあるのね!)
———月の中で、二十日とか決まった日に、こうやって市が立つの
システムもマーケットと似たようなものらしい。
残念ながらアーシャはマーケットを利用したことがないので、どんな法則があったのかよくわからないが、マーケットも店が並ぶ日と、並ばない日があった。
右を向いても、左を向いても、前を向いても目新しいものがあって、店主も道ゆく客も自由な空気が漂っている。
『すーぱー』の『てんにんさん』よりも距離が近い気がする。
「すごー!」
この国は人が少ないので、沢山の人が行き交う姿を見るだけでも楽しい。
皆、思い思いの色鮮やかな服を着て、一人でいたり、友達でいたり、家族でいたりと、退屈しない。
「いっぱー、な!」
「ああ、いっぱーだなぁ」
「きおつけてくださいね」
アーシャが上を向くと、ゼンが満開の笑みで、ミネコが優しい目で応える。
右手はゼンに、左手はミネコに預けたアーシャは、もしかしたら周りから見ると物凄く幸せな子供に見えるのではないだろうか。
「へへへへ」
そう思うとお腹がくすぐったくなってしまう。
母ではない人を、母代わりにしてしまうのは申し訳ない気もするし、兄たちも出来なかったであろうことを、自分だけがしてしまうのも後めたい。
でもそれ以上に嬉しさが溢れてきて、頬が緩んでしまう。
街行く親子連れが羨ましくて、ずっとこうやって、歩いてみたかった。
(あの両手を引っ張ってもらって、ぶら下がるの、面白そうだったなぁ)
両親に左右から持ち上げられる子供の姿を思い出すが、そこまで要求するのはやり過ぎなので、それは再び記憶の片隅に押し戻す。
———言ったらいいのに
(良いの、良いの。欲張り過ぎは良くないもの)
アカートーシャは何か言いたげだが、重ねて勧めてくる事はない。
アーシャの元の家族に対する、複雑な感情を慮ってくれているのだろう。
そんな会話を交わしながらアーシャは顔を上げる。
「ふぁ!??」
すると、とんでもない物が目に飛び込んできた。
向こうからやってくる乳母車から、明らかに子供ではない、毛むくじゃらの顔が出ていたのだ。
真っ白な体に真っ黒な大きな瞳、垂れた耳。
(子供……じゃない!!………犬!??)
———犬!?
二人が確信が持てなかった理由は、その平らな顔だ。
普通の犬ならば、前に出ているはずの鼻がないのだ。
しかも鼻を力づくで押し込んだように、その顔はシワだらけだ。
「あ、ぱぐだ!かわいーな!」
最近は上手に神気を抑えているゼンだが、気が緩むと、大きく漏れてしまう。
「アバッアバアバアバッ」
そのせいで乳母車の中の謎の生物は怯えたように口を動かす。
———犬じゃないような!?
(犬じゃないね!?)
自分たちの知る犬とは大きく異なる、その鳴き声に二人は戸惑う。
細かくププププと痙攣するように揺れ始めた生物をアーシャは見つめる。
人の子供が乗る乳母車、平らな顔、毛むくじゃら。
「【ま……まさか、人間と犬の合いの子……!?】」
それらから、アーシャは恐るべき結論に至った。
『混じりっけなしの犬じゃぞ』
『十割、犬』
しかし冷静に否定されてしまう。
ゼンの頭と肩の上で寛ぐ、モモタロとバニタロだ。
モモタロは売られている道具に批評を加えつつ、バニタロはゼンが好きそうなものを見つけては、聞こえないゼンに報告しつつ、マーケットを楽しんでいたのだが、あまりに無知なアーシャの結論に突っ込まざるを得なかったらしい。
『アカもまだまだ知識不足じゃの。現代のことは妾に任せるが良い!』
『バニタロ、動物、詳シイ。聞ク』
そう言って二人はアカートーシャに対して先輩風を吹かせる。
アーシャが寝ている間に、アカートーシャは人形に乗り移って、動かす練習をしているらしく、その時にタロ組と顔見知りになったようだ。
因みに、アカートーシャという名前は二人にとって難しいらしく、アカ、アカと呼ばれている。
(犬……)
———犬……
アーシャとアカートーシャは、鼻が潰れた犬をじっくりと観察しつつすれ違う。
(言われてみれば……犬……?)
