25.次男、気を引き締める

錆びた侵入禁止の道路標識と、停止線すら描かれていない、薄暗い道。

伸び放題のまま放置されて枯れた、道の脇の草や、鬱蒼とした木々から垂れ下がった蔦植物が、使われていない道である事を、視覚的に訴えてくる。

そんな廃れた私道のように偽装された村への入り口を目にすると、憂鬱な気分になる。


入り口を越えれば、廃れているなんてとても言えない、透水性と静音性に優れたアスファルトに舗装された、静寂に満ちた道が百メートルほど続き、その後は見違えるほど立派な道と、広々とした空間が広がっている。

それはわかっているのだが、とてつもない閉塞感が襲ってきて、思わずアクセルを踏む足の力が緩む。

この先の村で過ごした六年余りは悲惨だったし、学校で外に出るたびに、この道を登らずに逃げ出したいと何度も思った記憶が蘇る。

(それでも俺は『最悪』じゃなかった)

譲の前には、常に真っ向から困難に組み合う背中があった。


『禅ちゃんはお兄ちゃんやけん、譲ちゃんば守らんといけんよ』

それは、禅一をこの世に縛る、祖母の呪いの言葉だった。

『ばあちゃんがずっと守ってやれたらよかけど、それはできんけん。禅ちゃんが世界で一人だけの弟ば守らんとよ』

ふとした瞬間に、全く何も考えずに、散歩でもするような気楽さで『向こう』に行ってしまいそうになる禅一を、人の世界に留めるための言葉だった事はわかっている。

祖母にも苦渋の判断だったのだ。

『ごめん……ごめんね。重石おもし役なんかばさせて……』

彼女が生きていた頃は、おもしである事を全く何とも思っていなかった譲に、祖母は良く謝っていた。


(ばぁちゃんが生きてたら……)

現実から逃げるように、そんな事を考えてしまった譲は、自分に冷笑を向ける。

無駄な逃避をしている場合ではない。

年一回の大祓と清め、そして年三回の祓い。

宗主も外で暮らしたことを引き合いにして、村の外で生活する事を勝ち取っても、それらからは逃げられない。

正確に言えば、それに必要なのは禅一だけだったが、重石役の自分が逃げるわけにはいかない。

人質は目に見える所にいた方が効果があるのだ。


「ゆずっち、何か……すげぇ頭下げられてるんだけど……」

木々に囲まれた静寂の道を抜けると、開けた土地と綺麗に整備された道が現れる。

そこにはポツンポツンと歩いている人がいる。

「あぁ……戻るって連絡していたから」

「ゆずっちたちって……ボンボン待遇な感じ?」

そんな人々が、狙い定めたように車に頭を下げてくる様子に、篠崎はドン引きしている。


「俺らは半分外の血が入ってる私生児だから、敬われる側じゃなくて、馬鹿にされる側。多分これはチビの迎えだ。ここを牛耳ってる最上もがみって奴がチビのことを神のお使いだとか訳のわかんねぇ宗教寝言をほざいてるらしいから」

「え〜〜〜わけわかんない。カルトくさ〜〜〜」

篠崎は気持ち悪そうに、自分の両肩をさする。

「千年以上続いてる由緒正しき超絶カルトだよ」

譲はそう言い捨てる。

言い伝えを信じるなら神話代から続いている、世界最古のカルトだ。

今はインフラの整備や、教育、物流などで、外界と繋がりを持っているが、戦前は外界の人間自体が穢れていると、頑なな排他的選民思想を貫いていた土地だ。


「……これは外部の人間が気楽に動き回れる空気じゃありませんね」

後部座席の峰子が、そっとため息を吐く。

「今の所、禅以外に宗主代行ができないから、直接害を与えたりする奴はいねぇけど……出来るだけ俺か禅から見える所にいてください」

ルームミラーに映る峰子は、いつもと変わらない表情だが、少し物憂げな空気が漂っている。

「祖父が先代の墓に参れない事を、ずっと気にしているようだったので、私が代わりに行ければと思っていたのですが……無理そうですね」

あまりそうは見えないが、峰子は意外と祖父思いな孫娘らしい。


キックボードを乗り回して、気楽にその辺りを徘徊している開放的な乾老も、かつてはこの閉塞的な土地で暮らしていたかと思うと、変な感じがする。

「先代とはそんなに仲が良かったんですか?」

「従兄弟ですが、兄弟同然に育ったと聞いています。今まで滅多に話すことはなかったのですが……禅一さんにとても良く似ていたらしく、最近ポツポツと零すようになりました。今まで祖父がどうして過激派藤護マニアなのかがわからなかったんですが……どうやら先代と語った夢を果たしたかったようで……」

