7.聖女、閃く
(このままではいけないわ)
アーシャがそう思い直したのは、数々の思いつきによる失敗を重ねた後だった。
子供達の駄々を真似して失敗し、ゼンの荷物に入り込もうとして失敗し、最終手段として、ゼンの服を噛み締めてまで、しがみついたのに、服を脱がれてしまい、失敗した。
そして服を脱がれた所でユズルに確保され、アーシャは『ほいくえん』送りとなってしまった。
乗せられた『くるま』から何とか逃げ出して、ゼンがいる家に戻ろうとしたのだが、あっさりと捕まってしまった。
その後、車『くるま』での運搬をあきらめられて、手運びとなり、それでも抜け出そうと頑張ったのだが、大人であるユズルとの圧倒的な力の差の前に敗北した。
『ほいくえん』に収監されてしまった後も、鉄の扉が開く度に脱獄を試みたのだが、流れるような動きで、ミネコに捕獲されてしまった。
それならばと、裏手の目立たない鉄柵を登ったのだが、他の子供達の密告により、熟れた果物のよりもあっさりと収穫されてしまった。
数々の失敗のお陰で、アーシャは完全なる監察対象となって、身動きが取れない。
(もうどうやっても逃げるのを防がれる気がする)
少し周りを見ると、誰かしら『せんせい』と視線が合う。
実力行使でゼンの元に行くのは絶望的だ。
(うん。絶対無理)
今も、振り向いたところでミネコと目が合ったアーシャは、『見ているよ』とばかりに手を振る彼女に、手を振り返しつつ、確信する。
手を振ったミネコは、少し体を捻って、自分に隠れるようにして立っていた子の背中をそっと押す。
「あ、ホノチャ!」
現れた人物にアーシャは目を丸くする。
「あ……あ……」
ホノチャンは何か言いたげにしたが、その口から言葉は出てこない。
俯いて、ただでさえ小さな体を縮こめる。
「ホノチャ、おはよー!」
アーシャは彼女に歩み寄る。
彼女から自分の部屋に会いにくるのは珍しい。
昼食の時にアーシャの部屋に連れてこられることはあるが、殆どの時はアーシャが彼女の部屋に会いに行っている。
「…ぉはょ……」
緊張している様子の彼女の両手をアーシャはそっと包む。
「どーしちゃ?」
ホノチャンがモジモジと何か言いたげにしているので、アーシャは尋ねる。
「ぁ……ぉて……てが……」
恥ずかしがり屋な彼女は、それだけを伝えただけで、目にいっぱいの涙を溜める。
彼女は涙がとても出やすい体質なのだ。
「てが?」
そう言われて、少し考え、アーシャはハッと気がついた。
いつもは朝一番でお返事を渡しに行っていたのに、ゼンの所に戻らなければならないと必死になってして、忘れてしまっていた。
返信を待っていたホノチャンは、いつまでも来ないアーシャに不安になってしまったに違いない。
(いたいけな友達を不安にさせてしまうなんて……!!)
アーシャは自分の行動を恥じつつ、自分の荷物の中から、しっかりと封をした手紙を取り出す。
「ホノチャ!ごめんなしゃー!」
アーシャは真っ赤になっている小さな友人を抱きしめてから、手紙を手渡す。
「………きりん………」
手紙を見たホノチャンは少し笑う。
「ん!きいん、ホノチャ、だいしゅき!」
封をしている『しーる』は、ホノチャンが好きだと言っていた『きりん』なる奇妙な生物描かれている。
いや、あり得ないくらい長い首や、割れた陶器を貼り合わせたような奇妙な柄、騎乗用の握り手としか思えない形状の触覚と、あまりに見た目が奇妙過ぎるので、幻獣とか神獣とか、その類かもしれない。
「あーさちゃ……!!」
ホノチャンはまた目を潤ませて、アーシャの手を握る。
アーシャも笑ってその手を握り返す。
ゼンたちの手と比べると、柔らかくて、しっとりとしていて、皮が薄く、如何にも傷付きやすそうな手だ。
自分の手と比べると少しばかり大きいが、これは守るべき手だ。
(……あ……)
そしてハッとしてする。
最強の捕獲手を見ると、あまり動かない表情ながら、満足そうな気配を感じる。
アーシャには、自分の手を握る、この小さな手を振り払えない。
彼女を置いて逃亡できない。
(やられた……!物理も知恵も向こうが
見事に首輪をつけられてしまった。
ミネコを出し抜いて脱出できる気がしない。
(いやいや!弱気になってどうする!こう見えて私も意外と知性派……な一面もある!考えるのよ!)
