19.長女、失敗する

「本当にアンタたちって似てるわねぇ」

スマホ画面を見ながら慧は苦笑した。

その画面には長々としたメッセージが表示されている。

隣の扉を叩けばすぐに会えるのに、わざわざこんな長文を送りつけてきたのは、戸惑っている事を悟られたくないからだろう。


「譲?」

『似ている』というキーワードでメッセージの送り主を特定した弟が聞いてくる。

「うん。ほら、昨日、前にガチバトルした巫女様が、アーシャちゃんにインしてるって聞いたやろ?」

「あぁ、神を長く降ろし続けたせいで、祀り上げるしかなくなったって言う巫女様ね」

「それが今度はアーシャちゃんと混ざりそうって言ってきてるんやって」

「はぁ!?」

人形の服にレースを取り付けていた弟は、驚いて顔を上げる。


「え!?性質的にほぼ神霊って言ってなかったっけ!?神霊が人間と混ざるの!?」

「いや。そんなのあり得ないはず……やけん、譲が混乱しとる」

小さい頃の、口をへの字にして涙をいっぱいに溜めながら頑張っている譲が頭に浮かんできて、慧は自分専用の棚を開けながら、少し笑ってしまう。


「元人間だから、とか!?」

弟はレースの取り付けをやめて、針を針山に戻す。

「う〜〜〜ん、うちらは人由来の神霊を御霊ごりょうと呼んでるんやけど……関わった事がないけん、あんまり詳しくないんよねぇ。でも知ってる範囲ではそんな事例はないねぇ」

そう言いながら、慧は棚の中から人形を取り出す。

「神霊なら混ざらんはず、なんよね。それこそ何百年単位で神を降ろし続けていた巫女様ですら、神と人の部分が綺麗に別れとったみたいやし。人由来の御霊でも、その辺りの性質は変わらんはずなんよねぇ」

