27.鍛冶、カルトを体験する
使い込まれ、しっかりと掃除もされて、飴色になった上質な木材の廊下。
普通の廊下の広さは人がすれ違える程度だが、ここは三人並んでも余裕で歩けるほど広い。
ここの人間は、案内人の後ろを歩く篠崎の姿を確認したら、無言で道を譲り、深々と頭を下げて、通過を待つ。
男性は真っ白な着物、女性は真っ黒な着物で、顔に真っ白な布を巻いている。
(ユーレーが頭に巻いているヤツみたい)
篠崎の頭に浮かんだのは葬儀の時に死者の頭に巻かれる三角の白い布・
因みに目の前の女性たちがつけているのは、頭に巻いた白い布という共通点があるだけで、形も四角だし、方向も顔を隠すような下向きなので、全く違う。
(カルト宗教に潜入した感ハンパな〜!)
篠崎は楽しく周りを観察する。
(蛇モチーフが多いな〜!これぞ邪宗!って感じ。ヨコシマ〜!)
あらゆる場所に蛇の印があり、時々見かける家紋にも蛇らしきものと藤の花が組み合わさっている。
日本では白蛇など神の化身として扱われがちなのだが、篠崎の頭の中には西洋のカルト宗教があるので邪悪な象徴にしか感じられない。
(何か要所要所に鳥に刀が刺さったようなモチーフもあるし不っ気味〜!)
余計なことを言うなと親族総出で、前もってシメられたので、口には出さないが、ちょっとしたリアルお化け屋敷感覚だ。
(こりゃぁ、ゆずっちの性格の歪みも納得できる最悪環境だな〜)
二日滞在したらお腹いっぱいになりそうな怪しさと閉塞感だ。
『基本、ここの人間はクソ選民思想だ。利用価値がねぇ外の人間はゴミだと思ってるから、なんかあったら禅を呼べってひたすらごねろ』
譲からの前情報がなければ、戸惑っていただろう、熱い手のひら返しも面白く感じてしまう。
入る時は裏口からで、すれ違う人間からは蔑むような視線を受けたり、露骨に避けられていたのに、今ではしっかり『お客様』待遇だ。
「
案内人は一際豪華な襖を示し、スッと端に避ける。
「宗主代理、最上様、鍛冶様をお連れしました」
案内人がそう声をかけると、
「ご苦労」
襖の奥からは『これぞ』という、しゃがれた怪しい声が答える。
すると案内人は深く頭を下げた状態で、襖を開ける。
どんな怪しい宗教ババァが出てくるかとワクワクしていた篠崎は、襖の先に見慣れた顔を見つけて目を丸くする。
「禅!」
予想していた通りの、怪しさ満点・シワシワMAXの、今すぐエセ霊能者としてデビューを飾れそうな着物老婆の反対側には、真っ白な着物の禅一が座っていた。
「篠崎、色々悪かったな」
そう言う声はいつも通りなのだが、どことなく熱がないというか、精巧な蝋人形のようで、篠崎は『これじゃない』感に首を傾げる。
(さっきも思ったけど、やっぱ禅が禅じゃねぇ)
強い違和感に、偽物じゃないかと、篠崎は目を眇めて禅一を見る。
「……何変な顔してるんだ?」
禅一は不思議そうにするが、篠崎は塩っぱい顔を止める事ができない。
「禅、何か、こう、おかしくね?」
はっきり何が違うと言えないが、今の禅一は違和感に溢れている。
怪盗なんかが禅一のマスクを被っていて、『よく見破ったね明智くん』とか言いながら、顔を破いても、全く驚かない自信がある。
「篠崎におかしいって言われたら、色々終わりに近い気がするんだが……あれ?篠崎も何かおかしくないか?」
「………俺は何かじゃなくて、明らかにおかしいだろ」
自分の眉を押さえながら、篠崎はますます塩っぱい顔になる。
この鈍さは、まごう事なき本物だ。
「鍛冶殿」
そんな二人の会話をエセ霊能者、改め、妙に小さい老婆が遮る。
「先代が倒れてから、神剣に認められる者が現れず、難儀していたが、この度、見事選ばれたと。めでたい事だ」
眼光の鋭さは感じるのに、目がどこにあるか、シワでよく見えない老婆は、重々しく告げる。
