20.巫女、人外を受け入れる(後)
己はもう現世の法則に縛られない存在であること。
それを受け入れているつもりなのに、受け入れきれていない。
だからだろう。
———ヌゥゥゥ
アカートーシャは、どれだけ念じても体が浮き上げたり、移動することができない。
腰よりも長い髪があるので、これを動かせたりしないかと頑張ってみたが、やはり動かない。
懐刀の神霊である桃太郎は、本体から大きく離れられないという制限はあるが、フワフワと飛び回っている。
蛇の形をした神霊であるバニ太郎は、体をくねらせないと移動できないという制限はあるが、体の重さなどは感じておらず、垂直にも登るし、高いところから落ちても平気なようだし、頑張れば現世の物体を無視してすり抜けることもできる。
その他の、穢れと慣れ果てた亡霊たちも、何か制限があるのかも知れないが、首だけで動いていたり、足だけで歩き回ったりするというのに、アカートーシャには全く移動ができない。
アーシャや譲が眠っている所は、布団が窪んで、寝具に皺ができている。
しかしなす術なく転がるアカートーシャの周りには皺一つない。
当たり前だ。
彼女には、この世の重さがないのだ。
『非ざる物』が転がったところで、寝具には皺などつくはずがない。
アカートーシャが現世の法則から外れた存在である証明だ。
(これを見て、まだ
アカートーシャは悟り切れない自分自身に、苛立ちながらも、泣きたい気分になる。
(お前は亡霊だ!亡霊!地に縛られず飛ぶ者だ!)
懸命に自分を鼓舞しても、体が浮き上がる事はない。
髪の一本も動かない。
自分は祓う側であり、そんなものに成り果てるはずがないという、生前の、ぼぼ妄執のような思いが己を縛っている。
一通りやってみて、アカートーシャは脱力する。
(……亡霊はどのようにして飛べるようになるのか……)
巫女をしていたときに、亡霊の髪で首を絞められたこともあるし、この世の重さなど無視して天井から首を出してくる亡霊も見たことがある。
彼らは、どのような努力をして、そんな芸当を身につけたのだろう。
(彼らも髪を動かしたり、飛べるように努力していたのかも知れぬのに……容赦なく祓って、少し申し訳なかったな……)
数百年は昔の出来事をアカートーシャは今更思い出す。
彼らに比べ、転がったまま動けない亡霊など、情けない限りだ。
(地縛の輩も全く動けぬ訳ではなく、目玉だけとか、髪だけとか、部品を出張させたりしていたし……ここまで能のない亡霊なんていただろうか……)
しかも、かの亡霊たちは、その地に思い入れがあるなど、動けない理由があって、ただ墜落して動けないアカートーシャとは全く間抜けさが違う。
———………………
亡者のように動くことを諦めると、天井を見るくらいしか、やる事がない。
聞こえるのは、定期的に響く健やかな寝息と、外から微かに聞こえてくる町の音だけだ。
(あ……ここは、元霊道か……禅殿のお力で色々な物が吹っ飛んでいっている)
緊張を抜いて、周囲を感じることで、生前と同じく、そんな事がわかる。
普通の人間には霊道など見えないから、ここに長家を建ててしまったのだろう。
今は禅が住んでいるから回避されているが、普通の人間が住んでいた頃は、さぞ霊的に騒々しい建物であっただろう。
最も、禅の力で消えるのではなく、楽しそうに舞い上がっているような物が通る道なので、悪質な霊現象ではなく、愛らしい悪戯が横行する程度だったと思われるが。
(譲殿は完全な無意識を恐れてらっしゃるのか。寝ている時だけ氣が刺々しくなっている)
落ち着いて確認すると、自身が問答無用で吹っ飛ばされた理由もわかった。
譲の氣は、起きている時より刺々しく、自身を守っている。
(あの状態でも中に入ってしまえるのは凄い)
それなのに、あっさりと同調して溶け入ってしまったアーシャに、アカートーシャは感心する。
神職者や修験者は、厳しい修行の果てに己の氣を、大地や仕える神のそれに近付け、それにより同調して力を借り受ける事ができるようになる。
生まれ持った氣を変えることは容易ではないので、それは厳しく身を慎んで修行をせねばならない。
それなのにアーシャはいとも容易く、氣の形を変えて、あっさりと同調してしまう。
先程、慧に力を注いだように、大地の氣を自身の中に取り込み、他人に適合する形に変化させたりと、かなり稀有な力の持ち主であることは間違いない。
———ン?
