02.兄弟、居候する
(……全く……)
譲は苦々しく思いながら、乾老の蔵書に目を通す。
動き回れないので、大人しく知識を蓄えているのだが、目の前でデレッデレに妹を甘やかす禅一に、ため息が止まらない。
四日弱昏睡したアーシャは、体が急成長したせいか、上手く動けなくなってしまった。
立ちあがろうとして座り込み、歩こうとして転び、食器を掴もうとして取り落とす。
「???」
大きくなった事自体理解していなさそうなアーシャは、その度にキョトンとしていた。
急に大きくなったアーシャに周りも戸惑ったが、一番戸惑ったのは本人だったのだろう。
譲には急に成長した経験など当然ないが、切断を伴う手術などで、神経を繋ぎ直した後の体のように、アーシャがリハビリを要する状態であることだけはわかった。
補助をして立ち上がったり歩いたりの訓練に、手をうまく動かせるように、日常生活のことは自分で出来るだけやらせる。
そうせねばならないと思ったのだが、譲自体が負傷していて上手く動けないので、対応するのは禅一となる。
しかし、だ。
「大丈夫か?」
そう言って、起き上がるアーシャを持ち上げて立たせてしまう。
「転んだら危ないから」
そう言って、抱っこで移動させる。
「食べづらいな〜。あ〜ん」
そう言って、嬉しそうにご飯を食べさせる。
「禅がやるのは補助だけ!!それじゃ全然リハビリになんねぇだろうが!!」
そう言って叱りつければ、一瞬は改善するのだが、アーシャが困っていれば、すぐに手助けしてしまう。
元々他人の世話を自然とやる奴である上に、アーシャの悲惨な記憶を垣間見た禅一は、無意識の甘やかしモードに入ってしまっている。
困っていたら助けてあげたい。
辛かった分を取り戻すように、甘やかしてやりたい。
子供らしく過ごさせてやりたい。
そんな気持ちはわかるが、禅一は赤ちゃんを赤ちゃんのまま止めてしまうようなやり方なのだ。
加減がわかっていない。
このままでは良いはずがない。
しかし譲とて正しい方法がわかっているわけではなく、手探り状態なので、二人の意見は衝突する。
「だから!自分で歩かせろって!運ぶな!」
「転んだら怪我をするだろ!?」
「転んだ時に支えればいいだろ!」
「転ぶ転ばないの前に全然歩けないじゃないか!立ち上がることすら難しいんだぞ!?」
「支えてでも立ち上がらせて、歩かせるんだよ!」
「目覚めたばかりで本人も戸惑ってるんだ。体に慣れるまでの時間もいるだろう!?」
「動こうとしているんだから、それを遮るんじゃねぇ!この無意識スポイル野郎!!」
そんな兄弟喧嘩をしている最中に、峰子が訪れてくれた。
彼女はアーシャが目覚めたと聞いて、仕事終わりに駆けつけてくれたのだ。
「声が外に聞こえるほどのケンカを子供の前ですることは、感心しませんね」
そう凍える視線で言い争いを止めつつ、彼女は目覚めたアーシャを大切そうに抱きしめていた。
「立ってみると……これは……明らかに大きくなっていることがわかりますね」
それから少し眉を寄せて彼女はそう言った。
アーシャが大きくなった弊害は動けなくなっただけではない。
誰が見てもわかる、成長速度の異常さだ。
元から理解のある乾家、奇妙な世界に両足突っ込んでいる和泉姉弟、深く物事を考えない篠崎などは、異常成長をしても何となくで受け入れているが、世間ではそうではない。
噂が流れれば、異常だと騒ぎ立てたり、検査したいと言ってくる連中が、出てくるかもしれない。
騒ぎになる事を危惧して、とりあえずはアーシャを外に出さずに生活していたが、まさかずっと閉じ込めて生活をさせるわけにもいかない。
「保育園も体調不良という事でお休みをさせてもらっているんですが……このまま通わせるわけにはいかないんじゃないかと話をしているんです」