「へぇ……先代は解放派だったんだ……」

譲は会った事もない祖父だが、言われてみたら、乾老が提言する『外界との協力』に沿って動いている。


村の子供たちを外の中学に通えるようにしたり、次期宗主である、譲たちの父親や、その兄弟である分家を、外界に出すなど、かなり思い切ったことをやっている。

この因習が染み付いた村で、それだけの事を成し遂げる為には、多大な努力が必要だっただろう。

あまりその存在を感じることはないが、革新的な考え方の人だったのかもしれない。

反対を押し切って外に出した現宗主が、外で間違いの種を蒔いてしまったので、最上などには『判断を誤られた方』と、黒歴史扱いにされてしまっているが。


やがて歴史を感じる家屋たちの中で、一際新しい、禅一と譲の住む離れが見えてくる。

「んげっ……何か列になって待ってるけど!?」

家の前で一列に並んだ五人の男たちが、深々と最敬礼するように、腰を折っている。

「峰子先生、すいませんが、車のロックを開ける前に、チビを……アーシャを抱っこしてもらって良いですか?」

「ええ」

一見こちらに礼を尽くしているような格好だが、何をされるかわからない。

つい先ほど攫われそうになったアーシャの事が真っ先に頭に浮かぶ。


停車と同時に峰子は素早く、ピューピューと緊張感のない寝息を立てて寝こけているアーシャを抱き上げる。

「篠崎、ロック外した瞬間、外に出る。峰子先生側のドアを開けられないように」

「りょーかいっ!」

あまり荒事は得意でない篠崎は、気合を入れるためか、奇妙なシャドウボクシングをしつつ応じる。


そうやって万全の体制で、譲はエンジンを切って、車のドアロックを外すと同時に外に出て、素早く峰子の座る後部座席に向かう。

「「「「「お帰りなさいませ、譲様!!」」」」」

しかしそれより早く、頭を下げたままの五人が声を揃える。

「…………は?」

今まで蔑みこそされ、こんなに手厚さを装った出迎えなどされた事がない譲は、大いに戸惑う。

助手席から出てきて、素早い蟹歩きで後部座席前に立ち塞がった篠崎も目を丸くしている。


「禅一様がこれより最後の禊ぎをなさいますので、お待ちしておりました」

顔を上げた男たちは、車から離れた位置から動く事なく、そう話しかけてくる。

「篠崎の鍛冶かぬち殿も良くぞいらした。まずは清めを受けてから、お話をします」

「あ……は、はぁ……」

いつもは口数が無駄に多い篠崎も、格好のせいで調子が出ないのか、男たちの空気に呑まれたのか、気の抜けた返事しかできない。


譲がそっと後部席ドアを開けると、しっかりと養蜂家帽子を被った峰子が、アーシャを抱えて出てくる。

男たちは奇妙な帽子に一瞬ギョッとしたようだが、黒いベール越しに白皙の顔を見ると、ホッとした顔になる。

(なるほど……?チビ目的というより、嫁候補を迎えにきた感じか……?)

いつもならあり得ない出迎えを、譲はそう解釈する。

見れば男たちは三十代後半から四十代前半くらいの、絶賛嫁不足中な年代だ。


しかしそんな譲の予想とは裏腹に、男たちは峰子に妙なちょっかいをかける事なく、丁重に一行を先導する。

「ゆずっち、儀式って明日なんじゃないの?」

歩きながら、コソコソと篠崎が聞いてくる。

「あぁ、本祭は明日だ。その前の三日間で村に流れる三本の支流で、宗主はみそぎをするんだ」

「へー、ミソギかぁ……ミソギ……」

明らかにわかっていない顔で篠崎は頷く。


「禊ぎってのは、体を清めることで……まぁ、川で水浴びするんだ」

「へ〜」

二回ほど頷いた所で、篠崎は目を大きく開ける。

「え!?今の川に入るの!?ゴーモンじゃん!」

「しっ!」

思わず大きな声を出した篠崎の口を、譲は塞ぐ。

確かに、この季節の凍える川に入るなんて、とんでもない行為だ。


「ムリムリ〜、禅、心臓発作起こすんじゃねぇの?」

「………多分大丈夫だ」

とんでもないという顔をする篠崎にはあえて言わないが、三本ある川の支流の、それぞれ下流、中流、上流で禊ぎを行い、その域に住まう者たちも清め、最終的に川の合流地点である滝で本祭を執り行うのだ。