———困り顔の猫っぽい……
しかし二人とも何となく納得いかない。
「アーシャちゃん、アーシャちゃん」
そんなアーシャの手をクイクイと峰子が引く。
「わんちゃんとおそろいのぼーしです!」
午後の太陽がミネコの瞳の中で煌めいている。
彼女の繋いでいない方の手は、店の一つを指差している。
「ん?」
よく見れば、先程の犬(疑い)と同じように垂れた耳のついた頭巾が並んでいる。
「か………かわいーっっ!!」
アーシャより強い反応を示したのは、隣のゼンだ。
犬(推定)の時より更に神気が噴き出している。
———頭巾に何故鹿の耳が……?
(垂れ方を見ると鹿というより山羊では……?)
二人は箱の上に乗せられた帽子を観察しようと近寄ったのだが、
「「これ、ください!!」」
左右から同時に手が伸びてくる。
「?????」
どちらの手にも財布が握られている。
一体何だろうと思っている間に、アーシャの頭にはモコモコの頭巾が装着されていた。
「か、か、かわ……かわっっ!!」
「かわい……かわい………っ!!」
そして大人が二人して悶えている。
「…………?」
顎の下で、モコモコの紐を結ぶ頭巾は、頭全体が覆われて、物凄く暖かい。
「ぬっくー、な」
よくわからないが、綿が沢山入っていると思われる頭巾は、被るだけで物凄く暖かいし、フワフワして気持ち良い。
「ありがとー!」
左右に垂れている耳がブラブラと揺れるので多少気になるが、アーシャは頭巾をポンポンと叩きながら、素敵な防寒具を買ってもらえたことに感謝する。
「かわわ……かわわ……」
「アーシャ、もーいっかい!もーいっかい!」
アーシャの感謝は伝わったのか伝わっていないのか。
ミネコは顔を覆って震え出すし、ゼンは驚く素早さで『すまほ』を構える。
うごかない『どが』を撮られている様子だ。
「いきましょう!」
「ええ!かわいーものをもっと!!」
一頻り騒いだ後は、アーシャはゼンに肩車されての移動となった。
「わぁ〜〜〜!」
物凄い移動速度に反してゼンの肩の上はほとんど揺れず、居心地が良い。
視点が高くと遠くまで見渡せるし、時々ミネコが優しげな目で見上げてくれるし、これまたアーシャは大満足である。
(ゼンもあったかくしてあげよ!)
アーシャはせめての恩返しに、しっかりとゼンの頭を覆う。
「アーシャたぁぁぁぁぁん!!」
高い所にいるアーシャは目立つようで、どこからか、シノザキが手を振りながらやってきた。
「かぁぁぁぁいぃぃぃぃぃ!!」
そう言ってめちゃくちゃに頬や頭を撫で回される。
「おれも!おれもえらぶぅぅぅ!!」
そして彼女も加わってマーケット巡りが始まる。
三人は目を輝かせ……
『主、少々、怖イ』
『うん。我が主ながら中々気持ち悪い』
———三人とも本気すぎてちょっと……何というか……
輝かせすぎて、バニタロ、モモタロ、アカートーシャの見えない三人組はドン引きだ。
周りの人々も心なし遠巻きにしている気がする。
(しかも……ちょっと……ゼンは誤解を受けていない?)
遠巻きにしている人々の視線に、所々、棘が含まれている気がする。
右にミネコ、左にシノザキ、あまり関係ないが頭上にアーシャ。
アーシャは帽子のようなもので数に入れないとして、ミネコとシノザキは、かなりの美女である。
三人とも品物の吟味に夢中で、自然と距離が近くなってしまっている。
実情は全然違うのだが、これは二人の美女を侍らせているように見えるのではないだろうか。
(全然違うよ〜!家族みたいなものだよ〜!)
