17.化け物、頭角を現す

それ程長く生きているわけではないが、自分が井の中の蛙であったと思い知らされた経験は何度もある。

例えば、自分の足が一番と自信を持っていたのに、中学生に上がったら自分より速い奴が沢山いた時。

成績優秀だと思っていたのに、高校に入ってすぐの試験結果が下から数えた方が早かった時。

弟たちに素質では劣るものの、弛まぬ努力で、父にすら負けない素養を身につけたと思っていたのに、そんな積み上げた物が消し飛ぶような、化け物が現れた時。

そして努力だけでは決して太刀打ちできない、才能と覚悟を見せつけられた時。


藤守ふじもり一至かずしは、呆然として天井を見つめていた。

「あざーしたっ」

その一至の視界に涼しい顔が入り込み、お付き合い的に頭を下げる。

恐らくこの道場内で一番ヘイトを向けられている人物は、勝ったことを喜ぶ風でもなく、実に淡々としている。


現藤護家宗主の息子であり、宗主代行の双子の弟。

素質はそこそこあるものの、全く磨いていないので、特筆するような実力ではない。

化け物のような兄の威光を笠に着た、態度のでかい腰巾着。

周りからの評価はそんな物だったので、分家頭である、一至の父が門下生として紹介した時、胡散臭い物を見る冷たい目で、彼は迎え入れられた。


藤護本家にいながら、一切の呪術を学ばず、武術もほぼ嗜んでいない。

そんな彼は、分家に通い始めた当初は、『良い所は顔だけ』『口だけ男』『態度だけは一人前』などと言われたい放題だった。

武術により身体を鍛えつつ、氣の操り方を学ぶ時は、憂さを晴らすように絡まれ、投げ飛ばされては馬鹿にされていた。

基本的な呪術もわかっておらず、随分と周りから嘲りを受けていた。


しかしどんな扱い方をされても黙々と学び、態度を改めることもなく、絡まれれば強烈な毒舌でカウンターを喰らわせてくる。

広い道場の中で親しく話す相手はなく、屈辱を感じるような指導ばかりを受ける。

それでも彼は毎日定刻に飄々とした様子で現れる。

そしてスポンジが水を吸い込むように……、いや、その凄まじい成長は無機物に例えられるような速さではない。

飢えたヒルが宿主を殺す勢いで血を吸っているように、知識を吸い上げ、我が物にしていく。


そして今日、遂に組み手をしていた一至を投げ飛ばした。

相手の力を上手く使い、そして滞ることなく、流れるように氣を動かし、ここぞと言う所に叩き込んでくる。

まだ相手は初心者という慢心が一至にあったとはいえ、気がついた時には両足が地面から離れていた。


「化け物は兄の方だけと思っていたけど……あの男も大概ですよ」

立ち上がって傍に避ける一至に、高次元災害対策警備会社でチームを統括している中村が声をかけてくる。

「ヘラヘラとした軽薄な姿に騙されました。一皮剥いた下は、どんな逆境にもくらいついて知識を啜る、貪欲な修行僧ですよ」

譲を兄の腰巾着と嫌っていた中村は、渋い顔で続ける。

字の如く欲を貪る『貪欲』と、あらゆる欲を捨て去る『修行僧』という正反対な単語だが、なるほど彼には相応しい表現だと思ってしまう。


一つ教えようとしたら、十を掠め取り、基本を教えれば自分で勝手に応用法を見つけてしまう。

自分を高める事には、恐ろしいほどの熱を感じるのに、その他のことには全く興味を示さず、ストイックですらある。

現に今、一至を投げ飛ばしたことで、賞賛の視線が集まっているが、それらに対する反応は全くない。

無反応というより、拒絶だ。

話しかけたそうにしている人間は多いが、彼は道場にいる間、無駄なおしゃべりに興じる隙を見せない。


「譲さん!兄さんを投げるとか凄いですね!次は俺とやりましょう!」

「連続ボス戦なんて無理無理。か弱い村人Aに絡んでねぇで、ちゃんと訓練された連中とやってくれ」

一切のコミュニケーションを拒絶する姿勢にも負けずに絡んでいくのは、一至の弟の光至みつしだ。

誰にでも人懐こい弟は、譲にも最初から好意的で、道場内で一番、譲に話しかけている。


「え〜良いじゃないですか!今日の朝、寝癖ついてるの教えてあげたの俺ですよ!」

「……それ、ことさら何回も言うのやめてくんねぇ?」

苦い顔をされても何のそので、グイグイと絡みにいくコミュ強ぶりには兄ながら舌を巻く。


「……なんか新鮮」

「ちょっとテレてる?」

「子供っぽい所もあるんだね」

