21次男、出発する

禅一がいなくても何とか過ごせているが、やはり少しアーシャは不安定なようで、譲の後ろをついてまわる。

『カルガモみたいだなぁ〜』

いつぞやアーシャが拐われたかけた後に、アーシャが禅一について回っていた時、兄はそう言って嬉しそうにしていたが、日常的に他人と触れ合っていない譲にとっては結構なストレスだった。

トイレの前で待たれるのは普通に嫌だし、料理中に足元で丸まられるのも蹴りそうで困るし、ソファに転がった途端に空きスペースに入り込んで合体されるとリラックスどろこではなくなる。


しかしそんな日々も終わりだ。

昼までアーシャを保育園に預け、荷物の準備をして、篠崎と一緒に昼寝後に迎えに行く。

その後峰子と落ち合い、藤護の地に向かう。

そうして最難関である今日・明日を乗り越えれば、また禅一もいる、いつもの毎日に戻れる。

「おはようございます」

肩の荷をもうすぐ下ろせるという気分と、今日の夜からは一分たりとも気を抜けないという緊張を感じながら登園すると、雪女……ではなく、いつもとは違い白っぽい服を着た峰子が出迎える。


「おはよごじゃーましゅ!」

「おはようございます。……今日はよろしくお願いします」

元気良く挨拶するアーシャと共に、譲は頭を下げる。

「今日お預かりいたします」

そんな譲たちに少しだけ唇の端を上げた峰子が応じる。

(本当に微妙な差分しかないけど、よく見たら一応笑ってるんだよなぁ)

そんな事を思いながら譲はアーシャを峰子に渡す。


「……この所、凄く調子が良さそうですね」

アーシャを抱っこした峰子が、少しほっとしたような気配を漂わせつつ、そんな事を言う。

「……そうですか?」

「ええ。明らかに顔色が良いですよ。禅一さんなしでも上手く生活できているようで安心しました」

そう言って、峰子は『アーシャちゃんも良かったですね』と声をかけつつ行ってしまう。


「………?」

譲は車に戻りながら、自分の頬に触れてみる。

触っただけではわからないが、ここ数日アーシャに合わせて早く眠りについているせいだろうか。

(やっぱ睡眠時間って大事なんだな……)