そうやって感覚を広げ、色々と考えていたアカートーシャはようやくそれに気がついた。
心を鎮めて、感知に全ての神経を注ぐ事で、ようやく感じられるくらいの淡い淡い光の線。
(……かの人形だ……)
それが人間のような複雑な虹彩を持つ人形とアーシャを繋いで、更にアカートーシャにも繋がっている。
意識を集中しないと見えなくなってしまうほど、今にも途切れそうな薄さだが、
(これを手繰り寄せれば……)
アカートーシャは自分に繋がった縁に集中する。
———…………
自分の中に縁を取り込む様子を思い描いたり、
———…………
逆に自分が引っ張られる状態を想像してみたり、
———うぬぬぬぬぬぅ!!
終いには物理的に口で手繰り寄せようとして、凹の形になるまで頑張って体を曲げてみたが、全く上手くいかない。
(もう少々……亡霊らしくやった方が上手くいくのか……)
そう考えてしまって、
(亡霊らしくってどうやるんだ)
と自分自身につっこんでしまう。
(結局私は人である自分を守っているという事なのか……)
身を清め、神託に従い、その威光を地方に届け、穢れに出会えば速やかに祓う。
人として生きた時間は、過ごした何百年という時間に比べたら、あまりにも短いし、巫女としての務めを果たした時間は更に短い。
それなのに『神に仕えていた自分が』と心の底でずっと思っているのだ。
———…………
アカートーシャは力無く、淡すぎる光の線を見つめる。
アーシャと一緒にいると、まるで娘の頃に返ったような気がしていた。
もっと自分にあるはずだった時間を取り戻せるような気がしていた。
(そんなわけないのに)
民のために神を祀りたいという言葉にまんまと騙され、神を宿した体ごと呪いに縛られた恐怖。
こんな事が起こるはずがない。
現実であるはずがない。
悪夢に違いない。
早く目覚めて、日常に返りたい。
何度そう願っただろう。
しかし悪夢は覚めなかった。
最初に切られたのは両腕だった。
麻を撚って作った縄で縛られ、感覚が無くなった腕。
振り上げられたナタ。
———ウゥ……
その瞬間を思い出すと、怯えや痛み、そして臓腑が焼けるような怒りと憎しみを思い出す。
悪鬼のような行いをして『神の肉を得た』と嬉しそうに笑う声も、肉を食う悍ましい音も忘れられない。
このまま生きながらにして食われていくのは嫌だと、抵抗していたら、足も切られ、傷口を焼かれた。
———ユルセナイ……ユルサナイ……
邪心を持つ者に力を与えてなるものかと、恨みと憎しみに塗れながらも、抵抗を続けていたら、奴等は子孫の命を贄に、更なる呪いで、彼女を縛った。
自分の意思を奪われ、動けなくなったまま異形に堕ちていく、あの絶望。
———スベカラク……ホロボス……
体の中から黒い染みが溢れ始める。
それと同時に感覚が冴え渡る。
己の血肉の食った者の香りがする。
近くに二つ、遠くに九つ。
更にその香りが、色濃く移った者が二十余り。
———ワガニクヲ……ムサボッタイチゾク……
歩く必要などない。
手足なども必要ない。
何者にも縛られぬ魂には現世の道など不要だ。
我らには我らの道がある。
現世の道理を超えた道だ。
内側から滲み出てくる力が、それらを全てを教えてくれる。
どうやって飛ぶのかも、モノを動かすのかも、恨みを晴らすかも。
———カミヲ……ワガモノニシタ……バツヲ……
体が舞い上がる。
そしてそのまま道に入ろうとして……
———!?
