26.聖女、泣く

明るい内に入るお風呂は凄く気持ちが良い。

普段ははっきりと見えない湯気が、窓から入る日に照らされると、まるで天使の梯子のように神々しく見える。

手を伸ばして空気を掻き回すと、湯気が渦を巻き、ますます神秘的になる。

この国の灯りはとても明るいのだが、日光はやはり別格だ。

言葉では言い表せない清々しさがある。

髪を乾かす頃にはすっかり日は暮れてしまったが、中々楽しい体験だった。


お風呂のドアを開けると、そこには美味しい匂いが溢れていた。

「ん〜〜〜!」

匂いに引かれて走っていくと、お布団と一体化した夢の卓の上に、美味しそうなご飯が並んでいる。

いつものように皿がたくさんあるのではなく、具材が沢山入った『こめ』がどどんと大きな皿に盛ってあって、その隣にスープが添えられている。


アーシャは座る前にフラフラと『こめ』が入った器に近づいて行く。

赤やオレンジ、緑と彩り鮮やかな野菜たちに、黄金色の卵、そして小さく切られた肉、恐らく味がついているであろう茶色の『こめ』。

この全て混ざっているのだから、絶対美味しいに決まっている。

「ふわぁぁぁ!………あ?」

胸いっぱいに芳しい香りを吸い込んで楽しんでいたのだが、すぐに器の数が少ない事に気がついて、首を傾げる。


アーシャ、ユズル、シノザキ、ミネコの四人、もしかしたらゼンも一緒にご飯を食べるのではないかと期待していたのに、卓の上には三組の食事しか置いていない。

「しゃん、ね?」

飲み物を並べていたユズルは、アーシャの質問に頷いて、彼女の目の前に座る。

「シノザキわ、さきにゼンのところにいった」

ユズルの言葉は、アカートーシャの通訳なしにも意味がわかって、アーシャはショックで仰反る。


「アーシャ、も?も?」

自分もゼンの所に行けるのかと聞くと、ユズルは少し渋い顔をした。

「ごはんのあとでいく」

彼は卓の上の料理を指差した後に、何処かを指差す。

———食事ノ後、行クミタイ

そこですかさずアカートーシャが通訳をしてくれる。


「ゼン!たのし!ゼン!」

ゼンの所に行けるとわかったアーシャは小躍りするが、ユズルは渋い顔のままだ。

彼は静かにアーシャの手を握り、しっかりと彼女の目を覗き込んでくる。

これは大切な話をするサインだ。


「いーか?これから、おれがいーといったものいがい、くうな」

———ユズル殿以外ガ出シタ物ハ、食ベルナ、ト

ユズルの表情は硬い。

「………ん!」

事情はわからないが、きっと彼がそう言うのには、何か理由があるのだろう。

アーシャは了解したとばかりに、大きく頷く。


「これから、おれ、ゼン、シノザキ、ミネコせんせーの、だれかといっしょにいること。ぜったいひとりにならない」

———一人ニナラナイヨウニッテ

ユズルは『何か』を強く警戒している。

それがわかったので、アーシャはしっかりとユズルの手を握り返しつつ、強く頷く。

「ん!いしょ!」

ただでさえ、このひ弱で小さい体はお荷物なのだ。

それならば自らしっかりとしがみついて、荷物を持つ労力を節約しなくてはいけない。


アーシャの言葉に、ユズルは少し片頬を上げて笑う。

「よし!くーか」

そしてアーシャの頭を少し手荒に撫でる。


「ごはん、ありがとうございます」

そう言いながら、ミネコが乾かしたての黒い髪をなびかせながら歩いてくる。