そんな事を考えつつ、譲は主に食料品を買い込む。

向こうでも食料の提供は受けられるが、今回は峰子達を連れて行くため、特に気をつけたい。

彼女はその血筋ゆえに、無理矢理にでも欲される可能性がある。

ないと思いたいが、睡眠薬など盛られたら大変なので、飲み物なども全て揃えていく。


食料品をクーラーボックスに保冷剤と一緒に放り込んで、車のトランクに荷物を詰める。

そうやって忙しく準備をしていたら、フラフラと頼りない足取りで近づいてくる者がいる。

「…………」

譲は目の端でその存在を確認してから、トランクを閉めて踵を返す。

知らない人間が寄ってくる時は碌なことがない。

三十六計逃げるに如かず、だ。


「ちょっと……ひどくない!?こんな姿でおんもに出る羽目になってる俺を堂々とスルーする〜〜〜!?」

しかし背中から聞こえてきた声は、物凄く聞き覚えがある物だった。

「……えっ……」

濃紺の着物の下に、黒とグレイの縦縞の袴。

そんな色紋付き姿の若旦那風の男を、振り向いた譲はマジマジと見つめる。


「もしかして………篠崎か?」

「もしかしなくても俺ですよぅ」

問いかけると、男が屈辱に震えながら答える。

素顔は何回か見たことがあるが、いつもコテコテのゆるふわ系女子な格好だったので、違和感しかない。


信じられなくて、じっとその姿を見た譲はあることに気がつく。

「……何か眉が異様に濃くねぇか?」

一番の違和感は、妙に存在感を放つ凛々しい眉毛だ。

「……描かれた……」

プルプルと震えながら、篠崎は自分の眉毛を隠す。


「えっと……親とかに?」

「本家と分家連合に。藤護当主にお会いするなら絶対これじゃないとダメだって言われて……髪も切られそうだったけど、きちんと括るって約束で死守した」

長い髪は後で一つに縛られ、前髪は後ろに流されている。

「いやぁ……男だったんだなぁ……」

性別は勿論知っていたが、まさかこんなに男らしい外見になるなんて思っていなかった。

眉毛と髪型だけで、こんなに顔つきが変わるなんて驚きだ。


「うっ……こんなに可愛くない姿で、俺、人前に出たくない……戦える気もしない……バールのようなものを振り回すくらいで精一杯……」

姿はまともだが、持ち物は相変わらずおかしいようだ。

手に持った、着物姿にそぐわない、パンパンのトートバッグからは、デコられたバールがチラ見えしている。

「……うん。それだけできたら、十分だから」

テンションが低い篠崎は、姿も相まって別人のようで、少し話がしにくい。


「今、準備中?」

「あぁ。食料と着替えを入れてた所。それも入れるか?」

「うん」

いつものように会話が乱気流に飲み込まれないので、話がスムーズ過ぎて、少し不気味だ。

荷物を預けた篠崎はトボトボと歩いて、譲の車の助手席に勝手に収まる。

そしてシートベルトを着けて、草履を脱ぎ、座席の上で体育座りになってしまっている。


「え〜っと……目立ちたくないなら後部座席のが良いんじゃねぇの?」

一通りの荷物を積み込んだ譲がそう言うと、篠崎はジト目で睨みつけてくる。

「こんなに可愛くない姿を長時間アーシャたんに見せるのは嫌!!」

フロントガラス越しに沢山の人の目に触れるより、アーシャに見られる方が嫌らしい。

理解できないこだわりだ。


(まぁ、チャイルドシートの隣は峰子先生の方が適任か)

そう思いながら、譲はアーシャの荷物だけチャイルドシートの隣に置く。

今日の昼から禅一の所に行くと、アーシャもしっかり把握していて、昨日のうちに荷物をまとめて、何回も嬉しそうに持ち歩いていた。

持って行く物が、着替えと魔女っ子錫杖と関節球体人形という、なんとも奇妙な取り合わせだが、本人の希望だから仕方ない。


妙に静かな篠崎の隣に乗り込み、譲は車のエンジンをかける。

「ふ〜ん……」

そんな譲に、隣から篠崎のジト視線が突き刺さる。

「ぁんだよ?」

左折確認するついでに睨んでやると、丸くなった篠崎が下唇を突き出す。

「いえいえ〜〜〜?何でも〜〜〜?ただ、ズイブン肌艶ペッカペカになってるねぇ?アーシャたん独り占めで、可愛がりまくって、幸せホルモン大放出されちゃたねぇぇぇ?」

異常なテンションがなくなった分、喋り方が随分と鬱陶しい。

完全にカラミモードになっている。


「……何だそりゃ」

朝に峰子にも同じような事を言われた譲は、内心少し驚く。

「俺が本家や親父達にいじめられちゃってる間に、しっかり楽しめて良かったねぇ〜って!」

「全く楽しんでねぇよ。チビはすぐ問題持ってきやがるし、ドラクエみたいについて回りやがるし」

「苦労話っぽく幸せマウンティングしてくるの、なぁぜなぁぜ?」

「してねぇ!」

「アーシャたんにカルガモウォークしてもらえるとか、ジマウンティング乙ぅぅぅ!」

「そのテンション、いつまで続けんだ?大体なんだよジマウンティングって」

「自慢マウンティングの略!」

「ほぼ略せてねぇよ」

いつも無駄に自信満々で陽気なのに、男の格好になった途端、僻み全開のジトジトになった。


(コイツは女装しといた方がまだマシだな)

譲は呆れてしまう。

そしてハンドルを握りながら、顔を触ってみるが、やはり普段と変わらない気がする。

(でも確かにチビと寝てると夜の間に目が覚めないんだよな)

最低な悪夢に、肌を撫で回す感触を生々しく再現されたり、追いかけ回され怯えながら隠れた恐怖を追体験させらたりすることもなく、上手く眠れずに浅い眠りと覚醒を繰り返すような事もない。


中々起きられない譲が、アラームをスヌーズさせる事もなく起きられたのは、かなりの快挙だ。

夢すら見ない深い眠りのおかげだろうか。

(いや……夢は……何か変な奴が出てくるのを見たような……)

夢というキーワードが、微かに譲の記憶に引っ掛かる。

はっきりとは覚えていないが、いつもの悪夢の入り口に、騒がしい奴が出てきたような気がする。


(誰だったっけ……)

隣で呪詛を吐き散らしている篠崎を無視し、運転しながら、譲は夢の記憶を手繰り寄せる。

『変態!!死すべし!!』

ふとそんな一言を思い出す。

(何か……すげぇエキセントリックな奴だった気がする)

同時に男達を蹴り飛ばす、夢のワンシーンが、ふと、脳裏に蘇る。

(身長は……そこそこ高い……?何か妙に黒いイメージが……)

エキセントリックで、武闘派で、低くない身長で、真っ黒。

それらのキーワードに合致する知り合いは峰子くらいだ。


一瞬峰子が夢に出てきたのかと思ったが、すぐに思い直す。

(いや、違うな。エキセントリックの方向性が違った気がする。あの水平垂直に超移動しそうな鋭さじゃなくて、もっとフワッと……放物線みたいな……柔らかい感じ……?)

柔らかいというキーワードで次は、柔らかに揺れる長い黒髪が、記憶に引っかかる。

(……長い……天パ?女……?)