体が急に引っ張られる。
寝具近くの机に置かれた人形だ。
美し過ぎて恐ろしさすら感じる人形の横に置かれた、卵形の愛らしい人形。
それにどす黒い線が繋がっている。
いや、繋がっているのではない。
真っ黒な線が、貪られるように、人形に吸い込まれている。
その吸引力に、アカートーシャまで引き寄せられている。
片方の人形に繋がった光の線は、相変わらず弱々しいのに、卵形の愛らしい人形に繋がる真っ黒な線は、どんどん太くなっていく。
———……ケガレ……
人形が貪るように引き寄せる、その黒い線の正体に気がついて、アカートーシャは呆然と呟く。
そしてそれが自分の内部から出てきている様子に、更に驚いてしまう。
———アァ……
やがて内部から渾々と湧き出るそれは、間違いなく自分の物だと悟った。
アーシャによって分離されたが、根底で繋がっている、祟り神と化した自分の物だ。
絶えずアーシャ中で浄化されていたお陰で、縁が切れたように感じていたが、やはり自分は人外と化したのだ。
呪い、殺し、祟った己が人になんて戻れるはずがない。
———………アァシャ
小さな人形は強力にアカートーシャを引き寄せる。
本能的にそれの中に入れば、自分の力が増すことがわかる。
この世に姿を得れば、自分は更なる呪いの力を持つだろう。
———アァシャ
しかしそれは彼女との決別を意味する。
珍しい物を見て、これは何だろうと話し合ったり、美味しい物を食べて、一緒に大喜びしたり。
かけがえのない友と過ごす時間が消えてしまう。
突然呪いの力に囚われた時と同じ。
また覚めない悪夢に戻ってしまう。
———アァシャ!
本体を得て、呪いの本懐を遂げるという誘惑に、アカートーシャは全力で逆らった。
呪いで得た人外の力で、人形と誘惑から逃れようと抵抗する。
しかし同じ力では抵抗するにも限界がある。
———アァシャ!アァシャ!!タスケテ!アァシャ!!
空気を震わせる事ができない声で、アカートーシャは助けを求める。
その時、それまで健康な寝息を立てていたアーシャがピクリと動いた。
「ん〜〜〜」
その瞼は開かないが、彼女の両手が何かを探すように動く。
しかしもうアカートーシャはアーシャの手が届く位置にいない。
———アァシャ!!タスケテ!!
一度寝入ったアーシャが夜中に起きることはない。
わかっているが、アカートーシャは必死に助けを求める。
「んんん〜」
すると彷徨っていたアーシャの手が、何かをギュッと掴む仕草をした。
それと同時に周囲に溢れている、禅が残した氣が舞い上がる。
———…………ッ!?
黒々とした穢れに対して、神経を集中しないと見えないほど薄かったアーシャとアカートーシャを結ぶ光の線に、舞い上がった氣が、次々と吸い込まれていく。
そして微かな光の線は、あっという間に、しめ縄のように野太くなっていく。
今にも切れそうな細さだったのに、アカートーシャを飲み込んでしまう太さに成長した。
体から湧き出ていた穢れは、光の帯の中で、風に吹かれた灰のように散り散りになって消えていく。
それと同時に魂を焼くような憎悪の感情が落ち着きはじめ、人形に引き寄せられる力も無くなった。
アカートーシャは光の帯の中の泳ぐ。
(……これは『道』だ……)
人では非ざる感覚が、その光の筋が自分たちの『道』であると示している。
スイっとアカートーシャはその中を移動する。
自分はアーシャに清めてもらわねば、人としての意識を保てない化け物に成り果てたのだと、改めて思い知らされたのは良かった。
人である事への執着が塞いでいた力が発現した。
(もう……人ではない……時間は戻らない。悪夢ではなく、私は実際に祟りに身を堕としたのだ)
苦労せずに動けるようになった自分に、彼女は苦い微笑みを浮かべる。
そして息をするように自然に『道』を移動する。
アーシャを通じて、慧が結んだ縁を辿る。
空気の中を泳ぎ、用意された依代の近くまで行く。
(これ以上は危ない)
依代に宿る方法も、理解できた気がしたので、やってみようと思ったのだが、その隣に置かれた卵形の雛人形に引き寄せられるため、途中で引き返す。
封じられた体の穢れは未だ深く、自身の呪いも未だ消えてはいない。
その事を噛み締めながら、アカートーシャはアーシャの中に返る。
アカートーシャは人ではなく、清め、鎮められるべき存在になったのだ。
滅茶苦茶に引っ張り出された行きとは違い、帰りはスルリとアーシャの中に入る事ができた。
(本当に……人ではなくなったのね……)
アカートーシャはほろ苦く笑って、アーシャが目覚める朝を待った。
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