28.兄弟、飛ぶ(前)

「やぁ、帰ってきたね。遥か遠き国の御巫みこ

「へ?」

気がついたら、いつか来たことのある、明るくもなければ、暗くもない空間にアーシャは座っていた。

目の前にはいつぞやの、長い髪を二つに分けて、耳の辺りで結っている人物が座っている。

「こちらの国のおもてなしは、貴女にとって衝撃的だったようだね」

相変わらず、男か女かわからない不思議な容貌の人は、クスクスと揶揄うように笑う。

「あっ………!!」

そう言われて、生きたまま骨を剥き出しにされた魚に動揺して、みっともなく泣き叫んでしまった自分を思い出して、アーシャは赤面する。


「恥ずかしがる事はない。まだ完全ではない君は、死の穢れにも弱い」

相手は優しく笑うが、アーシャにはその言葉の意味がよくわからない。

「完全……?死の穢れ……?」

「少し前までは、あらゆる穢れを排した膳をとっていたんだが……長い時をかけて得た知識も一度廃れると駄目だね」

アーシャの頭の中は疑問符だらけだが、その人は説明する気はないらしく、独り言のように呟きながら立ち上がる。


「おいで。遥か遠き国の御巫」

そして振り返りもせずに歩み始める。

「えっ……ちょっと待って……あの、ゼンは!?」

それを追うアーシャの足は、いつもの歩き難い短足ではなくなっている。

「王は君の器を大事に抱えてくれているよ。心配ない」

女性のものか男性のものか判別できない声は、優しいが、熱を感じない。

ついて行って良いものかアーシャは戸惑う。


「おいで。契約だよ」

しかし逆らうことを許さない口調に、足が勝手に動き始める。

隣に並ぶと、その人は澄んだ微笑みを浮かべた。

「順調にこちらとのえにしが深くなっているね。思った通り、王たちは貴女を愛情深く育てている」

「えにし……?」

「繋がりの事だよ。王たちと結びつき、これで少々の事では貴女の魂は元の場所に引き戻されない。……少しばかり多めに注いでも大丈夫そうだ」

「???」

言葉は通じるのに、意味がわからない。

アーシャは首を傾げるしかない。


数歩進んだその人は、途端に色が鮮やかになる。

「手を」

声質も全く変わらないのに、急に人間らしい熱を持った。

振り返って差し伸べられた手は、皮膚の下を走る血の温もりが感じられる。

「………………!」

「ん?」

その手を掴もうとした時、誰かが声をかけた気がして、アーシャは後を振り向く。


「そなたはここに入れない。消滅したくなければ器の中で待ちなさい」

誰もいない空間に向かって、透明な声は宣言する。

「………?」

誰かいるのだろうかと目を凝らすが、何も見えない。

「さ、行こう、遥か遠き国の御巫」

アーシャの手を大きな手が包む。

その手の温かさは、どこかゼンを思わせた。



—————————————————



「お支度の時間でございます」

そんな声が部屋の外からかけられる。

「うぅ……ねみぃ……」

微睡と覚醒を繰り返していた譲は、高級な布団から這い出す。

奥に敷かれた布団から、お化け屋敷の機械仕掛けの死霊のように、ギギギっと腹筋だけを使って人影が起き上がる。

「おはようございます。あまり眠れなかった様子ですね」

特殊な起き方をした人影は、そんなことを言いながら顔にかかった黒髪を払う。

白皙の顔には全く起き抜け感がなく、ずっと起きていたと言われても信じられるほどいつも通りだ。


昨夜、禅一にしがみついたまま、泣き疲れて眠ってしまったアーシャを無理に引き離すことができず、譲は本家に泊まることにした。

『明日の儀式、私たちはに入れないと言うことでしたから、本家ここにいた方がいざという時に乗り込めて好都合です』

『カルトはお腹いっぱいだけど、アーシャちゃんの安全の為だからね〜』

立ち入りを禁止されても、いざとなれば禁域に踏み込む気満々な峰子と、事情がよくわかっていないなりにアーシャの安全確保に努めようとしてくれる篠崎も、一緒に残ってくれた。