アーシャはゼンを視線から庇うように、ゼンの頭を抱きしめる。
「あ、アーシャ!ごめんな!ひまだったな!」
すると買い物に夢中だったゼンがアーシャに語りかける。
「あ!すいーつきゅーけーしよ!あっちあっち!」
品物に夢中だった三人は、アーシャに盛んに話しかけながら移動を開始するのだが……
『子供一人、男一人、そして女っぽいのが二人』
『危険、関係』
———正室と側室。そして、そのどちらのでもなさそうな御子。混迷を極めるわ
この組み合わせは目立つ。
「あまーいくれーぷあるんだよ〜」
「アーシャわにくかな。からあげとか」
「けばぶなどもおいしーですよ」
シノザキもゼンもミネコもアーシャに沢山話しかけてくれるのは嬉しい。
しかし高いゼンの肩から周りを見下ろすアーシャは、焦ってしまう。
(ゼ……ゼンに悪者を見る目が向けられているような気がする……!!)
せめて自分だけも帽子に擬態できないかと、アーシャはゼンの頭に張り付く。
「ん?」
そんなアーシャの目に、軒を連ねていた店が途切れ、『くるま』が沢山停まっている光景が見えてくる。
その『くるま』は、アーシャが見知っているものと大きく異なる。
お腹に大きな窓があって、その窓に
「くるま、いえ、な?」
アーシャはゼンに話しかける。
『くるま』というより、小さなお店に車輪と『くるま』の首が着いているようだ。
「きっちんかー、だよ。たべもののおみせ」
アーシャが言いたいことが通じたようで、ゼンが説明してくれる。
「きちんがー」
ふむふむとアーシャは頷く。
『たべもの』とは食事の事で、『おみせ』は店。
つまり『きちんがー』は食事を提供してくれる所だ。
見れば人々は『きちんがー』に並び、食べ物を買って、思い思いの所で食べている。
「へぇ〜!」
露天での買い食いができると知って、アーシャの気分は盛り上がる。
(マーケットで売ってあったミートパイとかのやつだ!)
元の国では一度も体験したことがないので、とても興味がある。
どの『きちんがー』も美味しそうな食べ物の『どが』を張り出したり、旗を立てたりして、商品を宣伝している。
人々から向けられる視線のことも忘れて、アーシャは露天の食べ物を夢中で観察する。
どの『きちんがー』も色とりどりで、美味しそうで、目移りしてしまう。
「ん?」
そんな華やかな『きちんがー』が立ち並ぶ隅に、毛色の変わった白いテントが張られている。
他の店は絵が張り出されているのに、そのテントは文字だけを書いた紙が沢山テントからぶら下がっている。
「んん〜〜?」
こうなると逆にその店が何を提供しているのかが気になって、伸び上がって見てしまう。
「あっちか?」
アーシャが興味を持ったのがわかったらしく、ゼンがテントの方に移動してくれる。
そのテントの下には大きな鉄の箱に水を張り、飲み物を入れていたり、何とも芳しい香りを放つ肉が焼かれていていたりするのだが、その一番端にある物に、アーシャの視線は引き寄せられる。
子供や、それを連れた親が並ぶ先に、透明の覆いを被った銀色の丸いタライが置かれた台がある。
店主はそのタライの中に棒を突っ込んでグルグルと回す。
するとどうした事だろう。
スルスルと白いモヤが棒に巻きつき、回すごとに大きさを増していく。
「…………!!くも!!」
その様は正に雲だ。
『…………?』
———雲だわ……
バニタロとアカートーシャも驚いている。
『あれは砂糖だ!』
そんな中で、現代に詳しいと豪語するモモタロが、えへんえへんと胸を張りながら皆に教えてくれる。
「アーシャ、わ・たー・め。たべるか?」
大威張りのモモタロの主人であるゼンが、少し傾くようにして、肩の上のアーシャを覗き込んで尋ねる。
「はい!わたーめ!」
アーシャは大きく手をあげ、かつ、食べたい気持ちを表すように、何度も頷く。
「よし、ならぼー」
するとゼンは目尻が溶けて落ちてしまうのではないかと思うほどの笑顔になって、『わたーめ』の列に並んだ。
(凄い!凄いわ!!次々に雲が出来上がっていく!)