大きくなってしまったアーシャを、どのように扱うか、譲たちは頭を悩ませていた。
退園の手続きを相談しようとしたら、
「園は辞めなくて大丈夫です!!」
と物凄い勢いで断言されてしまった。
「でも友達たちも、いきなり大きくなったら大騒ぎに……」
「子供たちに関しては問題ありません。彼らは、まだ大人のように正確に世界を測っているわけじゃありませんし、考えが柔軟なので、大抵の事は『そんな事もあるんだ』と受け入れてくれます」
峰子はそう主張したが、譲の不安は拭えなかった。
意外と色んなものをしっかり見ていて、学習しているチビ助が近くにいるからだ。
「大きくなったら恐竜になるとか、飛行機になると言ってる子供達です。太古の生物にも、無機物にもなれる可能性を見出せる子たちが、単に大きくなっただけの子を受け入れられないはずがありません」
しかし子供達は受け入れてくれると、確信を持っているらしく、峰子は言い切った。
「でも保護者や先生たちは違いますよね?」
しかし譲の不安は晴れない。
そんな譲に峰子は自身ありげに胸を張った。
「それは『よその子は見るたびに大きくなる』現象を使えば何とかいけると考えています」
「「よその子は見るたびに大きくなる……?」」
全く聞いたことのない現象に、禅一と譲は、言い争っていた事も忘れて顔を見合わせた。
「子供たちは日々、驚異的な速度で成長しています。しかし我が子だと、その成長が見えにくいんです。毎日欠かさず見ているから、毎日一ミリづつ急速に伸びていても『昨日より一ミリ大きくなってる!』なんて思いません。でも、あまり意識していなかったお友達を一ヶ月ぶりに改めて見たら三センチ伸びていて『大きくなったな!』と感じるわけです」
それは譲にも禅一にもない感覚だった。
子供という存在に、それほど興味を持っていなかったせいだろう。
「ある程度期間を開ければ、毎日触れ合っていた教諭たちも感覚がリセットされると思います。子供の成長の早さは知っていますし、元からこの子は何センチと覚えているわけでもないですから。ついでに私も成長していても納得しそうな理由を吹き込んでおきますので」
そこまで言って、峰子は首を傾げた。
「例えば……そうですね……栄養をたっぷり摂れるようになって、やっと成長期が来たようです、とか?」
峰子はふっくらとしたアーシャの頬をプニプニしながらそう言った。
大きくなった時点で再び肉が削げ落ちたのだが、ほとんど動けない間に、禅一が甘やかして色々食べさせるから、あっという間にその頬は、ぷっくりとなってしまった。
フォアグラ待ったなしである。
「あ、はい!はい!『寝込んでいたら重力の干渉がなくなって良く背が伸びた』とかも良いかも!」
禅一は自信満々に手を挙げてそんなアホな理由を付け足した。
「そんなアホな話誰も信じないだろ」
「え?でも譲、やってたじゃんか。成長測定で俺より伸びてなかった時、『禅ちゃんの方がゴロゴロしてたから重力の影響受けなかったんだ!』って隙あれば横になって……」
「人の黒歴史を丁寧に掘り出して公開してんじゃねぇ!!」
そこから再び兄弟喧嘩となって、峰子に引き離されてしまった。
そんなこんなで、結論としては、二週間ほど乾宅に身を隠して、その間にリハビリを行うということが決定した。
乾宅に居候したのは、家が広く、道場や庭もあることから、世間から隔離しつつもアーシャがある程度自由に動き回れる点と、道場運営者兼主婦と思われていた峰子の父が、実は理学療法士の資格を持っているという点が大きかった。
子育てのために一度は退職したらしいのだが、子供が大きくなってからは週二パートで、近くのクリニックにも通っているらしい。
(最早スーパー主夫とか言うレベルじゃねぇよな)
と、密かに譲は尊敬してしまった。