そもそも混ざるとか混ざらないとか考えた事がなかった慧は首をひねる。


人と神の距離が近かった古代ならいざ知らず、現代に神を丸ごと受け入れられるような御巫はいない。

強烈な氣の奔流のような神の、極々一部を勧請して降ろすくらいだ。

その極々一部でも我が物としようとしたら……本体からどのような報復が来るかわかった物ではない。

礼を尽くしていても、時々理不尽な目に遭ったりするので、わざわざ怒りを買いに行く挑戦者などいない。

下手したら、存在自体が消えたり、未来永劫苦しみ抜いたりするような目に遭うのだ。

そもそも、そんな碌でもない事を考える輩には、神は降りないだろうが。


「消えかけやから、このままだと消える……って言うなら納得できるんやけど、混ざるってのはねぇ」

そんなあり得ない状況を、アーシャに語られた譲は、すっかり戸惑ってしまっている。

しかしそこで正直に『理解できなくて困っている』『助けて』と言えないのが、弟たちだ。


『こういう事態を聞いた事があるか?』

なんて、動揺を押し隠して、聞いてくるのが精一杯だ。

解決の糸口を探して、自分で何とかしてしまおうとしてしまう。

人を信じていないわけではなく、人に頼み事をするのが不得意なのだ。

どれだけ頼られる事は迷惑ではないと言っても、この弟達には通じない。

すぐに自己解決しようと殻にこもってしまう、それは最早、彼らの習性のようなものだ。


「じゃあ、まだその巫女様は人間だってことじゃない?」

「それこそあり得んね」

人形を手にして、慧は振り向きつつ、弟の考えを否定する。

「そうなの?人間同士なら混ざるってことは、あるんじゃない?」

「……魂ってものは、そもそも混ざるもんやないの」

友人の力になりたいのか、色々考えている弟の鼻をピンっと慧は弾く。


一つの体に入れるのは一つの魂というのが、世の定めだ。

無理に入れようとしたなら、どちらかが淘汰されるか、どちらも壊れるかだ。

魂とは体のどこかに宿っているのではなく、全てに宿っている。

俗に良いう『取り憑かれた』状態になった時、取り憑いたモノが体の中に入ったなら、その時点で持ち主の魂は破損している。

入られれば入られるほど、魂は壊れる。

完全に体の中に入られたら、それを祓ったとしても、体の持ち主はほぼ壊れているので、元に戻すことは不可能になる。

その為、慧は弟が憑かれる度に、必死に入られないように奔走してきた。


しかしその事実を、慧は弟に教える気はない。

穢れに対する対抗手段を持たない弟に、恐怖を与えるだけだからだ。

因みに荒魂や和魂と表現するが、超強力な氣の塊である神霊は、この法則の外にいる。


「ん〜〜〜、じゃあ、この前乾さんが言ってたように、アーシャちゃんが本当にしんれ……って、姉ちゃん!?何それ!?」

それでもまだ何か考えていた弟は、慧が手に持った人形に気がついて、顔を顰める。

「お姉ちゃんプレゼンツ、超豪華お雛様!」

慧は手にした人形を高々と掲げる。

「この前からコソコソ何か作ってると思ったら……ってか関節球体のドールで、お雛様はないよね!?びっくりするくらい十二単が似合ってない!!」

色々工夫したのだが、日本古来の十二単を西洋人形に着せると、どうにもコスプレ感が拭えない出来になる。


「……何ば言いよると。めっちゃ可愛かと。女の子の夢ば、ばりばり詰め込んだと」

「わざとらしい方言にならない!どうしても関節球体にしたかったなら、せめて顔を日本人よりに作らないと、馴染まないだろ!?」

「だって……これアーシャちゃんのやもん。お雛様は持ち主に似せんといかんもん」

「『もん』って、かわい子ぶらないの!……待って。女雛だけ作った……なんて事はないよね……」

「……君のような勘のいいガキは嫌いだよ」

そう言いつつ、慧は後の棚から、もう一体の人形も取り出す。


「嬉しそうにセリフを引用しない………っっ………何なの?この褌一丁の褐色筋肉ダルマ」

取り出された筋肉盛り盛りな人形を見て、明らかに弟はドン引いている。

ドールとはいえ裸のまま放り出すのは忍びなかったので、一応パンツだけ履かせてやったのだが、それが返って気持ち悪さを強調してしまったかもしれない。

「お内裏だいり様は禅に似てたら嬉しいんじゃないかな……って作り出したんやけど、どう考えても直衣のうしが似合わないクソゴリマッチョになった」

弟の美観から大きく外れた仕上がりとなったドールを差し出すと、受け取り拒否されてしまう。


「素体の無駄遣い!!お内裏様が何か辞書で引いて認識を改めて!作り直し!」

「知っとるよ!でも長い歴史の中になら、超絶活動的な武闘派主上しゅじょうがいたかもしれんやん!」

「内裏の中でかしずかれて大切に育てられたら、禅みたいなゴリマッチョにならないでしょ!」

「絶対ならんとは言えんやん!」

姉弟はムキムキお内裏様について、いがみ合う。


「……お雛様なら、俺も要るかな、と思って作ってたから。ゴリマッチョお内裏様は、ジョブチェンジで」

そう言って弟は自分の部屋に戻ると、アクリルケースに入った、愛らしいお雛様のセットを持ってくる。

「これは禅から渡してもらおうと思っていたんだけど……姉ちゃんの触れ合える女雛と、俺の飾る用のお雛様を、セットでプレゼントする感じで良いんじゃないかな?」

疑問系だが、そうしろという空気を、弟は身に纏っている。


「おお〜流石。飾りたくなるようなモノを作ってくるわね。助かったわ。これはもうお雛様としては使えんから」

そう言いながら慧は自分の人形から、唐衣からぎぬ五衣いつつぎぬなどを外していく。

「へ……?じゃあ何として使うの?」

「雛本来の使い方」

不思議そうな弟に、慧はニヤリと笑う。

「厄や穢れを引き受ける形代よ」

ひとえに赤い長袴ながばかまを履いた姿は、巫女の衣装に近い。


「混ざるとか、混ざらないとか、巫女様が何かとか、そういう原因解明は別に必要ないんよ。アーシャちゃんの中から巫女様を引っ張り出せれば、問題解決なわけやろ?」

「巫女様は厄や穢れじゃないでしょう?」

「うん。でも前に見た時の穢れの凄まじさだと、和魂を取り出したと言っても、穢れがないとは思えんのよ。だから穢れを形代に移す要領で引っ張ってみる。巫女様が上手く穢れと一緒に移動できれば良し。ま、ダメ元よ」