———雲を食すなんて……!!長生きしてみる物だわ……!!
アーシャとアカートーシャはワクワクと順番を待つ。
その目の前で、子供達が次々と棒に絡まった雲を受け取って、喜んでいる。
胸を高鳴らせながら待ち、遂にアーシャたちの順番が回ってくる。
「わぁぁ〜!!」
金属の丸いタライの真ん中には穴が空いていて、そこから白い細かい糸がどんどん吐き出されている。
糸が出てくる量にはムラがあって、片側だけに多く着いてしまったりするのだが、店主の女性は器用に棒を回して、真ん丸な雲を作ってしまう。
「はい、どーぞ!」
そして出来上がった雲を、少し背伸びして、ゼンの上にいるアーシャの方に差し出してくれる。
「ありがとー!わたーめ!たのしーな!」
アーシャは嬉しくて、つい足をバタバタと動かしてしまいながら、お礼を言う。
「「「ありがとーございました!!」」」
すると店主の女性だけでなく、テントの下にいた人たちが手を振って応えてくれる。
「んふふふふふ〜!わたーめ!」
アーシャは期待に胸を膨らませて、雲に食らいつく。
「!?」
するとどうした事だろう。
確かに食べた感触があって、口に香ばしい甘さが広がったのに、雲は一瞬にして口の中から姿を消してしまった。
「ない!わたーめ!」
「え!?」
アーシャが声を上げたら、驚いたゼンが彼女を肩から下ろす。
「………?わたーめ、ある、よな?」
そしてしっかりと棒に突き刺さった『わたーめ』に、彼は首を傾げる。
「あ、あ、わたーめ、わたーめ」
アーシャは自分が齧りとった所を指差し、それから自分の空の口の中を示し、口の中であっという間に無くなってしまったことを、伝えようとする。
「んん?」
しかしゼンだけでなく、ミネコとシノザキも一緒に首を傾げる。
そこでアーシャは実践して見せる。
「わたーめ」
雲を指差してから、えいやとばかりに齧り付く。
そして口の中に入れた途端、甘やかな味だけを残して消えた事を示すため、すぐに口を開ける。
「ない!」
「「「…………」」」
そうやって甘くて美味しい味だけ残して消えてしまう不思議を伝えようとしたのだが、三人は一瞬キョトンとした顔をした後、アーシャから顔を隠して震え始めてしまった。
「ない。わたーめ?」
通じた?とばかりに聞いたら「フグっっ」とゼンの口からおかしな音が漏れる。
「フヒッ…………ンフッッングフッ」
シノザキは奇声を発したかと思うと、サッと身を翻し、ゼンの後ろに行ってしまう。
「あ……アーシャちゃん。わたーめわ、とけるんです」
何故か涙ぐんでいるミネコが、頬をピクピクさせながら説明してくれる。
———溶けるんだって!そう言えば空の雲も雨が降ったら溶けるものね!
アカートーシャが興奮した様子で通訳してくれる。
「ほら」
ミネコは少しだけ雲を千切って、指で潰してから、開いて見せてくれる。
すると確かに千切った雲が彼女の指の間で溶けている。
「ほぁ〜〜〜〜!!」
アーシャは感心してしまう。
まるで冷たくない氷だ。
こんな不思議な食べ物があるとは思わなかった。
「すわってたべよーか」
そう言ってゼンが少し外れた所に綺麗な敷物を広げて座らせてくれる。
「へへへへ。おいしーな!」
そういう食べ物とわかれば、この甘やかな味と、口に入った途端に消える、不思議な感触を存分に楽しめる。
———凄い甘い〜〜〜!甘露〜!
アカートーシャも『わたーめ』に夢中である。
(物凄く甘くて美味しいよね!)
そんな話をする二人は、これから周りで起こる騒ぎに全く気がつく事なく、『わたーめ』を食べ続けるのだった。
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