14.聖女、安眠する

流石に胃袋の限界に挑み過ぎた。

そう後悔しても、お腹の満足感は中々消える物ではない。

家に帰る最中は、逆流して来そうな満腹感に悩まされ、お風呂に入ると、水に押されたお腹が苦しかった。

「ぽんぽこりんになったわね〜」

いつも一緒にお風呂に入ってくれるケイも、アーシャのお腹の丸さに、目を丸くしていた。

どうやら満腹状態のことを『ぽんぽこりん』と言うらしい。


(何か響きがなんか可愛い)

———カワイイ

(これ、使いたいね)

———ツカイタイ!

そうやってアカートーシャと言い合った結果、ユズルに多用してしまって、最終的に

「とっととねろ!ぽんぽこむすめ!」

と、うるさがられ、ベッドに追い立てられてしまった。


しかしベッドに行っても眠れない。

お腹がまだ苦しいのもあるが、いつも一緒に転がってくれた人がいないからだ。

一人や暗闇なんて慣れっこだし、全く怖くない。

(静寂がうるさい)

しかしまさか一人で寝ると、こんなに静寂が耳につくとは思わなかった。

全くの無音なのに、横向きになると特に、何かが流れる音がする気がするのだ。


仰向けに寝るのが一番静かな気がするのだが、そうするとお腹が重くて、耐えられなくて、すぐ横向きになる。

横を向いて、うるさい気がして、仰向けになって、お腹が重くて、また横を向くの繰り返しだ。

体は眠いと言っているのに、意識がこの静寂に向いてしまって、眠りに落ちることができない。

耳を塞いでみたが、そうすると余計にモゴモゴとした音が聞こえてうるさい。


こうなると、力強い音で脈打つ、ゼンの鼓動が恋しくなる。

「…………ゼン…………」

呼んでみても、もちろん彼が駆けつけてくれるはずもなく、中身がぎっしり詰まった満腹臓器がキュッと締め付けられる気がするだけだ。


眠たいのに眠れない目からは、生理的な涙が溢れる。

こんなに眠いのに、眠れないなんて、一体どうした事だろう。

(もう、無限に食べ物があっても、適量……をちょっと超えるぐらいに留めるわ……!!)

そう決心するも、一向にアーシャの意識は夢の世界には旅立てない。

(いつも寝る時どうしてたっけ……!?)

こんなことを考え始めると、ますますドツボに嵌ってしまう。

いつもは温かいなぁとか、神気か気持ちいいなぁとか、そもそもそんなことを考える間もなく意識がなくなっていたのだ。

意識の手放し方などわかるはずもないのに、ウンウンと考え込んでしまう。


「………じぇ〜ん………」

アーシャは静寂でおかしくなりそうな耳に指を突っ込んでみたりしつつ、助けを呼ぶ。

もちろん、いくらゼンでも戻って来れないのはわかっている。

静かすぎる空間を何とか打破したかったのだ。


すると、音のない部屋にカチャっと金属が擦れる音が響き、明かりが差し込んでくる。

ドアが開き切ると、明かりに縁取られた、スラリとした人影が現れる。

「ユズゥ?」

アーシャが素早く起き上がると、ドアの方向から小さなため息が聞こえてくる。

「ねてねーな」

小さく呟いたユズルは部屋に入ってくる。

「でてくるな、でてくるな」

静寂を破る救世主の登場に、アーシャが嬉しくなって駆け寄ろうとしたら、手を上げて静止される。


ユズルはアーシャにしっかりと毛布をかけ直してから、ベッドのヘリに座り、特大のため息を吐く。

(んんん?もしかして、これは寝るまで見守ってくれる感じ!?)

丸まって座る背中に、アーシャの期待は高まる。

ユズルに動く気配はない。

(これは好機!)

どうにも眠れなかったアーシャは、モソモソと毛布の中を泳ぐように移動する。

「ん!」

そしてベッドに座ったユズルにくっつく。


ゼンよりも随分出力が小さい神気だが、落ち着く気配に、安心が体に満ちる。

(よしよし……次は眠れそう)