本当であれば、全員同室が一番安全だったのだが、禅一が異性との接触を禁止されているので、無理だった。

峰子は自分だけ入り口前廊下に布団を敷いて寝ると主張したのだが、そんな事をして夜中に襲われでもしたら、目も当てられない。

『私は大丈夫ですよ。気配だけで起きられますし、不届な奴は強制去勢しますから』

一瞬『本当に大丈夫かも』と思ってしまうほど、自信を持って言われたが、こんな所までついてきてくれた彼女を廊下で寝かせられるはずがない。


結局は宗主の部屋に禅一とアーシャと篠崎、程近い客室に譲と峰子が泊まることとなった。

未婚の男女が同じ部屋に寝るのはどうかと思ったが、軽んじられているとは言え『宗主の息子』が同室にいるということが、不埒な輩に対する一番の抑止力になると判断したためだ。

一応、峰子が部屋の奥、譲が入り口付近と、最大限に離れて休んだが、案の定、譲はまともに眠ることができなかった。


譲は儀式に参加するため、浄衣を手早く身につける。

峰子はいつでも活動できる様にと、私服のまま眠っていたので、軽く顔を洗う程度で身支度終了だ。

「無理ぃ……徹夜はできても早起きは無理ぃ……」

二人が身支度する所にフラフラとやって来たのは、アーシャを抱えた篠崎だ。

夜衣を用意すると言われたのに、固辞して自分の改造ジャージを着て寝た篠崎は、おごそかな雰囲気の本家からかなり浮いてしまっている。

「あの、抱っこのお手伝いはすると言ったのですが……」

あまりにヨロヨロとしているので、後ろから二人の家人がいつでも支えられるような状態でついて来ている。


「四時半とか人間が起きる時間じゃねぇよぉ……」

譲にアーシャを手渡した篠崎は、彼が出たままになっていた布団に潜り込んでいく。

「禅は先に行ったのか?」

「うん。この時期のこの時間から水浴びって……ゴーモンが過ぎるっしょ」

そう言いながら篠崎は布団に包まってヌクヌクし始める。


「えっと……お客人はこのままこちらで過ごされますか?」

篠崎についてきた家人が襖の外から、戸惑い気味に聞いてくる。

「はーい。ここで……」

「いいえ、ついていける所までお見送りさせてもらいます」

そのまま二度寝を企む篠崎を、峰子が遮る。

彼女はしっかりと持って来たものをひとまとめにして、布団も畳んでいる。

いつでも逃亡でも戦闘でもできる状態だ。

「ふぇぇぇ、ねむたいぃぃぃぃ〜」

対する篠崎は半泣きだ。


「帰りは車の中でしっかり寝てもらっていいから。で、起きたら、また寿司を奢るから、頑張ってくれ」

朝日と共に終わる清めを終わらせれば、後は帰るだけだ。

譲は篠崎を宥めながら、腕の中のアーシャを見る。

こちらはぐっすりと眠っていて静かなのかと思いきや、緑の目は開いていた。

「チビ……?」

声をかけると、瞳がゆっくりと動き、遠慮がちな微笑みが唇に浮かぶ。

(あんまり早い時間に起こされたから寝ぼけているのか……?)

あまりに反応が薄くて、譲は首を傾げる。

見慣れない白い小さな着物を着せられているのも手伝って、まるで別人のようだ。


「お布団も一緒に行くぅぅ〜〜〜」

「ユッキーちゃん、簀巻きにしましょうか?」

「簀巻きはいやぁぁ〜」

純粋な好意で篠崎を布団で巻いて移動させようとする峰子と、ベソベソと泣きながら、刀箱を持って移動を開始する篠崎。

そんな二人に家人が戸惑いながらも先導する。


神剣が祀られた、神殿の広間には既に準備を済ませた村人たちが集結している。

清めに参加するのは白い着物の男たちだ。

峰子は白い服なので、そこそこ馴染むかと思いきや、リアルすぎるアーシャの関節球体人形を抱いているせいで、出る場所を間違えた悪霊のような雰囲気が漂ってしまい、少し遠巻きにされている。