それ以上の容姿は思い出せなかったが、自分の夢で祖母以外の女性が救いになるのは珍しい。


今の所、乾家の女性陣など、信頼に足ると感じる女性はいるものの、ずっと一緒にいても気にならないのは、ほぼ身内の和泉姉くらいである。

因みに和泉姉は、一見穏やかに事を納めて、その後、いじめっ子達に非常にねちっこい仕返しをしていたので、救いというイメージはない。

むしろ逆鱗に触れたら、末代まで、しっとりゆっくりと真綿で絞められそうな怖さがある。


(なんか嫌なイメージが全くないんだよな)

顔は思い出せないのに、底抜けに明るい笑顔のイメージが記憶されている。

『大丈夫!私がついてるからね!』

何となく、そう、拳を振りながら言われた気がする。

(笑いながら拳を振るう女……世間一般的にはヤバい奴だな)

夢とはおかしなもので、そんな『ヤバい奴』に、物凄く良い感情を抱いていたような気がする。

あまり思い出せないが、禅一が真夏の灼熱の太陽だとするなら、夢の中の人物は春爛漫の暖かな太陽のようなイメージだった気がする。


「え〜何々?俺がこんなに不幸どん詰まりな状況なのに、えらくゆるい顔して、ご機嫌じゃん」

夢を思い出していたら、相手にされなかった篠崎がジトジトと絡んでくる。

記憶のサルベージを諦めて、譲はため息を吐く。

「不幸のどん詰まりって……別におかしい格好してるわけじゃねぇだろ。むしろ、その着物、めちゃくちゃ生地が良いぞ」

質が悪い服を着せられたわけじゃないのに、何が不満なのか、譲にはいまいちわからない。


「質はめちゃくちゃ良いだろうよ〜〜〜質はね!加齢臭真っ盛りな本家ジジィの勝負服なんだから」

ブーブーと顔を歪めがら篠崎は答える。

背中にしか紋が着いていない色つきだから、それほど『勝負服』ではないのではと譲は思うが、きっとそういう問題ではないのだろう。

「へいへい。誰の物でも趣味の良い染めモンだろ」

「色が好きじゃない!地味!重い!」

篠崎が自分用色紋付きを買うなら、それは成人式で馬鹿大騒ぎを起こす輩たちに好まれそうな、原色のド派手な色なのだろうなと譲は思う。


「……後でドーナツ奢ってやるから。何でも好きに買っていいぞ」

面倒くさくなった譲は食べ物で懐柔する。

「ドーナツ如きで俺の心の傷を癒せると思ったら大間違いだから!」

しかしアーシャより篠崎の方が、少しだけ精神的に大人だったらしい。

「……店に入るの嫌だから、買ってきて欲しいの、送る」

そう思ったのも束の間、篠崎はドーナツ屋のHPを見て、欲しいドーナツをリストアップし始めた。


(いや、要るんかい)

口に出すと面倒な反応が返ってくるのは目に見えているので、譲は心の中で呟く。

「車ん中で食うならポロポロ落ちるのは遠慮しろよ」

「首を外に出して食えば良いじゃん!」

「……俺の車でそんな無作法許さん」

窓から顔を外に出して食べる様子を想像して、譲の顔が渋くなる。


篠崎は『一体何個食う気だ』とツッコミたくなる程、真剣にリストアップしている。

「でも珍しいよね。ゆずっちが自分からドーナツ屋に行くなんて」

「……場所的に峰子先生と合流するのに都合がいいんだ。偶然割引券もあるし」

仲間意識を持たれるのは嫌なので、譲はもっともらしい理由をつける。

「あ、そっか。乾家の近くだよね〜。……てか別に本人宅に迎えに行けば良くない?」

嫌な所だけ察しの良い奴である。

「……チビのオヤツも兼ねてる」

譲が更に言い訳をした所で、保育園が見えてくる。


「ちょっっ!可愛い!小猿たんが門に張り付いてるよ!!……あ、気がついた!小猿たんがぴょんぴょんし始めた〜〜〜!!」

保育園の門には、禅一の所に行くと朝から張り切っていたアーシャがこびりついていて、上手いこと篠崎の意識がそちらに逸れる。

「いや〜〜〜!可愛い!可愛いけどこんな格好だから手を振れない〜〜〜!!」

大人猿の真似をして檻を揺らそうとしている小猿にしか見えないアーシャだが、篠崎の目には可愛く映っているらしい。


「ゆずぅ!ゆずぅ!」

車から降りれば、キラッキラとでも効果音がつきそうな顔で、檻から手を出す小猿が笑う。

(………あれ?)

その笑顔が夢の中の人物に被りそうになったが、

(いやいや、こんなちんちくりんなチビじゃない)

譲は首を振る。


「お迎えですね!」

峰子は昼寝前にシフトを終えて、既に退園したようで、他の保育士が声をかけてくる。

それに答えながら、譲は夢の事を頭から追い出す。

これから全員安全に帰ってくることに全神経を注がねばならないので、余計なことを考えている暇はない。

開門と同時に飛び込んで来たアーシャを、何とか受け止めつつ、譲は気を引き締めた。

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