そう思ってしめしめと目を閉じたのだが、特大のため息が降って来たかと思ったら、ベッドの中央に戻されてしまう。

「ゆずぅ〜〜〜!」

非難を込めて名前を呼ぶと、彼は大きく肩を落として、もう一度ため息を吐いた。


「まっすぐ、まっすぐ」

全身で最高の睡眠導入アイテムを捕まえようとしていたアーシャは、ユズルによって引き伸ばされる。

そして空いたスペースにユズルはゴロリと横になる。

「………………!!」

これは一緒に眠ってくれると言うことではないだろうか。

静寂からの開放者に、アーシャは嬉しくなってしまう。


「ゆずぅ、ゆずぅ!」

何も被らないと寒いだろうと、毛布を引っ張って掛けると、ユズルはまたため息を吐く。

そしてベッドの端っこに転がっていた彼は、少しだけ内側に移動してくる。

「あったかーね!」

毛布の中は温かいでしょうと同意を求めたのだが、

「はいはい。ねろねろ」

ユズルはぞんざいに頷きつつ、毛布の上からアーシャの体を寝かしつけるように叩く。

「んふふふふ」

バフバフと音がして、静寂は尻尾を巻いて去っていってしまった。


(やっぱり、二人とも、すごく似てる……)

息もできなくなりそうな豪雨と、気持ち良い湿り気をもたらす朝霧くらいの違いはあるが、その性質はそっくりだ。

(ゼンと一緒。気持ちいい……)

アーシャはうっとりと目を閉じる。


———アァシャ、マッテ、モドッテ………

眠れないアーシャを邪魔しないように沈黙を保っていてくれたアカートーシャが、何か言ったような気がしたが、アーシャの意識はほのかな神気を求めて、引かれていく。

神気に包まれれば包まれるほど、心が安らぐ。




もう静寂などどこにもない。

お腹の苦しさも気にならない。

アーシャは気持ちの良い闇をたゆたう。

うつらうつらと、それから、どれくらい、そうしていたのだろう。




ふと、アーシャは光を感じて、目を開いた。

見れば、真っ暗な空間の向こうに、薄明かりがある。

「…………?」

その明かりの中には、何やら影が浮かんでいるようで、興味を惹かれたアーシャは、そちらへ近づいていく。


(何だろ……小さな机と椅子と、子どもたち……?)

光に近づくにつれ、景色は明確になっていき、ついにはっきりと見えたと思った瞬間、アーシャはその中に吸い込まれてしまっていた。

「わ、わ、わ、わ」

アーシャはバタバタと手足をばたつかせたが、桶の底抜け部分に引き込まれる水のように、抵抗できずに引っ張られる。

「あ〜!」

このままでは子どもたちに激突してしまうと焦ったのだが、アーシャの体は子供を通過してしまった。


「おぉ?」

アーシャは透き通ってしまった自分と、自分のお腹に生えている子供を見つめる。

子供からは自分が見えていない様子で、俯いている。

「わぁ………」

アーシャは自分のお腹に刺さった子を確認して声を上げる。


一本一本が鉱石で作られているかのような、透明感のある綺麗な髪。

完璧なアーモンド型を描く目。

ふっくらとした鮮やかな色の唇。

長いまつ毛が影を落とす肌は、びっくりするくらいキメが細かく、透けるようで、赤みのついた頬はふわふわと柔らかそうで、思わず触りたくなる。

(とんでもなく可愛い女の子だ)

その可愛い女の子が自分の腹から生えているという絵面が酷い。


うんうんと唸りながらアーシャは何とか体勢を立て直し、その子の肩に乗るような形で落ち着く。

「ふぅ」

自分が幽霊レイスになるなんて、とんでもない夢だ。

そう思いながらアーシャはグルリと周りを見回す。


一人用と思われる卓を、六個づつ組み合わせて、一つの食卓にして、同じ年のくらいの子どもたちが座って、食事をしている。

(『ほいくえん』みたい)

それはアーシャが『ほいくえん』の『きゅーしょく』でよく見る光景に似ている。

組み合わせた机の上に、一人一人食事がのっているのも同じだ。

(『ほいくえん』の『おーきぐみ』くらいかな)

子供達の年齢はコータたちと同じぐらいに見える。

『ほいくえん』では『せんせー』たちが常に近くにいてくれるが、ここの大人は一人だけ違う卓に座って食べている。


(なんか泣きそう……?)