譲たち一家に一部屋貸しても余りがある広い家の中を、常に美しく整え、三食栄養計算された旨飯を提供し、洗濯までやってくれる。
それでいて体を鍛え、道場経営を行い、やってくる近所の子供達の勉強なども見て、その上国家資格持ちのパートタイマーだ。
『お父さんのような人と結婚する』と宣言する超絶ファザコン娘が生成されても、それは仕方ないと思えてしまった。
しっかりとした知識を元にリハビリを受け、アーシャの動きは日に日に向上し、あっという間にきちんと歩き回れるようになった。
むしろ成長前より、しっかりと動けるようになった気がする。
「それほど酷い状態じゃなかったと言うだけですよ」
と謙遜していたが、かなり優秀であるに違いない。
しかも彼は禅一の甘やかしも、しっかりと何が駄目か説明した上で止めてくれる。
そんな優秀な体の機能のプロが間近にいるのに、アーシャは譲のケガを気にして、事あるごとに治そうとしてくるので、油断も隙もなかった。
アーシャの治癒能力に関して知っているのは、禅一と譲と乾医師だけなのだ。
乾医師は公にすべきではない情報と判断して、家族にすら喋っていないし、譲もアーシャの過去の悲劇を知って、改めて漏らしてはならないと思ったばかりだ。
それなのに、バレるきっかけを本人が作ろうとするから、油断できない。
「そんなにキツく叱らなくても……少し治りが早くなる程度なら問題ないんじゃないか?」
などと禅一はふざけたことを言っていたが、後々アーシャの回復能力があるのではと疑われた時、身内である譲が、長期間ケガを負ったままだったという事実が効いてくるのだ。
『回復能力があるなら身内に真っ先に使っているはず』という強力な否定材料になる。
怪我は災難だったが、全く関わりのない整形外科に、通院記録という強力な証拠を作れた事は良かったと譲は思っている。
せっかくの機会なので、じっくり通院するつもりだ。
治したら叱られると理解してからも、アーシャは気にしているらしく、譲が不便をしていたら牧羊犬の如く駆けつけてくるので、アーシャが近くにいる間、譲は動き回らずに、ゴロゴロと読書をするしかない。
それですら、暇になったら、『だいじょーぶ、だいじょーぶ』と足を撫でにやって来るので、禅一が相手をして気を引いてくれるのは助かる。
しかしその甘やかしぶりは目に余る。
今までだって可愛がっていたが、家族と引き離されてしまったアーシャの過去を知り、『幸せにする』との思いが強まり、度が過ぎているような気がしてならない。
「………何だ?」
譲の呆れた視線に気がついた禅一は首を傾げる。
「喜ぶからってカパカパ食わせてたら、出先でトイレを探す羽目になるぞ」
全くの無自覚で駄目っ子製造機になりそうな禅一に、ため息混じりに譲は答える。
「大丈夫、大丈夫。園内のトイレマップは頭に入ってるから、いざとなったら混んでない所まで走って連れて行く」
食べたがるのを止めるのではなく、問題を脳筋サポートで乗り越えようとしている事に不安が募る。
アーシャの体が大きくなったことで新しい服が必要なので、保育園への復帰を前に、これから市が主催するフリーマーケットイベントに連れて行くことになっている。
まだあまり歩き回れない譲の代わりに、仕事が終わりの峰子が付き添ってくれる事になっているが、かなり常識的な彼女も、アーシャには少々甘い。
「……フリマ会場にはキッチンカーとかも来てるらしいけど、欲しがるからって、次々に買い与えないこと。厳選して二品以内に留める事」
「ええ!?」
「ミカンだけでもかなり糖分摂ってるだろ。あまり糖分を摂り過ぎたら体に悪い」
悲劇に直面したような顔をする禅一に、冷たく譲は宣言する。
アーシャは事情が全然わかっていない様子で、ミカンを嬉しそうにモリモリと食べている。
