16.聖女、問題発生する

ユズルは不機嫌そうに、ゆっくりと移動するイメージが強かった。

「あぁぁぁぁああああ!!」

しかし今日のユズルは一味違う。

雄叫びと共に起床したかと思えば、バタバタとアーシャを担いで一階に駆け降り、『せんめんだい』にアーシャを立たせる。

「かお!かお!あらって!はやく!」

そう言ってアーシャに顔を洗わせている間もバタバタと動き回る。


(あれ?)

気持ち良く水分を吸い取ってくれる『たおる』で顔を拭きつつ、本日着る服を選びに向かったアーシャは首を傾げる。

鬼気迫る勢いで朝食を準備してくれているユズルの神気が、いつもより微妙に密度が濃いような気がする。

(元気に動いているせいかな?)

そう思いつつ、忙しそうなユズルにちょっかいをかけるのも何なので、アーシャは一人で着替えを済ませる。


(どうかしら?)

———カワイラシイ!

「えへへへ」

以前は同じ服を着続ける生活を続けていたアーシャだが、今では、毎日どれを着ようかと選ぶ程、衣装持ちになってしまった。

愛らしい薄紅色の、短かいワンピースの下に『すぱっつ』という柔らかいズボンを履く。

くるりと回れば裾がふわりと持ち上がって華やかなのに、その下がズボンなので動き易い。

スカートとズボンの良い所取りだ。


ゼンが選ぶ時は、この上に色々と着せてくれるのだが、ここはアーシャの国ほど寒さが厳しくないので、実はそれほど着込まなくても平気だ。

「んふふふ」

アーシャはぴょんぴょんと弾むように歩き、忙しそうなユズルに代わって『ほいくえん』の準備をする。


「こんなもんで、わりー」

空っぽのお腹以外は出発の準備が整った頃、ユズルは申し訳なさそうに、円柱型にした『こめ』を出した。

お腹の部分に、食べられる黒い紙が巻いてあって、そのまま手に持って食べられるようになっている。

「わぁ〜」

美味しそうな湯気を立てる『こめ』を見て、アーシャは急いで自分の椅子に登る。


『こめ』の香りと、いつも飲むスープの香りを吸い込んで、

「いたーきましゅ!」

アーシャは張り切って両手を打ち鳴らす。

いつもより簡単とはいえ、朝ご飯があるだけ幸せであることをアーシャは知っている。

しかも『こめ』とこのスープの相性は異常によろしい。


まずは一口、『こめ』を味わおう。

「あ〜んっ」

そう思ってかぶりついたアーシャは、目を丸くする。

「んん!?」

塩っぱくて、しっとりとした感触が舌に当たったのだ。


確かめるように何回も噛むと、塩っ気と『こめ』の甘みが混ざり合う。

(これは……もうわかってるわよ!これはあの魚ね!?)

———サケ、オイシイ!

魚食が盛んではない文化圏で育ったアーシャだが、すっかりこの魚には馴染んでしまった。

朝のご飯によく出てくる、鮮やかな色の魚だ。

魚の塩っ気と脂味が、ホクホクの『こめ』に物凄く合う。


(ここでスープ!)

よく噛んで、魚の塩っ気が『こめ』の甘みに押されてきた所で、アーシャはスープを飲む。

「ん〜〜〜!」

———オミソ、アウ〜!

二人とも大満足の味だ。

器に直接口をつけるのにも、もうすっかり慣れてしまった。


黒い紙の巻いてない両端を食べて、最後に黒い紙の部分を口に放り込む。

(なんかこの紙も、味があるよね?何かこう……不思議な味わい深さが……)

———ソレハ、カミジャナクテ、『のり』ヨ

———『かいそう』ヲ、ホシタモノナノ

(……『かいそう』って何?)

———ウミノナカニハエテル……クサ?

(草って……海にも生えるんだ……水草みたいなものかなぁ)

そんな会話(?)をしながら、アーシャたちは、ゆっくりご飯を味わっているが、ユズルは『こめ』を口の中に突っ込んでは、忙しく動き回って身支度をしている。


(こんなに焦ってるユズル見たことないなぁ)

———ユズルドノモ、ネグセトカ、ツクノネ

なぜ彼が焦っているのかわからない二人は、呑気に次の塊を口に運ぶ。

「……っ!」

———ンンン!

