10.聖女、演じる

やはりこの体は駄目だ。

改めてアーシャはそう思った。


今の生活はアーシャにとって、あり得ないくらい幸せだ。

正直、何もないなら、このまま子供からやり直していきたい。

ここには憧れた全てが揃っている。


安心できる家に、優しい家族たち。

小さいが個性的で優しい友達に、いつも見守ってくれる大人たち。

一日三回、お腹いっぱい食べ、更に小腹が空いたら『おやつ』まで出てくる、豊かすぎる食生活。

どこで眠くなっても、常に大きな手が守ってくれるから、安心して目を閉じられる。


夜に孤独と寒さに震える必要もなく、泥のように疲れ果てても尚働く必要もない。

何かを間違っても、嘲笑われる事もなく、正しい事を教えてもらえる。

何かを強制されるも事なく、好きな事を学んで、自由に体を動かせる。

大切な物を踏み躙られる事もなく、愛でられる。

『ただの子供として愛されて、少しづつ幸せな記憶を積み重ねていく』

夢で出会った、もう一人のアーシャが願っていた通り、そうできたなら、それ以上に幸せなことはないだろう。


でもやっぱり、それでは駄目なのだ。

(早く大きくならなくちゃ!!)

目の前でユズルが危険な目に遭っているのに、何もできない自分が歯痒くて、改めてアーシャは決心した。


ユズルの危険に真っ先に気がついたのに、小さな体から出る声では、危険を知らせることすらできなかった。

元の体であったら、ある程度の距離があっても、力を届けられた。

ユズルを危険に晒す前に守る力があったはずなのにと、大切な人の危機に何もできない自分がもどかしかった。

ちっぽけなアーシャにできる事と言ったら、戦うユズルの邪魔にならないように、何の声も発さずにいる事だった。

この体が大きければ、鉄柵を超えて駆けつけることもできたはずなのに。


ユズルに何の怪我もないことを確認した時、安心したのと同時に、悔しさで涙が止まらなかった。

(早く大きくなって、私が守るから!こんな危険な目には、もう遭わせないから!)綺麗な服を、涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしてしまったのは、大変申し訳なかったが、アーシャは改めて決心した。



そうして何とか涙が引っ込んだ頃には、アーシャたちは、同じ服を着た集団に囲まれていた。

(騎士とか、官兵的な人だよね)

それは以前も見たことがある服装だった。


制服の男たちは、怖い顔でユズルを囲んで尋問している風だったので、アーシャはゴシゴシと袖で顔を拭い、しゃんと背筋を伸ばす。

(ユズルを傷つけたら許さないわよ!!)

そして上手い言葉が出てこない代わりに、力を込めて、ユズルに詰め寄っている男たちを睨む。


ユズルを囲んでいた男たちは、最初アーシャの存在など全く気にしていないようだったが、鼻に皺を寄せた辺りで、チラチラと視線を向け始め、歯を剥き出して本格的に威嚇を始めたら、震え始めた。

「チビ?」

男たちがアーシャの眼圧に耐えかねたように後を向いたり、下を向いたりし始めたので、不審に思ったらしいユズルに、顔を覗き込まれてしまう。

「「……………………」」

咄嗟に元の顔に戻せず、威嚇顔のまま、ユズルとしばし目が合ってしまった。

「やめぃ!」

そしてせっかくの威嚇顔なのに、ユズルに人差し指と中指で、鼻の皺を引き延ばされてしまう。


「アーシャちゃん」

「ミニェコしぇんしぇ!」

いつもはお迎えが来たらお別れだったので、彼女が近くにいたことに、アーシャは驚いてしまう。

「ユズルさんわ、いじめられているわけではありませんよ。だいじょーぶ」

彼女においでとばかりに手を差し伸べられるが、アーシャはユズルとミネコを見比べて、小さく首を振る。


ユズルを守らねばという気持ちで、ミネコの誘いを断ったのだが、

「むこーいってろ」

その本人から、猫の子のように、ミネコに渡されてしまう。

「ふんぬっ!」

それでも離れてなるものかと、咄嗟にユズルの服を掴んだのだが、

「ふむ」

「ひゃふっ!ふひゃひゃひゃひゃ!!」

脇の下をミネコにくすぐられ、スルッと手が離れてしまった。


「あっあっ!!」

「すぐおわりますよ」

宥めるように背中を叩かれつつも、アーシャは制服を着た男たちを指差す。

「めっ!ユズゥ、いたい、めっ!!」

ユズルを傷つけたら許さないと釘を刺してやったのだが、やはり語彙が足りなかったようだ。

制服の男たちは、顔を見合わせた後に、口元がニヤける。

そして何故か全開の笑顔で手を振られてしまう。


「ミニェコしぇんしぇ、ユズゥ、いたい、めっ、てって!」

これは通じていないと、普段からこちらの意図を読み取ってくれるミネコに、ユズルに酷いことをするなと言ってくれとお願いする。

ミネコは力強く頷き、男たちに向き合う。

「おにいちゃんに、きがいおくわえると、よーしゃしないとのことです」

しかしこれも通じたのか通じていないのか。

ミネコの言葉を聞いた男たちは一度目を丸くしてから、声を上げて笑い、「だいじょーぶだよー」などと言って、更に大きく手を振る。

全く通じている気がしない。


「だいじょーぶですよ」

何回もユズルの方を振り返っていたら、ミネコが優しく頭を撫でてくれる。

「ん〜……ん」

ミネコの言葉には説得力があるので頷くが、やはり心配は心配だ。


いつの間にか『ほいくえん』を離れ、とても立派な建物にアーシャたちはいた。

清潔かつ少し無機質な廊下を歩くと、硝子張りの側壁が目立つ、広い吹き抜けに出た。

「アーシャたん!」

そこには元気そうなシノザキと、見知らぬ少年が立っている。


「こんにちわ!」

シノザキの隣の少年は人懐こい笑みで、アーシャに挨拶してくる。

「こんにちゃ」

アーシャは挨拶を返しながらも、何か違和感を感じる。

短く切り揃えられた黒い髪、誠実そうな黒い瞳、凛々しい眉、白く整った歯、綺麗に伸びた背筋。

どう見ても好ましい要素しかない人物なのに、心に浮かんできたのは『紛い物』という印象だ。


「ね、ね、アーシャたん、ゼンににてるよね!もぶばーしょんゼン!」

首を傾げていたら、シノザキがプププと笑いながら、少年を指差す。

「あぁ!」

ゼンと聞いて、アーシャはようやくわかった。

目の前の少年は、そういえばゼンに少し似ているのだ。

少し似ているけど、明らかに違う。

だから『紛い物』だなんて失礼な感想が出てしまったのだろう。


「ゼンいちさんたちのいとこのみつしだよ。み・つ・し」

言われている内容はよく分からないが、彼の名前がミツシだということは理解できた。

「ミツシ、アーシャ」

アーシャが手を差し出すと、幼い顔つきに反して、ゴツゴツとした手が握り返してくれる。

「よろしくね!」

爽やかな笑顔を浮かべるミツシには、やはり違和感がある。

笑い方はそっくりなのに、ゼンの笑顔は太陽のように感じるのに対して、ミツシの笑顔は外を駆け抜けている風のように感じるせいだろうか。



ミネコたちは黒くて長い椅子に座って、何やら話を始める。

会話についていけないアーシャは、背負っていた『りゅっく』を下ろし、封筒を取り出す。

ユズルへの手紙を預かったミネコは、可愛らしい封筒に手紙を入れてくれて、封をする『しーる』まで選ばせてくれた。

(ユズル、大丈夫かな。あの人たちにいじめられていないかな)

ユズルの好きなお菓子の『しーる』を張った手紙を見て、アーシャはため息を吐く。

大きくなるためにも、早く渡さなくてはいけないのに、なかなかその機会が訪れない。


「……………」

話している大人たちを見て、ユズルがいる方向を見て、封筒を握り締め、アーシャはこっそりと椅子から滑り下りる。

やっぱりユズルを放っておくのは心配だ。

手紙も渡したいし、迎えに行こう。

そう思って、いざユズルの所へ!と走り出そうとしたのだが、

「アーシャちゃん」

その前に、脇を持って抱え上げられてしまった。

「わ、あわ、わわ」

しっかり見咎められていた。

アーシャは封筒を持って小さくなる。


怒られるだろうかと、こっそりとミネコの顔色を伺えば、少しだけ眉を顰めている。

「アーシャちゃん、これ、だれが、かいたんですか?」

捕まえたアーシャを膝の上に乗せて、ミネコは尋ねる。

「?」

「これ、だれが、かいたんですか?」

アーシャが首を傾げると、その手の中の手紙を指差し、ミネコは質問を繰り返す。


———ダレガカイタカキカレテル……

アカートーシャがしょんぼりと通訳してくれる。

———ヤッパリ、イマノヒトガ、カイタトオモエナイ、オカシイブンダッタンダ……

そして更に落ち込む気配がする。


(いやいや………もしかしたら、完璧過ぎる文章だから、こんな子供が書いたって思えないんじゃない!?ほら、言葉すらままならない私だし!)

いつも行動が先立って、考えるのが後になってしまうアーシャは、今更そんなことに思い至る。

(誰もアカートーシャの存在を知らないから、こんなに立派な文は誰が書いたんだ!?ってなってるのよ!多分!)

———ソ……ソウカシラ……

アーシャの見解に、アカートーシャは落ち込み状態から少し復帰する。


「こえ、アーシャ」

誰が書いたか疑われていると言うのなら、これがアーシャの意思なのだと、主張する必要がある。

胸を張って答えたが、ミネコの反応はよろしくない。

「……う〜ん……」

少しだけミネコの眉が下がる。

ミネコの表情変化はとても少ないが、最近はそれでも微妙に変わっている事がわかってきた。

そしてその表情は、あからさまに信じていない。


「アーシャ、ゼン、いっしょ。フジモイ、いっしょ」

アーシャは手に持った手紙をぶんぶんと振って、熱意を込めて主張する。

「こえ、ユズゥの。アーシャ、いっしょ」

何とか、この手紙に書かれているのは間違いなく自分の意思だと伝えたいのだが、全く有効な単語が浮かんでこない。

そのせいでミネコの疑いの眼差しは変わらない。

どうも言葉だけでは伝わらないようだ。


「ん〜〜〜、ゼン、フジモイ」

考えた末に、アーシャは斜め上の方を指差して、ぐるぐると回す。

実際のフジモリが何処にあるか知らないので、そうする事で、遠くの何処かを示してみたのだ。

「アーシャ、ユズゥ」

それから、そう言って自分の足元を指差す。

ゼンは『フジモリ』に行って、自分たちは、ここにいると言う意味だ。


「アーシャ、こえ、ユズゥ、はい!」

封筒をブンブンと振ってから、ユズルが目の前にいる想定で、両手で渡すふりをした後、

「ユズゥ、『ん!』」

少し動いてユズルが受け取る演技もする。

一人二役だ。

ユズルを演じる時は、眉をギュッと寄せて、ユズルっぽい表情にして、声までそれっぽく変える。


「ユズゥ、『うんうん』!」

封筒を開いて読むふりをして、

「ユズゥ、『アーシャ、フジモイ、いっしょ』」

ユズルがアーシャをフジモリに連れて行ってくれる事を示すように、最初と同じく斜め上の方を指差して、ぐるぐる回す。


(決まった……ユズルにお願いして、ゼンがいるフジモリに連れて行ってもらいたいんだって、これで伝わった……!!)

アーシャは己の演技力に最大級の自画自賛をしつつ、確信する。

「んっく………ふっ………」

しかし反応を見たら、ミネコは顔を背けて、震えている。

「グフッッッフヒッ………ウププププ!!」

その隣のシノザキまでお腹を抱えて、長椅子に倒れてしまっている。

ミツシは何だか困った顔をしている。


「ミニェコしぇんしぇい?」

聞いていたのかと、彼女の顔を覗き込もうとした時、ボスンっと頭に衝撃が来た。

「いちゃー!」

頭を抱えて、何事かと振り返ったら、いつの間にか帰ってきたユズルが背後に控えていた。

その眉根には、先程のアーシャの熱演通り、深い深い皺が刻まれている。


「あ!ユズゥ!!」

「『あ、ゆずー』じゃねぇよ!だれのまねだそれ!」

「フガッ!いひゃー!いひゃー!」

無事に帰ってきたことを喜んだのに、鼻を摘まれて、アーシャはジタバタともがく。

「んぐっ……ユズルさん……っく……ゆるして……ふっぷぷぷ……ゆるして、あげ、って、ください」

顔を背けながらもミネコが止めてくれ、

「アヒャヒャヒャヒャヒャ、ゆずっ、ゆずっちっっ、そっくりじゃんっっ!そっくりじゃーーーんアヒャハハハハハ!!」

涎が出るほど笑いながらシノザキも間に入ってくれる。


「うるせぇ!」

「あ、ひょ!やめろっひぇ!けひょーがよれひゅ!」

ユズルは標的をアーシャの鼻からシノザキの鼻に移す。

しかもアーシャにする何倍も酷い。

レディの鼻が変形するほど掴んで引っ張り回すなんて、とんでもない事だ。


「ユズゥ!ユズゥ!」

アーシャは精一杯背伸びして、手を振り回して、ユズルを止める。

「あぁ?なんだぁ?」

封筒を持ったままだったので、ユズルはそちらに興味を惹かれたようだ。

「こえ、ユズゥの!」

シノザキへの攻撃も終わらせられるし丁度良い。

アーシャが封筒を突き上げると、ユズルは面倒くさそうな顔で受け取る。


「そーいや、まえのもよんでねぇ……」

そう言いつつ、受け取った手紙をバッグに戻そうとするので、アーシャは慌てる。

「ユズゥ、ユズゥ!こえ、こえ!」

手紙を持った腕を引っ張って、バッグから引き離し、ここで読めとばかりに、ユズルの顔に押し付ける。

「あぁ?」

凄く迷惑そうな顔をする譲であったが、意図は通じたらしい。

「なんだよこのしーるわ……」

ブツブツと渋い顔をしながらも、彼は封を破かぬよう丁寧に封筒を開ける。


「あ、ゆずるさん……!!」

それを見たミネコが慌てたように立ち上がる。

「?」

突然立ち上がったミネコと、それに対するユズルの顔を、アーシャは交互に見る。

二人は意味深な視線を交わし合っただけで、特に会話はしない。

そしてユズルはチラッとアーシャの方を見てから、手紙を読み始める。

「??」

一連のやり取りの意味を図りかねて、アーシャは首を傾げる。


ユズルはアーシャの手紙を読むが、少し眉根に皺が寄っただけで、これと言った変化はない。

読み終わって、深いため息を吐いて、手紙を丁寧に折って封筒に戻す。

(あれ……?ここで『じゃあ一緒に行こう!』的な流れになるはずなんだけど……)

最初は期待を込めて見ていたが、あまりのユズルの変化の無さにアーシャは焦る。

アカートーシャもハラハラしている気配が伝わってくる。


「ユズゥ、ゼン、いっしょ?」

通じたか?とアーシャは確認するが、

「フガッ!!」

再び鼻を摘まれてしまう。

「はなしがあると、きいていたんですけど」

「ええ。おじかん、いただけますか」

そしてユズルはアーシャを無視して、ミネコと話し始めてしまう。


(おかしいなぁ。通じなかったのかなぁ)

アーシャが強めに握られた鼻を撫でつつ、もっと分かり易い手紙を書けるかと、アカートーシャに相談を持ちかけようとした。

しかしその前に、ヒョイっとユズルに持ち上げられる。

「???」

———イドウシテ、ハナシアイヲ、スルミタイ

事情がわからずに運ばれるアーシャに、アカートーシャが教えてくれる。


(何の話し合いかわかる?私を連れて行ってくれるとか、そんな内容?)

———ナニモイッテナイ。……デモ、タブン、チガウト、オモウ

(ん〜〜〜!!なかなか上手くいかないっ!!)

運ばれつつ、アーシャは思うように事が運ばない事に、焦りを募らせるのであった。


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