つまり禅一は、既にもう八回の禊ぎを行なっている。


そんな話をしている間もアーシャは気持ち良さそうに、安心し切った顔で眠っている。

誘拐されかかっても、チャイルドシートから取り出しても、これだけ動かしても起きないのだから、凄い。

(昨日、興奮してうにゃうにゃ言って、なかなか寝なかったせいかな……)

カルガモのヒナの如く譲の後ろをついてまわる以外は、泣いたり機嫌が悪くなったりということはなかったが、やはり禅一と離れて寂しかったのだろう。

明日になれば禅一に会えるという状況になったら、とにかくテンションが上がりっぱなしで、中々落ち着かなかった。

(チビはチビなりに色々と我慢していたんだな)

そのせいで、せっかく禅一に会える時には電池が切れてしまっているのだから、多少哀れではある。


「……結構人がいますね」

男たちが導く先に人々が集まっているのを見て、峰子の声に警戒が混じる。

「今日清める地域の人間が集まってるんで……」

そう言いつつ譲は油断なく峰子の横に立つ。

「静か過ぎて、こっわ……カカシの集団かと思った……」

かなり怯みつつ、篠崎も反対側を守る様に立つ。


先導の男たちが進むと、人々は静かに道を開けていく。

「あ、禅……」

川縁に建てられた祭壇前に、見知った姿を見つけ、篠崎は思わず声を出したが、普段と違い過ぎる禅一の様子に口を閉じる。

禊ぎ用の白装束に身を包んだ禅一は、篠崎を黙らせるほどの、近寄りがたい、清冽な空気を纏っている。

その表情もいつもの人間味を失って、白刃を思わせる鋭さと無機質さで、まるで別人だ。

初めて見る篠崎には衝撃だったのだろう。


「ん……」

川の流れを見ていた禅一は、声に反応して振り向く。

そして譲たちの姿を認めた瞬間、形だけ、いつもと同じ笑顔を見せる。

「篠崎、峰子先生、アーシャを有難うございます」

「お……おぉ……」

しかしいつもと違う、どこか人間離れした雰囲気のままの禅一に、篠崎は戸惑い気味だ。

帽子のせいでよく見えないが、峰子も眉を顰めているようだ。


篠崎は足を止めてしまったが、峰子はアーシャを抱き直して、禅一に歩み寄る。

「すみません」

「これ以上は近寄れません」

しかし先導してきた男たちが峰子の歩みを止める。

「……彼に妹さんを見せたいのですが?」

そう言う彼女に男は深々と頭を下げる。

「祭りが終わるまで女人は宗主代行と触れ合えません。ただ御使い様のみは最上様から許可をいただいております」

アーシャを渡せとばかりに男が手を伸ばしてきたので、譲は素早く峰子の前に滑り込む。


「俺が連れて行けばいいんだろ」

そう言って譲は峰子からアーシャを受け取る。

「篠崎、峰子先生と一緒に俺の後ろに」

そのついでに小声で二人に囁く。


「アーシャは寝ちゃってるんだな」

間に立ちふさがった男たちを押し除けて、禅一はやってくる。

「昨日から禅に会えるって大騒ぎだったせいで、今は電池切れだ」

譲はいつもの調子を崩さないように喋りつつ、眠ったアーシャを禅一に見せる。

すると、その瞬間、禅一からごっそりと抜け落ちていた『人間らしさ』が戻ってくる。

『あちら』寄りになっていた禅一が、『こちら』側にってきた事に、譲は小さく安堵の息を吐く。


「そうか。……ふふ、涎垂れてるな」

禅一はそう言って、アーシャの頬を拭う。

微笑ましそうに笑う顔は、完全にいつもの禅一に戻っている。

「む……むん……ぬぅ………」

すると今まで熟睡していたはずなの小さな手が、禅一を探すように動き始める。

「アーシャ、起きたのか?」

禅一は嬉しそうに、空中でフラフラしている小さな手を握る。


「……じぇん……」

すると今まで誘拐されかかっても目を覚まさなかったアーシャは、モゾモゾと動き、眩しそうに目を瞬かせる。

「ぅむむぅ……じぇん……」

鼻と眉を寄せた、ブルドックのような顔つきで、アーシャが目を開けると、禅一は嬉しそう覗き込む。

「おはよう、アーシャ」

そして彼がそう声をかけた瞬間だった。


カッと緑の目が開き、バネじかけのびっくり箱から飛び出す人形のように、禅一に向かってアーシャが跳ねた。

「ゼン!ゼン!ゼェェン!」

「ゴホッ!」

不意を突いての、喉への突撃に禅一は咳き込みながらも、しっかりと小さな体を受け止める。

「ゼェェェン!!」

そんな禅一の喉をチビ助は容赦なく締め上げる。


「……一瞬で起きましたね。あんなに深く眠っていたのに」

「う〜ん、アーシャちゃんのお兄ちゃんラブ、恐るべし」

譲の背後からはそんな驚きの声が上がる。

(……ちょっとびっくりした……)