超愛らしく育つであろうアーシャの将来を思い描き、自身の理想を詰め込んだ人形を見て、慧はうっとりとする。


「姉ちゃん、妙にワクワクしてない?……もしかしなくても、巫女様を入れたら人形が動くかもとか、ホラーな事を考えてないよね?」

「…………マッサカー。ゼンッゼンカンガエテナイヨー」

「俺、姉ちゃんが譲に人形を動かす機構を作ってくれってねだってたの知ってるよ」

「……………」

可愛い物は、動いた方が断然可愛いではないか。

どんなに素晴らしい容姿でも、微笑んで座っているだけでは、アイドルではあり得ない。

可愛く手を振り、元気に踊ったり歌ったりするからアイドルなのだ。

心が掴まれるのだ。

弟は完璧な人形を作るわりに、可愛い物を愛でる気持ちへの理解が足りない。


尚、弟が作った人形は、穢れを引き寄せるため、時々中身が入って動くが、悪夢のような呪われムーブで、全く可愛くない。

どのように動くかも重要だ。

この点、アーシャの中に入っている巫女は、以前の動きは悍ましさしかなかったが、今は知性を取り戻しているらしいので、所作に大いに期待が持てる。


「さ!巫女様に新しいボディを届けにいくわよ!」

人形の中でも、一番動かしやすいと思える関節球体人形を抱えて、慧は走り出す。

「あ!姉ちゃん!……もうっ」

その後を弟が追ってくる。

慧が開け放った玄関ドアを、弟はきちんと鍵まで閉める。


「譲〜!おねぇ様参上〜!」

そう言ってお隣のドアチャイムを押せば、すぐにスマホを持ったままの譲が顔を出す。

「……何で返信しねぇで直接来てんだよ」

物凄く渋い顔だ。

「いやいや、こんなん悩むより行動あるのみやろ。未知の事態なんてトライアンドエラーよ。最終的に正解にたどりつければ良いんよ」

慧はそう言って、その鼻先に巫女人形(仮)を突きつける。


「人形……?えらく手が込んでるな」

譲は感心したように言う。

彼は人形を愛でる感性は死滅しているので、技術面のみの採点だ。

「んふふ、そりゃ〜アーシャちゃんの桃の節句にと用意していたお雛様やけんね。心を込めて作ったと」

喜んで欲しくて、それはそれは丁寧に作った。

「……お雛様……この西洋人形で……?」

弟と同じく、譲も難色を示す。


「くっ……どいつもこいつも古き価値観に縛られおって……碧眼のお雛様でも良いやろ……まぁ、良いわ。これは今日をもってお雛様を卒業して、依代よりしろに就任させることにしたの」

お雛様暦0日で、せっかく作った衣装もお蔵入りだが、可愛い子の体になるなら惜しくはない。

「依代……!?」

譲は驚きの顔を見せる。


「コレに中の巫女を移動させるのか?そんな事できるのか?」

譲は依代というキーワードだけで、慧が何をしに来たのかわかったらしい。

招き入れられながら、慧は首を傾げる。

「まぁ、できたら良いな、くらいかな。格で言えば、比べるまでもなく巫女様が上やから、巫女様本体を動かすことはできんよ」

以前の戦いで干渉したせいで、今だに体力を保てず、半日は眠っているので、比べる事すら烏滸がましい力の差があることは確実だ。


「本体を動かせないって……んじゃどうすんだよ」

「大祓の要領で穢れを移すだけ。馴染みがある神道の作法やけ、巫女様も上手く穢れに乗って移動できるかもしれんし……ダメでも穢れを移すことで、人形に縁ができる。それが移動するための道標みちしるべになるかもしれん」