「はぁ……選ばれたっつっても……俺は軽く手入れしただけなんだけど……」
しかし篠崎にはピンとこない。
この屋敷に連れて来られて、一も二もなく、神社みたいな建物の、神棚に飾られた剣と対面させられた。
柄まで金属で作られた、両刃の剣は、一見するだけで古いとわかる品だった。
篠崎の記憶が正しいなら平安時代辺りから、斬撃特化で現在の片刃の刀が主流になったはずなので、恐らくそれ以上前の物と思われる。
それならばボロボロに腐食していてもおかしくないはずなのに、その剣は近年に打たれたように、生きた刀身だった。
しかし勿体無いことに、長年手入れをしていないようで、所々曇り、錆が出ていた。
価値ある剣が放置されているのは、職人の端くれとして見逃せなかったので、きっちり手入れをしてやった。
しかも無料労働で、だ。
するとこの老婆と同じように『選ばれた』『選ばれた』と、周りが口々に言い始め、急に待遇が良くなったのだ。
(無料労働を褒め称えるのは、ブラックの証明だな)
と、思いつつも、冷遇されるより厚遇される方が絶対良いので、何も言わなかったが、こうもしつこく『選ばれた』と騒がれると、少々薄気味が悪くなってくる。
「篠崎の家には使いを出そう。遠からず、
「えっ!?」
確かに『篠崎家の当主になるかも?』という設定で入り込んだが、あくまで一時的な手段としてそう言っただけだったので、驚かざるを得ない。
厳しい本家の連中や、心底自分を嫌っている従兄弟などの顔が脳裏をよぎって、篠崎は顔を顰める。
『才能なし』と嗤った連中を『才能あったそうですよぉ?』と煽り返せると思うと、これ以上なく愉快だが、奴らの上に立つのは純粋に面倒臭い。
可愛い物に囲まれて過ごす、今の生活が最高なので、煽りをやるために捨てるなんてあり得ない。
ショップに行くにも一時間以上運転しなくてはいけない土地に戻る気は全く無い。
「篠崎の家のことは篠崎の家で決めるだろう。誰を当主にするなど、こちらから言うべきことじゃない」
すると聞いたこともないような冷たい声で、禅一が老婆に告げた。
「何を言うか。藤護から当主のお墨付きを渡すのだ。これ以上光栄な事があるか!」
「いつまでお山のボス猿気取りなんだ?今時、他所の家の事情に口を出してくる奴なんて迷惑以外の何者でもない。手入れの依頼を篠崎個人に出すことはあっても、他所の家の後継問題に口だしはさせん」
「知ったような口を……藤護からの命を喜ばんはずがなかろう!」
「喜ばねぇよ」
いつもはしっかりとした喋り方の禅一の言葉が乱れて、篠崎はびっくりして目を丸くする。
笑顔のイメージが強い禅一の永久凍土並みの冷対応は、レアが過ぎる。
「後で宗主にも進言する。勝手なことをするな」
こんな威圧的な命令口調も初めてだ。
禅一が篠崎のために老婆の暴走を止めようとしてくれているのは理解できるが、はっきり言って怖い。
(やっぱ藤護が絡むと、ハンパな〜)
篠崎は別人のような禅一の隣に、ちょこちょこと歩いて行って、
「ケンカしなくて良いって。本家連中も自滅願望なんかねぇから、万が一命令が行っても、俺を当主にするなんてナイナイ」
小声で禅一を宥める。
すると、少しだけ禅一は笑う。
しかしすぐに表情を凍らせて、老婆に対する。
「大体、篠崎との挨拶をしたいと言うから同席を許したんだ。さっさと挨拶して出て行ってくれ」
物凄い塩対応だ。
老婆は元からシワだらけの顔のシワを、更に深くして、禅一を睨む。
(ブルドッグの威嚇……)
険悪な空気を感じながらも、篠崎はついついそんなことを考えてしまう。
「私は藤護の祭事を取り仕切る最上だ。この度、神剣に選ばれた鍛冶を、この村の正式なお客人としてお迎えしよう。この後の宴で、紹介するから参加するように」
ドスドスと足音を立てる老婆が去った後、案内人が深々と頭を下げ、襖を閉める。
「………すっげぇ婆さん」