周りを観察して楽しんでいたアーシャは、自分が肩に乗った少女を見て、首を傾げる。

何だろうと手元を見れば、どうも苦手な食べ物があるようだ。

(あ〜この豆、確かに舌触りがザラっとするし、皮が口に残るんだよね。味はマメマメしていて凄く美味しいんだけど)

『こめ』と一緒に緑の丸い豆を炊き込んだ料理だ。

この豆は『ほいくえん』でも出たことがあるが、食感のせいか、得意ではない子が多いようだ。


「おい、さっさと食べろよー!終われないじゃんか!」

必死に一口一口食べている子を、他の子が責める。

「あー!好き嫌いだ〜!好き嫌いしとる!好き嫌いはダメなんだよ〜!ママやパパに言われとらんの〜?」

「あ〜!それ、せんせーが言ったらダメって言ってたぞ!こいつん家はシワシワのばーちゃんしかいないから、『かわいそー』なんだよ!かわいそーな子にかわいそーって言うのダメなんだよ!」

周りの子の声に、その子の目に溜まる涙は、どんどん大きくなっていく。


「ち……ちゃんと食べてるっ……」

気丈にその子は言い返すが、

「早く〜!」

「早く早く〜!!」

「おそ〜い!!」

周りは楽しそうに囃し立てる。


何だか意味がよくわからないが、周囲からの、この子に対する、無意識の蔑みと悪意を感じる。

『ほいくえん』で感じたことがない、嫌な感じだ。

「な、何かよくわからないけど、意地悪はだめよ!めっ!」

アーシャは泣きそうな子を守るために、威嚇するようにブンブンと手を振る。

しかし幽霊レイス状態なので、もちろん効果はない。


「はいサンハン、静かに〜!」

騒ぎが大きくなると、別の場所で食べていた『せんせー』らしき女性がやってくる。

(大人の助けが入った)

アーシャはそれを見てホッとしたが、女の子の肩は小さく震える。


「あ〜ムネカタくんだけ遅くなってるのね。じゃあ後は先生が見るからサンハンはお昼休みに入っていいよ」

どうやらここでの『きゅーしょく』は机を合わせたメンバーが全て食べ終わって、みんなで挨拶してから食事を終わるらしい。

食事が終わって、暇を持て余したから、その子を急かしていたようだ。

「ごちそーさまでした!」

と言った子どもたちは、食べていた食器を片付け、楽しそうに外に走り出ていく。


残された子は、必死に口を動かしているが、中々飲み込めずにいる。

「……………?」

手に持った『はし』が微かに震えているのを見てアーシャは首を傾げる。

(焦っているのかしら?)

子どもたちは次々と数が減っていく。

「せんせー片付けて良いですかー?」

「はい。後は直接持っていきます」

皆の食器類を片付けるために待っていたらしい子供たちが出発したら、部屋の中は、その子と『せんせー』だけになってしまう。


先ほどよりも必死にその子は口を動かす。

外からは楽しそうな子供達の声がするから、早く遊びたくて焦っているのだろうか。

そう思ったが、それにしては、顔色が悪く、何かに怯えているような顔だ。

幽霊レイス状態で何もできないが、アーシャは心配で、右から左からその子を覗き込んでしまう。

(あれ?)

そこでこの子に見覚えがあることを、ようやく思い出した。


(この国の知り合いは少ないし、こんな特徴的な子は忘れないと思うんだけどな)

少なくとも『ほいくえん』で見た子ではない。

誰だっただろうと首を傾げていたら、部屋に残っていた『せんせー』が歩み寄ってくる。

「………っ」

それを見た少女は慌てるように豆入りの『こめ』を口に放り込む。


「ダメよ、ムネカタくん。そんなに沢山、詰め込んじゃったら、喉につまっちゃうよ?」

『せんせー』は歩み寄って来て、人差し指で女の子の首に触れる。

そうされた女の子の肩は小さく震える。

(………ん?)

アーシャはその行動に違和感を覚える。


(今、触る必要あった?)

アーシャとてよく人に触れるし、今のが『喉に詰まる』と警告するためなのだと納得もできるのだが、触れた後に少し指先を滑らせたのが、妙に気になる。

上手く言えないが、何となく嫌な気持ちがする。

アーシャは疑いの視線を向けるが、『せんせー』は聖母めいた微笑みを浮かべていて、別におかしな感じはしない。


「ちゃんと噛んでね?」

そう言いながら、『せんせー』は隣の椅子を引き寄せて、座る。

そして少女の卓に頬杖をつく。

(なんかこう………近くない?)