ポソポソと女性社員たちが交わす会話が一至の耳に入る。

いつもヘラヘラしている割に、隙がない譲の様子に、はしゃいでいるようだ。

最初は反感を持っていた事や、譲の拒絶オーラもあり、直接話しかけていく勇者はいないが、真摯に打ち込む姿に、周りの態度は軟化しつつある。


「あ!そうだ!譲さん、俺、割引券持ってるんです!ドーナツ好きですか!?」

「…………俺は別に好きじゃねぇけど、家によく食べるチビがいるな」

「じゃ、割引券あげるんで組み手しましょう!組み手!」

嫌そうに大きなため息を吐きながらも、譲は立ち上がる。

「……………………まぁ、そんなに言うなら、せいぜい受け身の練習をさせてもらうわ」

そして言い訳でもするように呟く。


「ドーナツに釣られた!」

「ウソ!」

「ちょっと可愛い!!」

女性たちは声を必死に抑えながら騒いでいる。


「兄の方はカリスマがあると思ったけど……弟の方も中々だね」

一至がそう言うと、中村はますます渋い顔になる。

「一至さん、アレはカリスマなんて物じゃないですよ。魔性ですよ、魔性」

どうやら一定数の社員が浮かれているのが、気に入らないらしい。


「まぁ……そうなのかな。彼は母親似らしいから」

びっくりするほど似ていない双子は、それぞれが父方、母方の特性が強く出ている。

「あんなに高潔な藤護の宗主を惑わせるような女似なんて……一至さんは絆されないようにお気をつけください」

中村は鼻に皺を寄せながらそんなことを言う。


一至は苦笑しながら、組み手を始めた弟たちを見る。

光至は素質に恵まれているせいか、柔らかいその性格と対照的に、戦い方は力押しな面がある。

そんな直線的な力を利用して、一至は光至をいなす。

しかし譲は全ての攻撃を律儀に受け止めている。

一至の力を利用して投げた譲なら、同じようにいなせるはずなのに、全て真正面から向かっていく。


(まるでに対抗する練習みたいだな)

少し前には、ろくに氣を動かせなかったなど信じられない程、相手の動きから攻撃を受ける部位を読み取って、瞬時にそこに氣を動かし、強化して受け止めている。

避けきれずに何度も絡め取られ、よろけつつ、少しづつ避けられる確率を上げている。


(技で対抗してきた俺の時と対応が全然違う)

その事に気がついた一至は、師範代を務め、築き上げてきた矜持に大きなヒビが入るのを感じた。

自分の攻撃では、弱過ぎて、受け止める練習にはならない。

そう、言われてしまった気がしたのだ。



『君は良いのかい?その……せっかく禅一くんが命を賭けて逃がそうとしてくれているのに……』

分家頭である父との交渉の場から去る譲に、そう一至は声をかけた。

譲が光至の宗主いけにえ役を代わる事を条件に、完全な協力を求めたので、思わず出た言葉だった。

『アンタはあの禅一バケモンが勝てない相手に、自分の弟が勝てると思ってるのか?』

そんな一至の気遣いを、彼は鼻で笑った。

その言葉の意味がわからず、戸惑う一至に譲は笑いを収めた。


『禅が藤護と交わした契約は、あいつの後の宗主、もしくは宗主代行は俺以外にする事。アンタの弟が宗主を継いで死んだ後なら、禅の後じゃねぇって屁理屈で、ぼぼ間違いなく俺は引っ張り出されるだろうよ。……結局は死ぬ順番が変わるだけなんだよ』

そう言い切る彼の顔に、一至は背筋が寒くなった。

それは常世が身近である者の、覚悟が宿った目だった。


一至たちは藤護直系を父の代で離れたとはいえ、分家の中では一番渦中に近い。

このまま当主に新たな子供ができなければ、お鉢が回ってくる順番は三男の光至、次男の嗣至ひでし、そして一至の順だ。

しかしそれでも死を身近に感じる事はなかった。

一至が長男で、下に二人もいると言うのもあるが、弟たちにも『死』を意識している様子はない。

宗主が回ってくる可能性は知っていて、それを回避するため全力で藤護を支えているが、それでもどこか『死』は他人事だった。

弟が宗主に立つと言われても、何となく、自分たちなら生き残れるような気がしていた。

村に住んでいないという事も他人事に感じてしまう原因だったかもしれない。


『藤護禅一をその目で見て、尚、順番さえ変われば死なないという幻想を抱ける所に感心するよ。だからアンタらは今まで他人事のように、一人づつ生贄を出し続けてきたんだろうな』