その辺りは本当に『ダメ元』だ。

「全部ダメでも穢れを少しでも引き剥がせたら、巫女様の力が増すやろうし……まぁ、害にはならんやろ」

慧がそう答えた所で、パタパタと小さな足音が近づいてくる。


フワフワと好きな方向に跳ねる黒髪に、元気に動く小さな体、見るだけで癒される存在の登場に、慧はだらしなく微笑む。

「助けに来たわよ〜!」

慧が手を振れば、ブンブンと小さな手が振り返される。

「ケーおねちゃん」

人形もとびきり可愛く作ったつもりだが、本人の可愛さに比べたら、やはり霞んでしまう。


「本当はもっと完成させて持ってきたかったんだけどね〜」

煌びやかな十二単を着せて、扇も作り込んで、サイドの桃の花や、金屏風も着けてプレゼントしたかった。

まさか添え物と思って作り始めたゴリマッチョに手間取ってしまうとは思わなかった。

「!!!………わぁぁぁぁぁあああ!!」

お雛様になり損ねた人形だが、受け取ったアーシャは顔を紅潮させて笑顔になる。


「どゅふふ」

可愛い子が、可愛い人形を、目をキラキラさせながら抱っこする姿は尊い。

慧の頬は緩む。

人形の追視が気になるのかいろんな方位から見たり、人形の顔の上で手を振ったり、人形に興味津々な様子が可愛い。

「姉ちゃん、怖い、怖い」

そんな慧に弟が冷たい視線を送る。


「あぁん?……あれ、アンタも持ってきたん?どうせだから今、渡したら?」

そんな弟の手には、先ほどの雛人形が持たれたままだ。

「いや、コレは姉ちゃんか禅経由で……」

「ほら、コミュニケーション、コミュニケーション。絶対喜ぶから」

こんなに人懐こい子にすら、未だ人見知りする弟の背中を、慧は押す。


「あ……アーシャちゃん……こ、これも……」

押された弟は、かなり腰が引けた状態で、アーシャに雛人形を捧げる。

「わぁ〜!」

思った通り、受け取ったアーシャの顔はキラキラと輝く。

(流石、違いがわかってる!)

弟の作る物は、姉の欲目を引いても、完璧だ。

一見、着飾ったハンプティダンプティみたいだが、しっかり可愛く作り込まれている。

少しとぼけた表情なども弟ならではの味が出ている。


アーシャの輝く表情に、弟も嬉しくなったようで、いつもは紙のような顔色を赤く染めている。

「かわいーな!」

とろけそうな表情で笑うアーシャに、

(君が一番可愛いんよ〜〜〜)

慧の目は細くなりっぱなしだ。


アーシャはアクリルケースを揺らさないように、大切に押しいただくようにして、人形を見つめる。

その様子は、まるで人の持ち物を褒めているようで、慧は彼女の前に座り込む。

「これ、ひ・な・にん・ぎょー。アーシャちゃんの」

「アーシャの!?」

そう教えると、目が飛び出てくるのではないかと思うほど、アーシャは目を見開く。

やはりわかっていなかったようだ。


「こっちは私作。こっちは弟作」

そう伝えると、アーシャは更に目を丸くする。

瞼が消失しそうな勢いだ。

「ケーおねちゃん!?いじゅに!?」

根っからの引きこもりで、顧客とも触れ合わない弟は、アーシャからの素直な尊敬の眼差しに、更に顔を赤くしている。


「あいがとーっっ!!」

そう言ってアーシャは人形と、アクリルケースに頬擦りする。

「どういたしまして」

そう返事をする慧の隣で、弟は恥ずかしそうに、小さく頷いている。

もうちょっとコミュニケーションをとってほしい所だが、弟にはこれが精一杯なのだろう。


「じゃ、始めよっか」

そう言って、慧はアーシャを自分の膝に座らせる。

「アーシャちゃん、はーってして。はー」

そして依代となるべき人形に穢れを移す作業を始める。

「はー?」

「うんうん。すーって吸って、はー」

不思議そうなアーシャに、大きく息を吸って、ため息を吐くような仕草をしてみせる。


アーシャは不思議そうにしながらも思い切り人形に息を吹きかける。

「あ〜……アーシャちゃん、ふー!じゃなくて、はー!なの。わかる?ふーじゃないの。はー」

神は息吹に宿り、穢れは吐息と共に落ちる。

穢れを人形に移す為には、息を吹くのではなく、吐かなくてはならない。


「はぁぁぁぁぁ」

何とか伝わったらしく、アーシャは人形に盛大に息を吐く。

(う〜ん。思った通り、アーシャちゃん自体には穢れが全くない。上手く繋がるかな……)

