9.次男、災難に見舞われる
汗を吸い込んだシャツを洗濯機に放り込み、汗臭い体を軽くシャワーで流し、そこそこ『保護者らしい』服を着る。
「…………………はぁ〜〜〜………」
少し湿った髪をドライヤーで乾かしつつ、鏡に映る、何とも景気の悪そうな顔をした男を見て、譲は大きくため息を吐いた。
この母親譲りの厄介な容姿のせいで、常に譲は狩られる側だった。
連れ去りに遭いかけた幼稚園生、気持ち悪い教師に粘着されたり、変質者や同級生に追い回された小学生、ロッカーに入れた物や教科書が消えるせいで学校に何一つ置いておけなくなった中学生、ストーカー連合に追い回されて電車通学をやめた高校生。
『微笑みかけられた』と言いがかりをつけられないように、外では無表情を貫き、『目が合った』『見つめられた』などの言いがかりをつけられないために、歩く時に見る場所にも気をつける。
そんな獲物にされない努力はしてきたが、まさか狩る側だと疑われない工夫を強いられる日が来るとは思わなかった。
(十代男とチビって組み合わせがヤバいんだよな)
チャイルドシートからも抜け出してしまうので、危なくて車に乗せられず、歩いて保育園まで連れて行く羽目になった時の、周囲の目の厳しさと言ったら、それは凄かった。
ジタバタとのたうつ幼児を、力づくで抑え込む、保護者と思えない年代の男。
最悪な絵面だから、周囲の反応は納得できる。
これでアーシャが泣き叫んでいたりしたら、ヒソヒソされるフェーズを超えて、通報されていたかもしれない。
こうなってしまうと、逆に、今まで一回も疑いの眼を向けられなかったのが、不思議になってしまうくらいだ。
逃げ出そうとするアーシャとの攻防に併せ、周りから刺さってくる不審の視線は、思った以上に譲を疲弊させた。
『お迎えは、お姉ちゃんが行ってやろう』
禅一の見送りに出てきた和泉姉は、げっそりした譲を見て、そう言ってくれたが、激しく頼りたい気持ちを抑え込んで、謹んでお断りした。
あの諦めない活魚のようなアーシャを、育児に携わった経験がない、小柄な和泉姉が抑え込めるとは思えない。
ならば付き添おうかとも言われたが、この所タチの悪いストーカーがついているようなので、譲と二人で歩く姿を見せるのは危ないと判断した。
和泉姉はストーカー如きにやられる事はないだろうが、一緒に住んでいる和泉は、体格が良い小学生にすら負ける可能性がある虚弱体質だ。
万が一があったら困る。
それなら和泉も併せて三人で行こうと言われたが、和泉は神仏に拒否されてしまう悲しい体質だ。
保育園の桜に住まう神霊に弾き飛ばされてしまう危険性がある。
(あ〜車で行きてぇ)
車なら周囲の視線も気にせず、一瞬で帰ってこられる。
アーシャも家に帰ると言うなら、脱走しないのではないか……と甘い予測をしてしまうが、荒ぶられてしまった場合、徒歩で帰らなくてはいけないが車も置いていけないという、どうしようもない状態に陥ってしまう。
どんなに憂鬱でも、お迎えの時間に遅れるわけにはいかない。
譲は腹を括って家のドアを開ける。
「よっ!」
「………………………………………」
そしてドアの外にいたド派手な塊に手を振られて、バァァンと派手な音を立てて、激しく閉めた。
首元と裾にこれでもかとファーがついたポンチョを、大きな羽のついたブローチで留め、ベロア生地の、サンタが性転換してロングドレスを着たらこんな感じになるであろう、朱いスカート翻す、のどかな田舎の風景に馴染む気がない存在。
「酷い幻覚が見えた」
譲は自分に言い聞かせるように呟く。
そのまま見なかったことにしようとしたが、
「うぉぉい!閉めてんじゃねぇよ!!」
元気な幻影は、ドアを破らんばかりの激しさで開け返してくる。
「うるせぇぞ、中世ヨーロッパに帰れ、エセ貴婦人」