いつもは一本に括り上げているので、髪を解いている姿は新鮮だ。

女騎士がお姫様になったようだ。

「ミネコしぇんしぇー、かわいーな」

アーシャが自分の髪を引っ張りながらそう言うと、

「んぐっっっ!!ありがとーございます!!」

かなり力強く抱きしめられてしまった。


「アーシャちゃん、おひざきますか。おひざ」

そしてそのまま彼女の膝に乗って食事を摂ることとなった。

ミネコの膝は柔らかく、卓から伸びる布団の中は、ポカポカと温かい。

そして目の前には美味しそうなご飯。

最高のご飯環境である。


「いたーきましゅ!」

両手を打ち鳴らして、アーシャはスプーンを構える。

よくわからないが、これから食べられなくなるかもしれないので、しっかりと食べておかなくてはいけない。

アーシャは張り切ってスプーン山盛りに『こめ』をすくって、一気に口の中に頬張る。

「んふ〜〜〜!」

ほかほかの味がついた『こめ』はそれだけで美味しい。

「はふはふ」

空気を口の中に送り込みながら噛むと、香辛料の刺激的な香りと一緒に、旨味が口の中に広がる。

塩辛いと言うほど味が濃いわけじゃないのに、噛む口を止められないほど美味しいのは何故だろう。

卵や肉の旨みが『こめ』に染み入っているせいだろうか。

いつもと違って、『こめ』の一粒一粒が独立していて、それぞれに旨味が染み込んでいる。


柔らかいお肉や『こめ』の合間に、コリッと歯にあたるのは人参だろうか。

「ん!」

味わいながら、よく噛んでいたら、シャクっと気持ちの良い感触が歯に伝わる。

(『れたす』だ!美味しい〜!)

———サクサク〜〜

(こっちは多分『ねぎ』!)

———香バシイ〜

野菜の繊維を断ち切る歯応えは、爽快だ。


「ふー!ふー!」

しばらく夢中で具沢山の『こめ』を食べていたが、乾きを覚えて、アーシャはスープに口をつける。

塩気の効いた旨味たっぷりのスープは、とろみがついていて、しっかりと舌に絡みつく。

中に入った卵は噛む必要がないほど薄く柔らかく、味だけをしっかりと舌に残して、喉に流れていく。

スープの中の小さく切った葉物野菜は柔らかいのに、噛むと気持ちの良い歯当たりを返してくれる。


『こめ』とスープの相性も素晴らしい。

スープを飲んだ後に、『こめ』を口に入れると、また違う美味しさになる。

「ほひひーな!」

アーシャが報告すると、ユズルは呆れたような顔でアーシャの口周りを強目に吹き、ミネコは「よかったですね」と頭を優しく撫でてくれる。


(ゼンにも食べさせてあげたいな〜)

せっかく近くに来たのに、一緒にご飯を食べられないのが残念でならない。

丸くなったお腹をさすりながらも、近くにいるはずのゼンを思う。

『アァシャ!ご飯が終わったなら、妾を忘れんように用意してたも!』

そんなにアーシャに、ご飯が終わる前から目の前をうろちょろしていたモモタロが、我慢ならないと言う様子で訴えてくる。


「あ!……ごちしゃま!」

お風呂に入って、お腹いっぱいになって、すっかり気が緩んでいた。

アーシャはご飯後の挨拶をして、自分たちの荷物が置いていある部屋に走った。

(何か危ない事がありそうだから錫杖も持って行っておこ!そうそう、笛もちゃんと持って行かないと!あ、ゼンにもらった人形も見せたいな!)

