18.聖女、人形を得る
「おいおい…………」
お迎えに来てくれたユズルに、再び渾身のお手紙を渡したら、彼は頭を抱えた。
『なかなるみこをたすけたまへ。われらはこのままにはひとつになるなり。みこをよそにうつすすべをおしへたまへ。みねこさまのおほぢさまとはなさばや』
アカートーシャとの試行錯誤を経て、手紙はできるだけ簡潔に要望を書くことにした。
「なんでおれだけのときにかぎって……」
ガックリと首を落とす様子にアーシャたちは焦る。
(ちょっと色々と省略しすぎたかしら……!?)
———デモ、イチオウ、ワカルヨウニ、カイタトオモウノダケド……
アーシャが文字を書く速度が遅いおかげで、詳細には書けなかったので、本当に通じるかがわからない。
二人はハラハラしながらユズルを見つめる。
「くわしいはなしわ、いえでする。わかるか?」
そんなアーシャを『くるま』に乗せつつ、ユズルはそう言う。
———イエデ、クワシクハナソウッテ
「ん!」
アカートーシャが通訳してくれたので、アーシャは勢い良く頷いた。
家に帰ったユズルは、紙を吐き出す箱から、数枚の紙を取り出した。
一枚目は先日使った『ひらがな』がズラリと書かれた紙で、二枚目はアーシャやユズルたちの名前が書かれ、三枚目には『はい』『いいえ』を始め、よく使いそうな単語が絵付きで書かれていた。
(すごく分かりやすい!絵がついてるのが良いわ!私にも答えられそう!)
———ワタシニモ、ワカリヤスイ!!
ユズルが単語一つ一つを指差して説明してくれるのを聞きながら、アーシャたちは盛り上がる。
「なかなるみこわチビのなかにはいってるやつだな?」
———『はい』!
「ひとつになるってのわ、どうかするっていみか?」
———『はい』!
アカートーシャはかなり張り切って、そんな風にユズルの質問に次々と答えていく。
彼女からの指示に食らいついていくだけで、アーシャは一杯一杯だ。
———2レツ1バン、4レツ1バン、3レツ2バン、9レツ5バン
複雑な回答は、『ひらがな』が書かれた紙を指差すのだが、前回で文字の並びを覚えたアカートーシャは素早く、右から何列目か、上から何番目かを伝えてくる。
(二列目『か』……四列目『た』……三列目……『さ』『し』……九列目『ら』『り』『る』『れ』『ろ』)
対するアーシャは、まだうろ覚えな字も多く、指示された文字を探し出すだけで、会話の内容を理解する余裕はない。
———タブン、ウマクツタワッタワ!
ユズルとの会話が終わった時、アカートーシャは大満足な戦果を報告してきたが、
(良かった!……私は……えっと……文字の並びを何となく覚えた!……かな)
文字をひたすら押さえていたアーシャは、それくらいしか報告することがなかった。
———コレ、フシギナナラビヨネ
昔の人間であるアカートーシャにとって、この『ひらがな』の並びは不思議らしい。
(あ、これね!発音で並んでいるのよ!)
———ハツオン………?
そんな彼女にアーシャは大発見とばかりに報告したが、戸惑ったような感情が返ってくる。
(えっとね、横一列に音の仲間が並んでるの!ちょっと聞いててね!)
「いー、きー、しー、ちー、にー」
アーシャは文字を横にたどりながら読み上げていく。
———????
音を基準とした文字を持つアーシャには、これ以上ない説明だったのだが、アカートーシャには良くわからないらしい。
戸惑いが続いている。
(えっと……音が揃うでしょ?)
———オトガ……?ソロウ………?
そう答えるが、やはりピンと来ないらしい。
(アカートーシャの時代は、どんな風に並んでいたの?)
———ワタシタチハ、ウタデオボエテイタノ
(歌?)
———ソウ、スベテノモジヲ、ツカッタ、ウタガアッタノ
(へぇ……なんか素敵!歌いながら文字の練習をするのね!)
歌が好きなアーシャは、子供や大人が歌いながら文字の練習をしている様子が思い浮かび、微笑ましい気分になる。
———……タブン、アァシャノオモウ『ウタ』ト、チョットチガウ、カモ……
そんなアーシャに少し言いにくそうに、アカートーシャは伝えてくる。
そしてフッと彼女の『歌』の記憶が流れ込んでくる。
(……歌というより呪文の詠唱みたい)
その『歌』は音程の上下がほとんど無く、とても緩やかで、アーシャの知る歌とは少し違っていた。
(あっ、で、でも何かこう、ゆっくりとした言葉の流れかたが気持ち良いような!?)