「ブーー!今日はゴシックでもロココでもありませーん!お迎え用に上品に仕立てました〜!」
「うるせぇ。革命軍に捕まって断頭台に登ってこい」
シッシと譲は手を振るが、本人曰く上品に仕立てた篠崎は、余裕の微笑みを浮かべる。
「おやおや〜?俺にそんな態度取っちゃって良いのかな〜?事案になりそうな譲さんよぉ〜」
愛らしい装いと、一見清純派なメイクを施した顔に、全く似つかわしくない、邪悪な煽り顔で、下から睨め上げてくる。
「この可愛い俺が、可愛いアーシャちゃんをガッチリギュッチリ抱っこして、世界一可愛い姉妹であることを世間様にアピールしまくってやろうじゃないの!」
親指で自分を指差しながら、反り返る動きは、普通に男である。
「勝手に姉になってんじゃねぇ」
「馬鹿野郎!セレブリティライフスタイルプロデューサーなグレイト姉妹だって血は繋がってないんだよ!俺たちもイケる!」
「うちのチビを訳のわからん世界に引き摺り込もうとするな……………はぁ……」
しかし外見はどう見ても女なのだ。
一緒にいてくれれば、不審の目は避けられるだろう。
別の意味では目立ちそうだが。
「これ可愛いだろ〜!ショップで一目惚れしてさ〜。寒いのはもう少しだけだから我慢しようかな〜って思ったんだけど、ちょっと懐ヌクヌクでさ〜」
連れ立って行くにしても、離れて歩きたいのに、篠崎は隣に張り付き、フワフワモコモコのポンチョ型のコートを執拗に自慢し続ける。
「実家の仕事は奴隷奉公だとか抜かしてなかったか?結構貰ってんじゃねぇの」
服を褒めて欲しいのがわかったので、譲はあえて褒めずに話題をずらす。
「んふふふふふふ〜〜、聞きたいかね、聞きたいかね!」
全く聞きたくない。
「そーだな」
しかし褒めるまでファッション自慢をされるよりは良い。
篠崎はニタリと笑うと、グヒヒヒと全く外見に似つかわしくない笑い声を上げる。
「あのさ、タケッチーに武器の発注をされたじゃん?クナイってやつ。で、普段の使い方とか聞いて、俺がかるーく試作品を作ってやったわけよ!」
むふーっと鼻から息を吐き出しながら、篠崎は胸を張る。
「もう、大絶賛の嵐!量産してくれって、ごっそりマニーくれちゃって!親への中間マージンナシだから、もう俺、大富豪!一人焼肉ランチ上等なレベルで金持ち!」
ピョンピョンと弾む姿は一見可愛いく見えるから、余計嫌になる。
「お前、武器とか作るの嫌がりそうだと思ってたけどな」
ふにゃふにゃしているように見えて、篠崎は職人気質だ。
やりたい仕事じゃないと、何だかんだと文句をつけて逃げそうだったのに、意外だ。
「あ〜〜〜うん。まぁ、何というか……」
篠崎は何故か頬を染める。
「俺、可愛いものを心底愛してるんだけど、鋼を打つのも、嫌いじゃないんだよな〜。パッと散る火花なんかが結構綺麗でさ。結構夢中になれるっていうか。まぁ〜それに、タケッチーが上手く言ってくれたみたいで、本家の連中の扱いも良くなったしさ〜」
「へ〜」
一体何に照れているのかわからないが、譲は適当に相槌を打つ。
そんなどうでもいい話をしているうちに、保育園が見えてくる。
「篠崎はここで待ってろ」
「はぁ〜〜〜!?何でだよ!」
「ただでさえチビの保護者は『親』じゃねぇんだから、異分子代表みたいな篠崎がついてきたら、更に偏見が入るだろ」
「はぁ?こんなに可愛くてキュートな保護者がいたら株が上がるの間違いだろぉ?この俺が完璧なストップ高を決めてやるから!」
「可愛いもキュートもおんなじ意味だっつぅの。良いから、大人しくしろって!こら!進むな!」
保育園を目前に、譲と篠崎はグイグイと押し合って揉める。
武道や格闘技を学んだ経験がないとはいえ、物作りで鍛えられた篠崎の筋力は侮れない。
力づくで進む篠崎と、その力の方向を逸らそうとする譲の、双方真剣ながら、ハタから見ると、ただの痴情のもつれに見える争いが始まる……