かろうじて顔に出さなかった譲も、いきなりアーシャが芋虫ジャンプを見せたので、心臓が鼓動を早めている。


一年くらい会っていなかったような勢いで、アーシャは喜んで禅一にぶら下がっている。

しかし結構な数の人間が儀式の開始を待っているので、いつまでもアーシャを禅一にくっつけておくことはできない。

「ホレ、チビ」

仕方なく、譲は禅一にこびりついたアーシャを回収する。

すると感動の再会を途中終了させられたアーシャは、当然ゴネまくる。

「すぐに戻るよ」

そんなアーシャを禅一は宥めるように撫でる。

その顔にはいつも通りの生き生きとした笑顔が浮かんでいて、先程までの人間らしさを失いつつあった顔とは大違いだ。


(連れてきておいて良かったのかもしれない)

思ったよりも禅一が『向こう』に引っ張られていたので、譲は内心ホッとする。

「ユズゥ、ゼン?」

少し前の禅一の様子を見ていないアーシャは、踵を返して川に向かい始めた背中を不思議そうに見ている。

この間抜けな顔の子供は、自分がどれ程強い力で禅一をこちらに引き戻しているかはわからないだろう。

そしてどれだけ苦労しても、段々と引き戻せなくなって己の無力さを苦々しく思っていた譲を知らないだろう。


祖母は禅一が山や川に近づく事を禁じていた。

それは人の手が入っていない場所や、そこから流れ出る気配に近づく事により、禅一が『向こう』に引っ張られる事を危惧しての禁止だった。

人の体の中にあってはならない物を抱え込んでしまった禅一を、人のままでいさせるために、祖母はいくつもの呪いを、愛している孫たちにかける羽目になった。

その最たる物が『兄は弟を守るもの』という刷り込みだ。

そうする事で人間側にいる弟から離れないようにしようとしたのだろう。

昔の貧弱で弱気だった譲は、禅一を現世に繋ぎ止める重石に適役だった。


しかしその呪いは自我と体が育つに従って、薄くなりつつあった。

どれだけ命が掛かっているんだと主張しても、譲はもう庇護しなくてはいけない弱々しい存在ではない。

どれだけ無力を装っても、自分ではもう禅一を『こちら』に繋ぎ止められなくなりそうだ。

そんな危機感が育っていた時に現れたのが、これ以上なく都合の良い条件を持ったアーシャだった。

とびきり貧弱で、禅一でなくては守れない、特殊な力を持っている。

禅一だけを送り出しても、アーシャが待っているのだから必ず帰ってくるだろうと確信できる程、超重量級の重石だ。


「ユズゥ、ゼン、たいじょーぶ?」

川に向かって歩みを進める禅一に、アーシャは『心配!』と書いてあるような表情で聞いてくる。

我知らず、重石役を譲り渡されたチビは、不安いっぱいな顔で、その顔に昔の自分が重なる。

「………………」

『大丈夫だ』と言いかけて譲は口をつぐむ。

人が神に近づく儀式から、人のままの禅一が無事に戻ってくるように、アーシャは安心させてしまわないほうが良い。

弱々しく、不安定であればあるほど、良い重石となる。


禅一は祭壇から白い紙垂しでが結びつけられた榊を手に取り、朗々と祝詞を上げながら、禊ぎを始める。

完全に動作まで覚えてしまうくらい、もう何百回も見ているが、それでも禅一が川に入って行く時は内臓を鷲掴みにされるような不安が迫り上がってくる。

川を下る冴え冴えとした氣が、次々に禅一に降り注ぎ、まるで人間自体が穢れであるとでも言うように、侵食していく。

アーシャという、超重量級の重石役がいるのに、禅一の顔から人間性が消えて行くたびに、今までのように、『今度こそ、もう戻って来れないのではないか』と、不安が胃の辺りから這い上がって、口から出てきそうになる。