「藤護のトップだからな」
「トップは禅のパパンだろ?」
「あの人は諸事情で表に出られないからな。まぁ、外に出られても、あの婆さんにとったら、宗主も青二歳だ」
そうやって言葉を交わしている間も、どこか禅一の表情は冷たく固い。
(敵陣真っ只中、って顔してんなぁ)
そんな服装も相まって酷く冷たい印象を受ける。
(中学の頃みてぇな、『俺に触れるものは全部死ね』オーラビンビン……明るくなったのかと思いきや……切り替えができるようになっただけなんだ)
禅一の横顔に、中学生の頃の酷い顔つきが重なる。
そんなことを考えていたら、どこからか良い匂いがして、篠崎の腹が鳴る。
「あ、ゆずっちからオニギリ持たされてたんだった」
そう言って、袖の中を漁る。
ラップで包んだ上に、銀紙で綺麗に包まれたオニギリを、篠崎は遠慮なく展開する。
アーシャに食べさせるために作ったので、ニンジン、パプリカ、ネギ、レタス、豚肉、卵と、とにかく具沢山で、全ての具がこれでもかと小さく切り刻まれたチャーハンオニギリである。
「禅も食う?」
「いや、俺はいい」
「あ、この後宴会なんだっけ?」
一個ぐらい分けてやろうかと思ったが、禅一は辞退する。
篠崎はしっかり車の中でドーナツも食べているので、我慢できないほど腹が減っているわけではないが、せっかく持たされたものなので、オニギリに齧り付く。
「そーいや、ゆずっちが変なこと言ってたんだよなぁ。本家で出されたもんは食うなって」
チャーハンは絶妙にパラパラで、オニギリとしては、中々食べずらい。
「あぁ、アイツら外の人間には何やっても良いと思ってるからな。小さい頃は食ってる最中に唾吐かれたり、腐ったもんや残飯食わされたりしたし、譲に至っては一服盛られた経験があるから、全く信用してないんだ」
苦労しながら食べていると、サラッと世間話のように語られて、篠崎は米粒を吹き出しかける。
「はぁぁぁぁ!?」
「俺らが本家じゃなくて離れに寝泊まりしてるのも、ここの人間が作ったものを食いたくなかったってのが大きいんだよ。食材を確認して自分たちで作るのが一番安全だったし。ここじゃ安心して寝られないしな」
いくら『外の子供』とはいえ、あんまりな扱いだ。
「いや……でも……今は結構尊敬されているというか……さっきとか、
「あぁ。やられたら報復五倍返しを心がけていたから、今は多少怯えられているかもしれん」
「おっふ……修羅ってんな〜……」
知ってはいたが、思っていた以上に彼らの子供時代はハードモードだったようだ。
中学時代の尖りまくった、殺すモード禅一にも納得だ。
良くそのまま道を踏み外さなかったなと思ってしまう。
そんなことを思っていたら、部屋の外から声が掛かる。
「宗主代理、鍛冶様、お出ましお願いできますか」
入ってきた方とは逆の襖からの呼び出しだ。
「行けるか?」
「あ、ハイハイ」
食べた後のゴミを袖の中に突っ込みながら篠崎は立ち上がる。
次はどこへ連れて行かれるのだろうと思っていたら、反対側の襖は、そのまま、巨大な大広間の上座部分に繋がっていた。
「おっふ……時代劇じゃん……」
禅一の後について部屋を出た篠崎は思わず呟く。
そこは修学旅行で使った大広間より尚広い。
(超絶遠近法〜)
同じ方向に敷き詰められた畳の、一直線に並ぶ
畳の数は横方向には八つ、縦方向の数は、四まで数えて、後は諦めてしまう。
畳の上で土下座待機している人間が多過ぎて、数えられたものじゃない。
(え、何これ。この大人数の前に座れとか言わないよね?)
篠崎は人前に出ることは嫌いではない。
むしろミスコンに男として参加して馬鹿騒ぎするくらいには好きだ。
しかしこの地味な姿と濃い眉で、気持ち悪いほど静かな男たちの前に座るのは、素直に嫌だ。
(こっわ……これ全部蝋人形を設置してるとかじゃないよね?)