「………譲さん!!」
……かと思ったが、遠くから聞こえた、緊張をはらんだ声が、その争いを止めた。
「ん?」
「…………っっ!」
篠崎は声がした方向を見たが、譲は息を呑んで反対方向を見た。
保育園が迫る中、篠崎を押し返すのに必死になっていたが、彼の進撃が止まると同時に、不穏な気配を察知できたからだ。
振り向いた譲の目に飛び込んできたのは、女性らしき人影だった。
しかしその姿が上手く判別できなくなるほど、その周囲を、真っ黒な何本もの手が覆っている。
「……ウゲッ……!」
穢れとは違うが、同じくらい薄汚れた存在に、譲は思わず一歩後ろに下がってしまった。
それはこちらの意思を無視して取り込もうとする、粘ついた意思。
執着の具現化、生き霊だ。
「……さ……いで………わ……いで………」
ブツブツと女は何か呟いている。
「ん〜?何々?知り合い?」
遅れて女の存在に気がついた篠崎は、女の姿が霞むほどの『手』は見えていないらしい。
「……最近一番アツいストーカーだ」
生き霊を飛ばすヤバい奴だとは言えなくて、譲はそんな返事をする。
「ん〜?ん〜。アレ、もうちょっと服とか髪とか、どうにかならなかったんかな。仮にも襲いたい相手の行動範囲に入るんだったら、普通もうちょっと整えねぇか?髪はギトギトしてるし、スウェット汚れてるし、靴も片方しか履いてないし。……インパクトで勝負するタイプか?」
一応、相手の容姿をとやかくいう事を憚ったらしい篠崎が、譲に耳打ちする。
譲の目には『手』に遮られて、女性の格好はあまり見えていなかったが、靴を履いていないとかは、インパクト云々の範囲を超えている。
「あのなぁ……」
そう、篠崎にツッコミを入れようとした瞬間だった。
「さわらないでぇぇぇぇぇぇぇ!!」
奇声と共に、黒い手が真っ直ぐに譲たちに向かってくる。
「ふっ!」
譲はその『手』を氣で覆った腕で払う。
氣でコーティングしてもなお、まとわりつく感触が気持ち悪い。
「うわっ!怖っ!叫び出した!」
篠崎の方も対応しようとしたが、彼に触れようとした『手』は、近づいた瞬間、消滅した。
いや、消滅したと言うより、業火で一瞬にして焼き飛ばされたとでも言った方が良いかも知れない。
手の残った部分が、炙られたスルメのように縮んで、巻き上がっている。
篠崎に加護を与えている神の、容赦ない鉄槌だ。
「ぁああががぁぁぁ!!」
生き霊が焼けて、大元である女にもダメージが入ったのか、濁った悲鳴が上がる。
「おわ〜、ヤバいヤバい!ダンシング⭐︎サボテンみたいになってるよ!左右に揺れるビートは人間がやるとヤバい!ポリスメーーーン!もしくは精神科のお医者様はいらっしゃいませんかーーー!」
一切見えていない人間からすると、突然叫び出した女が、更に頭を抱えて苦しみ始めたとしか思えないのだろう。
篠崎はドン引きして逃げる姿勢だ。
「ゆずっち!とりあえず
「それ、大人は対応してもらえないだろっ」
「お馬鹿!俺は身も心もピーターパン!永遠に弱者ポジであり続ける!!」
「ピーターパンは弱者ポジじゃねぇよ……」
篠崎に引っ張られ、譲も走る。
「さわるな!さわるな!さわるなぁぁぁ!!」
すると再び女が発狂したように叫び出す。
そして焼き切られた生き霊の手を引き摺りながら、突進してきた。
「うっわ!!ダンシングからのスプリントかよっ!!」
女が醸し出す狂気に怖さは感じているが、相手が自分と同じか小さいくらい女性なので、意外と篠崎は余裕だ。
譲も同じく、生き霊付きでも、それ程強くなさそうなので、余裕だと思っていた。
「げっっ!!」
しかし、距離を確認するために振り向いた時、女の手に光る物を見つけて顔色を変えた。
万能包丁しか使わない一般家庭では滅多にお目にかからない、刃渡りの長い、刺身包丁だ。