いつも譲が軽蔑するような視線を投げかけてくる意味が、その一言に凝縮されているような気がした。

そして気がついた。

彼には光至と死ぬ順番を入れ替えるつもりはない。

知識と力を手に入れて、『一人づつ生贄を出す』現状を変えるつもりだ。

共に戦い、共に生き残る。

その為に力を手に入れようとしている。


分家頭との契約違反になるから、彼は絶対に本意を明かさない。

その為真意を確認することはできないが、もしかしたら藤護家が代々引き継いできた悲願を今代で成し遂げようと考えているのかもしれない。

もしくは死なば諸共とでも考えているのか。

猫のように気紛れな態度をとる彼から、読み取れる情報はあまりにも少ない。

しかし自分の予想は恐らく間違っていないという確信が一至の中にはある。



真面目に研鑽を積み、礼儀をわきまえ、人徳を持ち、長男ながら分家頭を継ぐにふさわしいと誉めそやされ、謙遜しつつも自分でも内心ではそう思っていた。

才能こそ弟たちに劣れど、誰よりも真摯に鍛錬することで、その差を埋めたと自信を持っていた。

(しかし……所詮は見てくればかりを磨いていたと言うことか……)

年下の光至の攻撃を何発も受け、無様によろけて周りに嘲笑を受けながらも、ひたすら実践を想定した動きを繰り返す姿に、打ちのめされる。

誰かに褒められるためではなく、強い己を誇るためでもなく、生き残りをかけて、己の才能を研ぐ。

それはまさに命懸けの必死さだ。


元々才能がある者が、目的を果たすため、知識を啜り、戦い方を身につける。

張りぼてを立派にすることが目的となった己は、遠からず、この青年に抜かれるだろう。

いや、もう抜かれているのかもしれない。

先程投げられたのも、油断ではなく、当然の結果だったのかもしれない。


(ここからは才能ある者しか、ついて行けなくなるのかも知れない)

打ち砕かれながら一至はそんな事を思う。

真面目だが、どこかクラブ活動でもやっているような様子で、追い立てられるようには励んでいなかった光至だが、譲との組み手が楽しいようで、夢中になっている。

これから切磋琢磨して、実力をつけていく未来が何となく見える。


(『一人つづ生贄を出す』現状を変える。……そんな事が本当にできるのかはわからないけど……)

一至に考えられる、自分に出来ることは、藤護が祀る『神』がこれ以上、肥大化せぬように、引き寄せられそうな周りの穢れを祓う事くらいだ。

これまでやってきた事しかわからない。

(まずは知る事から始めないといけないな。俺たちは関係者なのに、村の外のことばかりに腐心してきた。内側の事は何処か他人事で、興味をもたな過ぎた)

そんな事を思う。

自分たちの根源であり、命を奪うかも知れない場所なのに、入れない所だからと見過ごしていた。



そんな事を思う一至の前で、譲が飛んだ。

次いで、床に叩きつけられる。

「流石光至さん!!」

中村が嬉しそうな声をあげる。

道場中から同じように歓声やヤジが上がる。

少なからず譲に好意を抱いている者も、ずっと同じ道場でやってきた、人懐こい光至の方に仲間意識を持っている。

自分たちの分身が、部外者に勝ったことを、皆が喜ぶ。


そんな歓声も聞こえていない様子で、譲は打った肩と背中の状態を確認してから、立ち上がり、頭を下げてから、汗を拭う。

(両者の実力が拮抗しているからこそ、勝利が喜ばれる。ここに通い始めて一ヶ月足らずの男に勝った事を喜んでいる、今の状況が異常だってことに、何人が気づいているんだろう)

譲は確認するように、自分の中の氣を動かしている。

習ったからと言ってすぐに出来ない、何年もかけて体得していく術を彼は既にものにしつつある。

恐ろしい才能だ。

心なしか氣の密度が上がっている気もする。


(取り敢えずは、初心者に負けないように俺も頑張らないとけないな)

そう思って、一至も練習を再開した。


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