最早これは条件反射のような物だ。


そんな不安な時を過ごし、禊ぎが終わって、禅一が川から出てくると、譲はそっと息を吐く。

神々しい氣を纏った禅一は、その氣を水に込めて皆に振りかけ、清めていく。

村人たちは深々と頭を下げて、その水を受ける。

「ちべたっっ!!」

皆が有り難がって受けるそれを、約一名は受け入れられずに、声を上げる。

「しっ!」

そのまま騒ぎそうだったので、譲は鋭く注意をする。


『このカルト宗教〜〜〜!』とでも言いたそうな、不満たっぷりの顔で、篠崎は水滴を袖でゴシゴシ拭いている。

全く何も見えない彼にとっては、突然川の水をかけられて大迷惑と言った様子だ。

(本人はこれだけ不純なのに、鉄壁の守りで穢れが全くないんだから凄ぇよな)

清めの効果が全くないのも凄い。


あまりに普段通りの篠崎に、譲の肩に残っていた力は、完全に抜ける。

(チビは水がかかってもよく騒がなかったな)

周りを観察する余裕が出てきて、そんな事にも思い至れた。

「…………?」

すると腕の中のチビ助が、やけに深刻そうな顔で禅一を見ている事に気がついた。


そのまま観察していたら、眉を逆八の字にした、決意を秘めた顔で、アーシャは一人で強く頷く。

(このチビは……絶対碌でもねぇこと考えてやがるな……)

そう思っていたら、フーーーッと大きく息を吐いてから、小さな体いっぱいに息を吸い込み始めた。

何かしらの能力を使う気だ。

「もぁっ!!」

譲は確信を持ってその口を塞ぐ。


「んんん!んゆぅ!」

アーシャは大いに文句ありげに譲を睨みつけてくるが、解放する気はない。

これだけの村人がいる前で、何かしらの力を使われたら、誤魔化しきれない。

何も見えない一般人ならどうにでも出来るが、ここには視える目を持っている者が多いのだ。

譲の威圧に負けたアーシャは恨みがましい視線を向けてくる。

「良いから。見てろ」

ため息混じりに、譲はアーシャに言い聞かせる。

不安に思っても、後は力を放って、川へ穢れを流すだけだ。


禅一は皆を清めた後に、最後の締めに入る。

乾老の所に通い出した成果か、今まで本能的に移動させていた氣が、眩いほどに榊を持つ手に集まっている。

「ふっ!」

そして榊を横に薙ぐと同時に、それが放たれ、全ての穢れを巻き込んで、川に向かって押し流していく。

「わっ!」

「ひえっ」

あまりの威力に、そこまで静寂を守っていた村人の口々から、声が漏れる。


榊を元の位置に戻した禅一を、世話人たちがバスタオルで包む。

その横顔は別人のように、熱を持っていない。

「何かさ……時々禅が別人に見えるんだけど……?」

あまり他人に興味がない篠崎ですら、何か感じているようだ。


「ゼンッ」

しかしアーシャは全くお構いなしである。

禅一に向かって抱っこを強請るように、両手を上げながら大きな声で呼びかける。

そんな姿に、感情が抜け落ちていた禅一は、再び明るい笑顔に戻る。

「濡れるって!」

威嚇するレッサーパンダのような姿勢のまま、腕から飛び立とうとするアーシャを譲は抱き直す。

表情が抜け落ちていようが、濡れていようが、お構いなしな奴である。

「ユズゥ、ゼン!ゼン!!」

禅一が行ってしまうではないかと言うように、プリプリと唇を尖らせて抗議してくるが、本家に戻る彼にアーシャを渡すわけにはいかない。

禅一もわかっているので、少し寂しげに手を振りつつ、戻っていく。


禅一という強力な庇護がない状態で、ダラダラと村人の集団の中に残るのは危ない。

「俺たちは離れに戻るから。用事があったら呼びに来てくれ」

そう言い残し、譲たちは早々と離れに戻る。

清めには参加したので、譲たちを導いた五人組も、何か言いたげではあったが、止めることはなかった。


「う〜〜〜〜〜」

大人三人に囲まれて、禅一から引き離されてしまったアーシャは不機嫌を隠さない。

唇を尖らせて、顎に梅干しのようなシワを寄せて、不満顔をしている。

「んふっ、精一杯怒ってますね」

「怒り顔までブサ可愛い〜」

しかし周りの大人に彼女の不機嫌が伝わる事はなく、余計に愛でられている。


そんな間抜けな様子を見ている自分の頬が、少し緩んでいることに、譲は気がつく。

この嫌な思い出ばかりの、敵だらけの村で、いつの間にか気が緩んでしまっている。

腕の中の小さな存在は、人の毒気まで抜いてしまうほど、あまりに無邪気だ。

「…………」

ここは敵地のど真ん中だ。

一体何が起こるかわからないが、明日までは自分がアーシャを守らねばならない。

譲はアーシャから視線を逸らし、気を引き締めるように、自分の頬を軽く叩いた。

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