女はそれを刃を下にして握り込むようにして持っている。
刺す気満々だ。
「きゃーーーーー!!」
「け、け、警察っ!!」
刃物に気がついた通行人たちも口々に叫ぶ。
「おい、篠崎!お前は中に入っとけ!」
篠崎の引っ張る手を、振り払ってから、肩から掛けていたバッグを手に取り、譲は女と対峙する。
自分を狙ったストーカーのせいで、周りに怪我人が出たりしたら寝覚が悪い。
獲物が目の前にいれば、他には行かないだろう。
「何で、何で、何で、何でぇぇぇ!!アタシ、アタシ、アダシ、アダジのなのにぃい"い"!他の女にぃぃぃ!!」
バッグのベルトを拳に巻き付けた譲に、白刃だけではなく、残った黒い手も襲いかかってくる。
「チッ」
実体と霊体、どちらかに集中できないのは、分が悪い。
ねとつく『手』をかわしながら、女の手首目掛けてバッグを振るが、僅かにズレてしまった。
女は体勢を崩したものの、そのまま包丁を突き出してくる。
白刃は余裕を持って避けられたが、代わりに足を黒い手に取られる。
「っっ」
粘つくものが足に巻きつき、『何か』が肌を舐め上げる感触がする。
肌が粟立ち、強烈な嘔吐感が喉を迫り上がってくる。
「つかまえたぁぁあああ"あ"あ"っっっ!!」
そう、歓喜を浮かべた女が包丁を振り上げた時だった。
悍ましい足の感触すら払拭するような、清らかでありながら、少し甘い香りのする風が、譲の後ろから吹きつけてきた。
「あ"あ"あ"っ!?」
女はたたらを踏んで、後に押し返される。
それと同時に、何かが上から舞い降りてきた。
「……………!!」
広い背中、翻る桜が描かれた衣、そして———
「あぎゃぁぁぁぁっっっ!!!」
力づくで生き霊を握り潰した、筋骨逞しい木の幹色の腕。
女は包丁を持ったまま、頭を抱えて、苦悶するように身を捩り、更に数歩下がる。
しかし逞しい腕は女を逃さない。
まるでうどんを箸で切るような気楽さで、次々と『手』の付け根あたりが潰され、そこから切れた『手』が、ボトボトと下に落ちる。
「『桜さん』………」
思わずその名を呼んでしまったら、次々と『手』を握り切ったマチョ老女……否、桜の女神は、ニヤリと笑いながら振り向く。
それは圧倒的強者の笑みで、間違っても女神の微笑みではない。
彼女は譲の後ろの方を指差したかと思ったら、小さく首を振った。
そして地面に手がつくほどに深いモストマスキュラーポーズをとったかと思ったら、神霊なのに、両手両足で地面を叩いて、物理的に跳ね上がった。
そうして、見事な筋肉の放物線を描いて、自分の本体へと帰っていく。
「譲さん!前!」
そんな声が聞こえたかと思ったら、迫力の放物線を思わず目で追ってしまっていた譲の横を、黒い旋風が走り抜ける。
そしてその旋風は、そのまま、譲に迫っていた女に体当たりした。
「あ"あ"あ"ぁぁぁぁ!!」
苦しみながら、それでも執念で近づいてこようとしていた女は、衝撃を受けながらも、手に持った包丁を、振り下ろす。
「ーーーーー!!」
譲は大きく踏み込みながら、バッグを持った手を振った。
今度こそバッグは女の手首を捉え、後ろに弾く。
女に体当たりして押し倒した人物から、白刃が逸れると同時に譲は走る。
「ぎゃぁああぁぁあ!!」
そして再び白刃が振り上げられる前に、飛んで、包丁を踏みつけた。
死んでも離すまじと、包丁を握り込んでいた女の口から悲鳴が響く。
いかにも関節を痛めそうな方向に腕が曲がっているが、これは包丁を手放さなかった女の自由意志によるもの……と、譲は決めつける。
「アイタタタ……」
そう言いながら、女に体当たりした人物は体を起こす。
その顔を見て、譲の目が僅かに開く。
「何で………」
声をかけようとしたが、
「ゆずっちーーーー!あーゆーオーケー!?