自らの知性に疑問を持ってしまいそうになりつつ、アーシャは考える。
ホノチャンはそんなアーシャの傍に座り、信じられないほど複雑な細工を一枚の紙から折り出す。
「わぁ……」
小さな手は器用に動いて、アーシャが中々合わせられない、紙の角や辺をピッタリと合わせていく。
考えなくてはと思うのに、ついつい良く動く手に、視線と思考が吸い寄せられてしまう。
控え目で、いつも自信なさげに俯いている彼女だが、この匠の技は評価されるべきとアーシャは思う。
線と線を合わせ折り、裏返して角を絶妙な角度に折り、折り筋に沿って展開する。
その複雑な動きは見ていて飽きない。
真っ直ぐな紙から複雑な形が生まれる過程は、何度見ても不思議だ。
(ちょっとユズルに似てる)
職人のような彼女の横顔を見ながら、アーシャはそんな事を思う。
器用に動く手も、物作りが上手い所も似ている。
(あ、でも、字は何となくゼンに似てるんだよね)
ユズルの字は綺麗で繊細で卒なく整っているが、ゼンの字は妙な迫力がある。
力強いというか、上手下手を超えた、躍動感があるのだ。
内容を読むのも楽しいが、その形を見るのも楽しい。
そんな事を考えながら、時々止まっては途中経過を見せてくれるホノチャンを見守っていたアーシャは、ふと、目を見開く。
(………そうだ!手紙よ!)
素晴らしい思いつきが、稲光のようにアーシャの頭に落ちてきた。
(いきなり実力行使で突破しようとしたから、実力行使でお断りされちゃったのよ!連れて行って欲しい理由がちゃんとあるんだから、これを伝えて交渉すれば良いじゃない!動物じゃないんだから!人間はまず話し合いよ!)
説明や交渉。
アーシャだけだったら、絶対無理な案件だが、ここに不可能を可能にしてくれる心強いパートナーがいる。
(アカートーシャ!事情説明のお手紙を書きたいの!お手伝いしてもらって良い!?)
彼女はアーシャ以上に、この国の言葉に詳しいし、文字を書くときの指導もしてくれる。
何かを伝えたいなら、彼女以上に頼りになる存在はいない。
今までアーシャは、自分が覚えた言葉と文字で、手紙を綴っていたので考え付かなかった。
———……イマノコトバモ、スコシヅツ、ワカッテキテルケド……
お願いをされたアカートーシャは少し自信なさげだ。
(大丈夫!アカートーシャの通訳は大体合ってるもん!わかってるよ!きっとできるよ!)
しかしアーシャの彼女に対する信頼は高い。
「しぇんしぇ、かみ、くらしゃー!」
そうと決まればアーシャの行動は早い。
『ちらし』をもらって、ホノチャンの隣に座り、意気揚々と手紙を書き始める。
(まずは要求を端的に……『私はゼンと一緒にフジモリに行かなくてはなりません』をお願いします!アカートーシャ!)
———エット………『わ』『れ』『は』……ア、マッテ
———……ヤッパリ『わ』『た』『し』『は』
何が便利かと言えば、アカートーシャは直接文字の映像をアーシャに送る事ができる。
しかし現在の文章を作るのは難しいようで、アカートーシャは四苦八苦している。
———『もろともにいくべし』イヤ『もろともにいくです』?イヤイヤ……
フッフッとアーシャの頭の中には、文字が浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。
どうやら、文章は聞いて理解するより、自分で作る方が圧倒的に難しいようだ。
(できるだけ短く簡単に……事情説明とか詳しくしたほうが連れて行ってもらえるような気はするけど……う〜ん、アカートーシャを『トチガミ』と切り離すことを教えてもらう代わりに、この国の神様と約束したって事をどう書けば良いかしら……)
アーシャが次の一文を悩んでいると、
———………カミトノ、ケイヤクヲサセテシマウナンテ……
アカートーシャから落ち込んだ気配が伝わってくる。
事情を伝えてから、ずっとアカートーシャは沈んでいる。
この国の神は、供物を捧げて庇護を請い願うこと、こちら側から一方的に誓いを立てることは別に問題ないが、契約はしてはならぬらしい。
大いなる力を持つ存在と、所詮は知能を持った動物にすぎない人間では、存在する次元が全く違い、こちらからの一方的なアプローチは良いが、双方向の繋がりを持つのは、とても危険らしい。
人間が虫のルールを理解できぬように、多くの神にも人間の思想や思惑、常識などが通じない。
双方向の繋がりは、ともすれば、こちらが消滅するまで縛られる、この世で一番恐ろしい、解けない『呪い』になる場合もあるので、もう二度としないでくれと注意された。
そして今結んでいる契約は、決して破ってはならないとも言われた。
(大丈夫!『フジモリ』に行けばノルマ達成だから!そんなに気に病まないで!)
そう伝えても、アカートーシャは何かを畏れている。
彼女自身、神に近い存在を体に降ろし、人ならざる者になってしまったから、一層恐ろしく感じるのかもしれない。
落ち込むアカートーシャに、追い打ちをかけるようで悪いなと思いつつ、アーシャは時間をかけて手紙をしたためる。
途中でホノチャンの作品に興味を惹かれてしまったり、読めない文字を書き直したり、ホノチャンからもらった作品を分けてもらって、大切に『りゅっく』にしまったりしながら、何とか読める文章を書き上げた頃には、もうお昼のご飯の香りがし始めていた。
(うぅん……これはもう一枚紙をもらって清書したほうが良いかも)
夢中で書いているうちは良かったが、出来上がった物を見ると、真っ黒に塗りつぶした部分や、書き直すスペースが足りなくて押し込んだ部分があり、果てしなく汚くて、読み辛い。
「あーさちゃ……なに……?」
アーシャが見直している手紙に興味を示して、ホノチャンが覗き込んでくる。
「…………ぜん?ぉにいちゃ……?もろ……?」
しかし意味がわからないようで、何度も首を傾げている。
———アアアアア!ツウジテナイ!!