そして何気なく噛みついた二個目の『こめ』の中から、シャクッと何とも気持ち良い歯応えが返ってきて、目を見開く。


(これは……何かの茎!?)

脂ののった魚とは違う、すっきりとした塩っぱさが、これまた『こめ』に合う。

———カブカ、『だいこん』ノハッパネ

(『しょーゆ』の匂いもする気がする!美味しい!)

噛む度にシャクッと気持ちの良い音が立つ。


そうやって食事を楽しんでいたアーシャの所に、バタバタとユズルが戻ってくる。

「わりー。さいごはくるまでくってくれ。わかるか?く・る・ま」

そしてまだ二つ目を食べているのに、三つ目の塊をアーシャに渡そうとしてくる。

———イドウスルミタイ。サイゴノハ、『くるま』デタベテッテ

「えっ」

アカートーシャに通訳してもらって、アーシャは驚いてしまう。

急いでいると思ったが、まさか食べながら移動なんて思っていなかった。


慌ててスープを飲んで、二つ目を口の中に押し込んで、アーシャはユズルに抱き上げられる。

こんなに慌ただしい朝は初めてだ。

(一体どうしたのかしら?)

驚きつつも、アーシャはしっかりと口は動かす。

(う〜ん、ご飯を食べているのに風景が変わっていくって、凄く新鮮だわ!)

———ネ!ナンダカステキ!

流れる景色を見ながらのご飯は余計に美味しく感じる。


「ん!まよ!」

いや、実際に美味しかった。

魚も野菜も好きだが、アーシャは『まよ』が一番好きだ。

濃厚な『まよ』と混ざり合った、細かく砕いた謎肉も美味しい。

「まよ、おいしーな!」

「つなまよ、な」

『くるま』を操るユズルが苦笑混じりに訂正する。

「ちゅなまよ!おいしーな!!」

「……はいはい」

ユズルは妙に疲れた声で相槌を打つ。




いつもと行動が違っていたのは何故なのか。

それが分かったのは、がらんとした保育園に着いてからだった。

「おはよー!アーシャちゃん。みんなわおさんぽいっちゃったのよー」

「おはよーごじゃましゅ!」

見慣れた『せんせー』ではなく、いつもは時々しか見かけない、エンチョーに出迎えられる。

「おくれてしまってすみません!」

ユズルは彼女に深々と頭を下げる。


これは一体どうしたことだろうと首を傾げていたアーシャは、ふと『ほいくえん』入り口のすぐ横にある、花の形の時計を見上げる。

「あ……」

いつもと指している数字が違う。

(もう次の数字に行ってる……すごく遅れたんだ)

———キョウハ、オサンポダッタノネ……オイテイカレチャッタ……

町を見て回るのを、とても楽しみにしているアカートーシャは、がっかりした様子だ。

アーシャとしても、いつも仲良くしている友達が全然いないので、ちょっと寂しい。


「……わりー……」

エンチョーにアーシャを渡しながら、ユズルがボソッと呟く。

少し落ち込んでいるように見えたので、エンチョーの腕からアーシャは手を伸ばす。

「ゆずぅ、いっていましゅ!」

そして珍しく整っていないユズルの寝癖頭を撫でる。

アーシャが笑って見せると、ユズルは少し表情に迷うようなそぶりを見せた後に、皺を寄せていた眉間から力を抜いた。

そして何かボソッと呟いた後に、「よろしくおねがいします」とエンチョーに頭を下げて去っていく。


振り向かない背中に手を振った後、さてこれからどうしようとアーシャは首を傾げる。

(せっかくだから、『ゆーぐ』を独り占めしちゃう!?)