ド派手な塊が、それを遮る。
「何で英語なんだよ。保育園に入っとけって言っただろ」
逃げろと言ったのに逃げていなかった篠崎を、譲は半眼で睨む。
「いやいや、可愛くて、見るからに非力な俺が、ピンチに活躍したらカッコいいじゃん?」
「そういう漫画的発想はせずに、危ない時はとっとと安全確保しやがれ」
そんな譲の説教も、篠崎はどこ吹く風だ。
『お、危ね』と呟きながら、包丁を奪還しようと動く、女の空の手を捕まえたかと思うと、その袖口を踏みつけて地面に固定する。
「通行人Aも大丈夫?うちのツンツンモンスターを庇ってくれてアリガトね」
とてもお礼を言っているとは思えない態度で、篠崎は感謝を述べる。
「つ、通行人A………だ、大丈夫ですよ。俺にとっても譲さんは身内ですから」
声をかけられた相手は、少し引きつりながらも、大らかに笑って応える。
「ん?通行人A、ゆずっちの知り合い?」
譲の顔を見た篠崎は『お前、友達いたの?』と、目で口ほどに物を言う。
ど失礼な奴だ。
「はい!俺、譲さんの従兄弟なんです!」
「うおっ、藤護兄弟の血縁にあるまじき爽やかエナジー!!」
真っ白な歯が見える明るい笑みに、篠崎はオーバーリアクションする。
譲はため息を吐きつつ、篠崎と同じく、女の袖口も踏んで、動きを封じる。
「
二人の動きを見た光至は、自己紹介しながら、女のばたつく足のスウェットを踏む。
一見爽やかだが、容赦がない。
冷たいアスファルトに磔になった形の女はバタバタともがいているが、男三人が両手足の服を踏んでいるので、動けない。
「へぇぇぇぇ!!従兄弟!言われて見ると確かに、禅の筋肉全部外して野性を引っこ抜いて、
めちゃくちゃ失礼な奴だ。
細く見えるだけであって、光至もそれなりにきちんと鍛えている。
「……今日は何か用事があるって話だったんじゃねぇの?」
光至たち分家の前ではチャラチャラした半端な人間を演じていたが、篠崎の前でそれをやるのは嫌過ぎる。
末代までイジられるのが目に見えている。
恩人だが、さっさと離れて欲しくて譲は話を振る。
「あ、そうなんです!その用事から帰って来ていたら、丁度譲さんがいるのが見えて。デート中みたいだから声をかけないほうが良いかなって思ったんですけど、ヤバそうな人が近付いて来てたから、つい声を上げてしまって……」
「フヒャヒャヒャヒャッッッデート!デートぉぉぉぉっっ!!」
篠崎は光至の言葉に、笑い始める。
それに呼応するかのように、足元の女が唸り声を上げる。
「……言っとくけど、コイツ、男だから。女装趣味なだけ。男だから」
「大事なっ事はっ二回っっ言ってるっっ!!」
譲が一番勘違いを受けたくない部分を訂正すると、『語尾に草が生えている』状態で、篠崎はゲタゲタと笑い続ける。
可愛いを体現しているつもりらしいのに、そのガサツな姿は全くもって、ただの男だ。
下品に笑う篠崎を驚いた目で見る光至と、唸り続ける女を見ながら、譲はスマホを取り出す。
「いや〜、オモロい子じゃん。藤護系とは思えない!………ん?でも、ゆずっちたちって、そんなに親戚とは交流が……」
篠崎の声を聞きながら、通報をしようとしていたが、その語尾を掻き消すように警察のサイレンが響き始めた。
事件が少ない田舎だからか、三台もパトカーが停まり、ゾロゾロと警官たちが現れる。
「お怪我ありませんか!?」
暴れる女性の服を、三人がかりで踏んでいる異様な光景に、ドン引きしたようだが、警官たちは忠実に職務を全うしてくれる。