不安に思うが、今は不確かなその吐息を元に、穢れを手繰り寄せるしか方法がない。


アーシャは自分の吐息で乱れた人形の髪を直し、抱きしめる。

「良いね。そのまま」

人形との距離が近ければ近いほど成功しやすい。

(とは言え、中から穢れを引っ張り出す……なんて本当に可能かわからないんやけど)

不安に思いつつも、大きく息を吸い、祝詞を紡ぎあげる。


慧は元々穢れすら見えなかった無能力者だ。

家は田舎の寺で、更に言うなら幽霊などの存在を認めていない宗派だ。

それでも現実問題、弟は何かに取り憑かれているのだからと、片っ端から効果がありそうなものを覚えていって、最終的に野良の術師となった。

ほとんど自己流で、知識の継ぎぎで対応している、言うなれば業界の最底辺だ。


神道のあれこれを教わったのも、明治時代に行われた神仏分離により、家の寺と分けられた、縁のある少し遠い親戚の、小さな神社だ。

拝殿・本殿一体型の小さな社に、公園扱いされている小さな広場があるだけで、社務所や手水舎すらない神社で、当然それだけでは食っていけないので、他所でお勤めもしている兼業神主が師匠だ。

田舎にいた頃はこまめに顔を出し、神社の清掃や手入れを一手に引き受け、一生懸命縁を結んだ。

今でも休みのたびに挨拶には行っている。


とは言え、今はその神社と大きく離れているので、助力はとても願えない。

慧は精神を研ぎ澄ます。

元から大したことのない能力なので、穢れを外に出すことすら一苦労だ。

(動いている気配はする)

穢れの気配を感じて力を込める。

しかしそれを掴むことが上手くできない。


(やばいな……思った以上に力が回復してない……このままじゃ縁を結ぶことすらできずに終わる……)

せめて一欠片。

毛ほどでも良いから穢れを取り出せれば、いざという時の縁になる。

そう思って更に神経を研ぎ澄まして、力を込める。

しかし長くはもたず、プツンッと自分の中の回路が焼き切れる感覚が襲う。

「……だめだっ……」

「ケーおねちゃん……!!」

同時に体の中の蟲が蠢く。

自分の取り分まで使ってしまった事に、お怒りの様子だ。


一気に脱力する慧を弟が支える。

「ごめん。力不足だわ……」

急激な眠気が襲ってくる。

(あ、やばいやばい。これはカロリー摂らないと。昏睡パターンになっちゃう)

何とか意識を繋ごうとする慧の口に、甘い匂いがする物が押し付けられる。


「和泉姉!食え!」

できたおとうとだ。

(でも……何で羊羹……?)

朦朧としながらも慧は口を動かす。

眠りに落ちる前に、カロリーをできるだけ取り込んでおきたい。


「……ごめ……」

縁すら結べずに終わってしまって、口だけになってしまった。

「喋らなくて良いから、食えって。大丈夫。やり方はわかった。次は俺がやるから」

流石天才。

一回見ただけでトレースできる自信があるらしい。

(最初から譲にやらせれば良かったかも……いや、口で教えただけでは流石の譲でも無理か)

そんな事を思いつつ慧はひたすらカロリーを取り入れる。


「姉ちゃん、後は譲に任せて大丈夫。口以外は全部俺に預けて力抜いて」

ポンポンと肩を叩いた弟に、慧は完全脱力して体を預ける。

そしてひたすら口だけを動かす。

瞼を開けておく事すら億劫だ。

(……藤護に行く前に何とかできると良いんやけど……)

口に入れたものを何とか飲み込んで、そう思ったのを最後に、慧の思考は途切れてしまった。


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