本人は少し不思議に思ったようだが、『よそ者だからか』と納得しているようだ。


レース付きジャージの篠崎はかなり浮いているが、いつもの事なので、本人は全く気にしていない。

マイペースに広間が寒いとベソベソ泣き言を垂れ流していた所、面布で顔を隠した女性に毛布を差し入れてもらって、大喜びしている。

「おねーさんありがと〜!」

白い衣装の人間だらけの中で、青い毛布に包まれ、呑気にヌクヌクしている。


二人ともアウェーにいるとは思えないマイペースな様子で、譲は少し安心する。

「峰子先生、篠崎。俺らが禁域うらに行っている間に何か起こったら、こちらを気にせずに行動してもらって良いから」

そう言って譲はいざという時の足の為に峰子に車のキーを渡す。

「俺も運転できるよ!」

「……篠崎は却下で」

自分の大切な愛車を、何をするかわからない奴に任せられるほど、譲の器は大きくない。


「ん?」

そんなやり取りをしていた譲の目に、ピョンピョンと弾む物が視える。

「……………!……………!」

聞き取れないノイズのような音を発しながら、何かを訴えているのは、篠崎が抱える刀箱に収納されている刀の神霊・桃太郎だ。

いつもは譲のことなど眼中になく、話しかけたりすることもないのに、珍しく何か一生懸命に喋ってアピールしている。


「………えっと……?」

譲にその声は聞き取れないので、腕の中のアーシャに通訳できないか視線を送る。

「……………」

しかし緑の目は、神霊を見つめた後に、静かに譲の方を見上げるだけだ。

「チビ、何を言ってるんだ?」

神霊を指差して聞いても、困ったような顔で小さく首を振られるだけだ。

いつも騒がしく、通じないなりに色々伝えようと動きまわるアーシャとは思えない反応だ。


「……連れて行って欲しいんじゃないですか?」

譲が戸惑っていると、峰子がそんな事を言う。

すると『それだ!』とばかりに桃太郎は峰子を指差し、これでもかと言うほど、赤ベコのように大きく頷きまくる。

「あ、聞こえるんですか?」

「いえ、何となく気持ちがなんとなく伝わるというか……まぁ、野生の勘のようなものです」

良く視えていないようで、目を細めてジッと見つめる峰子に向かっても、桃太郎は一生懸命何か喋りかけている。


「うん。………詳しくはわかりませんが、アーシャちゃんの身を案じてるみたいです。懐にでも入れて連れて行ってあげては?」

「俺が身につけても大丈夫なんですか?」

『禅一命!!』が明らかな神霊なので、譲は顔を引き攣らせる。

「……………〜…………!」

すると『今回だけの大サービスだ』だとでも言っているのだろうと、言葉を聞くまでもなくわかるように、桃太郎はふんぞり返って、立てた人差し指を左右に降った後、大きく頷いた。

ちびっこいくせに大いに偉そうである。


「……それじゃ、一応……篠崎、守り刀、借りていくぞ」

あまり本体に触れないように、刀袋を摘み、懐に入れる。

「………………!……………!」

すると譲の肩に乗って、桃太郎はブリブリと何か怒っている。

帯電しながら怒るのは流石に迷惑なのでやめてほしい。

「えっと……?」

「ばっちい持ちに怒っていますね」

肩の桃太郎を指差すと、峰子が解説してくれる。

「えぇ………」

主人以外に触れられるのは嫌かと気を遣ったつもりなのに、刀心カナタゴコロは難しい。



そうこうしていたら、準備を終えた禅一と最上が広間に姿を現す。

「御使い様を前に!」

偉そうに指示する最上の声に、譲は顔を顰めながらも、アーシャを抱いて立ち上がる。

「戻るまで気をつけてください」

「ええ。そちらも。……何かあったら駆けつけます」

峰子は余裕の笑みで、後半は小声で付け加える。

篠崎は相変わらず眠そうで、半分眠りながら手を振っている。


(まあ離れると言っても少しの間だけだからな)