(誰か通報してくれたのか)
ホッとしつつ、事情聴取が始まる気配に、譲は保育園を見る。
延長保育を依頼するか、引き取ってから対応するか。
「………ん?」
そんなことを考えていたら、丁度、保育園の門が開く。
開いた門の隙間から、まろぶようにして小さい影が走り出し、それに引っ張られるようにして、大きい影が走ってくる。
「ゆずぅ!!ゆずぅっっっ!!」
泣きそうな顔で小さな影———アーシャが飛びついてくる。
ビターンと音がしそうな勢いで、体当たりされた譲は思わずよろける。
「おい、チビ………」
体勢を立て直して、抱き上げると、アーシャは熱心に譲の点検を始める。
顔の両側を吸い付くような勢いで見て、腕を手繰り寄せて見たり、自分が乗っている腕をペタペタ触ったりして、両手を確認する。
「おいおい一体……」
「っっうぅっっ」
子供の謎行動に戸惑っていたら、見る見るうちに、緑の目に涙が溜まる。
「ゆずぅ、だいじょーぶ!ゆずぅ、だいじょーぶ!!」
そして力強く両腕で首を締め上げられる。
「う"っ……ちょ……くるしっ………」
文句を言おうとしたが、グスグスと鼻を啜る音と、首筋に流れる生暖かい感触に、譲は口をつぐむ。
「勝手に連れて来てしまって、すみません。一応、警察の到着を待ってから出たのですが。アーシャちゃんが荒ぶって門を登ろうとするもので……」
アーシャのリュックを握った状態でついて来ていた峰子は、申し訳なさそうに言う。
「あ……見えてたんですか」
「ええ。アーシャちゃんは、いつものようにお帰りの準備をして待っていたので、門に張り付いて見ていました。突然門を登り始めたので驚きました」
さして驚いていないテンションで峰子は答える。
危機から遠ざかるならまだしも、危機に飛び込んでこようとするから、このチビは油断ならない。
「………こっちこそ、すみません。また付近で騒動を起こしてしまって……」
力加減を知らない、小さな腕を宥めるように叩きながら、譲は頭を下げる。
「仕方ないですよ。これは貰い事故のようなものですから……これから事情聴取ですよね?」
「ですね」
既に通行人たちから、警察官たちは聞き取り調査を始めている。
「良ければ私も同行しても?」
「は!?」
意外なことを言われて、譲は目を開く。
「アーシャちゃんのお世話係が必要かと思いまして。私ももう退勤ですので」
「それは有難いけど………」
そこまで甘えて良いものかと、譲は返事を躊躇う。
「………どうしても急ぎでお話ししたい事があるんです。アーシャちゃんの事で」
声を潜めて峰子は言う。
その様子から、『お話』は保育園関連ではなく、アーシャ自身、その力の事だと察せられる。
「…………じゃあ、お願いします」
少し迷ってからそう言うと、峰子は鋭い顔つきのまま頷いた。
「あ〜アーシャたーーーーん!!お帰りして来たの!?えらいえらいでちゅね〜〜〜!ユッキーがお迎えに来ましたよ〜〜〜」
警官と話していた篠崎が、アーシャの存在に気が付いて、ブンブンと手を振る。
「…………えっと………アイツもいるんですが………」
「………彼ですか………あぁ………そうですね………そうですね……」
「……………………」
「……………………」
譲と峰子は顔を見合わせ、そして同時に深いため息を吐いたのだった。
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