微動だにせずに頭を下げ続けている人々に、篠崎はドン引きである。
そんなドン引き状態の篠崎の前で、禅一は一ミリの迷いもなく、進み、座布団に座る。
(うぉっ……当然って顔で超上座行った……!!うわぁ………上様じゃん……)
上座に三つ置いてある座布団のうち中央に、当然と言う顔で座った禅一を観察していると、
「鍛冶様はこちらへ」
と、禅一の右側にある座布団に導かれてしまう。
「……すげぇ落ち着かねぇ……」
「すまん」
ボソッと言うと禅一が小さく謝る。
「皆の者、面を上げよ!」
(セリフも時代劇……)
見知らぬ中年に篠崎は内心でツッコミを入れる。
「この度、神剣に認められた鍛冶が現れた!先代の鍛冶が倒れてから十年、手入れができる者がおらず、神威が下がりつつあったが、今日、見事に神剣が復活を遂げた!」
(うわ〜〜〜〜話題がこっちに来てる、こっちに来てる〜〜〜。怖〜〜。あれくらいの手入れで大袈裟過ぎない?ここの方々……)
異分子を見る目が、急に熱を持ち始めて、果てしなく居心地が悪い。
「清めの前に神剣が力を取り戻せたことは、素晴らしい成果だ。村の外の人間とはいえ、代々藤護のために尽力してくれた篠崎の家の者で………」
男の熱心な口上は止まらない。
篠崎の説明や、篠崎が来た経緯などを熱く語っている。
「っっ」
何とかしてくれよと言いたくなって、隣の禅一を見た篠崎は、喉が詰まってしまう。
余裕の笑みを浮かべているように見える横顔だが、その視線は恐ろしく冷たい。
普段、悪態をつきまくっている、ツンドラ系男子である譲の方が、まだまだマシだと思ってしまうほど温かみがない。
(こっわ………真・ツンドラ系男子……!)
元からこういう人間だったら、それほど怖くなかったのかもしれないが、人が良過ぎるほど人が良くて、困っている者がいたら、条件反射で助けに行ってしまうような禅一だから、落差で、悪意を向けられていない篠崎ですら凍りついてしまう。
(これは報復云々じゃなくて、禅自体が怖くて手出しできなくなったんじゃねぇの……?うわぁ〜〜〜、こんな禅見たら、アーシャたん、泣くかも)
暇な口上を聞き流しつつ、座っているだけで威圧感が激しい禅一に、篠崎はそんな心配をする。
特に妹には甘々な禅一だ。
大きな衝撃を受けそうだ。
篠崎は挨拶のために来たというのが名目だったので、藤護本家に呼ばれても仕方ないと思っていた。
しかしアーシャもと言われて、譲は大いに抵抗していた。
(顔見せだけって言うのに、ゆずっちが渋りまくってたのは、禅のコレもあったのかなぁ)
明日の儀式に出すためには皆への紹介は必須だ、紹介しないなら参加はさせられないと粘られて、譲は禅一が必ずそばにいること、自分たちがすぐ近くに控えておくことを条件に、こちらに来る事になった。
そんな事を考えていたら、俄かに部屋の外が騒がしくなった。
「来たか!」
口上が続いていたのに、禅一はそんな言葉は聞こえないという様子で、立ち上がる。
「そ、宗主代理!!」
そして止めようとした男を振り切って、大広間の中央を堂々とした歩みで横切る。
(おお……モーゼの海割り)
均等に座っていた者たちは、次々と禅一に道を譲って、部屋の中央に広い通路ができてしまう。
「おい、最上様に宗主を止めておけと言われただろう!」
「無理だって。あんなの止められないって!」
ヒソヒソと口上を述べていた男と、他数人が顔を突き合わせている。
(あぁ……禅とセットにすると約束はしたけど、守る気はなかったのか)
篠崎は聞いていないような顔で、視線を畳に向ける。
皆、
(ここはアイツらにとっての敵地なんだな)
膝に頬杖をついて、篠崎はそんな事を思う。
自分の実家も閉塞的で、昔ながらの価値観に染まった同調圧力が多少鬱陶しい所だが、少なくとも敵ばかりではない。