アカートーシャが羞恥に震えている。
彼女なりに必死に学んだ言葉が、全く駄目だったことに、ショックを受けている。
(待って、待って!これはきっと子供には難しい内容だから理解できないだけだよ!)
アーシャは周囲を見まわし、大人を探す。
(レミはもう結構大きいからわかるかな……でもちょっと忙しそう。アカマツは……ご飯の準備かな?)
この部屋担当の『せんせい』には、手紙を読む時間はなさそうだ。
「ホノチャン、おひるわこちらでたべますか?」
困ったなと思っていたら、アーシャに枷をつけて行ったミネコが、ホノチャンの食器を持って現れた。
「ミニェコしぇんしぇい!」
適任の出現に、アーシャは顔を輝かせる。
そして張り切って、手紙を読んでもらいに行く。
「おてがみですか?」
手紙を渡されたミネコは、表情が和らぎ、少し嬉しそうだ。
「あ!こえ、ゼンの、ユズゥの」
アーシャは慌てて兄二人に宛てた物だと訂正しつつ、何とも申し訳ない気分になる。
少々紛らわしいことをしてしまった。
手紙は大人でも貰って嬉しいものだ。
(ミネコせんせいには今度ちゃんとお手紙書こう!ほいくえんでも、どーじょーでも沢山お世話になっているから沢山お礼を言いたいもの!!)
ミネコをぬか喜びさせてしまったアーシャは心の中で決意する。
「……………これわ…………」
しかしアーシャの心の声など聞こえないミネコの顔は、どんどん険しくなっていく。
自分宛でないのは内容を読めばすぐにわかってしまう。
物凄くショックを受けた様子なので、どうしようとアーシャは右往左往してしまう。
そんなアーシャの背中に、怯えた様子のホノチャンが張り付いてしまう。
二人で、右へ左へとウネウネと動く。
「きゃーーー!」
すると遊んでいる勘違いした子が歓声を上げて、ホノチャンの後ろに接続してしまう。
「あ、あ、わ、わ、わ、わ」
「はわ、ぁ、ぁあっ」
連結が一人、二人と続いて、あっという間にアーシャは大ミミズの頭になってしまった。
小さい子たちは容赦なく右に左にと力を加えるので、それが伝わってくる先頭は、立っているだけで大変だ。
伝わってくる力に振り回されて、酔っ払いのような動きになってしまう。
自分が転けたら、みんなが転んでしまう。
先頭として何とか踏ん張ろうとアーシャは頑張る。
背後に張り付くホノチャンも、何とか体勢を立て直そうと頑張ってくれるのが伝わる。
「おあ〜〜〜〜!!」
「あぁ、ふっ、ふわっ」
しかし結局は耐えられずに、全員で柔らかい床の上に転がってしまう。
「きゃ〜〜〜〜!」
「ふあぁ〜〜〜!」
ミミズの尻尾たちはコケたことすら楽しいらしく、無邪気に笑って転がっている。
「「………………」」
アーシャとホノチャンは、倒れた状態のまま、目を見開いて、見つめ合う。
「ふひっ」
「ふふふふっ」
そして同時に笑い始めてしまう。
そのままコロコロと転がりながら笑う二人だったが、
「っっっ」
上を見上げたホノチャンが固まる。
「?………ぴっ!!」
彼女の視線を追えば、いつも以上に固く、厳しい顔をしたミネコが、二人を見下ろしている。
「アーシャちゃん、これ、すこしかしてください」
彼女の迫力に、思わず固まってしまったアーシャに、ミネコは先程の手紙を示す。
『かして』は子供たちの間で、最も良く出ると言っても良い単語だ。
『すこし』は少々解釈が難しいのだが、この場合は短い時間という意味だろう。
ミネコの言葉を自分なりに理解して、アーシャは頷く。
「しゅこし、いーよ」
脱出できない以上、お迎えに来てもらうまで、アーシャは何もできない。
「はーーーい!ごはんですよ〜〜〜!おてておあらってくださーーーい!」
そんな中にアカマツの明るい声が響く。
「あーさちゃ……ぃしょ……」
遠慮がちにホノチャンがアーシャの服を引っ張る。
「ん!いこっ!」
アーシャは彼女と手を繋いで、一緒に手洗いをして、ご飯を食べる準備を始めた。
(兵糧は戦の要なり!しっかり食べて、元気つけて、ゼンたちを説得するわ!!)
やる気は十分。
残された時間はあまりないと思われるが、次こそ成功させると、張り切るアーシャであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます