11.次男、交信する(前)
『わたしはぜんともろともにいくです。わたしはさきのけいをふうずさくのかはりに、ふじもりのしんじにまいると、かみとちぎりをむすびたりです。』
可愛い苺ケーキのシールが貼ってある封筒に入っていた手紙の文字は、確かにアーシャのものだった。
家で散々見た、定規を当てて書いたような独特のフォントだから間違いない。
アーシャが書いたものには違いないのに、この奇妙な古文混じりの文章は一体何なのだろう。
いつもの、たどたどしい言葉そのままの、『だいすき』だとか『〇〇おいし』だとか、友達に書いていた手紙と、内容と違いすぎる。
しかも『神と契りを結ぶ』なんて、内容が恐ろし過ぎる。
(うちのチビは一体『何』と契約をしたんだ……!?)
峰子から前もって『お話』があると言われ、読む前に視線で注意を受けていなかったら、無表情を貫けなかっただろう。
それだけ衝撃的な内容だった。
ぐるぐると思考が空回り、頭の中にいくつもの予想が湧いては消える。
しかしいくつも、どんな予想を立てても、どれも根拠に乏しい。
情報が少なすぎる。
(落ち着け。今の状態で、どれだけ考えても、答えは出せない。落ち着け。事実だけ頭に入れろ)
最大の自制心で譲は耐える。
何も考えていない篠崎はまだ良いが、ここには子供とはいえ、分家の人間がいる。
絶対に動揺を見せるわけにはいかない。
「ユズゥ、ゼン、いっしょ?」
そうやって無言で最大限頑張って落ち着こうとしているのに、問題の手紙を書いたチビは、期待に目をキラキラさせながら、無邪気にまとわりついて来る。
この異常な手紙を書いておいて、この明るさは何なのだろう。
『あの女性とは何の関係もなかったの?』『何か酷い真似をしたんじゃないの?』と、お決まりの『お前が先に何かしたんだろう』という警察の疑いを、精一杯威嚇するパグのような顔で一蹴してくれたのは、正直助かった。
ストーカー関連で警察が絡むと、いつもこちらが加害者のような流れになるのだが、アーシャのおかげで、『妹さん?』『え!?親がいなくて、引き取って面倒見ているの!?』と、急に警官達が好意的になり、思った以上に早く解放された。
素直にそのことは感謝しようと思った。
しかし、人の酷いモノマネはするわ、とんでもない爆弾を放り込んできて、この能天気さだわで、無性に腹が立って、鼻を軽く摘む。
「フガッ!!」
するとキラキラした顔が一瞬にして、臭いものを嗅いでしまった猫のような顔になる。
「ふっ」
その間抜けな顔を見ると、不思議と気持ちがスッと落ち着く。
「………話があると、聞いていたんですけど」
そのおかげか、譲の喉からは、全く動揺などしていない、冷静な声が出た。
「ええ、お時間、頂けますか?良ければ、祖父が家で待っていますので、そちらで」
落ち着いた譲の対応に、峰子は満足したように頷いた。
「あぁ。話はジ……お祖父さんからですか?」
「ええ。どうしても話したいとゴネておりまして」
チラッと峰子の視線が譲の手元の手紙を見る。
『それ関連』の話だと言うことだろう。
「え〜ネコちゃんちに行くの!?この時間から?ってことはネコパパのご飯が食べられるってこと!?」
高まりそうだった緊張感を崩壊させるのは、もちろん篠崎だ。
「おい、チビの保育園の先生だぞ。ほぼ他人に気安過ぎるだろ。遠慮しろ。しかも何だネコって」
「え〜同じ釜の飯を食べたんだから、俺とネコファミリーは、もうカマトモじゃ〜ん。あ、ネコはミネコだから!カワイっしょ?さだっちとどっちがいい?」
「メシは『同じ釜の飯を食った』んじゃなくて、善意で振る舞ってもらっただけだからな!他人に飯を集ろうとすんな!帰れ帰れ!」
誤解されるような名称の友達カテゴリーを作るなとか、『さだっち』は明らかに失礼な物からつけているだろうとか、色々とツッコミたいが、譲は全力で篠崎をお断りする。
「何でゆずっちがお断りするんだよぉ〜。ねね、ネコちゃん、ネコちゃん、俺も遊びに行っていい?ネコパパの極ウマご飯食べたい〜」
篠崎はスルリと峰子の腕に絡みつく。
「おい!気安過ぎるぞお前!」
異性に自分から触るなんてとんでもない譲は、ギョッとしてしまうが、当の峰子は少し首を傾げたかと思うと、腕にぶら下がる篠崎の頭をヨシヨシと撫でる。
「ネコちゃん……そんなに愛らしいあだ名を、子供につけられたのは初めてだわ」
どうやら嬉しかったらしい。
「えっと……譲さん、俺は聴取も終わったんで失礼しますね?」
着いていく・帰れと揉めていた譲たちを、大人しく見ていた光至は小さく手を上げて、撤収する意向を示す。
「あぁ、巻き込んで悪かったな」
篠崎だけでも厄介なので、敵か味方かわからない分家の人間が自ら離れてくれることに、譲はホッとしながら頷く。
「いえ。また今度組み手をお願いしますね!」
爽やかに光至は笑って、頭を下げ、踵を返す。
「組み手……?」
峰子が疑わしそうな呟きを漏らす。
「………じゃあ移動しねぇと」
しかし譲はそれを聞かなかったふりで流す。
「……父に迎えをお願いしていますので、外で待ちましょうか」
峰子も特に追及することなく、それに応じる。
しかし彼女は数歩進んでから、思い出したように、くるりと振り向き、突然譲の鼻を摘んだ。
「へっ!?」
まさかの行動に譲は目を見開く。
峰子は少しだけ目を細める。
「今は気をつけているようですけど、少しづつ度が過ぎていくのが暴力ですよ。最初は今のように、やる方もやられる方も驚きますけど、回数を重ねると、双方慣れていきます。次に私がこうやったら貴方は『またか』と受け入れる閾値が低くなるでしょう?……刺激に頼らず、伝えるべきことは言葉でお願いします」
それだけ言うと、峰子は再びくるりと振り返って歩き始める。
「や〜い怒られた!怒られた〜!」
隙ありとばかりに篠崎が上下に揺れながら煽ってくる。
「………お前の鼻は遠慮なくネジ切ってやるぞ……おい、着いてくんなって」
「アーシャたーーーーん、ユッキーが抱っこしてあげますからね〜!今日のご飯は何だろね〜〜〜!牛のお肉が食べたい気分だな〜〜〜!」
マイペース過ぎる篠崎は全く帰る気がないらしく、アーシャを抱っこして、ぴょんぴょんと弾みながら峰子に続く。
そうして誰も許可していないが、強引にメンバーに入り込んだ篠崎を連れ、一行は乾家へと移動した。
「ネコパパ!この前のメンチカツ、めちゃくちゃ美味しかった!超絶美味しかった!また食べたいな〜!」
等と車内でも篠崎は大変うるさかったが、
「そうですか。では挽肉がありますから、今日もメンチカツにしましょうか。美味しいカボチャがありますから、カボチャコロッケも作りましょう」
どう見ても『ネコパパ』などという呼び名が似合わない、裏稼業の幹部にしか見えない峰子の父は神対応を見せてくれた。
「作る量が多いので、お手伝いをしてくれると助かるんですが……お手伝いしてくれる子には特別なオヤツが出ます」
しかもそう言って、話を引っ掻きまわす篠崎を台所に連れて行ってくれたのだ。
「さ、詳しい話は中で」
そう言って譲たちは、以前も来たことがある客間に通される。
「おう!」
客間には既にテーブルに腰掛けた乾老人が待っていて、気楽な様子で、手を上げた。
「おー!」
譲に抱え上げられているアーシャが真似するように手を上げ、ブンブンと振る。
(絶対にチビはオウム返しにするのが挨拶だと思ってるよなぁ)
そんな事を思いながら譲は軽く頭を下げる。
「うんうん。相変わらず元気だねぇ」
そう言う乾老人の前には、何やら色々と書かれた紙が置いてある。
「何だこれ……コックリさん……?」
それを覗き見た譲は思わず呟く。
全平仮名と、『はい』『いいえ』と書かれたそれは、鳥居のシンボルこそ書かれていないが、『コックリさん』で使う紙にそっくりだ。
「ははは、流石に降霊遊びはしないよ。……いや、まぁ、似たようなことはするのかな?」
