10.聖女、小さい旅をする
01.聖女、柑橘を楽しむ
この国の人に比べたら、アーシャは寒さに強い。
ゼンやユズルが肩で首を覆うようにしている時でも、寒さは感じるけど、身をすくませるほどではない。
家の中は『といれ』以外、常春のように暖かいし、外に出る時はこれでもかと服をしっかり着込ませてもらうので、それほど寒くないのだ。
(あぁ〜あったかい〜)
しかし有り余る寒さ耐性があっても『こたつ』の温かい魔力に抗うことはできない。
足を入れて卓の上で字の練習をするも良し。
首まで潜って体全体を温めるも良し。
時々頭まで入って、赤く、薄暗く輝く世界を楽しんでみるのも良し。
今やアーシャの小さな秘密の家のようなものだ。
午前中に沢山動く練習をして、お昼をお腹いっぱい食べたアーシャは、ヌクヌクと温まりながら幸せな気分で、微睡が近づいてくるのを感じる。
コロコロと転がったアーシャは大きな足にぶつかって止まる。
「ん?どーした?」
えいやとばかりにその足に抱きつくと、優しい声が下りてくる。
「んへへへへ」
大きい手が、寝かしつけるように優しくアーシャの頭を撫でるので、幸せな気持ちでアーシャは笑う。
『ぱそこん』で何やら作業をしていたゼンが、アーシャにお付き合いするようにゴロンと横になったので、すかさずアーシャは転がって、その懐に入る。
ゼンはアーシャの行動を読んでいるように、腕を枕として差し出してくれる。
そしてポンポンと背中を軽く叩くように撫でる。
「なかなかねむらないな〜。おひるねそつぎょうかな〜?」
くっついたところから直接響いてくる、柔らかな低音が心地良くて、アーシャは目を閉じならもクスクスと笑う。
急に大きくなる、不気味な子供だと、ゼンたちに拒否されるのではないかという心配は、杞憂に終わった。
ゼンたちがおおらかという事もあったが、思ったほどアーシャは大きくならなかったのだ。
アーシャ的にはかなり元の姿に近づくと思っていたのだが、鏡で見たらほとんど変わっていなくて拍子抜けしてしまった。
大きさとしては、恐らく『ほいくえん』の友達であるアキラくらいだろうか。
一回りくらい大きくなったが、相変わらず世界の方がウンと大きい。
ゼンと手を繋いで歩く時、今まで腕を真上にあげていたのが、少し余裕を持って曲げられるようになった程度だ。
もっとわかりやすく言うなら、前まではゼンの股下を難なく通過できていたのが、今ではしっかり屈まないと急所に損傷を与えるようになった……とでも表現すれば良いだろうか。
ゼンはどれだけ勢いをつけても大丈夫だが、ユズルに飛びつくときは気をつけねばならない。
(ユズルは怪我もしてるしね)
ウンウンとアーシャは頷く。
ユズルは大きな怪我をしていて、足を引き摺っている。
アカートーシャに聞くと、濁されてしまったが、モモタロが大威張りで教えてくれた。
どうやらアーシャの体を持っていかれそうになったのを、モモタロとゼンの大活躍とユズルの小活躍によって阻止したらしい。
思わず『大丈夫だったの!?』と聞いたら、モモタロはしばらく顕現できなくなるほど力を使い尽くしたらしいが、シノザキによって丁寧に手入れされ、事なきを得たそうだ。
アカートーシャは『気紛れで赦されたけど、二度とやっては駄目』と厳しく言っていた。
要するにユズルはアーシャを助けるために、かなり無茶をしてくれたようだ。
ならばアーシャがそれを治すのが筋ではないか、と思うのだが、ユズルは決して治させてはくれない。
『こたつ』にもぐって、こっそり力を注ぎ込もうとした時も、首根っこを掴んで引き摺り出され、大いに叱られてしまった。
見つからないように、治りを少し早める程度にしようとしたのだが、少しでもやろうとしたら、物凄い早さで発見される。
かなり警戒されているようだ。
(こっちには教会とか、貴族とか、国王とか、権力者みたいなのはいない感じなのにな。それでもダメなのかな)
この国は、身分の上や下などない、理想郷のように見える。
それでもやっぱり危険はあるのだろうか。
自分のせいで負った怪我を、治せる能力があるのに、治さないで放置しておくのは、どうにも胸に引っかかる。
歩きにくそうにしている姿を見ていたら、あまりにも申し訳なくて、そのうち変なあだ名をつけてやろうと思ってたのを無期限停止とする事にした。
少し成長したおかげで、滑舌が良くなって、思うように発音ができるようになってきたので、『ユズル』ときちんと呼べるようになったのだが、そう呼ぶと変な顔をされるので、今は『ユズ』と短く呼んでいる。
親しみを込めた正統派なあだ名だ。
アーシャがそのような歩み寄りを見せているのに、ユズルからは相変わらず『チビ』呼びなのが納得いかないが。
(『チビ』って絶対小さいって意味なのよね)
一回り大ききなったところで、ユズルたちと比べれば、アーシャはまだまだ小さい。
しかしすくすくと成長しているレディにちょっと失礼なのではないかと思うのだ。
(まぁ、ここからよ。今の体もすいぶん上手に動かせるようになってきたから、存在感増していくぞ〜!)