そんな事を考えながら、中身を取り出した自分用の『りゅっく』に、フゥフゥと苦労して、モモタロの本体の入った箱を押し込む。


「ん〜………」

しかしどんなに頑張って押し込んでも、アーシャの『りゅっく』は小さい。

モモタロの箱は半分以上飛び出してしまうし、錫杖も頭の部分が出てしまう。

仕方ないので中身が落ちないようにそっと荷物は背負い、入らなかった人形は抱いて運ぶことにする。

「わっっ!」

しかし荷物が詰まった『りゅっく』は予想以上に重くて、肩を通したアーシャはひっくり返ってしまった。

「あぁぁ〜〜〜!」

一生懸命、立ちあがろうと足で空気を掻くが、荷物に対して、自分の体が軽過ぎて、ビクともしない。


『コレ、無理。モモタロウ、大人シク留守番、スル』

見ていたバニタロが呆れたように首を振る。

『え〜〜〜!!ヤダヤダ!アァシャ!頑張れ!じゅーりょくに負けるな!』

モモタロは諦めきれないらしく、重さなどないのに、助太刀するように、アーシャの足にしがみつく。


「……なにやってんだ……」

大騒ぎするアーシャを見に来たユズルは、呆れた顔で騒がしい二人を見下ろす。

「あ……モモタロ、も。いしょ」

ひっくり返ったまま、『りゅっく』を指差し、アーシャが説明すると、彼は深々とため息を零す。

両手でこめかみを押し、少しの間沈黙した後、ユズルは口を開いた。


「かたなはおれがもつ。すてっきとにんぎょーわるすばん」

ユズルはモモタロの箱を持ち上げ、錫杖と人形は端に寄せる。

『るすばん』というのは置いていくという意味だ。

「りゅすばん、やっ!」

人形はこの際仕方ないが、錫杖はいざという時の備えだ。

大した戦力になるわけではないが、武器はないよりあったほうが絶対に良いはずだ。


「あのなぁ………」

頭を抱えたユズルだったが、その隣に現れたミネコが人形と錫杖を持ち上げる。

「わたしがもちましょう」

恐ろしく精巧な人形と錫杖を、黒髪を解いたミネコが持つと、妙に迫力がある。

(何でだろう……魔女の夜会サバトがすごく似合ってしまいそうな……)

———ヨク分カラナイケド、キット失礼ナ事ヲ言ッテイルト思ウワ

アーシャは思わずそんな失礼なことを考えてしまって、アカートーシャに嗜められる。


『ユズル!ユズル!褒めて遣わすぞ!苦しゅうない!』

連れて行ってもらえる事が確定したモモタロは大喜びで、ユズルの肩で跳ねて、彼に迷惑そうな顔をされている。

「ユズゥ、ゼン?ゼン?」

アーシャも玄関に連れて行かれると、モモタロの事を笑えないくらい浮き足立ってしまう。

「………いちおー……ゼンもいる」

ユズルは何故か苦そうな顔だが、頷く。


『アァシャ、気ヲツケル』

玄関まで見送りに来てくれたバニタロも、少し心配そうだが、アーシャは浮かれながら手を振る。

「ん!バニタロ、ゼン、いってましゅ!」

バニタロの分もしっかりゼンに会ってくると告げつつ、アーシャは家から飛び出……

「チビ!」

そうとしたのだが、ユズルに首根っこを捕まえられてしまった。


「だっこ?」

「だっこ!」

弾み出しそうな気持ちのまま、少し走りたい気分だったのだが、ユズルはアーシャを抱き上げ、しっかりとホールドする。

「むぅ……」

少しばかり不満に思ったが、ユズルがそうした理由は、外へ続く扉を開けた瞬間わかった。


「わっ!」

真っ暗になった、家の前に五人の男たちが立っていたのだ。

彼らはアーシャたちが出てくると、深々と頭を下げた。

そして手に持った灯りに火を灯し、アーシャたちの足元を照らすように、周りを囲む。


(何だか……とっても物々しくない?)

アーシャたち三人に対して、周りの男たちは五人。

取り囲まれると、威圧されているように感じてしまう。

———警護ト言ウヨリ、見張ラレテイル感ジ

アカートーシャも同じように不快に思っているらしい。


寄り道や脇道を許されず、無言のまま照らされた道を歩き、行き着いたのは、いつぞや来た、屋根がついた豪華な門だ。

その先の石が敷き詰められた広場に建てられた、石の像には灯りが入れられており、闇の中に巨大な屋敷を浮き上がらせている。

荘厳だが、同時に圧迫感がある姿に、アーシャは無意識にユズルに身を寄せる。


そんなアーシャの隣で、半ベソをかきながら、モモタロもユズルに張り付く。

『うぅぅぅ〜威圧感が上がってるぅぅぅ〜〜〜けど弾かれない謎ぉ〜〜〜怖いよぉぉ!でも頑張るよぉぉ主人ぃぃぃ』

どうやら、奥の建物にあるであろう神具に怯えている様子だ。

モモタロに顔の横っつらに張り付かれたユズルは、口に出して文句を言うことはないが、迷惑そうだ。

案内する男たちも気になるようで、チラチラとモモタロの様子を見ている。


(そう言えば……確かに前より力が強くなっているような……?)