乾老人は笑った後に少し首を傾げる。
「似たようなこと……?」
譲が聞き返すと、乾老人はアーシャを見て、大きな傷跡がある左目を眇める。
「うん。………やはりいらっしゃるね」
そしてそう呟く。
乾老人に見つめられたアーシャは、パタパタと追い払うような手振りをして、
「めっ!」
と、乾老人を叱る。
叱られた乾老人は『ごめん、ごめん』と呟きながら、アーシャを拝むようなフリをする。
「いらっしゃる………?」
そう、譲が聞くと、乾老人は不思議そうに首を傾げる。
「君は『目』がいいようだけど、アーシャちゃんは視ないのかい?」
「……チ…アーシャを見ると、引き摺り込まれそうになるから視ねぇようにして……ます」
譲が答えると、乾老人は少し面白そうな顔をする。
「言葉はいつも通りで構わないよ」
「……教えてもらう立場なんで」
むっつりと譲が返すと、乾老人はおかしそうに笑う。
「どうぞ」
立ったまま話していた譲たちに、峰子が椅子をすすめる。
そしてコトンコトンとお茶を各自の席の前に置く。
背の高い椅子を用意されたアーシャは、自分の前に置かれた、オレンジジュースに嬉しそうに飛びつく。
もうストローにも慣れたもので、迷わずに咥えている。
その様子を好々爺の笑みで乾老は見守る。
「禅一君から
そして、何でもない世間話のように、聞いてくる。
「あぁ、禅からじゃないけど、大体のあらましは。一応」
その話を何故今更、と、譲は不思議に思う。
「あれはまぁ、酷い物でね。愚か者が神の力をどうにか手中に収めようとして、神を降ろした巫女を呪いで縛った。神は縛れないが、神を降ろした人間なら縛れる……と、でも思ったんだろうね。とんでもない話だよ」
「はぁ……」
譲は話の筋が見えずに、曖昧な相槌を打つ。
「巫女というものは器だ。形なき存在の
そこまで話して、乾老は湯呑みを両手で包み、フーッと長い息を吐く。
「ん〜〜〜!」
お茶の香りが流れてきたせいで、アーシャはクンクンと鼻を鳴らす。
カフェインがあるので、それほど多く与えられないのだが、彼女は紅茶・緑茶の香りがとても好きなのだ。
そんなアーシャの様子に乾老人は目尻を下げる。
「巫女が降ろした力も、巫女を縛った呪いも巫女の一部となり、混ざり合った。どれほどの恨みや命を捧げられて穢れても、力に守られ、祓えず、未来永劫苦しみ続ける。そんな存在に成り果ててしまった」
痛ましそうに彼はため息を吐く。
「こうなった以上浄化は難しい。長い時間をかけて祀り、荒ぶる魂を落ち着かせて、穢れを抑えることしか出来ない……と思っていたんだが………やり始めると、あっという間に落ち着き始めてしまってね。なんでこんなに安らかになったんだと思ったら、混在していた、いわゆる
乾老がそこまで話したところで、ようやく譲は話が見えてきた。
「ぷはぁ〜!」
満足そうにストローから口を離し、何を思ったのか、空になったコップに残った氷をカロンカロンと音を立てて、かき混ぜ始める。
そんな、どちらかといえば頭の悪いお子様のムーブをかましている、チビ助。
皆の視線が自分に集まっているのに気がついて、アーシャは不思議そうな顔をする。
「巫女様もこの
「んな……馬鹿な……」
譲は思わず呟く。
乾老人の言葉はとても信じられない。
しかし一方で、そういう事なら、あの古文まじりの不気味な文章の意味がわかると納得してしまっている自分がいる。
「う〜〜〜ん。確かに俺もちょっと自分の推理がトンデモな気がしてねぇ。根拠三割、勘七割くらいかな?で、この和製ウィジャボードの出番ってわけだ」
ニコニコと乾老人は笑う。
「わからない事は本人に聞こう!って事さ。見事交信できたら、めっけもんだろ?」
グッと親指を立てて見せる、お気楽な笑顔に、譲は頭を抱えた。
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