そう思いついて、いつも通り自分の使うコップなどを所定の場所に並べてから、アーシャは外に出る。

誰もいないなんて滅多にない事だから、楽しまないと損だ。


『すべりだい』は滑り放題で、『ぶらこん』も漕ぎ放題だ。

この機にしっかりと体を動かして鍛えられる。

「………………」

そう思ったのだが、すぐに物足りなく感じている自分に気がついた。

———ナンカ、サビシイ……ネ

アカートーシャもそんな事を言う。

アキラが教えてくれたおかげで、結構上手に漕げるようになった『ぶらこん』だが、一緒に数を数える子が居ないと盛り上がりに欠ける。


キィキィと普段は皆の声で聞こえない金属の軋みを聞きながら、アーシャは『ぶらこん』を漕ぐ。

『小さき器、一人でつまらなさそうだの』

そんなアーシャの膝に、拳大ほどに小ささになった、大樹の老女神が舞い降りてくる。

「サクラしゃん!」

子供好きな老女神は、一人でポツンとしているアーシャを、放っておけなかったようだ。


『あぁ、正確に言えば、か』

ツンツンと老女神はアーシャの胸をつつく。

当然と言えば当然だが、老女神にはしっかりとアカートーシャが見えているらしい。

『んんん?ちょっと馴染みすぎておらぬか?荒ぶった御魂を鎮めるのも器の役割。しかしそなたは少し馴染みが良すぎる。このままだと癒着するぞえ』

見えているどころか、アーシャたちがわかっていない所まで感知している。


老女神の言葉を理解するまで、少し時間がかかったが、

「えぇぇぇぇ!?」

———エエエエエエ!!

アーシャとアカートーシャは同時に声を上げた。

『……わかっておらんかったのか……』

二人の驚きように、老女神は少し目を見張る。


「【ゆ、ゆ、ゆちゃくって、癒着って!!ヒュ、ヒュドラみたいになりゅの!?】」

母国語はできるだけ使わないようにしていたが、アーシャはそんなことも忘れて叫ぶ。

頭の中には胴体一つから頭が二つ生えた自分が思い浮かんでいる。

『八岐大蛇のような形ではない……うぅん、言うなればチョウチンアンコウのオス……と言ってもわからぬか……力の強い小さき器に、相手が引き寄せられ同化し、吸収されるのじゃ』

「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」

———ヒィ!!

二人は悲鳴を上げる。


『普通の器なら逆の結果になるんだが……。中の者もまだおらぬから、小さき器の神性の方が優って、引き寄せられておる』

うぅんと老女神は目を眇めながら、顎に手を当てる。

「【きゅ、きゅ、吸収なんて嫌でしゅ!アカートーシャはアカートーシャでしゅ!!】」

———ドウスレバ!?ドウスレバ……!!

落ち着いた老女神とは対照的にアーシャたちは大慌てである。


顔色をなくすアーシャに、おかしそうに老女神は笑う。

『簡単なことだ。小さき器以外の器に移るのだ。定期的に離れて、お互いの境目を守れば良い』

———ウツル!?ウツルッテドウヤッテ!?

アカートーシャは悲鳴を上げるが、老女神には聞こえていない様子だ。

「【あ、あの、移りゅ方法が、よく、わかりゃないみちゃいで……一体どうしちゃら……】」

アーシャが聞くと老女神は変な顔をする。


『渡り方がわからんと?……じゃあどうやって小さき器に入ったのだ?封じられた本体から離れ、小さき器に入ったのだろう?』

「あ………」

アーシャはアカートーシャが来た時のことを思い出す。


(夢よ夢!アカートーシャは夢で私に会いに来た!その時と同じようにしてみたら!?)

問題解決とばかりに、アーシャは明るくなるが、

———ジブンデハ、ワタレナイ

———アノトキハ、アァシャガ、ユメワタリデ、ムカエニキテクレタ

アカートーシャは泣きそうだ。


「【私!?私がぁ!?】」

アーシャは驚愕して口を大きく開く。

———アァシャ、ケッコウ、ユメワタリシテル

———キノウモ、ユズルドノノナカニハイッテイタ

そんなアーシャに畳み掛けるような新事実が突きつけられる。

「ほえぇぇぇぇ!?」

アーシャは驚愕の声を上げる。


本当に時々だが、うつつと夢の間で、現実の体を置いて、周りを見回せることはあった。

最近で言うと、『フジモリ』で三つの漆黒を見た時だ。

目覚めすぎてもいけない、夢に落ちすぎてもいけない。

微妙なバランスを守っている間は、自由に周りを見渡せるのだ。

しかしこれは自分で意図的にやれるわけではない。


(そう言えば、昨日見た夢は、生々しいというか、何かいつもの夢と違った)