モモタロの言葉を聞いて、アーシャも目を細めて、奥の建物を見る。

前より更に存在感が増しているような気がする。


そうやって建物を見ている間も、一向は道を進む。

「どうぞ」

そして前を歩いていた人が、以前も来たことがある建物の扉を開け、頭を下げながら道を譲る。

扉の中に入るように促されたユズルとミネコは、小さく頷き合って、開かれた扉を潜る。

暗い中から急に明るい場所に入って、アーシャは眩しさに目を閉じる。

「「「「「おかえりなさいませ」」」」」

それと同時に、複数の声が響いた。

「わっっっ!」

アーシャは驚いてユズルの首を締め上げてしまう。


目を開ければ、いつぞやの広いエントランスの中にぎっしりと男性がひしめいていて、何故か全員平伏している。

「………あぁ………」

ユズルが低い声で応じると、平伏していた人々は音もなく立ち上がり、左右に分かれて道を作る。

「おつかいさま、おまちしておりました」

その人の垣根の間を通って二つの人影が現れる。


「あ!」

この国に来た頃に出会ったお婆さんと、その孫娘的な人だ。

「ささ、どうぞ、こちらえ」

お婆さんはこちらに来いとばかりに、アーシャに手を伸ばしてくるのだが、強制するような気配を感じて、アーシャはユズルに張り付く。


「ゼンわどうした?」

顔にはモモタロ、首にはアーシャでユズルは大変な状況だが、彼は冷静に老婆と会話を始める。

その隙にアーシャは深呼吸をする。

こう言う時は深く呼吸して、落ち着いておいた方が良い。


———アノ老人ハ、皆ニアァシャヲ紹介シタイミタイ

(皆?)

———良ク分カラナイ。デモ、凄ク沢山ノ気配ガアル。ア……!

アカートーシャの思念が途切れたのと同時に、

「アーシャ」

待っていた声がかけられた。


「ゼン!………ゼン?」

顔を輝かせたアーシャだったが、やって来たゼンの姿を見て戸惑う。

彼は上から下まで真っ白な服を着ている。

多分、下にはシノザキの民族衣装と同じだと思うのだが、その上から騎士が鎧の上から着る上衣サーコートのような物を被っている。

騎士のそれと違って、その服には太ももを覆い隠すほど長い袖が付いている。

(何か……教皇の服みたい)

何処となく神聖で、近寄りがたい空気を感じてしまう。


「どーした?」

ゼンは自分の衣装にあまり頓着していない様子で、大股でいつものように歩き、振り回された長い袖や裾が文句を言うようにバサバサと音を立てている。

「……ゼン……」

そっと手を伸ばすと、先ほどは青くなっていたゼンの指が、温かくアーシャの手を包む。

「えへへへへ」

その温かさが嬉しくて、アーシャは大きな手を握り返す。


「ほれ」

そんなアーシャを、ユズルが軽く押し出す。

真っ白で、明らかに高級そうな絹織物に、一瞬怖気付いたが、アーシャはエイッとばかりにゼンに抱きつく。

「……たのむぞ」

「あぁ」

ユズルとゼンは短く言葉を交わす。


『アァシャ、アァシャ……妾も……妾も連れて行ってたも〜〜〜!』

いつもは好きなように飛び回っているモモタロは、ユズルにかじりついていたまま動けずに、半べそで悲しげな声を上げる。

人間で言うところの、『腰が抜けた』ような状況なのだろうか。

「ゼン、モモタロ」

「ん?もっていくのか?」

彼女の本体を指差すと、ゼンが箱に手を伸ばす。

『ぴっっっ!!』

それと同時に、例の神具からと思われる波動が、こちらに流れてくる。


『は……はわ……はわわ、わ、わ、妾は、妾は、あ、主人をお、お守りする、ま、ま、守り刀じゃ!!ま、負けん、負けんぞっ』

威圧するような気配に、モモタロはガタガタと震えながら、自分の本体を手に持ったゼンに飛び移る。

『あわ……はわ……はふ……』

そしてへっぴり腰ではあるものの、何とか彼女はゼンの肩によじ登る。

『わ、妾は、主人を、お守りするのじゃ!』

そして見えない気配に向かって、そう宣言する。

すると唐突に押し寄せていた気配が、スッと消えてしまう。

まるでにわか雨のように過ぎ去っていった。


(これは……一体?)

驚いたアーシャとモモタロは顔を合わせる。

———鍛冶ヲオ認メニナッタカラ、兄弟剣トシテ、少々キツ目ナ挨拶ヲナサッタミタイ

(鍛冶……ユッキー?)