ほんの少々大きくなっただけと思ったら大間違いである。
体が大きくなったばかりの時は、上手く立ち上がることすら出来なかったが、数日の訓練を受け、そこそこ動けるようになってきた。
どのような事情でそうなったのかは良くわからないが、現在のアーシャたちは、ミネコせんせいの家でお世話になっている。
圧倒的に大きい家と『どーじょー』でアーシャは上手く体を動かせるように、毎日、練習をしている。
ミネコせんせいのお父さんが、アーシャの腕や足を曲げ伸ばしたり、支えて歩く練習をさせてくれたりして、今ではすっかり大きくなった体でも問題なく動けるようになってきた。
まだ少々手こずるが、今では大人用の『といれ』で用を足せるようになったし、後ろ向きにならなくても階段を一人で下りられるようになってきた。
腕にもしっかり力が入るようになって、皿を運んだり、お手伝いもできるようになってきた。
(慣れたら前の体より動かしやすいから、『チビ』と呼べないくらい、すっごいお役立ちな存在になれるはず!)
『やるじゃないか!』と、ユズルに見直される自分を想像して、ムフフとアーシャは笑う。
(こうしている間もちゃんと訓練した方が良いのかも!?)
そして心地よい微睡に身を任せ、眠りの淵に立っていたアーシャは、カッと目を開ける。
「……………ありゃ」
するとアーシャの顔を眺めていたゼンと、ばっちり目が合ってしまった。
「おきちゃったか〜〜〜、ん〜、もうねないかな〜?」
「ん!」
パリッと目を開け、アーシャは元気に両手を上に上げる。
「…………」
しかし起き上がる気になれない。
ポンポンと撫でる手を拒否し、ヌクヌクとした『こたつ』の楽園から飛び出せない。
居心地が良すぎる。
元気に両手を上げたのに、『こたつ』から出ることもなく、寝転がったままのアーシャに目を丸くしていたゼンは「プハッ」と吹き出す。
「あったかいもんな〜」
「あったかーい!」
そう言って二人でケタケタと笑っているのを、飛ぶ練習をしているバニタロと、それに騎乗して邪魔をしているモモタロが、呆れたような顔で見ている。
「アーシャ、こたつのたのしみかたをしりたくないか?」
「ん?」
単語単語は結構覚えてきたが、まだまだ会話は難しい。
最近はアカートーシャが体の中で眠ってしまっていることが多いので、通訳をあまりしてもらえない。
ゼンは体を起こして、『ぱそこん』を遠ざけてから、自分の膝を叩く。
「!」
それはここにおいでの仕草だ。
今まで『こたつ』の魔力にやられて立ち上がれなくなっていたアーシャは、いそいそと起き上がって、その膝の上に座る。
するとゼンは『こたつ』の『ふとん』をアーシャの体に、しっかりと掛けてくれる。
背中とお尻はゼン、足とお腹は『こたつ』、寒さから鉄壁の温もりで守られた姿勢だ。
「ぬふふふ」
外が寒ければ寒いほど、贅沢さを感じる、温か布陣に、アーシャはご満悦だ。
そんなアーシャの目の前に、ゼンはオレンジを一つ置く。
「み・か・ん!」
そして自分の分も一つ手に持ってアーシャに教えてくれる。
「みかん!」
実は既に覚えていた単語だったので、アーシャは自分の分と思われるオレンジを手に取って、自信満々に復唱する。
「………?」
しかしすぐに首を傾げる。
(何か……このオレンジ、柔らか過ぎない?空気が入っている……?しかも……何となく皮が薄い……?)