あまりの違いに、相手の歌を否定するようなことを言ってしまって、慌ててとりなすアーシャに、アカートーシャがおかしそうに笑う気配がする。
そのまま、お互いの国の音楽を紹介し合いつつ、アーシャは少し寂しさを覚える。
アーシャがこんなに自由に話せるのは、アカートーシャだけだ。
離れてしまったら、今のように記憶を共有してもらう事も、できなくなるだろう。
———アァシャ、サビシイ?
その感情はアカートーシャに伝わってしまい、心配そうに聞かれてしまう。
(あ!いや!全然!大丈夫!アカートーシャを吸収しちゃったら一生後悔しちゃうし!アカートーシャは今、私の中に閉じ込められてるようなもんだから!外に出られた方が絶対に良いと思う!)
ここでアカートーシャを引き止めるようなことを言ってはならない。
自分の寂しさを覆い隠すように言葉を重ねるが、同じ体にいるので、感情は隠せない。
———キット、ダイジョウブ。サクラサマモ、ジユウニイキキデキルトイッテイタシ。キット、モドッテコレルヨ
アーシャの心を感じとったアカートーシャは、そう元気づける。
しかしそう言うアカートーシャからも、不安は伝わってくる。
(……ちょっと怖いね)
———……ウン
アーシャが本音を漏らすと、アカートーシャも肯定する。
いつの間にか、二人は一緒にいることが、当然になってしまっていたのだ。
そうやって二人で少ししんみりしていたら、玄関が騒がしくなる。
アカートーシャと交信した後、ユズルが何やらやっていたので、助っ人が到着したのだろう。
「ん?」
———ンンッ?
そう思ってそちらに移動したら、玄関でユズルと話していたのは、お隣のケイとイズミだった。
彼女は腕に人のような物を抱え、イズミも何かを手に持っている。
「たすけにきたわよー!」
アーシャに気がついたケイは嬉しそうに手を振る。
「ケーおねちゃん」
てっきりアカートーシャ関連の人が来ると思っていたので、アーシャは拍子抜けしながらも、駆け寄る。
「ほんとーわもっとかんせーさせてもってきたかたんだけどね〜」
そう言いながら、ケイは腕に抱いていた物をアーシャに渡してくる。
「!!!………わぁぁぁぁぁあああ!!」
それを見て、アーシャは目を見張った。
それはアーシャの胸ぐらいまでの大きさの人形で、一瞬生きている小人か妖精かと思ってしまうほど、精巧に作られていた。
一本一本頭から生えている黒髪。
美しい弧を描く繊細な眉毛。
ぱっちりと開いた目の縁には、長いまつ毛まで生えている。
そしてそのまつ毛の下には、真っ黒な瞳孔の周りに、細やかな虹彩まで入った、美しい緑の瞳が入っている。
あまりに精巧で、今にも
頬にほんのりと赤みがあって、唇も血が通っているように色づいている。
———キレイスギテ……チョットコワイ……
(生きて……ないよね。ないよね)
あまりにしっかりと人形と目が合うので、アーシャは何度も人形と自分の間で手を振って、動かないことを確認する。
そっとその頬に触ると、硬く温かみはない。
手触りで明らかに生き物の皮膚でないことがわかる。
(やっぱり人形だよね……一瞬、小人かと思った………!!)
思わず、そうやって安心してしまうほど、まるで生きているような精巧さだ。
(この服……アカートーシャが着てたのに似てる)
前を重ね合わせて着る形の白い上着に、鈍い赤色のスカートは、夢で見たアカートーシャが身につけていた服に似ている。
服をめくってみて、中の手足を確認したりしている間も、人形の瞳はアーシャを追ってくる。
(何で視線が動くのかしら……?)
———コワイ……
アーシャは興味津々で、いろんな方向から人形を見るが、アカートーシャは少し怯え気味だ。
「あ……アーシャちゃん……こ、これも……」
初めての人形を点検していたアーシャに、イズミが持っていた物を、おずおずと差し出す。
アーシャの両手に収まってしまう、小さな透明の箱だ。
「わぁ〜!」
その中には服を着た卵が二個、否、卵型の人形が二体、ぽてんと座っている。
およそ人間の形からかけ離れているのだが、それが人形であることは、すぐにわかった。
———カワイィィィィィ!!
アカートーシャが体の中で大はしゃぎする。
「かわいーな!」
アーシャも思わず笑顔になる。
チョンチョンと黒い点を書いただけのような目に、赤い糸で曲線を描いただけの唇。
顔を構成する要素はそれだけなのだが、何とも気が抜けたその顔は、不思議な愛嬌がある。
簡単な顔とは裏腹に、この二体の卵型人形は、しっかりと作り込まれている。
一体は長い黒髪で、もう一体は短い黒髪。
一体は頭の上に愛らしいリボン飾りをつけ、もう一体は妙に長細い帽子をかぶっている。
一体は赤色の服で、開いた扇を持ち、もう一体は暗い青色の服で、細長い木剣のようなものを構えている。
全く同じ顔だが、服装だけで男女一対の人形なのだとわかってしまう。
簡単な作りに見えて、どちらの人形も凝った刺繍がされている。
———ヒナダ!ヒナニンギョウダ!!
嬉しそうにアカートーシャが騒いでいる。
子供のようにはしゃぐ彼女と、人形の小さなおちょぼ口に誘われるようにアーシャも微笑む。
「これ、ひ・な・にん・ぎょー。アーシャちゃんの」
そんなアーシャの前に座ったケイが説明してくれる。
「アーシャの!?」
高価そうな人形三体を順々に見ながらアーシャは目を丸くする。
「こっちわわたしさく、こっちはおとーとさく」
ケイは精巧な人形を指差した後に自分を指差し、卵型の二体を指差した後にイズミを指差す。
———ツクッタノ!?ツクレルノ!?スゴイ!!
アカートーシャが驚きの声を上げる。
「ケーおねちゃん!?イジュニ!?」
それでアーシャも二人がそれぞれを作ったことを知り、目を丸くする。
素晴らしい人形たちだと思ったが、二人の手作りだと知らされると、尊敬と感動で更に輝いて見える。
「あいがとーっっ!!」
アーシャは二人にお礼を言った後に、それぞれの人形に頬擦りする。
「どーいたしまして」
返事をくれたケイも、小さく頷いたイズミも目を細める。
「じゃ、はじめよっか」
そう言ってケイが床に座って、アーシャに向かって、ここにおいでとばかりに膝を叩く。
「?」
何だろうと思いながらも、アーシャはケイの膝の上に座る。
「アーシャちゃん、はーってして。はー」
ケイは自分が作った、精巧な方の人形を指差して、人形に向かって息を吐きかけるような仕草をする。
「はー?」
「うんうん。すーってすって、はー」
大きく息を吸って、人形に向かって吹きかけろと言うことらしい。
———…………
アカートーシャに少し動揺するような気配がある。
「?」
よくわからないが、アーシャは思い切り息を吸って、人形に吹きかける。
勢いが良すぎて、人形の柔らかな前髪が舞い上がる。
「あ〜……アーシャちゃん、ふー!じゃなくて、はー!わかる?ふーじゃないの。はー」
ケイは唇を尖らせてフーっとやって、大きく首を振って、ため息を吐くように、はーっと口を大きく開けて息を吐く。
どうも口を尖らせて吹きかけてはいけないらしい。
アーシャはもう一度大きく吸って、
「はぁぁぁぁぁ」
と人形に向かって特大のため息をお見舞いする。
「…………」
ため息を吐きかけられた人形が、少々可哀想な気がして、
(貴女が嫌いなわけじゃないのよ。ごめんなさいね)
優しく抱きしめる。
「いーね。そのまま」
するとアーシャを膝にのせたケイが、長々と言葉を紡ぎ始めた。
緩く伸びたり、上下する発音は、先ほどアカートーシャが教えてくれた歌に似ている。
「???」
いつもはっきりと開いているわけではない目を、更に伏目がちにしているので、ケイはアーシャに語りかけているわけではなさそうだ。
(アカートーシャ、これって………)
———ワ……ワ……ワタシハ、ケガレジャナイワッ!!
質問しようとしたところで、アカートーシャが珍しく感情を荒ぶらせた。
一体どうしたのかと戸惑ったアーシャの体の中で、何かが動く感触がする。
———イヤ、ケガレナノ!?ヒキヨセラレル!?ワタシ、ミコナノニ……!?
よくわからないが、神職としてあるまじき事態になっているらしく、動揺が激しい。
(あ……アカートーシャ?えっと……)
何とか落ち着いて事情を教えて欲しいと思ったが、
———ワタシ、ハラワレルノ!?マタ、フウジラレルノ!?
次いで、体の中で何かが、激しく動くのを感じる。
まるで穴から引っ張り出されそうな兎がもがいているかのような動きだ。
(アカートーシャ、落ち着いて。何かよくわかんないけど、多分、これって……)
———コワイ……!コワイヨォ!!
多分、ケイはアーシャたちの願いを叶えようとしてくれている。
そう言い聞かせたいが、外部からの力によって、無理やり動かされたアカートーシャはパニックを起こしている。
彼女の中の、手足を切られて閉じ込められた、惨たらしい記憶が、激しく点滅して脳裏をよぎる。
何十年も自我を持ちながら、動く事すらままならぬ状態で、人形のように閉じ込め続けられ、狂気と憎しみに染まりながら、人外になっていく絶望。
常人には、とてもではないが耐えられない悍ましい記憶だ。
アカートーシャの抵抗に、対抗するようにケイの声が鋭くなる。
それに従い、抵抗して留まっていた体の中のものが、再び動き始める。
———アァシャ、アァシャ、コワイ!コワイ!タスケテ!
するとアカートーシャは更に怯えてもがく。
「ケーおねちゃん……!!」
このまま無理に移動させるのは、駄目だ。
そう思ってアーシャはケイを止めようと声を上げた。
「……だめだっ……」
それとほぼ同時に、ケイの呪文の詠唱のようなものが止まる。
そしてアーシャを膝に乗せていたケイが、ぐったりと脱力する。
慌ててイズミが、その背中を支えに飛んでくる。
「ごめん。ちからぶそくだわ」
ケイは悔しそうに呟く。
自分を引っ張る力が消え、ドッとアカートーシャから安心する気配が伝わる。
人間であった自分が、すでに変わり果てた存在になったという現実。
受け止められているようで、彼女は受け止めきれていなかったのだ。
いや、アーシャの中で、一緒に生活を営むことで、人としての自分を思い出し、人である意識が強くなっていたのではないだろうか。
このままでは吸収されるという衝撃的な事実のせいで、アーシャたちは急いで行動しすぎてしまった。
そしてお互い何の覚悟も決まらないうちに実行に移してしまった。
(アカートーシャ?大丈夫?)
———ゴメンナサイ………ゴメンナサイ……
土壇場で怖気付いてしまった自分を恥じるように、アカートーシャは謝り続ける。
(ね、私たち、ちょっと急ぎすぎたのかも。サクラサンも今日明日の話じゃないって言っていたじゃない?)
語りかけるアーシャに、アカートーシャは面目がないとばかりに沈黙している。
(閉じ込められっぱなしになると思ったら、怖くて動けなくなったんだよね?)
言葉としての返事はないが、肯定と自分を恥ずかしく思う感情が伝わってくる。
(でもでも、このままだったら、アカートーシャを私が吸収しちゃうじゃない?それは何としても防ぎたいよね)
更に彼女がしょげてしまう感情が伝わってきて、アーシャは慌てる。
(違う違う!!責めたり怖がたせたりするつもりじゃないの!だから、一緒に練習してみない!?って提案したかったの!)
———レンシュウ………?
アカートーシャは思いつきもしなかったという様子だ。
(そう!私と一緒だったら怖くないでしょ?何かあっても一緒なら、きっと何とか出来るし!)
それは怯えるアカートーシャを見た時に、思ったことだ。
『アカートーシャを独りにしたくない』
寝食を共にしたどころか、二心同体で過ごしてきたのだ。
アカートーシャだけで苦難に立ち向かわせるのは、体同居人としては忍びない。
———デモ、イッタイ……ドウヤッテ……
(ほら、私は寝てる時、移動してるって言ってたじゃない?それに何とかアカートーシャもくっついて来られない?こう……しがみつく感じで!もしかしたらそれでコツが掴めたり、怖くなくなるんじゃないかしら!?)
本当にできるかどうかはアーシャにも全くわからない。
しかしアーシャができていると言うなら、それを真似してみたら、案外うまくいくのではないかと思いついついたのだ。
———デキル……カシラ……
(まずはやってみよう!できなかったら、また他の人の手を借りても良いし!もしかしたら私も自分の意思で移動できるようになっちゃうかもしれないから、その時は教えてあげられるし!)
アカートーシャから少し前向きになった気持ちが伝わってくる。
「ん!」
問題は全く解決していないし、進展すらしていないのだが、アーシャはやる気を込めて大きく頷いた。
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