(アイツらには実家とかねぇんだな)
この世のどこにも
そんな気持ちは篠崎にはわからない。
周りとの交流を拒絶して待つこと数分、禅一が出ていった豪華絢爛な襖が開いた。
そこには妙に大きく見える禅一と、驚いた顔で、その腕に抱っこされているアーシャがいた。
「御使い様じゃ!」
先程の老婆が、まるでその後見のように立って宣言する。
「アーシャだ」
しかし禅一はその言葉を、静かに、だが厳しく、よく通る声で訂正した。
「これからこの子に害を与えた者は、俺の敵になる」
そして上から押しつぶすような迫力で宣言する。
怒鳴ったわけではないのに、畳に頭を下げる者達のうち三割くらいの人間が、ビクリと震えている。
(うわぁ……母猫のシャーシャーモードだ……)
猫というより虎だが、今まで以上に、禅一の圧力が強くなった気がする。
アーシャは小さくなって禅一にしがみついている。
(もうすぐおネムの時間なのに、こんなわけわからんトコに連れて来られて怖いだろうな。禅は『攻撃は最大の防御』モードだし)
可哀想に口を引き絞って、大きい目が不安に揺れている。
「アーシャちゃん!」
超部外者だが、ここに味方がいるぞという気分で篠崎は彼女に手を振る。
すると明らかにホッとした顔で小さな手が盛んに振り返される。
禅一は裾を捌いて、座布団にどっかりと座り、大切そうにアーシャを膝に乗せる。
隣に座る老婆など、視界にも入っていない様子だ。
「こちらの子は皆も知っている通り、大祓えの儀式に現れ、最上様によって人智を超える力があることを見出された御使い様だ。これからの祭りに参加して宗主代理を支えていくこととなる。今は宗主代理と共に過ごし、絆を深め………」
かなり勝手な説明をしていて、篠崎は呆れてしまう。
最上という老婆は、アーシャは自分が管理下に置いていると主張したいようだが、当の彼女は禅一にベッタリだ。
誰の目から見ても老婆は眼中にない。
アーシャは初めての環境に、すっかり怯えてしまった様子で、気がついた時には禅一の長い袖の中に匿われてしまっていた。
やがて長話が終わり、内側が朱塗り、外側が黒漆のお膳に、ご馳走がのって静々と運ばれてくる。
「おぉ……すげぇ豪華じゃん!腹すかしといたほうが良かったな〜」
高級旅館のような食事に篠崎は目を輝かせる。
「まぁ、客扱いすると宣言してたから、毒草や腐ったものは盛ってないと思うが……あまり大量に食べるのはやめておいた方がいい」
禅一は全く声をひそめることなく、そんな事を言う。
耳に入った何人かは気まずそうに視線を落としている。
「禅は食わねぇの?」
皆が食事を始めても、禅一は箸を持とうともしない。
「あぁ。俺のは飾りだ」
「飾り……?」
汁物は揺れているし、白飯からは湯気も上がっている。
普通の食べ物にしか見えないので、篠崎は首を傾げる。
「清めの前三日は断食するから、これは出されても食べられない飾りなんだ」
何事もないようにそう言って、禅一は真っ白な杯に、神棚に置く物の三倍くらいありそうな大きさの
「えぇぇぇ!?三日!?三日も断食してる奴の目の前に食いモン置いて、皆んなでお食事すんの!?ゴーモンじゃん!」
驚いたおかげで、結構な音量が出てしまって、周りの何人かが箸を止める。
「慣れてるから気にするな。一応、コレでカロリーは取ってる」
禅一は杯を手に持って示す。
「気にするなって言われても……何それ。経口補水液?」
あまり栄養がなさそうな液体に篠崎は眉を顰める。
「…………神水だ」
スススッと禅一の視線が篠崎から逃げていく。
「しんすいぃ〜?……あ、待て、この匂いって……」
正月一発目、おせちというご馳走を前に、空きっ腹で頂く不味い飲み物だ。
「水だ。神の水。俺は水しか飲んでない」
「おいおい十九歳〜〜〜」