峰子はかなりの実力者だし、篠崎は武術はからっきしだが、力だけは強い。

「ご安心を。我らもお守りします」

そんな事を思いながら、前に向かって歩いていたら、先ほど篠崎に毛布を差し入れてくれていた家人が、すれ違いざまに少しだけ面布を上げて顔を見せ、小さな声で囁く。

「あ……」

その顔は以前、禅一がアーシャを託した人だった。

ギリギリの状態で、禅一が選んだ人ならば信じられるかもしれない。

譲は彼女に黙礼する。


祀られる神剣に近寄るにつれ、空気が重く、澄んでいく。

「…………〜!…………〜!」

桃太郎は何か大騒ぎしながら、譲の顔に張り付く。

(怖いなら篠崎の所でジッとしてりゃ良いのに……ここは視える人間が多いからマジでやめて欲しい……)

何事もないような顔で歩くが、ギョッとされたり、吹き出しかけられたりするのは愉快ではない。

何故この神霊は、よりによって人の顔にコアラのように張り付くのか。


「……………」

昨日に引き続き、神霊を顔に貼り付けて現れた譲に、最上は微妙な顔をしている。

「ぅん…………御使い様を……」

「俺が運ぶ」

少し言い淀んだ後に、やはりアーシャを優先することにしたらしいので、譲は容赦なく却下する。


「………アーシャ?」

あまりにも大人しいアーシャに、禅一は首を傾げる。

どんなに眠くても、禅一になら反応するかと思ったのに、譲の腕の中のアーシャは静かに、慕わしそうな視線を彼に向けるだけだ。

「終わったら一緒に家に帰って寝ような」

禅一も普段起きる時間ではなかったから様子が違うのだと思ったらしく、アーシャの頭を優しく撫でる。

普段ならここで『ん!』と元気な返事が出てくるのだが、アーシャは禅一を見つめたまま、こちらの胸が痛くなるような、切なげな笑みを浮かべただけだった。

その笑みがあまりに大人びていて、物悲しさすら感じさせる儚さで、禅一と譲は言葉に詰まってしまう。


「宗主代理、日の出が近づいております」

そう言われては、禅一は動かざるを得ない。

「……頼んだ」

「あぁ」

心配そうにしながらも、禅一は作法に則り、神剣への祝詞を上げ始める。


「〜〜〜!………っ!」

要するに『偉大なあなた様の力をお借りし、御身に触れることを許していて欲しい』という内容の祝詞なので、嫉妬のせいか桃太郎は人の顔に張り付いたまま、ピーピーと何やら嘆いている。

ここまで人間臭い神霊など聞いたことがない。

そんな神霊とは真逆に、譲の腕の中のアーシャは、いつもは生き生きと輝かせている緑の瞳を、神秘的にけぶらせ、まるで臈長ろうたけた女神が子供に宿ったような空気を醸している。

まるで神霊と人が逆になったような二人(?)が、周りも気になるらしく、チラチラと視線を送ってくる。


(さっさと終わらせて帰ろ……)

祝詞の終わりに合わせ、深々と頭を下げながら、譲は思う。

家に帰れば全てが元通りになるはずだ。

視界不良を起こす神霊も、気持ち悪いほど静かなチビ助も通常運転に戻るはずだ。


「…………」

そんな譲の手に、遠慮がちに小さな手が触れる。

静かな空間なので、無音で意思表示されるのは助かるはずなのに、『ゆずぅ!ゆずぅ!』と呼びかけられない事に、思わず顔が歪む。

静かな瞳で譲を見上げたアーシャは、禅一が取って剣がなくなった祭壇の上に残った神楽鈴を指差す。

「持っていくのか?」

そう聞くとアーシャはゆっくりと頷いた。


清めに参加するのは初めてのはずなのに、まるでこれからの事を全て知っているような顔に、譲は違和感が吹き上がる。

(……動揺すんな。とりあえず色々な解明は、これを終えて、無事に家に帰ってからだ)

そんな違和感を押し殺して、譲は神楽鈴をアーシャに渡してから、皆に続いて禁域に続く扉を出た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る