手に持ったオレンジを両手でグイグイ押して感触を確認する。
形もまん丸ではなく、上下から押しつぶされたような、奇妙な形だ。
「アーシャ、ここ、ここ」
ゼンは自分が持ったオレンジをひっくり返して、ヘタと反対側の、ヘソのような印がついた場所を親指で押す。
すると、あっさりと親指が果実の中に吸い込まれてしまう。
ゼンが怪力なのか、皮が柔らかいのか区別がつかなかったので、アーシャも自分の前に置かれたオレンジのヘソに親指を突き立てる。
「おぉ………!」
するとどうしたことだろう。
アーシャの貧弱な力でも、あっさりと皮は親指の侵入を許してしまった。
「で、びーっとむく」
ゼンが突っ込んだ親指で、そのまま皮を剥いて見せる。
「おおぉぉ〜!」
まさかオレンジの皮がそんなに簡単に剥けるはずがない。
そう思ったのだが、この皮は、剥かれるのを待っていたように、あっさりと親指の侵攻を許す。
ほんの少しの力で、皮は呆気なく剥がれ、破れて、中の果実を晒す。
「じょーず、じょーず」
皮はあっという間に剥けてしまって、『さぁ、食べてくれ』とばかりに、房と房がぱっくりと別れる。
ゼンは房の一つをとって、ポイっと口の中に入れて見せる。
「ほぁ〜〜〜」
どうやらこの国では、房の皮は取らないものらしい。
そういうものなのかと思ったが、少し抵抗がある。
アーシャは房の外側についている、皮のカスのような白い筋を軽く剥がしてから、恐る恐る口に放り込んでみる。
「!!!」
するとどうだろう。
驚くほど中の皮は柔らかい。
歯はほとんど抵抗なく受け入れられ、ジャクッと中の粒が弾けて、甘い果汁が口に広がる。
皮があるなんて信じられない柔らかさで、粒が弾ける心地良い感覚しかない。
しかも中から溢れる果汁が、信じられないくらい甘い。
想像した酸っぱさは、ほぼなくて、それでいて鼻からはしっかりと柑橘の香りが抜ける。
「ん〜〜〜!」
噛むたびに甘味を入れた果実水のような、甘い果汁が溢れてくる。
「おいしーーな!」
あっという間に一房目を飲み込んでしまって、アーシャはゼンに報告する。
「おいしーなぁ〜」
ウンウンとゼンも頷く。
房は食べられるのを待っていたかのように、軽く引っ張るだけで剥がれてしまう。
ゼンは二、三房を一気に齧りとって食べている。
「ん〜〜〜!」
後口にだけ微かな酸味が残って、甘さが後を引かず、爽やかだ。
そのおかげで、次に放り込んだ房から溢れる甘味を、再び新鮮に感じられる。
甘い、爽やか、甘い、爽やかと交互に楽しむため、アーシャは次々に房を口の中に放り込む。
そして遂に最後の一個を放り込んだところで、アーシャは驚くべきことに気がついた。
(これ………全く種がなかった!!)
果実としては当然あるはずの種が一個もなかったのだ。
既に食べ終わったゼンも種を出した気配がない。
(そう言えば……『たぶれっと』で果物の名前を覚えた時、似たような形なのに、『みかん』と『おれんじ』と『ぐえぷふるっぷ?』みたいなのがあったわ……本当に別の果物だったんだ……!!)
アーシャは残された薄い皮を見ながら感心する。
(『みかん』はオレンジとは全く違うのね!?この果実自体が一つの種だとか……!?)
オレンジ色の皮の中に、半月のような形の房が円を描いて並んでいる、柑橘の香りがする果実。
そんな多くの共通点があるが、味も特性も異なっている。
「もーいっこたべるか?」
興味深く皮を観察していたら、ゼンが台の中央にあるカゴから『みかん』を取り出す。
「ん!」
「『こたつ』に『みかん』!これぞ、ふゆのだいごみ!」
「だーもみ!」
今度は『みかん』を半分こにして、二人は笑い合う。
「………なにやってんだか……」
そんな二人を見て、反対側に転がって本を読んでいたユズルは、呆れ混じりにため息を吐いていた。
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