「カロリー源がこれしか無いんだ。仕方ないだろ」
気まずそうに禅一は杯を傾ける。
そんな事をしていたら、奥から舟盛りが運ばれてくる。
「お、魚だ!」
刺身なら腐っていたり、変なものを混ぜられる恐れがない。
「ししも?」
篠崎の喜びの声が聞こえたのか、禅一の袖の中に隠れてしまっていたアーシャが顔を出す。
魚と聞いてししゃもを連想する、なんとも庶民的な『御使い様』だ。
「かわいーな!」
命綱のように禅一の腕を抱きしめて、アーシャは運ばれてくる舟盛りに目を輝かせる。
(あ〜わかる。小さいけどしっかり舟の形してるのが可愛いんだよな〜)
小さい頃、本格的な舟を作って、川に沈没させてしまった思い出が、篠崎の脳裏に浮かぶ。
ああ言うのは、小さくて、現実の舟に近ければ近いほど可愛いのだ。
舟に惹かれて、ちょこちょこと出てきたアーシャに、運んできた男は目尻を下げる。
「御使い様、お刺身でございます」
そう言ってあらかじめ用意されていた卓の上に舟盛りを置く。
「わぁ〜タイだ!」
薄桃色の魚は、生き造りで、まだピクピクと動いている。
間違いなく新鮮だ。
篠崎は高級魚の刺身を喜んで頬張る。
その身はコリコリと引き締まって、歯応えから新鮮だ。
その様子を、目玉がこぼれそうなほど大きく見開いて観察していたアーシャだったが、
「ほひぃぁぁあああああああああ!」
突如、奇声を上げた。
そして何故か四つ足で、バタバタと禅一の膝に走り込み、彼の両腕の袖を左右の手に握ったかと思うと、バッと勢い良く閉めて、繭のようになってしまう。
「ゼン!ゼン!!」
そして簡易セーフティールームの中でジタバタと動いている。
「う……うぇぇぇぇぇぇ〜〜〜ん!!」
禅一が外から撫でると、安心して感情が爆発したのか、大きな泣き声が上がる。
「チビッ!?」
「アーシャちゃん!!」
その声に反応したように、最初に篠崎達がいた部屋に繋がる襖が、ものすごい勢いで開かれ、譲が飛び出してくる。
峰子も入ろうとしたが、「女性は困ります!」と押し留められてしまう。
血相を変えて飛び込んできた譲だったが、禅一の困った笑顔と、彼が指差す舟盛りを見て、沈黙する。
「……何でこんなチビ助に
そしてハァ〜とため息をついて、譲は座り込んでしまう。
この辺りの人間ではない彼らには理解できないだろう。
「ここって山だからさ、海の物がご馳走なんだよね……。鮮度が高ければ高いほど、ご馳走ランクが上がる感じで……俺んトコもお祝いの席には絶対刺身が出るわ」
この辺りの人間は、新鮮な海の幸こそ最高のおもてなしだと思っている節がある事を篠崎は説明する。
「あぁ……それで車海老……」
何か身に覚えがあったらしく、禅一は頷いている。
「ともかく、こんな状態じゃもう無理だろ。チビは引き取っていくぞ」
「こら!そんな勝手を……!」
最上と呼ばれている老婆が怒って止めようとしたが、カンガルー状態になった禅一は気にせず立ち上がる。
「もうアーシャはおネムの時間だ。無理をさせたら可哀想だからな」
今までの冷たい表情が嘘のように、泣き声を上げる、まん丸の腹を大切そうに抱え、禅一はさっさと踵を返す。
「女人と同じ部屋はダメです!ダメですって!!」
「触らないから別にいいだろ」
止められても全くお構いなしだ。
大広間に集まった人々は、そんな様子をポカンとして見守っている。
「あ〜……」
篠崎は首を振りながら、舟盛りの鯛の上に、箸を滑らせる。
例に漏れず、この辺りの出身である彼も、刺身、特にこんな超新鮮な物は好物なのだ。
「じゃ、そう言うことで」
開いた口が塞がらない面々に向かって頭を下げ、ごっそりと刺身をのせた小皿と一緒に篠崎も退席したのだった。
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