可憐な少女に魔手を伸ばす『せんせー』と、その間に入ったゼンの夢は、ひどく鮮明で、自分で作り出せるようなものじゃなかった。

(あれはユズルの夢……というか、記憶……?でも、それなら、おかしくない?)

アーシャが引き寄せられたのは、硝子細工のような、ジョーという少女だ。

ユズルなんていなかった。


「ん………?」

何か引っ掛かりを覚えて、アーシャは夢の少女の顔を、よく思い出す。

———ユズルドノ、チイサイコロハ、オナゴノヨウネ

するとその顔はアカートーシャにも伝わったようで、彼女はあっさりとそんな感想を述べる。


「あぁぁぁぁあぁああ!?」

ゼンの近くに居ないユズル。

その代わりにいつも一緒にいるジョーという少女。

「………ゆずぅだ………」

呆然とアーシャは呟く。

言われてみたら、アーシャがあの子を女の子だと思ったのは、あまりに可愛らしかったからだ。

この国は女だからといって髪を伸ばさなくて良いし、スカートを履かなく良い。

だから顔だけ見て、そう思い込んでしまっていた。


まさか、あんな砂糖菓子のような甘やかな容姿の少女が、今のような大きくて筋肉質な男性になると思わないではないか。

「【時の流れって……】」

確かに面影はしっかり残っているが、あの美少女はどこへ消えてしまったのかと言いたくなる。


(でも、じゃあユズルがジョーって呼ばれてたのは何だろ?)

あんなに変わり果てて、名前まで変わったらわからないではないか。

———ヨウミョウジャナイ?

そんな疑問に、事もなげにアカートーシャが答えを出してしまう。

何と、この国では、小さい時と大きくなってからで名前が変わるシステムがあるらしい。

(でもゼンはゼンだったような……いや、ゼンイチ?って呼ばれてたかな……?)

夢の内容をアーシャは一生懸命思い返す。



『……うん。小さき器、奇声続きで我はちょっと怖い』

すっかり自分の世界に入ってしまっていたので、アーシャの膝の上でアグラをかいて座っている老女神は、頬杖をついて、困ったように言う。

「【あ、ご、ごめんなしゃい。色々おどりょくことがあっちぇ……サクラしゃま、彼女は私が連れてきてしまったみちゃいで、移動のやり方がわかりゃなくて……】」

『なんと!』

助けを求めるように言ったが、老女神は渋い顔になる。

『うむ……困ったのう……こればっかりは……呼吸の仕方を教えるようなものだ。生まれながらにできる事じゃから言葉で説明となると……』

やり方を教えるのは難しいらしい。


(どうしよう……)

アカートーシャを連れてきてしまったのが自分だと知ったアーシャは、解決方法も思いつかず、胸が塞がるような気持ちになる。

———アァシャ、デモ、ワタシハアノママヨリ、イマノホウガゼッタイイイ

アカートーシャはそんなふうに気遣ってくれるが、彼女を吸収してしまうなんて、絶対に阻止せねばいけない。

楽しい体験を一緒にしていきたかっただけで、融合したいわけじゃなかったのだ。


『こういうのは、人の子に聞いた方が良い。彼らは道具や術を上手く使うからの。そうじゃな………ミネコの祖父辺りなら良い伝手があるやもしれん』

そんな二人に老女神は心強い指針をくれる。

『まあ、今日明日と言うことはない。中の者がしっかりと自我を保つよう心掛けておったら、それ以上は引っ張られんかもしれんしの』

二人の心配を和らげるように老女神は言ってくれたが、アーシャは気分が晴れぬまま頷いた。


(これは……再びお手紙作戦ね……!!)

アーシャは老女神のアドバイスに感謝を告げ、慌てて室内に駆け戻った。


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