自分も遠慮なく人に近づく事が多いなのに、親しくない相手だからか、アーシャは妙に圧迫感を覚える。


「…………っ」

少女は口を押さえて、無理やりのように喉を動かして、嚥下する。

しかしよっぽど嫌いなのか、飲み込み損なっているのが、外から見てもわかる。

「あー、ほら!無理をするから。詰まったんじゃない?大丈夫?」

『せんせー』は少女の背中をさする。

それは親切心からやっている行為に他ならない。

そのはずだ。

しかし何故か『気持ち悪い』と感じてしまうアーシャがいる。


(何か手の動きとか、触り方が少年趣味の変態神官を思い出すんだよな……)

アーシャは目を眇めて『せんせー』を見る。

一見親切なのに、何が悪いと言語化できない気持ち悪さがある。

(こう……手のひら全体で撫でていると見せかけて、指先だけで触れてる感じとか、特に変態神官を思い出しちゃう)

その時は触られている少年も怯えている様子だったので、神官の手をはたき落としてみたのだが、もちろんその後、アーシャだけが一方的に悪いことになり、懲罰を受けた上に、無用の恨みまで買ってしまった。


少女は背中を震わせながら、口に手を当てたまま、何回も飲み込む動作を繰り返している。

早く飲み込んで、この手から解放されたいのだろう。

「ちょっと、撫でるのをやめてあげて」

そう言ってアーシャは『せんせー』の手を払おうとするが、やはり幽霊レイス状態なので、介入できない。


少女はミルクに飛びついて、何とか口の中の物ごと飲み下す。

(頑張った!えらい!)

アーシャは少女が自分の手で危機を脱したことを褒める。

「あらあら、そんなに急いで飲むから」

が、『せんせー』は手を伸ばし、ほんの少し少女の口の縁から溢れたミルクを、指で拭う。


「………っっ!!」

「ひーーー!!」

その唇を辿るような、ねっとりとした指の動きに、少女は息を呑み、アーシャは盛大に息を吐き出す。

「嫌だ!この人、何か嫌だ!すっごく嫌だ!」

アーシャは思わず手で払うが、もちろん当たらない。


卑しい気持ちがあるのは見て取れるのに、行為自体には文句がつけられないようにやるのが、何とも腹立たしい。

一見、唇からこぼれた物を拭っただけ。

この場にいない者に気持ち悪さを伝えようとしても、言い訳の余地があるように行動しているのが卑怯だ。


はぁっと吐息がかかるような距離に、少女とアーシャは縮み上がる。

「嫌だ!嫌だ!誰か来て!誰かこの子を守って!この人は絶対変だ!」

気持ち悪過ぎて、アーシャは誰にも届かないと知りつつも、叫んでしまう。

二人だけの教室に、窓の外から楽しそうな声が響いてくるのが、少女の絶望を際立たせるようだ。


「うぇ〜〜〜〜〜〜い!」

しかし次の瞬間、アーシャの声に応えるように、部屋のドアが勢い良く開いた。

真っ黒な髪に小麦色に焼けた肌。

(んんん!?)

その元気の塊のような姿をアーシャは知っている。


全身がバネのような少年は、弾むように走って来て、部屋にある広めの台に飛び乗る。

「ゼン、さーんっじょうっ!!ジョーちゃん!迎えに来たぞ〜〜〜!」

そして両手をグルングルンと回した後に、謎のポーズをとって、広い部屋いっぱいに響くような声を上げる。

ねっとりとしていた空間を、一気に清涼感が駆け抜け、空気を塗り替える。


「ムネカタくん……ゼンイチくん。まだ給食終わっていないの。先にお外に行っていてもらって良いかな?」

『せんせー』は少年に、そんなことを言う。

「えーーー!ジョーちゃんおせーーー!またグリン豆が食えなくて困ってんだろ!」

しかし少年は『せんせー』の言う通りに、外に行ったりしない。


「とうっ!」

ほとんど高さがない台を勢い良く蹴り、頭から床に飛び込んだかと思ったら、謎の前転を挟んで、走り込んでくる。

「ゼ、ゼンイチくん、教室で前転するのは危ないから……ちょっ」

そして無遠慮に『せんせー』と少女の間に、押し入る。

「こんなん、豆だけ別々にして、口に押し込んでぎゅーにゅーで流し込むんだよ!ほら!分けるの手伝ってやから早く食べて外にいこーぜ!」

『はし』を奪い取り、ブスブスと豆を突き刺していく。


「ちょっ……嫌いな物だけ選り分けるなんてだめよ!一緒に食べないと!」

「え〜〜〜?何で?どうせ全部食べるなら一緒じゃ〜ん。ぜーんぶ溶けてドロドロになる〜♪」

慌てて『せんせー』が止めようとしても、全く言うことを聞く気がない。

鼻歌混じりに、次々に豆を突き刺していく。

「出来た!グリン十一兄弟!」

最初の方の豆は『はし』の太さで割れて、ひどい状況になっているが、全く気にしていない。


「おぉ!けっこーうまそー!」

そして何を思ったのかパクッと、その豆たちを自分の口に入れてしまった。

「え!?ちょっと!何をしているの!!」

「あ、やっべ!」

そう言いつつ、しっかり全部の豆を食べている。

「何で人の給食を食べてしまうの!」

「なんか食べちゃった!」

怒られても全くこたえていない。

明るく笑いながらモグモグしている。


(こ……これは……これは、子供の頃のゼン!!)