そう言えば彼女は先にゼンの所に行っているはずだ。

神剣とシノザキの間に何かがあって、認められたから、彼女が作ったモモタロも身内判定を受けたと言うことだろうか。


「ゼン、ユッキー?」

彼女は何処だろうと尋ねたら、ゼンは苦笑する。

「むこうで、まってる」

そう言う彼の前には、美しい絵が描かれた紙の扉がある。

ゼンが前に歩くと、扉の横に座っていた二人が、左右それぞれから扉を開く。

「おつかいさまじゃ!」

いつの間にかゼンの斜め後ろには、先ほどのお婆さんが立っていて、年に見合わぬ声を張り上げる。


「っっっっ!!!」

扉が左右に引かれて、現れた光景にアーシャは息を呑む。

その先は恐ろしく広い空間だった。

草の『たたみ』が整然と敷き詰められ、その両端についた刺繍飾りが手前から奥まで一直線に続き、一番奥はただの線に見える程、遠い。

刺繍の線は十本以上あって、『どーじょー』が二つぐらい入りそうな広さだ。


そんな広い空間に、中央だけを空けて、平伏した人々が等間隔に並んでいる。

すぐには数えられない程の人がいるのに、そうとは思えない静寂さが少し怖い。

「アーシャだ。これからこのこにがいおあたえたものわ、おれのてきになる」

アーシャはこんなにも多くの人に平伏されることに恐怖すら感じるのに、ゼンは朗々とした声で何かを宣言した後、堂々と平伏する人々の間を歩く。

その横顔には、まるで王か将軍のような威厳があって、腕に抱えられているのに、距離を感じてしまう。


「…………っ」

思わずギュッとその服を掴むと、

「だいじょーぶ」

堂々と歩きながらも、ゼンはいつもの顔で笑ってくれる。


「アーシャちゃん!」

平伏した人々が切れた先には、ポツンと席が三つ並んでいて、その一番左側にシノザキが座っている。

少し居づらそうにしていた彼女はアーシャを見て、笑顔で手を振る。


ゼンは堂々とした所作で、衣を捌くと、中央の席に座る。

するとそれを待っていたかのように、平伏していた人々が顔を上げた。

そして一人がすり足で進み出てきて、深々と頭を下げて、ゼンに何やら口上を述べ始める。

まるで王に何かを報告している臣下だ。

ゼンはそうされることが当然であるような、熱のない顔でその姿を眺めている。


(ゼンは……一体何なんだろう?ここの領主?王様?)

アーシャの送り迎えをして、ご飯を作ったり、洗濯物を畳んだり、掃除をして、かなりの頻度でユズルに怒られたりしている、いつものゼンが消えてしまいそうで、彼の膝に座ったアーシャは、モゾモゾと動き、彼に張り付く。

ここは落ち着かない。

人に熱のない視線を向けるゼンは、ゼンなのにゼンじゃないようで怖い。

いつものお日様のような笑顔に戻って欲しい。


(……寂しい……)

ユズルやミネコは後ろから来ていると思っていたのに、いつの間にか居なくなってしまっている。

シノザキは時々欠伸を噛み殺しながらも、何とか神妙な顔を守っている。

ゼンは謁見を受ける王様のようで、くっついているのに、遠い。

こんな沢山の人から、珍獣のように見られると、聖女と祭り上げられていた頃の記憶が蘇ってきて、心がざわめく。


しょんぼりとしながらアーシャは大きな手を抱き込んで丸くなる。

「アーシャ?」

するとよそ行き顔だったゼンが、いつもの優しい表情に戻って、アーシャを覗き込んでくる。

「ゼン………」

何故かその顔を見ると、急に涙で視界がぼやける。

昔はこの程度で感情をぐらつかせることもなかったのに、すっかり弱くなってしまった。

「こわいかな」

視線から守るように、ゼンは長い袖の中にアーシャを隠し、優しく背中を撫でる。

ゼンはどんなに弱くてもガッチリ受け止めてくれる。


(もっとしっかりしないと……)