「それから服は普段着五着、寝巻き三着以内で」
「ええええっっ!?」
「子供はすぐ大きくなるんだから。余計に買っても、もったいないだろ」
またアーシャが急成長するのではないかという疑いも譲の中にあるが、それは敢えて禅一には言わない。
「お……女の子だし、オシャレを楽しませても良いと思うんだが!?」
「今どきは男女平等だ」
「篠崎だってオシャレを楽しみまくっているぞ!?」
「………アイツは性別云々を超えた存在だから参考にすんな」
異常値を含めて考えるのはやめてほしい。
「よ……よそ行き用を二着追加で……!!」
諦め悪く禅一は交渉してくる。
チビに他所に行くような用事はないだろうと言いたい所だが、絶対ないとも言い難い。
「値段が手頃で、子供の動きを阻害するような服でなければ、一着」
「二日連続でお出かけするかもしれないし……!!」
禅一が必死な顔をするから、膝に乗ったアーシャが心配して、下から顎を撫でている。
自分の服の事で、兄たちが交渉をしているとは夢にも思っていないのだろう。
「一着だ。代わりに髪ゴムは多めに買ってきてくれ。小さいワンポイントなら保育園もOKだったから」
身長と違って、伸びた髪は誤魔化しようがない。
しかしせっかく伸びた髪を切るのは忍びない。
そこで髪はカッチリと結ぶことで、長さを誤魔化そうという話になった。
少しの間結い続けていれば、そのうち解いても、『いつの間にか伸びていたのね』という話になるだろうという作戦だ。
「髪ゴムか!良いな!」
髪ゴムなら、どれほど成長が早かろうと、すぐに不要になる事はないと踏んでの提案だったが、禅一は嬉しそうに、それにのってくる。
「……常識の範囲内の個数でな。装飾については峰子先生に聞くんだぞ?」
「ああ!わかってる!アーシャ、可愛いのを沢山買おうな〜」
禅一は途端にウキウキとアーシャに話しかける。
「かわいーの!」
アーシャはアーシャで、良くわかっていないくせに、力強く頷いている。
「……………」
峰子が着いて行くから大丈夫と思っていたが、自分も行ったほうがいいだろうかと、譲は俄かに心配になってくる。
そんな譲の目に、スマホが光るのが見える。
『まだ来ないのーーー!?ライブ間に合うーーー!?』
と、グループにメッセージを送ってきたのは、和泉姉だ。
(そう言えば、推しアイドルがフィナーレあたりで歌うって言ってたな)
ご当地アイドルも出てきて、フリマというよりは、ちょっとしたお祭りだ。
(チビをアイドルに感化させようとしている節があるんだよな)
アーシャに是非見せたいと熱弁していた彼女を思い出して、譲は悪い予感を覚える。
『何々?何かイベント行く感じ!?』
そのメッセージに食いついてきたのが同じグループ内にいる篠崎だ。
トラブルメーカーの参戦は阻止したい。
そう思った譲がメッセージを打つよりも前に、シュポンシュポンと和泉姉からフリマの詳細が送られてくる。
アイドルを推す事に関しては、えげつない反射神経だ。
『え〜アーシャたんも行くなら俺も行く!』
「……………」
篠崎からの返信を見て、譲は突っ伏す。
(駄目だ。もう止められない)
フリーマーケットの終わりがけの時間に、手頃な値段の服を、軽く探しに行かせるだけの予定が、それだけで終わりそうな気がしない。
「チビは昼寝してないし、久々の外だから無理するなよ」
一応そう釘を刺しておく。
「わかってるって。無理はさせないから!楽しみだな〜、アーシャ!」
「たなしみだなー!」
しかし緊張感を与える事はできない。
無駄にはしゃいでいる禅一と、つられてはしゃぐアーシャを、譲は呆れ半分、不安半分に眺めるのだった。
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