いつぞやバニタロに見せてもらったので、しっかり覚えている。

(そうだ、この子はいつもゼンの近くに良くいた……ゼンの妹だ!)

それに連動して、この子が誰だったかアーシャは思い出す。

(ユズルは、来ないのかな?)

そう思って周りを見回すが、他に誰か来る気配はない。


「ほら、さっさと食って外行こー!」

「ちょっと!ゼンイチくん!給食が終わったらお外で遊ぶんでしょう!」

「うん。外行くよ〜。ジョーちゃんと一緒に」

「他のクラスのお友達は運動場で待つお約束でしょう?」

「ジョーちゃんは友達じゃねぇもん」

「兄弟でも一緒です!」

『せんせー』は何とか子供のゼンを追い出そうとして声を荒げるが、彼は全く怯まない。


腹に据えかねたように、『せんせー』はゼンの腕を掴む。

そして実力行使で追い出そうとすると、

「いたーーーい!いたい!いたい!いたい!いたいぃぃぃぃぃぃ!!セノせんせーが俺の腕を折ろうとしてるーーー!折れるーーー!たすけてーーー!いたぁぁぁぁーい!」

驚くような声量で、叫びまくる。

その声に驚いて先生は口を塞ごうとする。


「わーーー!ちっそくしでころされるーーー!こーーーろーーーさーーーれーーーるーーーー!!ちっそくだーーー!ちっそく!ちっそく!ちっそくだーーーー!」

しかし驚きの柔軟性を見せて、手をグニャグニャと避けながら、更に叫ぶ。

その顔は悪ガキそのもので、大人を困らせてやるという明確な意思で、爛々と目を輝かせている。


「セノせんせー!?どうしました!?」

「ムネカタくん!?」

そうやって大騒ぎしていたら、人が集まってくる。

ゼンは『せんせー』の動揺を突いて、掴まれた腕を振り払って逃げ出す。


集まってきた大人たちに『せんせー』は事情を説明を始める。

「ジョーちゃん全部入れろ入れろ!」

その間に、ゼンは妹を急かす。

「おし!空になった!逃げるぞ!」

そう言って、空になった食器が乗ったお盆を持ち、まだモグモグとしている妹の手を引っ張る。


「せんせー!ジョーちゃん全部食べたから、きゅーしょくしつに返しに行きまーす」

「ちょっと!ムネカタくん!!」

真っ赤になって説明していた『せんせー』に手を振って、ゼンは部屋を飛び出していく。


「ゼンちゃん、ヤバイよ。後で怒られちゃうよ」

「気にせんでいーって。怒られるのは俺だし、俺は逃げるもん」

妹の心配をゼンは笑い飛ばす。

「ほら、何とかなったろ!俺にそーだんして良かったろ!?俺はせんせーでもイジメはゆるさねぇぜ!」

何かの真似なのか、登場の時と同じポーズを決めて、ゼンは宣言する。


「………うん。まぁ、イジメじゃない……と思うんだけど……」

妹は安堵した顔で笑う。

「嫌なことするのは全部イジメっ!いつでもやっつけてやる!」

それを見て、ゼンも更に白い歯を剥き出しにして笑う。


「さっきのアレ、クレクレババーサーカーの真似?」

「うん。この前、ババーサーカーが店の人に追い出されそうになった時にやっとった。アレやったら店の人も触れんくなってたからさ。ジョーちゃんも次、やってみろよ。ベタベタされんのが気持ち悪いんやろ?」

「えぇ……あの真似するの……」

「絶対効くから!見てたろ?」

そんな事を話しながら二人は歩く。

どうも二人の話では、かなり強引に物をおねだりする年配の女性がいて、周りに迷惑をかけまくっているらしい。

子供のゼンはそれを真似して『せんせー』を撃退したようだ。


(……ちょっと、見習う人を間違えているような……)

そう思ったアーシャの体はフワッと浮く。

自分を引き留めていた重力が消えて、笑いながら歩く二人が急速に遠くなる。

(あ……そう言えば夢だった………目が、覚めるんだ)

白み始める周りを見ながら、アーシャは現実の体に意識が戻るのを感じた。

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