視線から遮られた事により、アーシャはようや落ち着いて、自分の幼い行動を恥じる。

しかし人々から視線を受けるのも苦痛なので、そのままゼンのお腹にもたれて、心地よい彼の神気に身を任せる。

『アァシャ、アァシャ!魚が丸ごと運ばれてきたぞ!舟にのってる!凄いぞ!』

そんなアーシャに目を輝かせたモモタロが話しかけてきた。

つい先ほどまで震えていたとは思えない元気の良さだ。


「ししも?」

『丸ごとの魚』と聞くと、朝のご飯に出てくる、小さな魚が浮かぶ。

顔が怖いのが難点だが、お腹の肉がプチプチと弾ける感触がして凄く美味しい。

それが何故舟に乗っているのだろうか。

湖や川ならまだわかるが、室内に船があるなんて俄かに信じられない。

意味がわからなくて、ゼンの腕を命綱のようにしっかりと抱き込みながら、アーシャはそっと袖のカーテンから外界を覗く。


どうやら、これからここでは夕飯が始まるらしい。

料理をのせた小さな卓が、広間に集まった人々の前に配られている。

(凄い……卓にご飯を乗せて、そのまま配っちゃうんだ……)

確かにこの人数が揃ってご飯を食べようと思ったら物凄く大きな卓が必要になってしまうから、一人用の卓を並べるのは良い考えだ。

しかし卓を盆のように使うのは、中々発想が新しい。


良い匂いが漂ってくるが、食欲はわかない。

(もう済ましちゃったもんな〜)

いくら食い意地のはったアーシャでも、満腹を越えてまで食べようとは思わない。

それにユズルとの約束もある。

(でも見るくらいは良いよね)

食べなくても美味しそうなものは見ていて楽しいのだ。


「あ………!」

そうやって覗き見していたら、先程通った中央の道を、小さな舟を抱えてくる人が見えた。

「かわいーな!」

一人で持てる程度の、小人の船出に使われそうな小さな舟だ。

舟自体それほど見たことが無いので、アーシャは興味に引かれて前に出る。


「おつかいさま、おさしみでございます」

持ってきた男性は愛想良く笑って、舟をアーシャたちの近くに置いてあった卓に着陸させる。

「わぁぁぁぁ………あ?」

近くで見ようと立ち上がったアーシャは凍りついた。


『魚が丸ごと』『舟に乗ってる』。

モモタロの表現は正しかった。

魚が舟の上にいる。

「ひっ………ふっ……ふぁ…………」

喉に引っかかって、悲鳴になり損なった声がアーシャの口から転がり落ちる。


真っ黒な目がアーシャを睨んでいる。

水の中に居るはずの魚は舟の上に寝かされて、目の横についたヒレを振る。

時々空気を掻くように尻尾も揺れる。

(……生きてる!……え?魚って陸上で寝転んだりするの?)

小さな舟で寛ぐ魚。

魚という生物に関する知識が無さすぎて、一瞬、そんな馬鹿な可能性が横切る。


(あの透明な塊は何……?魚のお腹って……鱗で覆われてたよね?)

顔や背中のヒレや尻尾は普通の魚なのに、腹の部分だけ『私が魚の腹部です』という顔で、半透明の塊が並んでいる。

魚の下に敷いてある葉っぱと思われる緑が、その塊を透かして見えるのはどう考えてもおかしい。


「わぁ〜たいだ!」

隣に座ったシノザキは平気そうに『はし』で半透明の塊を掴み、小皿に取る。

「………」

アーシャはその塊がなくなった部分を凝視する。

白く見えるのは、魚の骨だろうか。

骨が見えると言うことは、どんな状態であるのか。

(生きた魚のお腹を……くり抜いて……お皿代わりにしている………!?)

とんでもない可能性に思い至ったアーシャの前で、助けを求めるように魚の口が動く。


「ほひぃぁぁあああああああああ!」

気がついたら、アーシャは悲鳴を上げながら、這うようにして、ゼンの膝に撤退していた。

そしてカーテンを閉めるように、ゼンの長い袖を閉めて、外界との接触を断つ。


———アァシャ、エット……コレハ……コウ言ウ食ベ方デ……

『アァシャ、あの魚は怖くないぞ。新鮮な証明みたいなものでだな……』

アカートーシャやモモタロが、こちらの文化を教えてくれようとしているのはわかる。

その地その地で、食べ方や、食べるものに流儀があるのもわかる。

「ゼン!ゼン!!」

でも衝撃が強過ぎて、今はとても耐えられなかった。

ゼンの腹にメリ込む勢いで、アーシャは彼に齧り付く。

「う……うぇぇぇぇぇぇ〜〜〜ん!!」

そして気がついた時には、感情が破裂して、子供のように泣き声を上げてしまっていた。

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